elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

アングラサイトの条件とは何か

アングラサイトは今の時代絶滅危惧種だ。ネットは健全化されてしまった。

昔のインターネットにはアングラな雰囲気があった、とよく言われる。今の整備されたネット環境にはない怪しげで危険な魅力がネット全体の雰囲気を覆っていた。

自分自身そこまでアングラなサイトを利用していたわけではないがそのころの雰囲気を少しだけ知っている。スマホが普及したりまとめサイトが流行る以前のネットの環境は今とは大きく違っていた。当時のインターネットはまだ一部のコアな人しかいない時代だった。

そしてそれが今とても懐かしく感じる。

懐古になってしまうがあの頃のインターネットは面白かった。

そこでアングラな雰囲気がネットに戻ってほしいという意味も込めてアングラサイトの条件はなんなのか考察していこうと思う。アングラサイトとは何だったのか、あの頃のネットとは何だったのか。濃い奴らがいたあの時代、もう戻れない日々。アングラサイトというには大げさすぎるかもしれないがあの時代はそもそもネット全体がアングラだったのだ。アングラサイトの条件とは一体どのようなものなのだろうか考察していきたい、非常に長文になるが深夜にまったり読みながら付き合ってもらえれば非常にありがたいなと思う。

 アングラ

1:ヤバイ奴らの集会所感

welcome to undergroundのコピペに「ヤバイ奴らの集会所みたいもの」というフレーズがでてくる。昔のネットはそのものの雰囲気がすでにヤバかった。今の世にスマホで手軽にネットという時代ではなかったから邪気眼コピペや初カキコどもコピペのようなヤバイ奴が存在した。今となっては2ちゃんねるなんて大衆掲示板と化して誰もが利用する情報サイトになり完全に普通の雰囲気というか普通の大衆の本音が見れる程度の場所になった。まとめサイトも発展しとくにVIPなんかはもう完全なる大衆掲示板になった。

人間の心理として誰も見ていないマニアックな場所では恥ずかしがらずに痛いことを書きこめるが、誰もが見ている場所では恥ずかしがって自重してしまうのだ。そのために昔のようなヤバイ人は明らかに減った。厨二病コピペを書いていた人も今のネットの雰囲気ではなかなか書き込もうと思わないはずだ。

それでもまだ昔の雰囲気は専板なんかにいけばあるかもしれないがやはり2ちゃんねるすら大衆化したのが現実だ。すぐにビジネス目的でまとめサイトにまとめられ公に晒されてしまう現状にもはやアングラ感は存在しない。

しかし昔の2chはまだ一部の人しか見ていない感があった。とにかく普通でない人が集まっている感覚、一般人と違う感覚、それがアングラ感の正体である。

それは結局痛い発想で厨二病的なものだけど、やっぱりそういうヤバい場所みたいなものに人は心惹かれる。

そう簡単に見つけられない、とか参入への敷居が高い、一定の知識がないと話せない

そういったものがヤバい奴らの集会所感を作り出す。危険な場所だった昔のインターネットや2ちゃんねるには魅力があった。今となっては黒歴史だが自分自身昔の2chに暴言を書き込みその姿を同じクラスの奴に得意げに見せて気取っていた。非常に馬鹿馬鹿しいことをしたと今では反省しているがそのころの10代のエネルギーがもしかしたら今の自分に欠けているのかもしれないなと反省することがある。人間誰しもが邪気眼を発症し厨二病になるものだ。自分自身未だにこのように厨二病ブログを続けている、全てはあの頃に戻るために。

  

2:怪しい危険なコンテンツの置き場

ただし虐殺行為はNOコピペにあるような「こんな時間にグロ画像みてる中学生いますか、っていねーか」感のような怪しく危険な魅力が昔のネットにはあった。整備され切ってしまった今のネットは毒気が抜けてしまい良くも悪くも使いやすくありふれたものになった。一般メディアさえもネットに媚びるようになったし検索すればすぐまとめサイトがヒットし誰もがスマホまとめサイトをチェックする時代だ。SNSという言葉も生まれ誰もが利用する時代だ。

それに対して昔のネットは一歩間違えれば危険な目にあう怪しい場所だった。そういう普通の人が見ない物や嫌う物を置いてある場所というのは人が遠ざかってマニアックな人間しか集まらない。そこにアングラ感は芽生えるし、運営している側もマニアックな人なのでそういう雰囲気が凄い。

グロ画像ばかり集めてるとか樹海みたいなアングラスポット、オカルトスポットの画像ばかり集めてるとかそういう不気味な魅力があった。嘘か本当かわからないけど、かなりヤバイ話を書いてる掲示板や世界中の危険な場所への旅行記。

普通では見られない物がある、それがアングラ感を作り出す。

今だったらイスラム国が大量にグロ画像を投稿しているのでアラビア語学んでそういう物を探すとかなりアングラ感が味わえるかもしれない。

自分はグロ画像は特に見ないが生き物の狩りの動画は凄い見る。こういったものはおすすめだしネットはテレビでは放送できなかったり本や雑誌では発行できない物を提供するのが魅力だ。

他には精神病患者の闘病日記ブログや鬱病患者が書いた怪しげな詩みたいなものも面白いかもしれない。

村上龍の「オールドテロリスト」では主人公が生きる気力を失っていた時に精神病患者のブログばかりみていた、というシーンがある。その小説は老人がテロを起こすという話で非常に危険な話だった。そもそも村上さん自体かなり危険な小説ばかり書いていて厨二病必読の作家である。不謹慎だがそういった人のブログを見るとかなり暗い雰囲気があるかもしれない。落ち込んでいる人が共感を感じるために見るのもありかもしれない。

グロ画像よりもっとマイルドなものとして人間の骨は人気がある。

アングラな雰囲気が好きな厨二病人間はドクロが高確率で好きだ。ナチスドイツSS親衛隊のドクロマークを見ると昔からそういうのが人気だったことがうかがえる。国家社会主義ドイツ労働者党は厨二病の人気を一身に集めている。髑髏や第二次世界大戦系の危険な情報もまた魅力だ。今でもそういった時代のことを調べると少しだけ昔の危険さを取り戻せたような気になる。

今でも懐かしいのが自分がインターネットを始めた当初ドクロや骸骨の絵ばかり描いてるサイトがあった。そのサイトが好きだったけどいつの間にかなくなってた。

ほんとにセンスがあってかっこいい壁紙もいっぱいあってちょっと危ない物に惹かれはじめたころの自分は常連だったしその壁紙も使っていた。

痛い小学生(昔の自分)「髑髏の画像壁紙にしてる小学生いますかって、いねーかハハ」

怪しげな雰囲気、やばい雰囲気、暗い雰囲気というのが大事

それこそが アンダーグラウンド、つまり地下である。

今はネットは明るいものになって一般的になってしまった。便利になったと考えるべきなのか寂しくなったと考えるべきなのか。今の自分にその答えはまだわからない。

3:痛い創作ブログ

アングラというほどでもないけど昔創作ブログをよくチェックしていた。

そこを知ったきっかけは自分の好きだった本の感想を検索したことだった。自分と似た趣向をもって痛いものを作っているサイトというのは親近感が沸くというか「自分もこんなものやったことある、やりたい」と思える。

中学生が実写で自作遊戯王動画を作っているみたいなのをyoutubeで見たこともあったけどそれもまたアングラ感に近いものを味わえた。そういう自分だけが知ってる感、とか自分に近い趣味を持って創作してる感みたいなものは一種の秘密結社の一員感みたいなものを味わえる。

他にもそういう物を探すと多くのものがあるかもしれない。 

例えば厨二病ポエムばかり書いてる怪しげな個人サイトなどは魅力的だ。

本当にクレイジーな小説書いてるサイトとかもあるかもしれない。

死海文書とかヨハネ黙示録、シオン議定書、そういう怪しげなキーワードに触発された厨二病が書いたとんでも設定の小説とか。

ひたすら主人公が世界の破壊を目指して地下活動をする小説とか。

他にもやはりイラスト系は面白いしピクシブなどでマニアックな検索キーワードで探せば面白いものが引っ掛かる。今の時代マニアックな言葉で検索をしたりネットの奥深くまで検索する人が少なくなっている。ネットというのは便利な情報を探す日常のツールになり下がってしまった。しかしネットには探せばまだ面白いマニアックなものが存在する。さっき言ったような髑髏の絵も同じ人がひょっとしたらピクシブで活動してるかもしれない。そういった趣味を持った人が投稿しているものはやはりアングラ感を味わえる。

厨二病ノートや創作ノートを公開している人のサイトはアングラ感を味わえるかもしれないしガチの厨二病ノートをひたすらのせてるとか昔書いた痛い絵なども魅力的だ。

きっと探したらアナログのまさに中学生の時に書いたっていう設定集などを整理して公開してるサイトが見つかると思う。

いろんな人がそういう痛いノートを公開したサイトやブログを作ったらきっと面白いと思うし、そういう痛い雰囲気というのもアングラには大事だと思う。きっと探したらアナログのまさに中学生の時に書いたっていう設定集などを整理して公開してるサイトが見つかると思う。そういう文化、もっと盛り上がってほしいなとも思う。

 

その意味では気味の悪い武器ばかり書いてる俺はアングラ度25点くらいはあるんじゃないかな、いや15点かな。まだ公開していない物も含めれば更に痛い厨二病ノートがあるけれども現状はピクシブ厨二病ノートのように使ったりこのブログの執筆でやっていきたいなと思う。このブログも厨二病ブログのようなものを目指していたり自分が憧れていたサイトのようなことをやりたいという思いで始めた。もしそういったものが好きな人がいれば自分のピクシブの過去の投稿やこのブログの過去の記事も呼んでくれたらとてもうれしいなと思う。

www.pixiv.net

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4:懐かしのものを置いてる感

昔のインターネットがアングラ感あったなら、昔のものを見ればいいというのが最適な答えかもしれない。今でもネットを探せばかなり古い時代のサイトが現存していてタイムスリップしたような感覚になる。

不謹慎ゲーム倉庫

このようなサイトを見つけたがそういう昔作られた地下ゲームは面白いと思う。

また昔懐かしのフラッシュも面白いと思う。

今の小学生が「ユーチューバーおもしれーw」と言っているようにかつて自分は「フラッシュおもしれーw」と爆笑していた。

若いころはそういう馬鹿馬鹿しい物やくだらない物に惹かれる。大人は高度なものばかり押し付けようとするから子供にとってくだらない物を堂々と提供する大人がかえって魅力的に見える。勉強を押し付ける世の大人、その一方で馬鹿馬鹿しいことを全力でやるネットの大人、後者の方が魅力的に見えるし自分もそれらを魅力的に感じていた。今ではyoutuberを叩いているが12歳の頃の自分が今の環境にいたら間違いなくユーチュバーに憧れていたはずだ。

もしかしたらフラッシュだとかユーチューバーとか関係なく、単純に笑いの沸点の問題だったのかもしれない。それでもあの頃のフラッシュのほうがやっぱりいいと思う。昔のフラッシュは滅茶苦茶で面白かった。ユーチューバーのようなコンテンツが流行するより怪しげなフラッシュが流行した時代の方がよかったというのは恐らく過去の美化であろう。しかしそれでもあの頃のアングラ感あるフラッシュの方が楽しかった。あの頃のフラッシュは一部の人しか見ていない感があったが今のユーチューバーは誰でも見ている感があってつまらない。

ドラえもんとかサザエさんアンパンマンみたいなものをネタにしまくってたあの頃の滅茶苦茶な雰囲気は最高である。

ドラえもんが「アル口調」「協和語」で話してるものが凄く面白かったけど詳細を覚えてないから今見つけることができない。そのほかにも詳細なタイトルを思い出せないサイトやフラッシュがあってそれを見つけ出せないこともまたある種の浪漫なのかもしれない。もう取り戻せない日々、何かわからない詳細不明なもの、その怪しさは今も懐古心をくすぐる。

5:マイナーな趣味サイト

エアガンや軍事にはまってた頃に見てたものはどれもアングラ感がして楽しかった。自分がネットにはまりたての頃は同時にエアガンや軍事にもはまっていた。世間的に軍事やミリタリーというのは扱いが厳しくそれ故にネットにはその情報が膨大にあふれていてワクワクした。ドイツ軍、ロシア軍などにはまり軍事情報を次々と学んでいく体験は面白かった。

またエアガンファンやサバゲファンの集まるサイトなどもありそのサイトのいた人たちは濃い人が多かった。今以上にエアガンや軍事が危険視されていた時代にその趣味に興味を持ち更にスマホの無い時代にそのサイトに集まっている人たちはかなりコアでマニアックな人たちだった。マイナーな趣味にはまってる人が作り出す空間はまさに「集会所」という雰囲気にふさわしかった。

そういう事も含めて結局懐古であり懐古以上に素晴らしい娯楽はない。あの頃を懐古し懐かしむことは人間にとって昔から楽しい事なのだ。懐古や旅情心を抱いて昔や遠い場所に思いをはせる。行ったことのない遠い異国もなぜか懐かしい。二階堂のCMも懐かしく旅心というのはなぜか浪漫がある。今だったら昔懐かしの雰囲気を求めて満州国とか検索してみるのも面白いかもしれないし南米、ラテンアメリカの放浪記的なサイトを見つけるのも面白いと思う。

チェ・ゲバラがたどった革命の軌跡、みたいなものも面白そうだ。旅系はアングラとは言いにくいけど雰囲気があるし危険な場所への旅立ったらアングラ感があると思う。数年前に見た旅ブログなども実際に行ったわけじゃないのになぜか懐かしい。

他にはスポーツでもマイナーなチームを応援するのも面白い。

著名なビッグクラブやメガクラブよりもそのリーグのマイナーなクラブが面白い。アスレティック・ビルバオとかニューカッスル・ユナイテッドを応援するとかセルビアリーグとかクロアチアリーグ、アルゼンチンリーグみたいなものを見るのも面白いかもしれない。

ちなみに自分は自称バルセロニスタなのでもろににわかである。ただ2chから隔離されたバルセロナファンのためだけの掲示板みたいなのがあってそこはアングラ感というか集会所感があって面白い。バルサは人気が高く本スレが荒らされがちなので皆避難所に集まっていた。今思えばバルセロナ避難所をよく見ていた時代は楽しかったしそこで実況するのは楽しかった。非常にコアなファンがいてサッカーを詳しく知っていたしマニアックな視点で見ていた。バルサ避難所もある意味でアングラサイト感があった。そういうコアな人しか集まっていないという雰囲気は楽しいし謎の一体感がある。

またそういうチームを応援してるマニアックなブログをみつけてチェックするのも面白いかもしれないし現地観戦してる人のブログなんかは非日常感が味わえる。

そう、アングラ感には「非日常」や「少数派」ということも大事なのである

6:ネットの奥深くにあるものがアングラ

今のネットユーザーがアングラ感を感じなくなってることの原因にはユーザーの行動も原因にあるような気がする。

これは完全に自分のことだが日々のネットにおける行動が限定的になってきている。

昔はいろんなものを検索していたが今は決まったサイトを作業的に巡回しているだけで自分から積極的に深い物を検索しようと思わなくなった。面白いサイトがなくなったと言われるが面白い情報、怪しげな地下感のある物なんて探せば本当はいくらでもあるはずだ。

それにもかかわらず作業的な巡回ばかりして地下感がないというのが自分だ。アングラなんてものは遠い場所、深い場所にあるわけで向こうからやってきてくれるものではない。検索してこの記事を見つけた人には感謝したいし、よくこのページを見つけてくれたなとすら思う。しかしながら自分自身そうやって検索することが少なくなってきている。検索する文化や習慣が失われてきている現実はあるかもしれない。ネットは有名なものだけが目立てる場所になってきている。珍しい物はなかなか表に出ない、しかし探せば脚光を浴びないだけでやはり面白い物はあるのだ。

たとえばカルト宗教について検索してみるのも面白い。闇の深いカルト宗教は非常に怪しげでその歴史を調べるだけで夜はふけていく。

少しでも興味を持てばどんどん検索することが大事。カルト宗教ばかり解説したようなサイトが見つかるはずだしその情報はかなり怪しいだろう。深夜に読めばきっとワクワク違いない、例えば「人民寺院」とかで検索すると面白いかもしれない。

ソビエト連邦における宗教弾圧の実態」みたいなものも興味深い。

そう探せば結局いろいろあるのである。探そうという意欲がなくなった人間がアングラ感がなくなったと言っている。それはまさに自分のことである。昔を思い起こして懐かしいかったあのころのアングラな雰囲気、というけど結局あの頃はいろんなものに興味持って検索していたからだと思う。

今はマニアックなものを検索しなくなった。情熱や探究心が失われてしまったのだ。

アングラは遠く深い場所にある。

例えば本で検索するのも面白いかもしれない

なかなか読めないような難しい本、時間がかかる分厚い本の感想をてっとり早く読むという目的でいきついたサイトがマニアックで面白いアングラ感のあるサイトかもしれない。

海外サイト読めるというのも大事。

サッカーだったら今はやりの選手とかではなく、今は亡きユーゴスラビア代表について記述しまくってるサイトとか東欧の選手ばかりとかを特集したマニアックなサイトだってあるかもしれないし外国語が読めればユーゴスラビア時代やソ連時代を知る当時の人が語っているかもしれない。セルビア語、クロアチア語で書かれた当時の思い出のようなサイトは面白そうだし、日本人の視点でもソ連旅行などのサイトは面白そうだし実際に自分も昔の露西亜旅行記や中国旅行記を見たことがある。

アングラサイトは見つけるのも楽しみのも多少スキルや知識がないといけない。

とにかくそういう場所を探すには根気強く探すことが大事で誰もが見るようなサイトばかり見てても面白い物には出会えない。

検索をしないでまとめブログとかツイッターみたいなメジャーなものばかり見る風潮がよくないのかもしれない。まとめブログは2chのアングラ感を完全につぶしてしまった。言ってみればアングラだった場所にカメラを入れて公開するようなものである。

そうなってしまえば雰囲気が台無し、しかし自分自身まとめブログはよく見ているのも実態だ。特定のまとめブログを毎日巡回してるだけのネット生活になってるという現実でやはりこれは変えていかないといけない。ネットを楽しもうと思えば自分で検索する意欲や習慣が必要になってくる。

まとめブログなんてただのしょうもない雑談ばかりでだらだら見る分にはいいが、有益な情報や興味深い情報が少ない。たまにはあるがやはり専門サイトには密度というものでは劣る。

そしてそれは通常の検索エンジンに限ったことではない

動画サイトやイラストサイトも探せば数多くのマニアックな埋もれた動画があると思う。人気動画やおすすめ動画に食いつくようなミーハーでは見つけることができないものがアングラだ。誰もが見るような情報などその時点でアングラではないのだ。

上述の項でで触れた創作の投稿者だがその人も再生数自体は少なかったが、いかにも中学生の時に作りましたというような手作り感のある自作映画みたいなもので面白かった。「らき☆すた」や「涼宮ハルヒの憂鬱」で有名なヤマカン(山本寛)が京都大学時代に作った「怨念戦ルサンチマン」のような面白さがあった。そういった個人の手作り感ある創作もまた魅力がある。

 

誰もでも見つけられるものじゃない、誰でも楽しめるわけではなく特殊な趣味を持った人間のみがたどり着ける「ミーハーな人間が見つけることのできないサイト」アングラサイトなのかもしれない。

まずその検索ワードを知ってる時点で敷居が存在する、敷居が存在するという事がいい事で普通の人が知らない言葉、単語を知っていることが第一条件として求められる。

そして検索する時の工夫や探究心もまた求められる。

いろんな敷居を超えた先にあるものがアングラと言える。

マニアックなものをネットの奥底まで検索していくような探究心を持った人でないと見つけることができないし多少ネット慣れした検索テクニックが必要

普通じゃないキーワードで工夫して検索できる人のみが見つけることができる。

超マニアックな観光地というか現地の人しか知らないような場所は観光客が少なくて雰囲気がいいのと同じでネットもまた通な人しか知らないし見つけようとしない感覚が雰囲気を良くさせる。

ネットも一緒でお勧めの観光地に行くのとちがって、ある程度知識がないといけない場所にこそ雰囲気がいいものがある。

普通の人が興味持たない物を載せている、普通じゃない人間の居場所

それがアンダーグラウンドの正体なのかもしれない。

 

7:個人で運営しているかどうか

昔のネットは管理人の存在感が大きかった。当時のネットを知る人ならば「管理人」という言葉にどこか尊敬の念を抱いていたはずだ。それほど昔の管理人という存在は重かった。しかし今の時代管理人という言葉は死語になりつつある。ビジネス目的で運営するまとめブログやNAVERまとめのようなサイトがはやり似たようなものが量産され個性がなくなってしまった。

個人ブログというものもオワコンになり今やSNSの時代。このブログのように考察をしたり何かを語るサイトは少なくなった。そんな時代だからあえて自分はそこに拘りたかった。失われたネットの雰囲気を取り戻すために少しでも何かマニアックなブログを作れないだろうか、そういうトークを出来ないだろうかと最近思っている。個人サイトや個人ブログがもっと反映していて個人が熱心に考察や創作をしていた時代は面白かった。今の時代は配信者やSNSでコミュニケーション力のある物が成り上がる時代だ。しかし自分はそれではつまらないと思う。インターネットとはこんな場所だったのか、あの日俺らが抱いた夢とは今日のようなネットの後継だったのだろうか。もう今となっては手遅れかもしれないしあの日々は戻ってこない。しかしそれでもその憧憬や懐古を求めて自分は少しでも何かを書いて行きたい。そこに共感してくれる人がいるかはわからない。それでも失われたあの日々を求めて自分はこれからもこのブログを書いて行きたいなと思う。

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