elken’s blog

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赤い朝鮮の実像

学校や図書館にある古い本は貴重な資料になる上にどこかノスタルジーを感じさせる。

例えば1960年代や70年代に書かれた本などは当時のリアルな世界情勢を反映していてこの時代の出来事がリアルタイムの出来事として評論家などに語られていたんだなという実感を得ることができる。教科書に出てくるような事件も過去の出来事ではなくリアルタイムの出来事であり、冷戦も現実問題だった。

東西冷戦について興味を持っている自分にとってそういった時代の感覚を得るヒントになるのがそういった図書館にあるような古い本だ。

過去の事ではなく当時はそれが現実のものだったのだと認識することができる。

北朝鮮

例えば自分がその中でも懐かしいと思うのが朝鮮民主主義人民共和国(以下:北朝鮮)について識者が対談形式で語っている本である。それを地元の古い公民館で見かけて読んでいたことがあってそれが非常に懐かしい。まるでタイムスリップした気になっているし、当時はまだ金日成時代であり情報もまともに入ってこない秘密のベールに包まれた国家だったためまだ手探りの情報だった。当時の北朝鮮はまだほとんどよくわからない国で近くて遠い国という文字通りの国だった。

朝鮮戦争―金日成とマッカーサーの陰謀 (文春文庫)

 

自分はそのタイトルは失念したのだが赤い朝鮮というフレーズがどこかで使われていて印象的だったのを覚えている。まだ日本人にとって韓国がなじみがなく歴史的に使われてきた朝鮮というイメージが強く、冷戦で発生した分断国家という事もあり赤い朝鮮というような言われ方を当時はすることがあったのだ。

 

昭和の日本が見た北朝鮮というのはどのような国であったのか、そういうノスタルジーや懐古のようなものがなぜかわいてきたのを覚えている。

当時の北朝鮮はまさにバリバリの冷戦国家であり朝鮮戦争が終わってから間もない。まだ実在したソ連の支援を受けており社会主義国家を建設し東側諸国の一員として歩み始めようとしている頃である。

その本では金日成がそういったものを指揮する写真が使われていてどこか古い時代のアジア的風景の一端を垣間見ることができた。良くわからない国について手探りながらも考察していき一つの本になっているということがどこかワクワクしたしもう一度あの本に出会えるならば出会いたい。もしかしたら一冊の本ではなく、冷戦や東側諸国について論じた雑誌の一部だったかもしれない。

ただそういった本は思い出の中にあるから美しいのかもしれない。あの時あの本を読んだなという事はどこか懐かしくノスタルジーを感じる。もう戻れないあの日々に読んだ著書が懐かしい。

今と少し違う文体、古い紙面、独特な香り、この本をリアルタイムで買って呼んでいた人はどのようなことを考えていたのだろうか。そういう雰囲気がある。

金日成回顧録―世紀とともに〈1 1912.4‐1930.5〉

そもそもこの頃昭和はそういったおどろおどろしいタイトルを使うことが多い。「赤い朝鮮の実像」これは自分の曖昧な記憶ではあるが、昭和の本や映画のタイトルなどを見ると今にはないセンスを感じさせる。

激動の時代がそうさせたのかもしれない。人はそういう激動の時代ではどこか浪漫や郷愁を感じる。当時の北朝鮮も今とは違って本気で南北統一を目指していたし韓国との実力差で言えばむしろ上だった時代があった。そういう時代の考え方は今とは異なる。そういったリアルタイム情勢の物事の見方をしようと思うとまさに当時に出版された本というのは貴重な資料になる。

現代の見方で言えば考えられないようなことも当時の情勢を考えれば不思議ではないことがある。今発売される最先端の本だけでなくそういった古い本にも価値がある。ある意味それは過去への旅なのかもしれない。冷戦時代の日本への旅でもあるし、金日成時代の北朝鮮を想像することも一つの旅なのかもしれない。ありし日の北朝鮮という郷愁に誘われてまたあの本をいつか読んでみたい。

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