elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

ガンダムSEEDパトリック・ザラの「戦争は勝って終わらなければ意味がない」は深い言葉

ガンダムSEEDというのは簡単に言えば

遺伝子改良された人種(=コーディネーター)が宇宙に追いやられていって

そこでもさまざまな政策により追いつめられた挙句

戦争をするしかなくなった、という話である。

それに対して従来の遺伝子改良されていていない人間(ナチュラル)が反撃をしていく

 

地球連合=ナチュラル、宇宙(プラント、ZAFT軍)=コーディネーターという構図

そのコーディネーター側のトップがこのセリフを言ったパトリック・ザラ

 

「戦争は勝って終わらなければ意味がない」

これは日本人だからこそ書けたセリフだと思う。

太平洋戦争というのは有色人種、日本人の台頭に危機感を持った国々が外交政策で追いつめて行って

戦争をするしかなくなった。

いきなり真珠湾攻撃で喧嘩を売ったみたいな話になっているけど

そこに至るまで様々な背景があった。

それまでの段階で海外に進出していく、国力を増強していくということもあったけど

それも生き残るために必死だったという背景がある。

 

日本の敗戦の真実というか本質は戦争の前段階にあると思う。

そもそも追いつめられた、戦争をするしかない状況に追い込まれた

それ自体が負けだった

戦争の負けというけど実際の負けはここにあった。

その前段階をもっと上手くやる、そして戦争を回避して上手く発展していく

ほんとうの戦争の勝利はそこにあった

ただそれは今だから言えることでもあって当時は当時なりに本当に精いっぱいやったと思う。

今の時代も、未来からすれば全然うまくやれていないはず

現状の行き詰った日本

それを上手く解決できていない世代が、過去の世代に対して下手だったといっても説得力がない。

 

戦争に負けたことで日本人は現在もいろいろ言われる

やっぱり第二次世界大戦のことでいろいろ言われるし

戦争と全然関係ない今の世代もそのことで苦労する

戦争というのは負ければ孫、ひ孫世代まで嫌な思いをしなければならくなる

それくらい重い事

ここで負けるというのは本当にやっちゃいけないこと。

だからこそガンダムSEEDの「戦争は勝って終わらなければ意味がない」というセリフは日本人に響く

このセリフを痛感できるのは日本人やドイツ人だと思う。

ドイツ人も経済の問題でギリシャ側が悪いのに、いきなり第二次世界大戦のことをギリシャ側に持ち出されて苦労していたというニュースを最近見た

原爆関連は今でも言われる。

落としたアメリカに言われるならまだ理解できるけど

落としてない国の人にまで言われる

でも仕方がない、結局落とされてしまった日本が悪い

負けたことが罪

負けるような戦争をせざるを得なかったその背後にある本当に負けはもっと罪

 

そして戦争に負けるという事は国民性を卑屈にする事でもある。

日本が日本に対して卑屈なのは結局負けたから

勝負ごとに負ければ人間は卑屈になってしまう

 

自分自身、戦争とは関係ないけど、勝負ごとに負ければ結構卑屈になってしまう。

だから戦後の日本人の卑屈な感情も自分に当てはめれば理解できる。

日本に自信持てよ、と言いたいけどあの負けがあっていろいろ言われてそういう風潮の中で育てば卑屈になるのが当たり前である。

自分だって勝負ごとに負ければ自信を失って卑屈になる

それがもっと大きなスケールになっただけの話である。

 

ただ自分はそういう時あまり卑屈にならないように努めている

結局いろんな流れがあるもので、負けたからと言って自信を失っちゃいけない。

切り替えないといけないし、負けるときはどうやっても負ける

仕方ない負けはある。

それにうまく行ったことだってあるわけだし、上手くいかなかったときこそ

目の前の失敗にとらわれずに、うまく行ったときのことを考える

その時は負けたかもしれないけど、過去にうまく行ったことがある。

直近の負けばかりに拘りすぎると更に負けてしまう

これがいわゆる負け癖、敗者のメンタリティのようなものだと思う。

勝者のメンタリティ、というのは海外サッカーではよく聞くけど

それは直近の負けにこだわり過ぎないことなのかなとも思う。

とにかく負けにこだわり過ぎない、負けるときはそりゃある

負けても何かやろうとした姿勢はよかったんじゃないかとか

感情論に走らず冷静に負けた原因や背景を分析する

大事なはそういう事であって感情であれこれ言いすぎるのは本当に時間の無駄である。