elken’s blog

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馬鹿発見器ツイッターと自己顕示欲についてのコラム

ツイッターはこれだけ馬鹿発見器と揶揄されているにもかかわらずそういった行為が未だに後を絶たない。悪いことをして目立ってやろうと言う人が未だに多く、144文字という気軽に呟けるシステムでは軽々しくその場の思い付きで考えたことややったことを発信してしまう。

 

この問題の根本には自己顕示欲という感情がある。

「凄いと誰かに言わせたい、特別な存在だと思ってもらいたい」

「自分は他とは違うんだ、と世の中に示したい」

この感情自体は悪い事ではないし誰にしも注目されたいとか興味を持ってもらいたい、褒められたい、認められたい。という思いはある。

世の中に存在する芸術、スポーツ、他にも様々ないいものがあるがそれらは自己顕示欲から生み出されていることが多い。

本田圭佑やクリスティアーノ・ロナウドは自己顕示欲の塊だろう。

そして自己顕示欲があるからこそあそこまでたどり着いた。

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ジャニーズやAKB48も目立ちたいという人の集まりだけど目立ちたいからこそ、良いことをして人々を感動させている。

自分はかつてツイッターをやっていたが今はやめている。自分もかつてはツイッター民だったのだ。自分に向いてないというのが正直なやめた理由の1つ。ツイッターのことを悪く言う事の方が自分は正直多い。いい部分もあるが好きじゃない部分もある。おそらく現在進行形でツイッターを利用している人もツイッターの嫌いな部分はあるはずだ。

しかしながらそんなツイッターにもむちゃくちゃいい人はいる、批判しているがすべてを批判するわけじゃない。ツイッター叩きみたいなのはあるけど皆が悪い人じゃない。

嘘松みたいなのとか、自分撮りしてリツイートしてくださいとか、良くないサイトの広告をリツイートしまくってる人がちょっとアレだなと思うだけであって。1人のいい人がいれば9人のアレな人がいる。その1人はまさに聖人だったり面白い人。自分はそんな人を批判するつもりもないし、今でもいい人たちだったなと思っている。

 

ツイッターをやっていた時期の経験として、本当に面白いツイートで何度も笑わせてもらったこともあり心の底から尊敬せずにはいられない素晴らしい人もいた。自分がうまいことや良いことを言ったらリツイートされてうれしかったし、有名人が返信してくれたこともあった。楽しかったことも多い。

しかしながら自己顕示欲のために馬鹿な使い方をする人間がその10人の内9人なのだ。

 

そういう自己顕示欲というエネルギーを上手く使う人はそういった人々のように凄い事を成し遂げる

 一方でそれだけのエネルギーがありながら間違った使い方をする人も存在する。

ツイッターの馬鹿発見器などその典型だ。

ツイッターにかぎらずネットにはくだらない自己顕示欲の使い方をする人が大勢いる

 

尾崎豊の歌う15歳あたり特有の若気の至りであり機動戦士ガンダムのシャア・アズナブルがいう「若さゆえの過ち」なのかもしれない。

そして判断能力の未熟さでもある。今は誰もがネット環境を手にし情報の発信者になれる時代だ。

 

そういったものがミックスされてネット上に笑えない馬鹿行為や言動を乗せる行為へとなっていく。

よくこれを「最近の若者はこれだから駄目で、ゆとり世代は何も考えていない」という定番のパターンで批判する人もいるが昔にtwitterがあれば今と変わらないような使い方をしていたと思う。

ゆとり世代や若者で適切な使い方をしている人はいくらでもおり、上の世代で分別の無い使い方をしている人も大勢いる。

 

むしろ今より古い時代にツイッターがあればより過激で思慮の浅い使い方をしていた可能性すらあるだろう。

全共闘世代なんかを見てると今よりよっぽどアグレッシブなのでもっと派手な使い方をしていたような気がする。シールズはツイッターで敗北したが、全共闘世代なら勝ってた可能性がある。

いずれにせよ無意味な世代間対立にレッテルを張ることは本質的な解決を導かないだろう。

 

結局、人間だれしもが若気の至り的感情を持つのである。

そしてたまたま10代の時にツイッターがあった世代が間違った使い方をしてしまう。

悲しいことに成人してもこういう行為をする人も多くいるが。

犯罪行為やモラル を欠いた行為でなくとも痛い発言を乗せる人も多い。自分が10代の時に使っていたらとんでもないことを書いていたんんじゃないかと思うと恐ろしい。

ツイッターは痛い発言の宝庫である。

なんというかツイッターの闇とか社会の闇とかそういったものの現れなんじゃないかと思う。皆リツイートやフォローを稼ぎたい、ツイッターで目立ちたい

その中毒におかされると最終的には過激なことで注目を集めようとしてしまう。いいことで注目されることは何も悪い事じゃない。ツイッターの拡散力で素晴らしいことが広まった例は多い。何度も言うがいい部分はあるし、自分も使っていた。

自分自身今やツイッターには冷めているが始めたころは1日中書いていた。

ネトゲ中毒と同じくらいツイッター中毒は深刻な現代社会の病理だと思う。人々が誰かの反応に依存している。そして自分もかつては誰かの反応が欲しくて仕方がなかった。今はブログでマイペースに好き勝手文章を描く楽しさに目覚め始めている。

 

ツイッターみてるとフォロワー数=自分の価値であるかのように思った人がめちゃくちゃ頑張ってたり注目されない、フォロワー増えないことに過剰に悩んでいたりするのを見かける。懸命にビジネスアカウントみたいなものをフォローしてでも水増ししようとしている。自分はそういうアカウントは嫌いなのでフォローしなかったけども。

そういうのはくだらないことだと気付いたとき、途端にどうでもよくなって適当に思ったときに思ったことをつぶやくだけになっていく。

ツイッターが自分の居場所みたいになっていくと深刻、結局ツイッターはゆるい感じがいいのである。いい場所であると同時に依存してしまうとヤバイ。世界にはツイッターより面白い世界があるのだから。ブログいいよ。はてなブログにも「ツイッターでは書けないようなことを書く」とか「ツイッターじゃ文章量が足りないので無限に語れるブログを始めました」みたいな人がいる。実際自分もツイッターでは書けないことを書くためにブログを始めた。だからツイッター民にはブログ結構おすすめ。

ただツイッターほどフォロワーが増えなかったり反応がされにくかったりするので挫折してやめていく人は多い。それを「自由気ままに書ける」とポジティブに捉えることができるかがコツ。

 

とにかく自己顕示欲とツイッターは相性がいい。

そして満たされない、上手くいかないときにてっとり早く悪いことで注目を集めようとする、それが馬鹿発見器だ。

「注目されたい、自分に興味を持ってもらいたい」というのは多くの人が持つ感情である。それは自然な感情だし自分だって持っている。自分は自己顕示欲の塊ですよ。

だけど悪いことをしてまで注目を集めようというのはあまり必死過ぎる。

どれだけ注目されてないと気が済まないのか

それを自分で自覚したとき情けなくならないのだろうか

「俺必死すぎでしょ、どれだけ注目されたいの?」

そう自分に問い詰めたとき自分の哀れさに気付く

そこで上手く注目を集められない人がやがては過激な行動に走るようになる。

最近ツイッターではラブライバーに喧嘩を売ると反応されることが多くなっているようだ。

アニメのラブライブ!を批判するとラブライバー達が集団で押し寄せるらしい。しかし喧嘩を売ってまで注目を集めても意味がない、まるで炎上商法に必死な芸能人のようだ。

 

残念ながらその自分の必死さに気付かず俺すげぇ、私人気者ってのを満たそうとする行為が後を絶たない。

そういう人にとってツイッターはいい道具になる

犯罪とまではいかないが他の人にとって不快な自己満足を書いたり載せる人もいる。

注目されたいんだな、自分を示したいんだな、というのが伝わってくる。

うまい方法でやればいいが、結局そういう物に対しては冷たい視線しかない。

そんなことをしても凄さは証明されない

結局凄いことというのは凄いことをするしかない。

悪いことによる注目なんて小学生が「人を殺せばテレビに写れる!」と考えるのと同レベルで何の価値もない。

悪い事はすぐ注目されるから楽。今まで反応がなかったものが急激に反応を集める。いいことで反応や注目を集めるのはすごく難しい事。悪いことはすぐに注目される、だけどそこに価値はない。反則して集めた注目はしょせんまやかし。無価値に等しい、反則でしかないし、誰からも尊敬を集められない。

だれも凄いと思わない。それを見てる人は皆馬鹿にしてるだけというのが実態

反則までしなきゃ見てもらえない、ということほど情けないものはない。

自分の自己顕示欲のしょうもなさや反則まで使う必死さを自覚することが大事だ。自己顕示欲を上手い方向にコントロールすれば素晴らしいことができるにもかかわらず、間違った自己顕示欲の使い方をする。自己顕示欲そのものは悪いものではないのだから。

 

これは本当に闇の深い問題だと思う。自分は何者であるのかと悩み自分が誰からも認められないのではないか、好かれないのではないか、皆誰も自分のことを知らないのではないか。ネットをやっていると特に自分の小ささに気付く。

自分だってかつてはツイッター、そして今はこのブログ、そしてピクシブで何かを投稿している人間だ。それは言葉であったりイラストであったり。

自己顕示欲を否定しているように見えてまさに自分が自己顕示欲で満ち満ちた人間なのだ。本田圭佑やロナウドみたいな性格だと思うよ自分は。それを隠そうと思ったことはない。誰かに見てほしいからやってるに決まってるんですよ。ネットで何かやってる人間の100%がそうだと断言できる。見られたくないなら絶対ネットに投稿やSNSなんてやらない。

 

しかしそこには現実が立ちはだかる。ネットじゃなかなか見てもらえない。ユーチューバーとか一部が目立ってるけども素人の人間が興味を持ってもらおうと思ったら並大抵のことではない。

皆注目されたい、見てもらいたい、興味を持ってもらいたいと思ってるが簡単に満たすことができない。

なぜならいいことをして注目を集めるのは本当に難しいからだ。

だからこそ価値がある。そう簡単に誰でもできるわけじゃないから価値がある。

そういった自己顕示欲エネルギーを持ってる人がいいこと、本当に凄い事、人々をいい意味で笑わせて楽しい気持ちにさせるようなことをして注目されようと思うと世の中はよくなる。

自己顕示欲を持った人が世の中に多いのは悪い事じゃない。

上手い方向にみんなが使えば世の中絶対よくなる。

 

しかし凄いことをして注目を集めるのは難しい

ここには複雑な問題が存在していてる。

今まで自己顕示欲を持った側だけの問題を見てきたが実は見る方にも問題がある。

世の中のほとんどの人がちょっといいことをするだけじゃ誰も賞賛しない

これが現実。

いいことは相当レベルが高くないと誰もいいって言わない。

人間褒めるという行動に移るまでかなり労力を要する。よっぽどよくないと褒めない。

いい部分があっても悪いい部分を見てしまう。

褒めることをみんなためらったり、しなくてもいいのかなと思ったり、褒めることが大事だとも思わなかったりする。

ちょっといい程度じゃ誰も注目しないし賞賛しない

良いことの対してのハードルは果てしなく高い。

ちょっといいことはあたりまえ、ものすごくよくてやっと満足させられる。

一方悪いことはちょっと悪いだけでも批判が集まる。皆批判や炎上には飛びつく。野次馬根性の持ち主が多いのだ。

後者のほうが楽、だからそっちを選ぶ人が多い

人は褒めるときは少しのことでは動かない、一方駄目だというときや批判する時は即座に動く、しかも大人数で。

 

見る方は批判することにエネルギーを使う

やる方は悪いことをして簡単に注目を集めようとする

この2つの連動がツイッター馬鹿発見器にしている

ネットにかぎらずたとえば掲示板などではよいことを言うスレよりも煽るようなスレのほうが伸びるのが現実。

多くの人が良いことに関してはすぐに反応しないが悪いことに関しては反射神経のように反応する。

良いことに関しては傍観者、様子見でおわる。それがあたりまえと言わんばかりに。

悪いことに関しては集団で群がる。ツイッターやにはそういった構図が存在する。いやツイッターに限ったことではない。

良いことはすぐに結果を得られない、報われない。一方悪い事ではすぐに反応を集められる。それが世の中の現実になっている。

 

この問題を解決するためには見ている人は、少しでも良いと思ったらよいと言うことが大事

少し良いことをするだけじゃ簡単に注目してもらえたり褒めてもらえたりしないから人々は悪いことをし始める

一方、何か注目されたいと思う人は「悪いことをする」という簡単な誰でもできる方法でやっても意味がないと自覚することが大事。

それは反則技だし誰でもできる。誰でもできる方法だけど価値がないので誰もやらない。そこに価値を見出してることの哀れさというか、そうまでして注目されたいという自分の必死さを哀れに思ったほうがいい。

それに「いいことで注目や賞賛を集めるのは難しい、それゆえに地道に頑張ろう」と思うことも大事だ。認められない日々が続くこともあるけどもそれに耐えながら何かを続ける。そういう過程も楽しかったりする。頑張って種を植えて毎日水をやって。そういう農家のような精神が大事だよね。

 

見る方は良い事はちょっとでもよければ賞賛する

やる方は悪いことで注目されても意味がない、良いことで注目させることに価値があると自覚する

見る方、やる方、それぞれそういった意識を持つことが世の中をよくすると思う。

良い事にはよいと口にする。あるいはちょっと友達とかにでも紹介する。ネットにはいいものがあふれている。何か悪いことをしてる奴を叩かせるために紹介するのではなく、良いことをしている人をなんか紹介してみるとか。悪い奴を晒すと、悪い奴の思うつぼ。いいことをしている人がいたらなんか個人的なブログで紹介してみるとか。そうするとやる気もわく。その人はもっといいことをしようと思う。そういう連鎖が良いことをしている人を育てる

音楽のライブやサッカーの試合でファンの反応や拍手がアーティストや選手を育てたりモチベーションを向上させるように良いことに対する反応は絶対必要である。

良い事に対して傍観者である、それは世の中を本当にダメにしていると思う。

馬鹿発見器の問題は悪いことをして注目を集めようとする人々だけに問題があるわけじゃない、ちょっといいくらいじゃ全然褒めず、悪いものはちょっと悪いだけで批判しにかかる世の中の風潮、体質にも問題がある。

ちょっといいことには無反応

ちょっと悪い事だとすぐ反応

これが大衆の性質

だから人々は簡単に反応を集められる悪いことを選ぶ

馬鹿な自己顕示欲を持った人だけを批判してもこの問題は解決しないと思う。

見る方、やる方にも改善すべき部分があると思う。