elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

ソビエト連邦の実態は社会帝国主義であった

ソビエト連邦について再考する動きが最近多くなってきている。

ソ連崩壊から30年ももうすぐ数年後に迫っていてもはや完全に歴史の中の過去の国家になってきている。

今になって考える、ソ連とはなんだったのか。

壮大な実験国家であり社会主義と革命を目指した連邦制国家であったが1991年にその歴史に幕を下ろした。

一体彼らはなんだったのだろうか、何を目指していたのだろうか。

 

1922年にソビエト社会主義共和国連邦として誕生した。レーニンの時代に壮絶な革命を乗り越え歴史は始まり、スターリンの時代に第二次世界大戦を戦い勝利した。

戦後は冷戦時代を迎え一時ではあるが超大国アメリカと対峙しし世界を2つに分けて争ったあと、経済構造の歪みや周辺国への軍事介入の失敗により計画経済は行き詰り最終的に1991年に崩壊した。

歴史にすれば100年も存在していなかった国家である。

しかしその存在感は強烈であり今日も共産趣味ファンとしてソ連ファンが多く存在していたり当時のソ連国民がその時代を懐古してあの時代は良かったと再評価する声もある。また冷戦の崩壊によって今度は難民やテロといった新た問題が現れソ連とプロレスをしていた時代の方がよかったと再評価する西側の人間も少なくはない。

実際なんだかんだでソ連はかっこいいしワクワクするようなことをやっていた。今の時代にあれだけ大正義感ある国を本気で目指す国は少なくなる国際協調の時代になってきている。本気で米ソが覇権を競い合って宇宙開発競争が行われた時代はなんだかんだで時代の進歩をもたらした。社会主義というイデオロギーを掲げアメリカに勝つことを目指した時代があった。

ソビエト連邦

そのためにソ連というのは代理戦争を通じて世界各地に衛星国を増やそうとしていった。その拡大路線はアフリカや中南米にまでおよびアメリカののど元のキューバに一時器は核兵器を配備した。今は中国がアメリカと第二次冷戦に突き進みつつあるという説があるが中国がキューバ核兵器を置くようなことは考えられない。昔のソビエト連邦はそれだけ尖っていたし過激だった。当時の世界における左翼運動も今と比べて非常に過激でありその対立構図は鮮明だった。

しかしこのソ連のやり方を世界革命を目指す社会主義運動ととらえるのではなく一種の帝国主義だととらえる見方もある。まさにそれこそが社会帝国主義である。

社会主義の顔をした帝国主義社会主義国家が行う帝国主義という意味に近い。ソ連の体質はロシア帝国時代に大英帝国グレートゲームを行っていた頃と変わらなかったのだ。最初は帝国主義を批判し領土を手放し新しい時代に進んでいくように見えたが徐々にその本質を現し始める。

主にその変化はスターリン時代から鮮明になっていったと思われる。ヨシフ・スターリンがレーニンの後を継ぎ第二次世界大戦を戦って以降のソ連は世界の超大国としての野心を露骨に持ち始めた。社会主義は一国では成しえないという思想の元世界中に革命を広げていことを標榜するがこの過程はまさに帝国主義そのものであった。

ハンガリー動乱プラハの春におけるチェコ事件、東ドイツでのベルリンの壁建設などはまさに帝国主義的介入であり「衛星国」というのもある種の傀儡国家でありやっていることはかつて批判していた帝国主義と変わらなかった。

 

更にソ連の内部構造すらも帝国的なものであった。明確な皇帝は存在しないが書記長は非常に強力な権力を兼ね備え長くその地位に居座った。スターリンはまさしく赤い皇帝そのものであり、ブレジネフは20年近くその地位にいた。

KGBなどの諜報機関やその前任組織のやっていたことはまさに圧政そのものであり実質的な共産党独裁であった。更にその共産党幹部は共産貴族と言われるほど富を蓄え裕福な暮らしをしており権力を謳歌していた。貴族階級と皇帝が存在し、帝国主義のように海外に干渉しその地図を拡大していく姿は帝国以外何者でもない。まさに社会帝国主義という言葉がふさわしいように社会主義のふりをした帝国主義国家であった。

更に皮肉なことにこの言葉をソ連に対して使った中国もまた実態は社会帝国主義であったことだった。チベットベトナムへの介入は帝国主義そのものであり、今日もその社会帝国主義的路線は継続されている。彼らの真の目的は理想高き社会主義国家の建設と共産主義の実現ではなくただひたすらに権力や利権の拡大でありその装置として社会主義というイデオロギーが使われたにすぎなかった。

 

しかし自分はそのことを必ずしも批判しようとは思わない。非常に矛盾を抱えた国家ではあったが同時にその矛盾ゆえに魅力的なものを残したのも事実だ。

魅力と言ってしまっては浅はかな言い方になってしまうがソ連が作った巨大建造物や巨大兵器、数々の銅像や施設、プロパガンダは独特な者でありその基礎モデルは東側諸国に数多く輸出された。その基礎モデルや共産文化という物を築いたことは歴史における1つの役割であったし今日では見かけないその珍しい光景はどこかノスタルジーや憧憬を誘う。

ソ連軍の軍服デザインにしても、戦車や戦闘機のデザインにしてもそれが一目で東側だとわかるような作りになっている。自分は冷戦に関しては圧倒的な東側ファンだがこういったどこか悪役感ある感じに惹かれる人も多いのではないだろうか。悪役国家、悪役陣営好きにはたまらない魅力がソ連や東側陣営にはある。

アニメとか漫画とかでも正義側陣営を素直に好きになれない人はいないだろうか。自分の場合典型的なそのタイプでむしろそういう意味じゃ独特な雰囲気を持って「社会帝国主義」というわかりやすい悪役スタイルを取るソビエト連邦には魅力を感じずにはいられない。

 

その独特な雰囲気で言えば元々ソビエトというのも会議というロシア語ですべてが学術用語で構成された国名がソビエト社会主義共和国連邦なのだ。無理やり日本語に訳すとするならば会議社会主義共和国連邦でありUSSRという略称は会社共連という事になる。ソビエト連邦というのも会連、会議連邦という言い方がニュアンス的には近く近代学術用語のみで国家の名称を作った先駆性がある。ソビエトのためにという言い方も会議のためにという言い方でありその近代学術用語が一つの新しい概念にもなっていた。そういう雰囲気というのはなかなか西側国家にない物であり、社会主義体制そのものも全員が国家公務員という独特な制度であった。

 

そういう国であるから当然軍隊も独特であり軍事兵器開発に関しても設計局という物が携わっている。それゆえにIS3戦車やMIG25、AK47といった兵器も開発されそれらが壮大な軍事パレードでお披露目されていた。AK74が初めて軍事パレードに使用されたときは西側の軍事評論家の間でもかなり話題になったりMIG25の内部構造は秘密のベールに包まれていたためベレンコ中尉事件までは過剰な程性能が評価されていた。そういった怪しげな雰囲気もあり想像によって実力以上の評価や印象を与えることもあった。

冷戦を1つの文化として考えるならば悪役国家の兵器や装備をさまざまに考察する楽しさや、新しい兵器の登場に一喜一憂する文化もなくはなかっただろう。ある意味今の軍事マニアよりよっぽど当時の軍事マニアは楽しんでいたのではないかと思わずにはいられない。数少ない情報の中でワクワクする楽しさがもしかしたらあったかもしれない。秘密のベールに包まれて外交関係もあまり充実していない対立の時代だっからこそ逆にその想像は掻き立てられたのではないか。

オリンピックに出てくるソ連選手団も普段見かけない光景でありソ連が存在した時代のオリンピックというのはひょっとしたら今よりも面白かったのかもしれない。

普段見かけない非日常の光景や自分たちとは違う陣営というのはどこかエキゾチックに映る物だ。そういう意味でソビエト連邦の社会帝国主義というのは敵対者も作る一方でファンも作っていた。その思想に完全に心酔するものもいれば政治思想というよりも共産趣味のように好きになる人もいる。

もし現代においてソ連を再考するのであれば歴史的な意味よりも、エンタメや文化的な影響の方が大きかったのではないだろうか。これだけソ連マニアのような人が世界中にいるのを見ると壮大なエンタメ国家、国家そのものがエンタメという評価をすることができるかもしれない。彼らがそのソ連邦の69年の歴史において真に残したものは当時の国民による懐古感情とマニアによる憧憬の感情なのかもしれない。

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東京マルイのAK74MNはもう絶版品らしい

東京マルイのホームページみたけどもうAK74MNないね。もう絶版なのかなぁと思って調べてみたらやっぱり生産終了してるらしい。

なんかもったいないなと思うし残念なニュース。マルイが出してるAKシリーズで一番かっこいいのはAK74MNだと思ってたけどもう生産終了してるとは。AKS74とかはあるけど普通のストックをしてなおかつ黒色のAK74のエアガンとなるとマルイではもう存在しないことになる。AK74M買おうと思ったらもう東京マルイにはないのが現状

興味がない人から見たらAKシリーズは全部同じに見えるけども興味ある人からすると全然好み分かれてそれぞれこだわりが強い。AK47のほうが元祖っぽくて渋いという人もいるし、AK47よりもAK74がスタイリッシュで近代感あっていいという人もいるし、更に黒いストックとなると全然デザインとして違ってくる。自分47より74の方が好きでなおかつ木製ストックよりもこういうポリマー素材みたいなのほうが現代的でかっこいいと思ってるタイプ。

一応次世代電動ガンシリーズでAKS74があるけどこれとAK74Mはまた違うんだよね、AK好きに言わせると。AKオタはAK内部で結構細分化してるよね。そんな貴重なAK74で黒いストックのモデルが生産終了というのは本当に惜しい。尼で調べてみたけどやっぱりないしね。

ただAKS74Nの方は今も発売されてるしカスタムパーツでやれば再現は現代でも可能だと思う。他メーカーからは発売されてるし絶望的でもないし、その内もしかしたらAK100シリーズのような新製品も出るかもしれないし再生産もありえるかもしれない。

ちなみに自分はAK74MNの方を持って非常に気に入ってる。だからこそもう生産終了してるのが悲しいニュースに感じる。良い銃なのになんで生産終了なんだろう・・・

それにしてもこのモデルが発売されたのもう結構前だよね。そりゃ絶版になっても仕方ないかもしれない。当時は「やっとAK74が発売された!しかもブラックストックかよ!」と思って喜んでたし、更にリコイルショックが再現された初の電動ガンだったのでかなり話題になった。当時の自分にとってまさに待望だったのがこのAK74MN

ちなみにもう1つ待ってる製品化があってそれはSVDドラグノフ電動ガン化なんだけどこっちは未だに発売されてない。

 

当時そのAK74をどうしても欲しかったからそれを買ったのをほんと覚えてるし今でも大切にしてる。やっとの思いで買えたときは本当に感動したのが懐かしい。

この電動ガンで一番核心的だったのはやっぱりリコイルショックの導入。要するに実銃のような反動やブローバックが再現されてる。それまで電動ガンではそれがなかったからこの導入は本当に核心的だった。

その電動のリコイルショックの質に関しては当然ながら実銃みたいな反動もないしガスガンに比べても劣る。ただ電動でそれができるというのが大きいし無いよりは絶対あったほうがいい。ネットでは反動しょぼいと言われてるけど期待しすぎてるからそうなるだけで、実銃撃ったことがなくてなおかつガスブローバックのライフル銃を撃ったことがなければ全然満足いくレベルにはある。ほんと「期待しすぎると駄目だけど、無いよりは絶対あったほうがいい」という感じに近い。

 一度これを体験すると普通の電動ガンが物足りないぐらいにはちゃんと反動やアクションがある。それにもうその技術が確立されてからだいぶ経ってるから今の最新の次世代電動ガンだったらもっと反動は強くなってるかもしれない。一番最初のAK74MNですらまぁそれなりに満足のいく反動だったので今のはさらに進化してると思う。

 

それとAKって人気シリーズだからこの技術でAK103とか作ってくれないかなぁ。AK100シリーズで一番AK103が好きだからそれも楽しみにしてる。 100シリーズほんといろいろあるけどその中でも自分は103が好き。

あとAN94アバカンとかも出してくれないかなぁ。マルイはアメリカ銃出しすぎなんだよなぁ、もっと東側系大事にしてくれ~!

今の最新のロシア軍を再現しようとしたらどうしてもAN94が必要になるけど現状どこにもない。2点バーストシステムが採用されてたらもうほんと絶対買うぐらいに楽しみ。

とにかく東京マルイドラグノフとAN94、AK103を作る日を楽しみにして末永く見守っていきたいと思う。

調べてみたら東京マルイさんAK102は出してたらしい。これはますますAK101かAK102への期待も高まる!

中島健人の造語センスはなぜヤバスティックパイナポーなのか

中島健人にありがちなこと

・勝手に変な言葉つくりがち

 

これはほんとよくある

中島健人の、新たに言葉をクリエイトする才能ってなんかすごいよね。なかなか出てこない発想があるし今では有名な「ラブホリック」もケンティが発掘した単語みたいなところあるよね。そういう珍しい単語を見つけ出してくる能力も凄いし逆に「ヤバスティックパイナポー」みたいに常人では発想できないようなひらめきを見せることもある。

林先生と出てる番組でも野菜カレーのことを陸カレーで、シーフードカレーのことを海カレーと言ってその両方が合わさったカレーみたいなのがあってそれを「陸と海の融合」みたいな風に行ってることがあったときは本当に笑った。その場のノリやひらめきでどんどんわけわからない言葉を発明するセンスがラブホリ師匠にはある。

その造語センスに自分は注目しててある意味ケンティは言葉のファンタジスタかもしれない。独特なセンスで言葉を使うからとにかく面白い、言葉遣いが面白しいかといってうわべだけじゃなくて雑誌のインタビューとか読むと結構深いことを考えてる部分もある。

最近ジャニーズでもNEWSの加藤シゲアキ君が小説を出したりしてジャニーズの活動というのは昔に比べて幅が広くなってきてる。もし加藤シゲアキ君のような先人が切り開いてくれた道をたどって次に小説を出すメンバーが現れるとするならば個人的に中島さんは期待大。ケンティ節全開で意味わからんラブホリックな小説書いてほしい

 

とにかくケンティは、良くいるセンスで現代文のテスト高得点取っちゃうタイプの人

他の教科まるで駄目なのに現代文だけセンスでやってめちゃくちゃ点数高い人とか稀にいるけどまさにそんな感じがする。中島さんはたぶん他の教科もできるだろうけど現代文とか言語センスに関してはさらに優れた物があると思う。

これだけだったら左脳のセンスが発達してると考えられるけど、ケンティって妄想力が異常なんだよね笑

今更言うまでもないことだけど、中島さんがする妄想はいろいろぶっ飛んでてヤバい。そういうのも考えると右脳も発達してるよね。左右両刀の発想力があるから中島健人は面白いし凄い。海と陸の融合ならぬ、左脳と右脳の融合でとんでもない発想を出してくるのがヤバスティックパイナポーの秘訣なのかもしれない。

今思ったけどヤバスティックパイナポーって略すとYSPPなんだね、今はやりのPAPPみたいだしこれも偶然どっちともパイナポー使ってるよね。中島健人=ピコ太郎説がまた実証されてしまった・・・

やっぱこの男never give upの衣装見れば見るほどピコ太郎だよなぁ。

とにかくそういう意味でファンタジスタタイプ

本人はサッカーでゴールキーパーの経験があるしジュニア時代にジャニーズ番組内でゴールキーパーとしても出場してるけども、アイドルとしての中島健人をみたら明らかにトップ下的な10番タイプのアタッカーみたいな選手。味方を生かしつつ自分もゴールを決めて、なおかつ試合中の天才的ひらめきとファンタジーのある選手みたいなイメージ。

サッカーではゴールキーパーだったけどもアイドルで言えば10番タイプのプレースタイルをしてる。バッジョとかルイ・コスタとか、現代サッカーで言えばエジルとかハメス・ロドリゲス的な存在。創造性とその場のひらめきに天才性の片鱗がある。

まさにファンタジスタであり、人々を瞬時に魅了してやまない。

その本質には誰かを常に喜ばせたい、サプライズをしたいというケンティー自身の素の魅力があるのかもしれない。

 

そしてこんな感じで中島健人ってときどき意味不明なことを長々と言い出して、桐山あたりに「何ゆうてんの?」ってツッコミされるけどそれも好きなんだよね。あの時の人から見て意味わからんケンティー好き。

つまり傍から見りゃ意味わかんなくて本人の世界に自己陶酔してる時の中島健人面白い。本人がわけわからない事言ってるのがこれまた面白いんだよね笑

中島健人、自己陶酔しがち説

多分そうやって言葉を駆使して面白いことを言うのっては想像力がある証拠

ダウンタウン松本人志の著書で「想像力があれば言葉は面白い」という話が合ったんだよね。松本人志が昔のお笑い番組で、2つの箱からランダムに言葉が書かれたカードを取り出して組み合わせてどんな言葉になるかっていう企画があったらしい。そこで松本人志が引いた言葉が「天使」「機長」だった。

これ何気なく見てると全然面白くないんだよね。何が面白いの?という感じ。

でも松本人志曰く「想像力があれば面白い」

この言葉を組み合わせて「天使機長」にして、汽車や飛行機を想像してそれを天使が運転してるシーンを想像するとなんかシュールで面白いという事を彼は書いていた。確かにそれを想像してみるとなんか場違いな組み合わせ過ぎてちょっと面白い。つまり面白さを見つけ出すには常にそうやって瞬間のイメージやひらめきを持ってる必要があるということを松本人志は言っている。中島健人っておそらくこういった想像を常日頃からしてるタイプだと思う。普段からいろいろ自分独自のセンスで考えてるから瞬間的にぶっ飛んだことを思いつく。このセンスは本当に凄いし、それが中島さんの面白さの中核となってるよね。

だから常人では思いつかない発想をするしいい意味でわけわからないことを言い出す。中島健人の面白さというのは元々の才能とそういう日ごろの習慣に裏付けされたものなんじゃないかなと思う。

そういう意味で中島氏の言葉のセンスというのは見ていると本当に面白いし、そういう部分も見ていくと中島健人の新しい面白さを見つけることができる。

「またわけわからんこと言ってるよ」(褒め言葉)と。

もし中島健人をテレビなどで見る機会があるならば、ぜひそういう部分を見てもらえたらなと思うしこれからもそういう部分を密かに楽しみにしていきたいなぁと思う

西野カナって会いたくて震えてた頃の方がかっこよかったよな

会いたくて震えてた頃の西野カナ→すき

トリセツでいろいろ要求し始めてきた頃の西野カナ→きらい

 

西野カナの曲ってあまり聞かないけどお店とか言ったら流れててちょっと聞くことがあるんだよね。どこでも流れてるよね笑

それ聞いて思うのが「年々西野さん低年齢化してない?」ということ。ファンには申し訳ないんだけども「前の西野カナってもっとかっこよくなかった?」って思うんだよね。西野カナ本人の年齢は上がってるのに曲調や歌詞は逆に子供っぽくなってきてる気がする。

 

会いたくて会いたくて震える→かっけぇ!

なんか彼氏のいいとこだけ歌ってる歌→なんやこれ・・・

 

会いたくて震えてる曲はほんと好き。女子じゃなくて野郎でもあれはカッコいいと思うよね。会いたくて会いたくてが元々代表曲的な感じだったけど、トリセツが流行って以降なおさらそっち方面の恋愛脳女子向けの曲が増えた気がする。

「彼氏できて幸せですー!毎日彼氏と充実してまーす!」とか「好きな人がいて大好き!つきあえたらいいなぁ・・・!」みたいな女子が聞くと多分あれすごいいい曲なんだろうね。充実してる時に聞くと凄く良い曲なのかもしれない

多分俺がひねくれ者だからいい曲に聞こえないのかな。

でもとにかく会いたくて震えてた頃の西野カナの方が好きだなぁって思う。

そしてあの人、見た目とのギャップでしゃべり方が結構可愛いよね。三重県方面の関西弁みたいなのが結構かわいい。この手のファッションの人あまり好きじゃないけど西野カナはなんかいいみたいな風に思う。

あとトリセツとか意外におじさんで好きになってる人多いよね。さんまとかねぇダーリン絶賛してたし実際にそういう人を見たこともある。さだまさしの関白宣言を絶賛してると思いきや実はトリセツのほうを評価してるおじさんとか意外にいるよね笑

トリセツおじさん意外と多い説

 

でも俺こうやって西野カナ理解できないみたいなこと言ってるけど、多分10年後の俺めっちゃ評価するんだろうなぁ。

なんでかといったら自分今になって大塚愛再評価してるもんね、今になって。時代遅れもいいとこですよ。

消防の頃の流行敵視してた頃のぼく「なにが大塚愛だよ」

メジャーなものにはまる楽しさに気付いた今の自分「さくらんぼいい曲だな・・・」

懐かしさもあいまってしみじみとプラネタリウムとか聞いたりする。あとユメクイいい曲だよね。当時の自分はプラネタリウムが盗作疑惑でたときに叩いてたけど、今もうそういうのどうでもよくて「いい曲だなぁ」ってしみじみに思う。ユメクイとかほんと良曲。

いわば元祖西野カナみたいなのが大塚愛で、今になってあえて自分は大塚愛を評価してる。さくらんぼとか馬鹿っぽいし、それこそまさにDarlingみたいな感じだけど今聞くといい曲だよね。

ジュニアだったころの自分はそういうの馬鹿にしてたけど、今しみじみいい曲だなぁって思う。メジャーな文化や流行に理解示すようになってきたかもしれない。今思ったけど「小学生の頃」を「ジュニアだった頃」って言うとジャニーズっぽくていいね、っていう非常にどうでもいい言葉遊び

 

西野カナは7,8年後どうなるのかな。浜崎あゆみとか大塚愛みたいに消えるのか、逆にaikoさんみたいに生き残るのか。しかもaikoさんも今になって評価してるんだよね。

生き残るために低年齢化路線で行くんだろうか。

10代女子だけに売り続ける路線ってのは間違ってないかもしれないよね。アンパンマンとかもガチの子供だけに特化した売り方をして何年も生き続けてる長寿コンテンツになってきてるけど10代という必ずどの時代もいる層に特化してCD売っていくというのは西野カナの戦略かもしれない。10代に流行ればそれが流行みたいにもなるしね。

 

別に西野サイドからすれば、俺みたいな人が理解できなくても何の問題もないんだよね。10代女子がCD買ってくれればいいわけであって、向こうも俺に理解されようと思って作ってるわけじゃないだろうしね。

西野カナ「ってかお前誰やねん」(三重風関西弁で)

とにかく大塚愛化しないように心掛けてる感はある印象

 

本人は実はガチの音楽をやりたいらしいんだよね。本当の音楽性はレゲェとかヒッポホップとか、洋楽とか本場の音楽が好きらしいんだけど多分それメインでやったらここまで売れてない無名ミュージシャンだったんだろうね。その初期の音楽性が反映されてたのが会いたくて会いたくてのような気がして、もう最近はそれすらなくなってJ-POP市場に特化した曲になってる印象。

大塚愛もそれまで書いてた曲が売れな売るためにさくらんぼ作ったって言ってたしね。

ミスチル好きの友人曰く「ミスチルは売れそうな音楽を毎回安定して作り続けてる、だから一部の音楽ファンからは叩かれてる。」あのMr.childrenですら実は売るための曲を作ってる。結局音楽は慈善事業でもないし平和運動でもないから売れることを考えなきゃ駄目な現実がある。

そして西野カナはアルバム曲とかカップリング曲とかでは英語多めだったりR&Bみたいな曲を出してるらしい。多分そっちが本当にやりたい曲で、売るための曲がシングル曲なのかもしれない。コアな西野カナファンは逆に「有名なシングル曲が本当の西野カナだと思わないでほしい、そのイメージがあるけどちゃんとした曲も歌ってる」とか思ってそう。

 

こんな感じで偉そうに音楽評論してるけど、そもそも自分が絶賛してる曲が嵐の「ユアマイソーソーいつもすぐそばにある♪」とかセクシーゾーンの「ハローハローメリクリスマス、今がいいチャンス~♪」っていうね。西野カナの曲のほうがまだレベル高い可能性ある。結局誰が歌ってるか重視で曲そのものを真面目に聞いてるわけじゃないし違いを理解してない。「バカ舌」とか「味覚音痴」って言葉があるけどバカ耳だし音楽音痴なのが自分。ゼンゼンゼンも叩いてるけど、俺あれをジャニーズが歌ってたら多分絶賛してるだろうね笑

 

こういう邦楽の現状を嘆く音楽ガチ勢みたいな人がいるけど、別にそれでいいと思うんだよね。音楽を真面目に聞いてる人って少数派だと思う。売れればいいしカジュアルでいいと思う。

音楽だけじゃなくて誰が歌ってるとか、どの映像作品に使われてるかとか、歌い継がれているかとかそれがデビュー曲だからとかいろんな背景も含めて音楽でありエンタメだと思うし音楽だけを抽出してその音楽性を高度に論じることがはたして本当に意味があることなのかなとも思う。

嵐の曲とかにわか音楽みたいに言われがちだけど、なんだかんだで凄い人たちが作ってるし歌詞も良かったりして何気ないときに勇気づけられることがある。Troublemakerとかワイルドアットハート結構勇気づけられるよね。

好きな人いて幸せですみたいな10代女子が西野カナ聞いて楽しくなって、俺がメジャーグループの嵐のメジャーな曲で勇気づけられて、売るために作られたミスチルの曲で長谷部誠とか友人が元気出ればそれでいいと思うんだよね。

そういう事もトータルで含めて音楽文化

ガラパゴス文化かもしれないけどそれで一国でそれだけの音楽市場が経済的に回ってればそれって普通に幸せな事なんじゃないかなと最近は思う。

全盛期のKAT-TUN人気って本当に凄かったよな

今でも自分は昔のKAT-TUNの映像を見ることがある。

自分が最初にかっこいいと思ったジャニーズのグループでもあり、その衝撃は今でも覚えている。あまりアイドルやジャニーズに興味が無かった自分を惹きつけたその強烈な魅力は今も色あせていない。

 

それどころかむしろ最近のジャニーズグループと比べても決して見劣りしないどころか、ワイルドなかっこよさとしてはジャニーズ史上最高のグループだと言っても過言ではない。

「ブラック&ワイルド」というコンセプトは後にも先にもジャニーズの中では異色のグループであり唯一無二の魅力があった。

 

仮にKAT-TUNが6人のままだったらと今でも考えることがある。

いわゆる"ロクーン"時代であり未だにこの時を理想とするファンは多い。

それは成立しないからこそ夢のような仮想なのだが、彼らが6人のまま活動を続けていれば天下を取れていたのではないかという程の勢いが全盛期にはあった。

LDHやK-POPの人気がここまで高まる以前の、ジャニーズこそが芸能界の覇者であるという風格を今でも覚えている。

 

 

メンバーの半数が脱退しグループとしての活動は充電期間に入るという結末からは想像もできない程全盛期のKAT-TUNはそれほどに凄かった。

まさに「凶悪集団」というオーラがあり、どのグループよりもトガりにトガっていた。

 

そのトガり具合は履いている靴にも表れており嵐に挨拶しに来た時に松本潤が「お前ら革靴で踊んの?」と内心衝撃を受けたと語っている。

櫻井翔も「あんなに尖がってる靴初めて見た」と語り、当時の嵐メンバーがヤバそうな集団だとカトゥーンを認識していたという後日談を最近よく聞く。

 

今となってはKAT-TUNのそういった昔話も面白く、当時と比べたときのギャップを見るのもファンの楽しみである。

上田竜也が「悪ぶれば悪ぶるほど褒められた」と語ったり、亀梨和也が「KAT-TUNは俺が俺のこと一番知ってるぜみたいな奴らの集まりだった」と語る姿は全盛期のエピソードとして面白い。

リアルタイムであのKAT-TUNのギラギラ感を見ていた人ならばなおさら面白く、共演した芸能人などが「当時は本当に怖かった」と語るほどに怖そうな雰囲気があった。

 

それがまたかっこよくそういう不良っぽさに憧れる時期は誰にでもあったりするし、全然自分のキャラじゃないのに『ごくせん2』を見て「絆」を聞いてかっけー!と思ったりしていたことがある。

何気にごくせん2の影響は一番大きいのではないだろうか。

ジャニーズJr時代から少年倶楽部などで人気を博していたことは事実だけれども、一般に知れ渡っていくのはごくせん2の功績が大きい。

 

今の日本でジャニーズタレントが出演するドラマが大きくヒットして、それが若手のジュニアだというのは想像がつかない。

Mr.KingやPrinceのメンバーがドラマで主役を演じて、その学園ドラマが学生にとって視聴必須となるような現象はもう起きないのだろうかと考えると少し寂しい物がある。

今で例えれば平野紫耀と神宮寺勇太が主役を張る不良ドラマが高視聴率を叩きだすようなものだ。そう考えるとやはり全盛期KAT-TUNの勢いはすさまじい。

ジャニーズのしかもジュニアがその時代の憧れのイケメンの代表格となるほど知名度があった時代がつい10年前にはあった事実がある。

時代背景も確かに違うしテレビの影響力も今とは当然異なる。

若手のジャニーズがドラマで人気になっていくと言う構図があった時代と今の比較は簡単にはできない。

ただそれでもKAT-TUNが流行ってた時代というのはいろんな文化が華やかだったなと思い出補正に浸ることがある。

実際今の若手ジャニーズのメンバーもこの頃に赤西仁や亀梨和也に憧れて履歴書を送っていることが多く、昔の雑誌などを見ても憧れの先輩にこの二人を上げていることが多い。今でも「絆」の映像を見るとかっこいいし、小田切竜と矢吹隼人の2人は最高の仲間だったと思う。

 

しかしいつまでも続かないからこそ、その短命の期間はむしろ伝説として語り継がれる。

もしも続いていたらというイフは思い出補正もあいまって、理想のような想像をしてしまいがちだ。

田中聖がずっと坊主だったら、亀梨がずっとさらさら金髪だったら赤西仁がずっといたら上田竜也が中性的な髪形を続けていたらと自分が考える理想のKAT-TUNを想像する。

田中聖の坊主スタイルは全員髪が長く派手なグループの中でいい中和材料になっていて、田中はジャニーズファン以外も謎の好感を持つような愛嬌があった。

ジャニーズ初の坊主キャラを究めてたら今とは違う未来があったのかもしれないし、そんな田中が自分は結構好きだった。

 

上田も今の金髪スーパーサイヤ人スタイルは好きだけれども個人的に理想なのはもっと長くて中性的だったころで、実は一番自分がなりたいポジションは上田竜也の立ち位置だった(もちろん実際になれるわけではない笑)

「田中の髪は短い坊主」とはねトビで歌われていた頃や、KAT-TUNメンバーが出演するCMが流れていた頃は華やかで、「ジャニーズかっけぇ!」という雰囲気は本当に凄かったと思う。

今の男子でジャニーズに憧れる子ってどれくらいいるのかな、山田涼介が若手では唯一男子にも知名度があるくらいだろうか。男子からの憧れまでも巻き込んだ時ジャニーズは一流グループになった言うことができる。

 

とにかくあの時代のKAT-TUNの無敵感は凄まじく、今そういったグループの再来を見てみたいというジャニーズファンとしての思いもある。

もっとジャニーズが世の中の流行の中心として必須になるぐらいの勢いを見たい。

最近いろんなコンテンツが好きな人だけが見ているマニア向けになってきていて、ジャニーズもそうなってしまわないかという心配がある。

もっと大衆ブームであってほしいし三代目がそこにあるよりは、ジャニーズがそこにいたほうが自分としては憧れがある。

 

「ジャニオタしか好きじゃない感、ジャニオタしか興味持ってない感」というのはあまり好きじゃなくて、ジャニーズはもっと広く人気のあるあるコンテンツであってほしいと思っている。

バブル時代の光GENJIのエピソードを聞くと本当に規格外に凄いし、本来ジャニーズは日本芸能界のトップオブトップを行くような圧倒的な存在であってほしい。

クラスの女子皆ジャニーズ好きぐらいの時代のジャニーズのほうが迫力がある。

全盛期のKAT-TUN、少し前の嵐、そして最近のHey! Say! JUMPはそういった雰囲気があるのでやっぱりジャニーズは芸能界の中心を行く存在であってほしいなと思う。

そういうジャニーズがいるからこそ新たな対抗勢力も生まれるし、そんな争いが芸能界を活気づけてきた歴史があるしそれが日本芸能界の良さでもある。

時として批判されることもあり、時として時代の流行を作る。

ジャニーズがそんな芸能界の歴史をこれからも彩っていく存在であり続けることを願わずにはいられない。