elken’s blog

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大連、旅順、華北、なぜ満州国はロマンがあるのか

自分はある意味満州国オタである。明治の近代化の頃からの大陸への憧憬や浪漫に何か心惹かれるものがある。歴史的にその行為に対する賛否両論はあるがあの頃の日本人が近代の激動の中で大陸に活路を見出したのは帝国主義という時代背景を考えれば自然な成り行きであった。

その時代の人々には日本を広大な国にしようといういわば浪漫のようなものがあったと思う。現実は綺麗なわけではなく最後は悲惨な末路を迎えるがそれでもその過程にあった歴史浪漫というのは今の日本人に無い物のように思える。当時のアジアの国家であれだけ広大な構想を描けて行動に移した国はない。帝国主義という物は今の価値観で言えばよくない物だが当時は最先端の考えでありそれをするしかなかった。そして実行に移せる国はわずかしかなかった。

 

そういう時代背景という事を考えたときそこにすごく浪漫はあったなと思う。広大な構想を思い描けるエネルギーが存在した時代だった。現実的に小さく小さく考える今の現代日本人の1人としてあの頃に憧憬や旅情の念を抱かずにはいられない。

とくに大連とか旅順、華北というワードに自分はワクワクする。当時の大連とかどんな感じだったんだろうなとか、哈爾濱もいいよねとか日露戦争で占領した203高地から眺めた旅順港ってどういう光景だったんだろうなとかに思いをはせる。

日本というのは土地が狭いから大陸という広大な世界に本能的に夢を見がちな島国根性があると聞いたことがある。それは恐らく一理ある。スペイン人やイギリス人が海の向こうの世界に憧れを抱き大航海時代に乗り出したように大陸の広大な土地にロマンを感じるのはいわば日本人の本能なのであろう。巨大な土地に凄いものを作りたい、まさにそれを実行に移したのが満州国建国であった。

石原莞爾という日本軍史上最高の天才の1人が率いる関東軍満州事変を起こし急速に国家を建設した。この流れは常人ができる発想ではない。そういう大胆なエネルギーが昔の日本人にはあったのかもしれない。そういう革命的なエネルギーがあった。今の夢の無い現代人にはきっとでいないであろうし思いつきもしない発想だ。寂しくなったなと思う。

 

そこの行いが正しいかどうかはともかく夢を抱かなくなったし小粒な発想になってしまった。自分自身その一人だから昔の大陸浪漫みたいなものに憧れる。その夢の終着点というのは結局悲惨なものだったがそれでももう少し上手く行っていれば理想も実現できたのではないかとついつい想像してしまう。現代人ですら大連や旅順という言葉に惹かれる、当時の人々の憧憬や旅情はそれを上回ったであろう。

例えば関東軍司令部の建物を見たときここにロマンがあったなと感じる。内部はどのような構造や内装になっていたのだろうか。近代和風建築や帝冠様式ってかっこいいよなぁとか、ここでどのような会議が行われたのであろうかと想像する。満州国首都の新京をどのように開発していこうかと考えていたのだろうか。そういう大陸浪漫や満州浪漫を感じる。

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歴史がもう少しうまく回っていればその理想の完成形も見れたかもしれない、それがどんな姿だったのか。亜細亜の連結によって欧米列強に対抗するための国家の最終形態を見たかった。今の価値観で言えばただの植民地経営だと批判されるが当時の価値観で言えば黄色人種は白人に頭を下げるしかない時代だったわけでその背景を無視して満州国が間違いだったと批判することは簡単だしナンセンスだと自分は思う。

最善の手法だったわけではないし過ちも多くはあったけども時代背景という事を考えたときに一つの手段だったことは間違いないのではないだろうか。今の日本人が失った発想という物がその時代にあった。華やかというよりも懸命に夢を追い求めた時代だったが、それゆえに何か憧憬を感じさせるものがある。今の日本人がそれだけ真剣に未来を模索することがあるだろうか。この現代日本に生きていて時折そういった寂しさを感じることがある。もちろん大陸進出をもう一度するべきというわけではないけども、何かもう一度浪漫や憧憬を追い求めることがあってもいいのではないかなと自分は感じる。