ここ最近のスノ推しに対する雑感
おそらくこれはジャニーズファン誰もが抱えている非常に難しい問題だと思う。
それぞれ個人の考え方があってどの意見が正しいかとはわからない。
正直自分の立場としてはタッキー崇拝派だった。
まず自分は男であってスノーマンと同年代、宮舘と生年月日が近い立場である。この世代に限らず、自分が今までジャニーズを見てきた経験からするとメンバーもバリバリの「男脳」であり「男社会」だと断言して間違いない。
男の自分がなぜジャニーズにハマるかといったら、別にアッーでもないし中身が女子だからでもない。
そしてジャニーズ本人達が、いかにも男だと良くも悪くも「コイツラ男だなって」ってのは常日頃感じてるんじゃないかなと思いますよ。
そして、今のタッキー支配下にあるジャニーズは究極に「マッチョ男社会化」に向かいつつある。
これまた正直に言えばこういう「オトコオトコした」というか、漢を目指す方向って別に野郎ジャニオタからすればそこまで嫌じゃないどころか結構好きではある。
まあ、ただ限度を超えるとちょっとねぇというのはある笑
別に自分自身バリバリ筋トレしてるわけじゃないですしおすし・・・
基本、タッキーって顔で評価されてスキルで足りなかったというコンプがあるので異様に技術に憧れているというのはジャニオタの常識だ。
そして特に情が移ったスノーマンを今、贔屓していると。
ここまでは正直自分も理解できるし、自分の配下として親衛隊のようにスペシャルな身体能力を兼ね備えた部下を優遇したいという心情は分からなくもない。特にジュニアの時代から可愛がっていたならなおさら分かる。
ジャニーズはそこらの体育会系が泣いて逃げ出すレベルの縦社会であり男社会なので、未だに昭和のノリをかなり引きずっている。
自分としてはこういう文化を変えていかないと新しい人材は集まらないと思いつつも、こういう昔ながらを生きしているジャニーズ文化も好きなのでどうとも言えない複雑な立場ではある。
つまり、タッキーの考え方は凄く良くわかるし、かつてのような華やかな黄金期を再建したいという思いも分かる。そしてその哲学そのものには反論しようと思わない。
ただタッキーはその男社会脳や男の浪漫だけで突っ走りすぎて、オタ心わかってないなというのも同時に分からなくもない笑
自分個人としては大いにタッキーの情熱に傾倒するし、自分がジュニアの立場なら彼は神に見える。
そんな男心理優先の自分ですら、今回はやりすぎじゃね?って思うのが今回の本題なわけですよ。
タッキーロマンはすげぇわかる。体育会系エリートに対する憧れもわかる。
ただそれを優先しすぎると全体の戦略を失いかねないと。
お気に入りの部隊を優遇するのってやっぱり歴史的に良くないわけですよ。
権力を持てば誰しもがやりがちな悪手なわけだ。
組織全体の戦いのときに政争を持ち出すという行為は非常に危険で、今ジャニーズはこれをやっている。
例えば今なら全力でキンプリを進軍させるべき時局にある。
ただこれも、トップの失脚で全体の作戦が転換するいい事例だ。
キンプリデビュー前に、自分は今こそがキンプリデビューの絶好期と主張した。まあ結果的に遅らせて正解だったのだが、今回のように昨年までキンプリが絶好調の時に、冠番組を再三遅らせていたらチャンスを逃しかねない。
まさに今、キンプリが世を席巻するというときに足止めを食らった。
絶好期に二度も制止させられるという事態だ。
一回目はまだジャニー采配だから許せるものの、今回JO1の席巻があるときにのんきに自己満足プロデュースに固執している姿は目も当てられない。
JO1の戦力を完全に見誤りすぎで、キンプリの冠番組を地上波で放送させてやっと対抗できたと言っていい。
キンプリという最新鋭エース部隊を、今回もまた温存し外敵にチャンスを与えている。内部の政争の犠牲になるのは常に前線の兵士である。
最近のメッシの特徴=雑魚専である
今季のリーガ優勝を占う大一番で迎えたクラシコ、ここで勝ちきればバルセロナの優勝は手の届く範囲にあった。
一方レアル・マドリードとしてはここを逃せばリーグタイトルから完全に遠ざかる重要な試合、結果として大勝で終え再び覇権はエルブランコに戻ることとなった。
現在勝ち点差1でレアル・マドリードが首位であり、再びスペインの覇者を巡る争いは過酷度を増している。
トドメを刺せる絶好の機会に仕留めそこねたバルサの失態は数カ月後に後悔するのか否か。
喉元の寸前にまで迫ったところ、サンチャゴ・ベルナベウで壮絶な抵抗を受けバルサは撤退した。
引き分けのドローどころか、勝ち点で争っている相手に最も与えてはいけない実質6ポイントを与えてしまった計算だ。
得られるはずだったのに失った3点と、相手に取らせてしまった3失点で、リーグ戦の攻防戦の直接対決の意味は大きい。
この意味合いを理解していたのはレアル・マドリードであり、バルセロナは全く理解していなかった。
かつてはバルサの庭だと言われたベルナベウで、白い巨人は意地を見せてきた。凄まじい迫力に対し、ポゼッションだけは維持するバルサはもはや無力だった。
点を何が何でも取ろうとする迫力が違っていた。
バルセロニスタとは本来、最も攻撃的であり華麗なスタイルを好むが、今回のクラシコにおいてはマドリディスタこそがそのメンタリティを兼ね備えていた。
クロースのスルーパスは近年稀に見る意表を突いたチャンスメイクであり、それが出された瞬間自分は感嘆していたが、その余韻も味わいきれない内にヴィニシウスに先制点を奪われていた。
感動する暇さえ与えてくれないパスこそ思考である。
これは感動する場面だなと気づくだけまだ分かっているのだと信じたいが、それからが一瞬だった。
その直前、ビダルを交代で変えたところで、いつもいいことにはならないとわかっているはずなのにその采配が行われていたことも背景にある。
重要な試合でビダルを下げたときにいい結果が出た試しがない。正直その時点から悪い予感はしていた。
新入りのフォワードが絶好の決定機を外し、直後にその失点シーンがやってきた。
ただそれ以上に、嘆きたいのはここ最近確実に衰えつつあるメッシだ。
これまでのメッシは、まさしく神でありどんなにキツい局面でも祈られる救世主であり、奇跡を起こしてくれる可能性があった。
とにかくどんなピンチでも神頼みのようにメッシに渡れば何かしてくれる、そういう期待があった。
ただここ数年のメッシにそれは感じない。
まるで神の憑依が解けたように、ここ最近のメッシはサッカーの上手い人類の一人だ。
CLのアウェイでチームを救ったり、リーグのライバル相手に決定的なゴールを決めたりという光景は過去の回想でしかない。
果たして彼が本当に歴史上最高の選手なのだろうかという疑問に、この数年バルセロニスタは苛まれている。
この度のクラシコで、マリアーノに決められ敗戦が確定した後のこの表情はもはや見飽きた。
毎回のように無表情で突っ立っているだけか、下を向いているだけである。
ロナウドがCL3連覇を始める年齢で、この態度だ。
多少鬱陶しく暑苦しくてもチームを鼓舞する異様な負けず嫌いと、なぜお前らはこうも無能なのかと役立たずを軽蔑した目線で見るリーダーがいたら人はどちらについていくだろうか。たとえ後者が嫉妬しきれない程の美しい才能を持っていたとしても、人は前者の為に見を粉にする。
天才は常人の気持ちがわからない、というありきたりな話を体現しているのがメッシだ。
一昔前はむしろクリロナがエゴイストで傲慢で雑魚相手にしか点が取れず、チームメイトのおかげだったが、ここ最近はメッシがそうなりつつある。
もうメッシが活躍したという話はリーグの中下位相手の話ばかりで、かつてのように強敵相手にハットトリックやゴラッソを決めて逆転するような神話の領域にはいない。
逆にロナウドは完全に省エネし効率化を図り、強豪狩りに集中しきり結果を出している。
これまでのメッシが歴史上最高の存在であることは多くのサッカー関係者が認めているが、ここ最近のメッシに関してはレジェンドの内の一人という表現に抑えることが相応しい。バルサフロントのこれまでの補強失敗のように外部の要因はいくらでも存在する事も事実だが、持っている選手というのは何かを味方にする。
悲劇のヒーローという系譜はこれまでのロナウドを修飾する言葉であったが、このままではメッシの枕詞になりかねないだろう。
韓国焼酎チャミスルのすもも味を飲んでみた
韓国の芸能や文化に詳しい人にとっては今更な知識だが、彼らは日本人以上によくお酒を飲む。
独自発展したともいえるし、良くも悪くも昔ながらの飲酒文化が残っている。
労働のストレスや人生の鬱憤を晴らすために飲む文化という意味では、日本に非常に近いしむしろそれ以上だ。
大量のお酒を飲めた方がかっこいいという価値観も日本に比べると根強い。一応、大学生の飲酒量は韓国でも下がっていてアルハラは徐々に問題視されてきてはいる。
ただやはり韓国はアジア最強の飲酒大国であり、日本人からすればちょっと昔の価値観に見えることもある。まあ自分はそんな文化が好きなので、批判しようと思うどころか憧れているぐらいだ。
そんな韓国のお酒文化に対する憧憬が行き過ぎて、韓国産のソジュ=焼酎を度々飲んでいるのが自分だ。
ソジュは焼酎を韓国語読みした発音で、本当に大韓民国の国民酒といっても過言ではない。
なぜこんな焼酎が生まれたかというと、昔の韓国は朝鮮戦争から立ち直ったばかり、米のような原材料も余ってはいなかった、そのため時の政権で統制しようという管理体制が敷かれたわけだ。
統制経済により安定的に均質な味を普及させることが可能になった。
これは韓国の地酒が日本に比べると非常に貧弱だという結果を導いたと同時に、逆に言えば昔の全国どこでも似たお酒が飲めて貧富の格差がないという状況を生み出した。
ソウル:チャミスル(全国シェアNO1)
プサン:C1&ジョウンデー
カンウォンド:チョウムチョロム
チェジュ:ハルラサン
テグ:マシヌンチャム
チョルラド:イプセジュ
このような感じで色々と名前の違いはあり、度数や成分の違いはそれぞれ工夫しているのだが、まあ大体同じ味だ。日本に入ってきていないマシヌンチャムとイプセジュ以外全て飲んだ自分から言わせてもらうと、まあ済州島のハルラサンが一番良かったかなというぐらいの違いでしかない。
良くも悪くも上限がなく富裕層も低所得層も同じ酒を飲むという文化だ。
お酒を飲めば皆垣根を超えた仲間だという感覚なので、嫌らしい格付けが存在しない。
日本人にとっての国民酒である日本酒は本当に素晴らしく成熟した文化である一方で、格差がありすぎて結局若者が離れて外国人向けの輸出品になりつつある。
まあそんな前置きをやっとこさ終えて、近年ソジュの世界で流行になっているのが「果実焼酎(クァイルソジュ)」だ。
度数をやや低めにして、果実のフレーバーを加えたバリエーションがトレンドになっている。流行がワンテンポ遅れて日本に入ってくるハットグやらチーズダッカルビとは比較にならない程、現地で真に流行っている大衆文化が果実焼酎なのだ。
80年代までは女性が外で人前でお酒を飲むというのはみっともないという文化があったらしい。ただ、今は違う。
日本も同様だが、女性がかなり飲むようになってきている。そもそもそれはアジア全体の傾向で、数十年前までほとんど女性がお酒を飲まなかった国が急速的に飲酒量を増やしている。
韓国でもそういう女性に合わせた果実焼酎が非常に人気で、ついには日本にも輸出され始めた。
ここで今度こそ本当の本当の本題に移る。
ソジュのいろいろな新しい味は開発されていてグレープフルーツ、ブルベリー、ザクロ、マスカット等などいろいろある。日本の缶チューハイと似たものなので常に新味が出るところも面白い。
そして今回、新発売されたのが「すもも味」なのである。
とは言っても韓国では既に一年前から出ているし、日本でもコリアタウンではかなり早くから売っていた。
それが、大阪だという立地もあるかのしれないが普通のスーパーに売り出されるようになり、今回ようやく手に入れたわけですよ。
もちろん全ての場所にあるわけではないがちょっとした規模の所は流行を察知して置いている。
ちょっと前までは「すもも味のチャミスルは幻の味」と思っていたら、近場で手に入る大阪の凄さ。
チャミスル自体がどこでも手に入るし、それ程みなはん飲むんかいなと笑
ちなみに一番大事な味を表現すると、思ってたより甘くはなかった。
これまでの果実焼酎に比べるとやや甘みは無いものの、お酒としてはちょうどいい。
ネットで頼むのが面倒であれば、鏡月のザクロ味をすももに替えたくらいのイメージで十分伝わるので、そこまで特別という味かと言われれば普通だ。
日本人にわかりやすく説明するとまあ、すもも風味の鏡月という感じで9割合ってるといっても過言ではない。
ただ、もちろん美味いは美味い。
韓国ではストゼロと同じくらいの値段で売っていて、酔うための役割をしている。
日本人が炭酸の爽快感を認めるとしたら、韓国人はまろやかさや濃さを求める傾向にあるかもしれない。
それぞれがよく食べる料理との相性もあるかもしれないが、この僅かな差というのは問題ではなく、結局ただどちらもお酒を求めているだけなんだろうなって思い親近感を抱かずにはいられない。
東京五輪は現代の戦艦大和なのか
猛威を振るうコロナウイルスによって世界中、日本中の産業が大打撃を受けているが、まだこれは序章に過ぎないだろう。
厨ニ的な悪役キャラクターがいれば「ショータイムはまだまだこれからだ」と不気味な笑みを浮かべる段階に過ぎない。
そう、日本にはまだ東京五輪が残っている。
数々のイベントが延期になる状況を受けて、ここ最近オリンピックもやめるべきじゃないかという意見が多く見られるようになってきている。
確実に以前とは風潮が異なっている。
高度経済成長期の輝きを取り戻そうとか、震災で落ち込んでいる日本にもう一度元気を!みたいな標語の下、推進されてきた2020だったがまさかこんなことになるとは誰が予想しただろうか。
滝川クリステルの「おもてなし♪」で決まった五輪だが、外国人の本音はおもてなしどころかコロナが怖くて行く気になれないになってしまった。
当のクリステルは上級国民の政治家と結婚して優雅に産休に入り、苦労しているのはこの状況下で対応に従事させられる庶民である。
やっと震災が落ち着いて、これから新しい日本が始まると期待していたらコロナの登場なのだから悲壮感が凄い。
あの時、日本中が開催決定に喜び新しい時代を予感していた。
流石にその頃には震災から復興し、旧時代の遺物も一層され新時代が訪れるだろうと。
しかし現実は違っていた。
あのフィーバー以降の数年で目にしたのは新しい日本だったのだろうか。
悪い意味での新しさや、海外では当たり前のことがやっと日本でも導入されるとか、されたとしても上手く行ってない、もしくは未だにされていないみたいな光景ばかりだった。
令和が始まる直前、落合陽一が執筆したコラムに「2020年にはあら方の問題が解決しているだろうと思っていたが実際にはようやく問題の洗い出しが終わっただけで、2025年の万博からようやく新しい時代が始まるのではないか」という趣旨の内容があった。
まさにそうなるどころか、いやむしろ事態はより一層酷くなっている。
正直、自分は今回の東京五輪が戦艦大和のように思えてならない。
作ったときは国家の威信をかけた世界最新鋭であり最大の軍艦だったが、実戦で使われる時には何もかもが時代遅れになっていた。
しかし作ったからには使わなければならないと、悲劇的な航海に出て沈められた。
アメリカ海軍の新型戦闘機ヘルキャットによって蜂の巣にされ、七面鳥狩りと称されたように、このまま「出撃」させれば東京五輪は新型コロナの集中砲火を食らい派手に散るだろう。
しかしこれまで費やしたリソースを考えるとそんな決断はできない。
太平洋戦争を始めてしまった最大の要因も「これまで費やしたものがある」「もしかしたらうまく行くかもしれない」という心理であり、結局食い止めることができなかった。
失った労力はもう戻らないというサンクコストの概念が乏しいのだ。
こぼれたミルクを嘆いても仕方がないし、損切りは早い方がいいが、おそらく「夏頃にはどうにかなっているだろう」という楽観論が支配しているのだろう。
もちろん悲観論者もいて、太平洋戦争でも開戦反対派は多くいた。
山本五十六はその一人だったが、結局日本型組織は牟田口廉也の様に強硬派の意見が通りやすい。
敗色が濃厚になった旧日本軍はやけっぱちのようなギャンブル的作戦ばかりするようになったが、その状況と同じく震災後の日本はオリンピックやインバウンドに賭けていた。
いつまで震災のお涙頂戴を引きずるのか、もう東北の現地の人ですら嫌がってるじゃないかと思っていたが、何かと震災と絡める気満々でここまでやってきたらこの有様だ。
いだてんを放送したり、福島から震災のがれきで作ったトーチを持って走るとか、そういう感動演出いらないんだよなぁと思っていた自分はひねくれ者なのだろうか。
そもそも1964年当時でも庶民は困窮しており、開催前はそんなことより生活を大事にしてくれという意見が多かった。
夢に溢れた時代というよりも、当時の東京の生活水準はまさに途上国そのものだったし、地方は当然東京だけでやるお祭りに冷めていた。何よりテレビが普及していなかったのでオリンピックがどういうものか映像では知らなかった時代だ。
開催してみれば盛り上がったが、果たして今回の東京五輪は外国人選手が来てくれるだろうか。
例えば夏季五輪で最も動員数を誇るサッカーだが、元々五輪の地位は高くない。つまり有名選手からするとよほどのモチベーションが無ければ参加する意味がない。
正直、自分は今回のオーバーエイジ枠で大物選手の参加を期待していたがもう諦めている。
ただでさえ栄誉もなく怪我のリスクがある割に合わない大会に、コロナのリスクまで加わったら誰が参加するというのか。
既に日本代表は南アフリカとの親善試合を断られているわけで、良い大義名分が登場したというわけだ。
ネイマールがリオ五輪に出場できたのは、時刻開催ということもあり契約に明記していたからであり、それだけ参加が難しいのが五輪だ。
これはサッカーの話なので他のスポーツではどうなるかわからないが、大量の辞退者が出てもおかしくはない状況であることは間違いない。
五輪が終わった後の不況は以前から危惧されていたが、もしかするとそれは想像以上かもしれない。
前借りの需要だけに目がくらみ、目を背け続けてきた「祭りの後」の世界がやってくる。
その祭すら今回のコロナによって水を差されたのだから冗談じゃない。
ちなみに戦艦大和の進水は1940年であり、中止になった戦前の東京五輪も開催予定も1940年である。
本田圭佑はボタフォゴ加入で東京五輪に間に合うか
ついに本田圭佑の所属先が決まり、ボタフォゴ加入が正式発表された。
一度はオランダフィテッセに決まったものの、即座に退団が発表されて一ヶ月ほど経過したが今度こそブラジルに身を固めたようだ。
クラブ側は、ゲームボーイ版の初代ポケモンと組み合わせた映像を公開しており歓迎ムードだ。
これまで日本人選手といえば侍や旭日旗のイメージだったが、ポケモンのパターンというのは面白い。日本人のイメージとしてポケモンは度々使われるので、世界でポケモンが日本の象徴として認識されているということも嬉しくある。
まず今回の決定打が、現地サポーターの熱狂的な歓迎に本田が感動したからということで、これは欧州にこだわっていたスタンスを変える程のインパクトがあったと考えられる。
本田がフィテッセを退団したとき、ここでは本当に情熱を傾けられないというような事を語っていたが本田はパチューカの時を見ても常にモチベーション重視なところがある。
橋下徹との退団で燃焼が大事だと言われ、深く共感していたように、どれだけ本気で打ち込めるかということを求めるのが本田だ。だからこそ肩書はチャレンジャーなのだ。
本田のブラジル移籍は日本サッカーにポジティブな影響をもたらすだろうと自分は思っている。
ブラジルでプレーした有名な日本人選手としてまず一番に挙げられる存在はキングカズこと三浦知良だ。もっともカズの場合、無名時代に渡っているので有名選手がブラジルでプレーするというのは実質本田が初めてなのではないだろうか。
フィクションならば大空翼がブラジルからバルセロナに羽ばたいたが、今の時代南米から欧州に旅立つストーリーは日本では現実味がない。
どうしても欧州がゴールとなっている現代サッカーではわざわざ南米に向かうことがないと言える。高原直泰がアルゼンチンリーグに所属したケースはあるものの、ここ近年というよりも歴史上日本のサッカーファンが南米のリーグに注目した現象というのはほとんどと言っていいほど無い。
日本のサッカーファンはブラジルを神聖視しているわりに、案外ブラジルの全国選手権を見ない。精々コパリベルタドーレス杯くらいで、そもそも禄に中継していないので機会そのものがない。
正直に言えば欧州に行きそこねた選手か、帰国組、あるいは無名の若手くらいでマニアしか見ていないのが現状だ。サンドウィッチマンの富澤が南米サッカーマニアだという話は数年前にクラブワールドカップ特集で知ったが、メジャーな趣味ではない。
しかし欧州との格差が開いたと言われつつも依然として次から次に南米から名選手が現れる。
Jリーグとしてもそういう育成リーグを目指している、あるいは立場が似ているわけで一体何が違うのか、この原石の時点に秘密があるのではないかということを学ぶ必要があるのではないか。
加工貿易に対する原産地や第一次産業とでも言うべきか、とにかく素材という意味では一級品の南米、特にブラジルをより多くの日本人が見ることは大きな意味合いを持つ。
ブラジルという特別な存在は、日本のサッカーファンにとって聖地でもあり一度サッカー王国でプレーしたいという思いはサッカー人なら抱いて当然の感情だ。それに本田圭佑の場合2014年の悔しい忘れ物もある。
グアルディオラがリージョの指導を受けるためにメキシコに行ったように、探求というのはリーグのレベルや環境を超えることがある。イニエスタ程の選手でさえ、サッカーにおいてはマイナーな日本で新しい事を発見するわけで、無駄な国というのは存在しないと言っても過言ではない。
それゆえに本田ファンとしても日本のサッカーファンとしても今回のボタフォゴ移籍はいろいろな楽しみが想像できるわけで、この度自分はとてもワクワクしている。
日本人といえばサッカーが下手な人という意味合いだったカズの時代から、今や現地ブラジル人から日本人が歓迎される時代になった。まだまだワールドカップで上位に進出し超一流選手を輩出する段階には至っていないが、それでも目の肥えたブラジル人から加入前の段階で熱烈に求められる時代になったことは素晴らしい進歩だ。
ワールドカップで3大会連続でゴールとアシストをした選手は歴史上10人もいない。
そして世界で最も有名な日本人でもある。
日本のJリーグサポーターがセレソンに選ばれたことがないブラジル人であっても、多少の実績があれば熱狂するように、ブラジルの自国リーグサポーターからすれば本田は英雄になり得る存在なのだ。
ところで本田が公言してやまない東京五輪、7月24日からなのだがサッカー代表のメンバー発表を調べると前回大会は7月1日となっている。
つまり現時点から考えると5ヶ月が勝負の時間ということになる。
ロシアワールドカップの時も、時間はないようである、と語っていたように今回も無いわけではない。そして本戦でゴールとアシストを決めるのだから、本田ならあり得なくはないと思えるのだ。
もちろん現状選ばれない可能性の方が高いが、この5ヶ月楽しみは増える。それで今回は満足だと、本田ファン歴が長い人間としてはどっしり構えていられる。
ただ本当に何かありそうなのが本田だ。
北京五輪の時に後に金メダルを取るアルゼンチン代表のリケルメがどこにいたかというと、母国のボカジュニオルスで彼がメッシの力を最大限引き出してベテランと新星の融合で大会を制覇した。
久保建英や堂安律との調和があれば、今の停滞しつつある日本代表を逆転に導けるのではないか。大一番と大舞台に強い本田が入れば、非常にスペクタクルなスタイルでメダルを狙える領域に来る。
もちろんチームの崩壊というリスクもあるが、今の五輪代表候補は何かメンタルの部分で欠けている。現実でもそうだが一回り上の存在というのは時として非常に頼もしく心強い先輩になることがある。
イブラヒモビッチが加入したACミランもその典型例だ。
頼りない森保体制でこのまま突き進むよりはケイスケホンダだと思えるほど今の状況は厳しい。
南アは文句なしの救世主、ブラジルは戦犯、ロシアは評価はわかれるが自分は評価したい。
そして北京五輪では造反した。おそらくこれがサッカー選手としての現役最後の大きな大会になるはずだ。本田圭佑物語のサッカー編における最終章、終わりよければ全て良し、どっちに転んでも面白いことだけは間違いない。