elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

冷戦がなくなって兵器開発って停滞し始めたよな

最近でも軍事技術というのは進歩をしているけど現代技術の発展スピードは特に軍事に関して、冷戦期の方が加速度的であったように思う。今の軍事技術のほとんどが起訴は冷戦時代に確立されておりその応用や発展が繰り返されているだけでそれほど革命的な進歩は遂げられていないしブレイクスルーは起きていない。

最近だとドローンが軍事や戦争の形態を変えるというようにも言われているけど冷戦時代の軍拡競争のワクワク感に比べるとスケールダウン感が否めない。

 

やはり冷戦というのはアメリカ合衆国ソビエト連邦という大正義超大国が世界を二分し本気で競い合っていた時代でもある。

お互いガチの大国を仮想敵国に想定したに兵器開発競い合ってた。当時の歴史小説や映画、近未来考察も米ソの激突やポストモダン、21世紀について壮大な想像をしているし良くも悪くも浪漫はあった。まだ世界がどうなっていくのかという壮大な想像を出来た時代。それゆえに兵器開発にも浪漫があった。

今の時代軍縮の時代であり、例えばソ連カスピ海の化け物と言われたエクラノプランのようなことをやったりすることもないし、アメリカがスターウォーズ計画という事を打ちだしたりする時代もない。

軍事オタクの本音を言えば不謹慎なのかもしれないけど「もっとバンバン兵器開発してくれ~ワクワクしたいんや!」となるし結局ミリタリーが好きなだけといえば好きなだけ。

今の時代はやれテロリストだの、過激派だの弱小国の独裁政権だのスケールが小さい。最先端の先進国や大国同士が本気で競い合うという時代はもうないのかもしれない。ベレンコ中尉が亡命してそれまで秘密のベールに包まれてたMIG25について西側世界の軍事評論家が過大評価をして考察したり、ソ連の軍事力について考察したりすることもなかなかない。

社会主義の限界が示されて社会主義革命や世界革命という時代でもない。もっと言えば一番の全盛期はまだ戦力が拮抗していた1950年代~70年代あたりで、この30数年間が一番軍事オタクにとっては幸せだった時代なのかもしれない。

日本でも極左革命が合ったり、当時秘密のベールに包まれた東側諸国への幻想と不安があった。東側も本気で西側に対抗しようとしていたしお互い面白い時代で貼った。ノスタルジーや憧憬になるのかもしれないけど浪漫貼った。

それゆえに軍事開発も壮大で、お互い国家の命運をかけてやっていた。

 

結局今の時代にそういう浪漫を体験しようと思ったら現実に期待するのではなく創作の世界に期待するのも1つの手段になる。たとえばガンダムシリーズは本当の軍事マニア的視点で見れば突っ込みどころはいくらでもあるけど大勢力陣営同士が本気で兵器を開発し合ってそれをぶつけ合ってる光景は浪漫がある。

バンバンお互いが兵器開発し合ってる世界ってもう過去の歴史か創作の世界にしかない時代になった。かといってそれで平和になったかと言ったらむしろ今の時代より危険な時代になってるわけで、冷戦という大きな構造で社会を固めていたほうが移民問題やテロ問題というのは起きなかった。

美しい時代といえば美しい時代なのかもしれない。自分自身1950年代から1970年代のソビエト連邦にノスタルジーというか憧憬のようなものも感じる。本気で思想的に傾倒して美化しているというよりもそういう陣営ファン的な楽しみ方。ガンダムの世界でもジオン公国派や地球連邦派、連合派やザフト派というのがいる。

結局この手の軍事マニアはガチの大国がお互いを想定して兵器開発競争する感が好き。

 

ガンダムシリーズでも結局巨大陣営同士がガチの正面戦争をしたのはガンダムSEEDとか1stガンダムぐらいになる。そしてその2つがやはり今も二大勢力

起きてほしい事ではないけど、大国同士の争いにはどこか想像を掻き立てる魅力がある。今は大国同士がぶつかる浪漫がない。先進国や科学大国同士が同レベルの戦いをするのではなく、どちらか圧倒的に劣る勢力ワンサイドゲーム的に倒す物が多い。冷戦時代もそういう戦争は多いけど最近はそういうワンサイドゲームがより顕著になってきてる。

相手がテロリストだから十分それで事足りるし本気で技術力を上げる必要もない。ロシアとアメリカですら結局差があり、結局アメリカ一強になりすぎてる現実もある。なんでもアメリカが勝ってしまう。

最近ロシアも過激になってきてるしアメリカも右傾化してきてるからどうなるかは予測できないけど、軍事開発競争という意味では盛り上げてほしい部分もある。

 

バイキンマンアンパンマンのプロレスのようなもので本気で起きてほしいとはもちろん思ってない。お互い軍事での金儲けのために敵対ごっこしてるのがちょうどよくて、観客のミリタリーファンもそれでワクワクしてその秩序の中で実は戦争起きませんでしたってのがちょうどいい。

軍事産業、兵器=選手、そしてミリタリーファンという観客。軍事をまるでコンテンツやエンターテイメントのように語ってるけど、結局人類の歴史を見て面白いのはやっぱり戦っていた時代で物語もその世界を舞台にしたものが多い。こういうことを言うと戦争を望んでいる悪者みたいに言われるし戦争に浪漫を求めるな、美化するなとも言われる。自分としてはそういうことじゃないんだけどなというのもあるけどわざわざ説明するのも面倒だし、軍事楽しんでますぐらいに開き直って理解されない人からは理解されなくてもいい、軍事ファンだけで楽しんでればいいという世界もあり。

そういう閉じたオタクコミュニティもまた面白いわけで、日陰で議論するのもオタク世界の面白さ。そういうオタク文化も最近ではなくなってきてるし軍事開発競争もしょぼくなってはいるし未来にワクワク感もない。だんだん世の中がつまらなくなってきて、結局SFとかも昔より流行らなくなった。

 

細々と過去の歴史や、創作物内の戦争について少数で語り合うのが今後のマニアの平均的な楽しみ方になっていくのではないだろうか。少なくとも現代、近未来に関しては冷戦期の時のようなワクワク感はなくなっているように思う。

ただそれも決して悪い事じゃなくて、そういう時代なら創作に面白さを求めるのもあり。現実が面白くないなら妄想で補うぐらいの発想をしてこれから戦争物創作が盛り上がっていってほしくもある。ただリアルが面白いから、その影響を受けて戦争創作物も盛り上がるという側面もある。

どっちがいいのかと言ったらなかなかわからないしこれからそういうコンテンツがどうなっていくかは予想がつかない。ただ言えるのは今生きてる我々が現代文化を作り、そして未来を作っていく当事者であるという事だ。