elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

頑張ること自体には意味がない

世の中「頑張ったで賞」や「努力賞」というものはない

学校の成績のようにとりあえず頑張ってれば結果は出せなくても姿勢が評価されるなんてこともない。

例外として努力したことや頑張っている姿勢を評価して優遇してくれるタイプの人もいるけどそれは例外である。

結局は結果である、頑張ったことによって得られるものが全て。

結婚で考えればどれだけ努力して魅力を磨いてもそれが他人から魅力がなければまるで意味がない。

男、女にかかわらず自分の立場として「婚活しまくって、女子力やら男子力やらを一生懸命上げようとしてるけど魅力がない人」「何もしてないけどなぜか魅力がある、むしろ何もしてないのが魅力」の人

どちらの人がよい結婚相手に恵まれるかは言うまでもない。

適当にやっているようなスポーツ選手でも才能があって結果を出せばスターになれる

一方死に物狂いで努力していても結果が出せなければ世間からの使いは酷い

人というのは他人の努力に興味がない。

人は他人の努力に恐ろしく興味がない。

この記事を見ているあなただって僕の努力には一切興味がないはずだし、どうでもいいと思っているに違いない。僕がどういう人間か知ろうとも思わないし過去にどういう努力をしてきたかを認めようとも思わないはずだ。だって他人の努力なんてどうでもいいのだから。

そしてもちろんそれは自分も同じである。僕だってあなたの努力に関心がないし、頑張ってますと言われても心の底からどうでもいい。結局は結果で認めさせるしかないのである。

僕のような無名の人間が「自分はこんなにも努力してきた」といっても誰も相手にしてくれないのである。

他人の努力ほどどうでもいいものはない。

そして自分がそう思う以上、自分の努力を他人に評価されなくても文句は言えない。

人がどれだけ努力しようがうわべの結果だけしか見ないし興味を持とうともしない。

人が見たいのはそこではない。

何もしてないことさえ評価してもらう人もいれば、死に物狂いの努力さえ見てもらえない人もいる。

結局世の中でサバイバルを乗り切るためには、「頑張ることに確実な見返りを求める」、「頑張り自体に優しい評価を求める」ようではやっていけない。

そういった姿勢からは脱却しなければならない

頑張ることが素晴らしいという価値観、美徳は通用しない。

親や学校は頑張る姿勢を無条件で祝福してくれた。

しかし実際はそんな特殊な世界の方が稀でほとんどのジャンルでは結果が全て。

それをどれだけ早く悟り、結果や現実に注力するようになれるかが人生では重要だ。無条件で努力を認められていた環境からいきなり結果至上主義の世界に放り込まれるのだ。ちょっとの工夫や努力、がんばってる姿勢はまるで評価されないがちょっと駄目ならばすぐに批判される世界にいきなり放り込まれるのだ。そういう世界では頑張りなど無意味。どれだけいいことをしていても意味がなく、ちょっとのミスが致命傷。完全に原点方式である。

プラスはどれだけよくても評価されないがマイナスはたった少しでも厳しく追及される。それが日本社会だ。良いことには無頓着だが駄目な事には敏感。良いことを伸ばすのではなく駄目なことを徹底的に叩き潰す

つまり頑張ること自体に意味はないのである。

「これだけがんばったのに」という言葉からは卒業しなければならない。

それは学校や家庭という特殊な状況下でのみ通用した言葉であっていつまでもそれにすがっていてはいけない。

そして努力、努力と肩に力を入れず、もっと適当に思いっきりやったほうがうまく行くこともある。

がんばりが報われないことにショックを受けてモチベーションを低下させるよりは最初から「頑張ること自体に意味はない」と割り切っていたほうがショックを受けずに済む。

そして結果の大事さをより認識できる。そもそも頑張り自体に意味はないのである。

がんばることだけで評価がもらえた時代の経験は邪魔でありそれをどれだけ捨てられるか。そういう意味で、勝つチームにいればそれなりに報酬がもらえて負けたチームにいれば頑張ってもまるで報酬をもらえないworld of tanksというのは戦争のリアルさを再現している。

世の中WOTなのである。負けたけどがんばってたからあげるよ!なんて都合のいい制度ではない。

勝った者が全て、たとえ適当にやっていようがよいチームに在籍することができれば報酬はもらえる。そして懸命に闘おうが負けてしまえばスズメの涙のような報酬

努力や頑張りで認めれる世界の方が少ない。そもそも結果が出ない頑張りなんて頑張りとも言わない。頑張りが足りないだけ。

ちょっとのことで評価されようとか、すぐに結果を手にしようとかってのは甘い。

頑張ることに確実な保証なんてついていない。

頑張ること自体の価値や意味はない。

大体世の中今まで清楚だとか清貧だとか真面目だとかそんなことが一度たりとでも評価されたことがあったか?そんなものないんですよ。そんなことを評価するお優しい人は少数派。

ふざけた不真面目な奴が得をしてちゃんとしてる真面目な奴が損をする、そんな光景ばかり見てきたじゃないか。そういうことに皆心当たりがあるだろう

良い奴が評価される環境の方が稀。

いつもずるい奴が評価される

真面目にやって得したことなんてほとんどないのが現実だろ

f:id:elken:20161214182212p:plain

俺たちは卑怯な奴が得する姿ばかり見てきたじゃねぇか。これからも損をし続けるのかよ!

ずる賢い奴は俺たちの苦労の裏でせせら笑ってるんだぜ。

懸命に頑張ってる奴らの裏側で卑怯な手段を使っている人間がいい思いをする。そういうのが世の中だ。

 

このブログだって苦しい時に優しい声をかけてもらったことなんてねぇよ。人は優しい声をかけてあげるときには腰が重い。頑張ったね、努力してきたね、自分は好きだよ、そういう言葉をくれる奴なんて一人たりともいやしない。本当に助けを求めたことが過去にあるがその時自分は完全にスルーされた。無慈悲なほどスルーされた。そこで悟った、人というのはいざというとき助けてくれないんだなと。このブログやピクシブのアカウントでも誰かを信用しちゃいけないなと思い知らされた。いざという時普段見てる人もただの傍観者になるのさ。

逆に何か悪いことを書けば脊髄反射のように反論する奴がいる。

いい時は一切反応をくれない無反応な傍観者だがそういう人にかぎってよくないことをした炎上騒ぎの時には先頭にたって批判を煽動する。

がんばってもがんばってもなかなかな評価されないが少しでも嫌われることをすれば評価される。いいことはよっぽどよくてクオリティがものすごく高くなければ褒めてもらえない。しかし悪いことは少しの落ち度でもあればすぐに注目を集め批判される。

インターネットや世の中において真面目な事とってただただ損なんだよ。この記事を読んでいる人もこれまでの自分の努力をには一切興味のカケラもないはずだが、自分が少しでも悪いことをすればすぐさま批判の言葉を書き込むはずだ。人間は醜い性格をしている。赤の他人、関係ない人間に関しては無慈悲だ。賞賛の言葉はタダでもださず出し惜しみしよっぽど優れてる時にやっとの事でしぶしぶする。誰かへの優しい言葉は1円もかからず無限に言うことができるのに皆出し惜しみする。言葉の財布から小銭たりとも優しさを取り出そうとはしない。しかし批判の言葉に関しては大富豪のように次から次へと誰にでもぶちまけ椀飯振舞だ。

悪い言葉という財布からは無限に札束を取り出す。いい言葉もタダならば悪い言葉もタダである。しかし前者のタダはタダでも出したくないが、後者のタダはむしろお金を払っても出したいのが人間の本性だ。良い事には見向きもせず悪い事には脊髄反射、物事には否定から入る。これが人間の本性。

それゆえにネットも世の中も注目を集めたければ批判されるようなことをするのが手っ取り早い。

良いことをして注目や賞賛を集めようとすれば批判されることの3倍努力しなければならない、世の中そう云う物さ。良いときは無反応で慈悲や優しさの欠片もないのに悪いときはすぐに批判をする。それが人間の本性。皆支援する時はたった一言の優しい言葉ですら出し渋り金銭なんてもってのほか。しかし批判する時は無限の暴言を浴びせる。良いことをしてる人には普段見向きもしないしたった一言の賞賛の言葉すらないが駄目なことをしているときはすぐさま批判を無限に書き込む。

頑張っても評価されない、意味がない。炎上の方が注目を集めやすい、良いことはいくらやっても誰も応援してくれず注目されない。だから真面目にやることの理不尽さを感じてみんな炎上ビジネスに手を染める。

「俺は悪いことで注目されようと思わない、いいことで世の中を感動させたい」

その哲学や理念は美しい。しかし誰もそんなものに注目しねぇしたった一言の応援すらもよこさねぇのさ。

悪いことをすれば注目されて人気になる。評価される。

それがこの世の現実、優しい人なんていない。

優しい人間が損をする、良い事なんて見向きもされない世の中なんだよ。人生とは虚しい物だ。いつも楽している人間が得をする、要領の悪い人間は淘汰される。良いときは見向きもされずに悪いときはすぐさま批判される。頑張っても頑張ってもなかなか報われない。それでも前を見るしかない。人間はお互いの努力や頑張りに興味がない、結果で認めさせるしかない、それが現実だ。

その社会を乗り越えていくしかない。生まれ持って人から認められやすい体質の人となかなか頑張っても認めてもらえない体質の人間がいる。後者として生まれたならば人の三倍は努力しないといけない。しかし他人の結果に対して人はシビアだ。自分も人の努力に興味がない以上、シビアに見られるのは仕方がない。その現実を受け入れなければならない。頑張ることに意味を求めて優しく認めてもらおうというのはとにかくひたすら甘い考えだという事を胸に刻んで頑張っていかなければならない。他人は無慈悲だ。

elken.hatenablog.com