elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

自分の人生が上手くいかないときに考えたいこと

なぜこれほどにまで自分は認められないんだろう

事が上手く進まないんだろう

考えていた未来と違う

いざという時誰も慈悲をくれず見捨てる、そんなことを考える人は多くいるはずだ。ネットの片隅で自分の人生や自分について嘆く。度かそれだけは許してくれ・・・・

「俺ってそんな程度にしか思われてないんだな」っていうことばっか。はいはい、俺はどうでもいい奴ですよ。そうやってふてくされるのも人生でありなんじゃないかな。人生ふてくされたもの勝ちよ。どこかで不満をさらけ出してそこからまた明日頑張っていく。

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第1章:自分はクズだと堂々と言える世の中は幸せである

自分が性格がいい奴だと思ったことはない。俺がいいやつなわけねぇだろ笑。自分はゲスの極みであり性格がねじ曲がった人間である。普段このブログでなるべくいい部分だけを語ったり明るく振る舞ってはいるが自分の性格などクズそのものである。性格が悪い、それは間違いない。ねじ曲がりねじ曲がり、ここまで来たのが自分だ。そして能力も高くなく、何も成功できず夢もかなえられず誰かに迷惑をかけネット上では人々を不快にさせる。

そんな嫌な人間である。

頑張って結果を出して誰かを認めさせる、そう思っていた時期もあった。でもことごとく失敗するのだ。もはや自分は誰かを見返すことを諦めている。必ず失敗するのだ。そういう星の下に生まれているのさ。

いるんだよ、見放されて何もうまくいかないタイプの人間って。それがまさしく自分。逆になんでもうまくいってしまうタイプの人もいる。多分自分はやり方を間違っていたり努力が足りなかったりして、そういうタイプの人は要領がよくて努力家で努力の方向性も間違っていないのだろう。でもそれを上手くできる時点で自分からすればすごいのだ。

どうせ自分は言い訳ばかりの人間で誰からも認められないのだ。結局誰もいざという時には助けてくれない。助ける価値がないのも自分だ。それまでの行いが悪かった、ただそれだけ。良い奴が認められクズみたいな奴は掃き捨てられる。自分はこの日本社会の棄民である。

 

第2章:自分が嫌いでもいい

自分に自信を持てたことなんてない。自分のことが嫌いだ。何をやってもうまくいかず誰にも認められない、いざという時は見向きもされないし助けられもしない。そういうことで自分の価値の無さを思い知らされてきた。卑屈に卑屈に生きてきた。

もう嫌なのである、自分が、この自分が。ただただ消え去りたい。

でも消え去ろうにも楽に消え去る手段はない。銃社会ならばそれもきっと楽であっただろう。消え去る勇気もなく惰性で生き続ける、その中でやっと何か希望を探す、明るい物を探す、そんな寂しい生き方。

寂しい人生にすぎない。

自分は評価されないタイプの人間でありすぐ見捨てられる。

そんなもんさ人生なんて

 

第3章:人間は他人に興味がない

誰も見向きもしないのが自分の人生、究極のところこれ。なんとなくうわべをチラッっと興味もっても本当の本質や本当に大事なとこまでは誰も興味を持たない。世の中人間関係なんてそんなものさ。

大事なところや根本的なところではその人の事なんてそこまで大事に思ってない。そこまで大事に思ってもらっていざという時助けてもらえる人間関係なんてほんとわずか。人生に一度歩かないか。世の中通りすがりの他人に対しては冷徹では薄情さ。

ネットの片隅でうずくまる人間に誰が興味を持つ?

実際の街中ですらそんな人に興味を持たないならなおさらネットなんて誰も興味を持たないしどうでもいい。

いざという時は他人なんてどうでもいいんだよ皆。

本当にやばいとき助けてもらえず見捨てられたとき自分は他人の薄情さという物を思い知った。結局皆傍観者で他人なんてどうでもいいんだなって。他人なんてちょっとでもよくないことをすれば気に食わない人に一変する。それだけの儚い虚しい関係なんだよね

 

 

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第4章:自分の人生が嫌になる

一体自分は何をやっているのだろうか。ふと我に返ったとき自分の言動が酷く馬鹿らしいものに思えてくるんだ。恥ずかしく醜く、何の意味もなく。そういう感情になったときはまさに地獄だ。何の理解者もいないんだから。

ひたすらに自分の愚かさが苦しくなる。上手くいかない人生、その嘆きや苦しみのダサさ、何の解決にもならない叫び。正直に言える場所がない。ただただ孤独。

全てが馬鹿馬鹿しくなるし自分はこんなことしかできないのかと感じる。

いい部分だけを見せようとして取り繕ってかっこつけようとしてもいい部分なんてない。誰もが自分の本質を知れば幻滅するだろう。

ブログでもそうさ、自分が他に書いた記事でこの人面白そうだなと思った人がもし過去記事を見たとき自分のすべての幻滅するだろう。そういった過去記事が自分でも恥ずかしくなる。

その時は楽しく描いた物が後から見れば酷ぇななと思う時がある。

でもそんなことを気にして何になる?

どうせ取り繕ったところで自分にはボロが出る。恥ずかしかったころの自分や駄目だったころの自分を消し去ることなんてできないんだよ。それに今だって恥ずかしい物さ。昔の自分も大したことないしどうせ今の自分も大したことない。

 

 

第5章:結果が出ない時の苦しさは異常

 

 

もう何をやっても結果が出ない、頑張っても無駄だと思う時がある。そういう時は本当に自分を否定したくなるし自暴自棄になる。頑張って入るけど結果が手に入らない。こんなにも自分はダメなのか、報われないのか、無能なのか、そう真剣に悩む。

誰も受け入れてくれないとか、努力なんて意味がないのかとか、結局別に誰も俺を認めてないんだなとか、そうやって自分を否定して卑下してただただ苦しい。うわべだけなら皆優しい。でも本質に迫る時とか大事な事とかになると人間壁を作る物さ。

そのあと一歩の厳しさ、ちょっとした差。それが本当にキツい。本当に人を認めさせるとかって厳しいんだなと。みんなうわべうわべ、社交辞令。本当に受け入れることはないし、本当にキツい時に手を差し伸べることはない。

自分はそういう本当にやばいときに助けられたり受け入れてもらったりした人の恩は決してないがしろにしないと言える。でもその壁がきっと分厚いし

 

第6章:いつもずるい奴が成功する

結局自分は人に好かれるとか人に支持されるとかそういうコミュニケーション能力の部分が根本的にダメなのだろう。嫌われることは得意だが好かれることは大の苦手という今日のコミュ力至上主義社会では生きていけない無能である。

要領よく人間関係や社会を渡り歩いていく人の方が上手く行くのだ。この社会いい人が勝つのではない。社会というゲームの攻略情報を上手く把握できている人が勝つ。

自分はその社会というゲームにことごとく向いていない。

社会不適合者そのものである。

そしてそれ以外の場所で生きていこうと懸命に頑張ってもそれはそれでまた跳ね返される。自分にいったいどのようない場所があるというのか。

何をやってもうまくいかない。かといって誰かが手を差し伸べてくれるわけでもない。

 

第7章:頑張っても報われない物が人生だと諦めよ

成功するために頑張ろうとか人生を打破するためにがんばろうとか、ここで勝たなきゃ意味がないと言うところで自分は負けてきた。負ける星、勝てない星、そういうダメな星の下に自分は生まれてしまったのだろうか。

そもそもこういう負け癖のついた情けない思考が更なる負けを生んでいるのだろうか。

いずれにせよこういう思考を持つ人間は人から魅力的には写らないだろう。いくら取り繕っても自分はダサい人間だ。ダサイし価値がない。隠そうと隠そうとしてうわべだけかっこいい要素を見せようとしてもそういった自分が現れてくる。自分は根本的にダサい人間である。

だからいくら努力してもなかなかうまくいかない。

それが当たり前。

頑張ることに保証なんてない。頑張れば何でも報われるなんて世の中幻想だし、報われてない奴のほうが大半かもしれない。そんなものさ、世の中他人に興味がなくて自分が認められたいとばかり思ってる人が大半なんだから。実際自分もそうさ。醜いよね、自分は人の努力をそこまで評価しないのに自分ばかりが不遇だと考えている。自分だって嫌な奴だって思うさ。でも一度ぐらいは誰かに認められたいんだよ・・・

曖昧な支持はいらないもっと具体的で確かな指示が欲しい。結局それってタス池にならないというかどうしようもない。そしてそういう人はいずれ去っていく。

それよりもやっぱり具体的な利益絵で答えてくれる人がいい。世の中綺麗ごとじゃない、優しさだけじゃ頑張れないのも現実・・・

 

第8章:今の時代よっぽどよくなければ認められない

ぶっちゃけ自分という人間が、エルケンという人間が認められたなんていう実感はない。一時「ガンダムKind原作者のブログ」っていう感じでやってたけど正直微妙だったよ。自分は創作と共に突き進んできた。ガンダムが好きだからオリジナルガンダムとして、ガンダムKindという物を作ってネットに公開した。

だけど正直微妙だった。やっぱりネットというのはもはや競争が激化していて今更素人のクオリティしょぼいものじゃ相手にされないんだよ。よっぽどすごい物とかよっぽど話題になってる物とかそういう物じゃなきゃ居場所がない。凄くクオリティが高くてプロがネットで投稿してるとか、専門学校で教育を受けたプロ予備軍とかが結局賞賛されて自分は見向きもされない。

かといって話題になる、キャラとしてチヤホヤされて認めてもらってマーケティングを上手くやって知名度を上手く上げる人間には敵わない。キャラとしての人気も知名度もないし、当然ながら実力も才能もない。

頑張ろうにも自分のそれ以外の人生が厳しい。

そうやってますます差を離されていく。地道に努力をしていても認められない。綺麗ごとだけじゃなくて生活にはいろいろなものが必要・・・・でもそれを支援されることなんてないし、それがもしあれば答えようと頑張れたかもしれない。でもそんなもの無いんだよ。ほんの少しですらね。

ちょっとした応援すらない。それほどに自分は魅力がなくて誰にとっても価値がないことをやっているんだなと。その程度の物なんだなと。ネットで他に人気なものを見ながら自分は何も得られずただ自己否定の日々。いざという時誰も助けてくれず支援してくれないんだなと。こういう時人間の価値やそれまでやってきたことの価値って浮き彫りになるんだなって。何も価値がないことをやってきたときはやっぱり誰も手を差し伸べない。そんなもんさ。逆に要領よく人気を得て人から支援されやすいタイプの人は今も楽しく楽チヤホヤされてに過ごせている。

そんな中で自分の人生って何なんだろうって思う時がある。たったちょっとした物すら恵まれないのかと。俺ってそこまで価値がないの?って自暴自棄になる。

ああ、その程度個の事しかしてこなかったしいなくなっても別にどうでもいいんだなって。

 

第9章:腐らずにやれるかが人生は大事

腐らずにやって頑張り続けて結果が出ない努力は努力ではないって最後までやりきる。それは理想も理想。でもやっぱりもう出ないんだよ結果が・・・

がんばってもがんばってもがんばっても報われない。そういう時自分が心底どうでもよくなる。自暴自棄になって消え去りたい。

俺ってここまで駄目なのかなって本当に苦しくなる。そこまで誰かにとってどうでもいいゴミみたいな存在でしかないんだなって。

俺はそこまで嫌われるような事、価値の無い事、意味の無いことをしているのか?って。そこまで俺って実力もなく、支持されるような魅力もないんだなって。これが現実。悪い事や粗や失敗だけはすぐ言われて、良い事はよっぽどよくなければ認められない。

これが世の中なのだろうか。自分はそうやって支持を得て、チヤホヤされやすい状況作りに完全に失敗した。センスがないし、やっぱりそういう惨めな星の下に生まれた人間なのである。永遠に陰にいる人間だ。どうせ陰キャだ。陰なんだよどうせ俺は。じめじめした日陰者だ、永遠に主役になれない。永遠にね。努力しても努力してもこの現実は宿命は覆せないってのかよ。

それを覆そう、主人公になろう、世の中を変えよう。でもそうやったって誰も支持しないし評価を覆せないし、誰かの見方を変えることなんてできないんだよ。やろうとしてもやっぱり無理なんだよ。自分は呪われているのかもしれない。

これは誰かが仕組んだことなんじゃないのか?自分を誰かが陥れようとしているんじゃないのか?そんなあらぬ疑いまで抱き始めるレベルだ。

どうせ俺は成功できないタイプの人間なんだよ。

俺はカタツムリのように卑屈だ、もう希望が見えない。何をやっても先がない。そんな得体のしれない強迫観念にすら襲われている。俺はノロマなカタツムリだ。自分の醜さや卑屈さをこれでもかというぐらいに表した文章をこれだけ長く書き続けるカタツムリである。鈍間で愚鈍だからすぐに踏みつぶされる。ずっとそんな生き方だった。ダサい人生で日陰者。

主役になろうとかキラキラしたかっこいいものを目指そうとしてもやっぱり自分はそういう人間なんだ。上手くやろうとしてもうまくいかない。

もはや意味が分からないし呪われてるとすら思うんだよ。

精神科医に見てもらわなきゃいけないレベルだろうけど、別に精神科に見てもらったところで上手くいかないんだろうなってのはある。具体的に俺が成功するための道筋を見つけてくれはしないのさ。大体精神科に行くのにも金が要る。顧客でしかないんだよ。本当に自分のことを思ってくれる人なんていないよ。というより自分は宝くじでもその日に当たればそれで元気になるだろう。要するに今自分が必要としていることはそういうことなのだ。そういうゲスい人間なんだよ俺は。でもそれがあれば輝く。

世の中綺麗ごとじゃない、活動するにもそれ以前にただ生きていくだけでもやっぱり必要なものがある。

 

第10章:一体何をしているんだろう

 

この文章を書いていて自分は一体何がしたいのだろうか。どうせkんな文章誰も真剣に読まない。人の人生などどうでもいいのだから。この行為の果てに自分の満足も救いもないだろう。自分探しの旅が何の到着地も解決策もないのと同じでこの文章はこのブログ記事は何の役にも立たないだろう。

自分はあきらめかけている、ただこうやって諦めた感情を吐き出せれば幸せなのだ。

「嘔吐」というフランスの小説家サルトルが書いた著書がある。偉大なサルトル、華麗なる小説家。しかし自分はその内容を読んだこともない。でもこのブログ記事はまさしく自分にとって嘔吐なのである。日々アルコールという毒に置かされながら嘔吐をする自分にとって嘔吐はもはや日常である。嫌な現実からただ逃げ続けるためのアルコール。そしてその先にやはり解決など何もない。

こうやって文章の嘔吐を繰り返す、ただそれがこのブログなのである。かつて創作と成功を夢見たこのブログの末路はただ単なる感情と文章の嘔吐であった。

 

 

 

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人生簡単じゃない

生きることは難しくただただ辛い

簡単に消え去ることのできる世界が訪れるならそれは歓迎するべきことである。生きる事、ただそれだけでも辛い人が大勢いるのだから。

 

 

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