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elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

ソシャゲが流行った理由は日本人のカジュアル信仰にある

ソシャゲ、つまりスマホでやるソーシャルゲームが流行ってからもうかなりの時が過ぎた。最初は批判されていた課金も一般的になり、自分の家族ですらソシャゲをしているし職場、人によっては学校といった環境でもスマホでゲームをしているのは一般的な光景だ。電車の中でも多くの人がゲームをしているし、人が集まればどのゲームをやっているかとう話になる。

そしてその話は当然ながらコンシューマーゲームのことではない。

昔はゲームの話と言えばゲームボーイでどのソフトを持っているか、プレイステーションで何をやっているかだった。それが今やコンシューマーでゲームの話をするのはよほどコア層である。オタクですらアイドル育成ゲームの話をする時代でありコンシューマーの話を出さなくなっている。

ちなみに自分自身は圧倒的にコンシューマー派でありゲーミングPCを使ってパソコンでゲームをするというのが基本になっている。

 

しかし同時にそれが少数派であり、一人の友人を除いては周りにTVゲームやPCゲームをしている人はいないというのが現実だ。ちなみにその友人も熱烈なソシャゲアンチである。

我々コンシューマー派からすると「なぜあんな何世代も前のしょぼいゲームをするのか」と思わずにはいられない。小さな画面で不便な操作方法でやって何が楽しいのか、そして課金しなければついていけない。スマホを使う時間があるならば普通にネットをしていろいろ調べたりするわけであり、わざわざ不便なゲームをスマホで使用とも思わない。更にスマホの容量もゲームは圧迫する。

唯一ポケモンGOだけはポケモンファンとしてやったことがあるがそれも結局飽きてしまい、スマートフォンでゲームをする文化は自分には合わないと再確認した。スマホでは完全にネットを見るだけであり、ゲームをやるならばPCや携帯ゲーム機でやるタイプだ。

 

しかし同時に世間でソーシャルゲームが流行ったこと、そしてコンシューマゲームの地位が下がったことは必然だったとも理解できる。日本社会においてソシャゲが選ばれることはもはや必然だった。

その理由をいくつか考察していきたい。

1:スマホは誰もが持ってるゲーム機

スマホというのはジョブズが提唱したように様々な機能を1つでできるマルチタスクなデバイスである。様々な目的ごとに別の道具を使うわけではなく1つの道具ですべてをやるというジョブスの理念を体現したのがまさにスマートフォンだ。

そしてそれはゲームの役割も同時にこなす。スマホはゲーム機でもある。しかも誰もが持っているゲーム機である。もちろん全員が持っているわけではないが、少なくとも他のゲーム機よりは圧倒的に普及している。スマホがゲーム機だと考えたときに実は1番普及しているゲーム機だと考えることもできる。

わざわざゲーム機を買わなくてもそこにゲーム機がある。まさにスマホは巨大なゲーム市場なのだ。もはや今の時代わざわざゲーム機を買ってまで真剣にゲームをやりたいという自分の様なマニアは少数派になってきているのだ。

 

2:携帯ゲーム機ですら持ち運びが面倒

スマホはゲーム以外の機能も持っている。それはつまりゲーム機以外としても常日頃持ち歩いていることを意味する。ゲーム機ならばゲーム機としてしか使えないため、本当にゲームをしたい人だけしか持ち歩くことはない。

ましてPCゲームやテレビゲームなどは持ち運びができない。その一方でスマホを持ちあることは持っている人にとっては習慣である。外出先でSNSや通信アプリをチェックすることもできるし、暇なときはネットで調べ物をしてゲームをやりたい気分になればゲームを出来る。この特性は非常に強力なメリットだ。

確かに携帯ゲーム機も持ち運びはできるが「人前でゲームをやっている」ということが露骨に見られてしまう上に、携帯ゲーム機も実際の持ち運びを考えるとわりとかさばるのが現実だ。それに比べてスマホは非常に小さい。一枚の板であり薄いためとにかくかさばらない。それにくらべてゲーム機としての使用しかできない物をわざわざ持ち歩くのは確かに現代人にとって面倒な事なのかもしれない。一応他の使い方もできるが、それは同時にスマホでもできる事でありゲーム機である必然性がない。

もはや携帯ゲーム機ですら家でやるゲームになっているのが現実だ。

現代人はとにかくカジュアル性を重視する。ゲーム機をわざわざ持ち運ぶ、ゲームをするためにわざわざ家に帰るということがすでに億劫で重い事である。一方スマホでゲームをすることは非常にカジュアルな行為。

どれだけゲーム機であるコンシューマーゲームが素晴らしくても、そのカジュアル性に勝てないのである。本格的に凄いゲームをしたいという人は少数派で、大部分の人がカジュアル性を重視する。それゆえにソシャゲはここまで存在感を高めた。

更にやりたくてもできないという現実もある。実際ゲーム機をそろえるというのはかなり経済的には負担であり揃えなければならない物が多すぎる現実はゲーマー以外からするとかなりわずらわしいものになる。

ゲーマーとしては残念だが、そろえるものが少なくて済むことやどこでもできるという事はゲームとしてのクオリティを凌駕する大きなメリットになっているようだ。

 

3:時間は有限であうという当たり前の事実

現代人は忙しい、学生も社会人も常に外出して社会に携わっていなければならない。世間的に見ればどこかのコミュニティに外出して出かけなければならない人が多数派だ。この社会にいれば学生や社会人として忙しい毎日を送ることがほとんどの場合求められる。

そういう時に「家でゆっくりゲームを出来る時間」というのはかなり貴重なものになってくる。家にいるときも学校や社会で生活していればその為の準備に時間を取られ、家族と暮らしているならばなおさら時間はないだろう。

もはや現代人にとって一人でゆっくりできる自由時間というのは貴重過ぎる者なのだ。

そしてそれは必ずしも家であるとは限らない。自分がゆっくり時間を家で使えるという条件がそろうケースは1日の時間の中でそれほど多くはない。

時間はあるけど、今は外出先というケースも少なくない。

そういう時にまさにとりあえず持ち歩いているスマホが良い暇つぶしになる。

そりゃ皆家でPCゲームやテレビゲームをじっくりできる時間があるならばそれだけゲームをやりたいに決まってる。ゲームが好きな人もゲームをやれる環境と時間がたっぷり揃うならばそれをやりたいはずだ。皆ゲームを嫌いになったわけじゃないのだ。

 

しかし現代人は忙しい。

空き時間というのは必ずしも理想的な条件で訪れるわけではない。空き時間が欲しいときには空き時間がなく、空き時間が欲しくない時に空き時間が訪れる。

そういうときに環境をほとんど選べずに好きにできるスマホというのはやはりゲーム機としてメリットが大きい。電車の通勤時間にゲームをやれたり、外食中にゲームを出来たりする。食事をしながらゲーム機でゲームをすることは批判されるが、スマホならどこか許されるという風潮もある。マナーがいい事とは言えないがそれでもゲーム機に比べると印象はまだマシという側面もある。

とにかくスマホは便利でカジュアルで多くの環境に対応できる汎用性の高いゲーム機なのだろう。これだけメリットがあって自分はスマホでゲームをやろうとは思わないが世間的にはそれだけ利便性やカジュアル性を重視する人が多いという事なのだろう。

4:みんな真剣にゲームをしたいわけじゃない

結局のところゲームにガチに拘るという人はネットでは多いように見えて世間的には少数派なのである。また拘りたくてもライフスタイルがそうさせてくれないという人も多い。ゲームに拘る嗜好の持ち主が少ない上に、持っていたとしてもライフスタイルがそうはさせてくれないとなるとかなり世間的には限られた存在になってくる。

家でゆっくりできるならわざわざゲームをするのも大変だし、他にも娯楽は溢れてる。

仮にゲームをしたとしても、高画質で高クオリティでオンライン機能が充実していて高いゲーム性があるという事を求める人がどれだけいるのだろうか。

テレビゲームやPCゲームになれた我々コンシューマーファンからするとその機能は優れた物ではないが、そもそも全員がそういった経験があるわけではない。最先端の環境でPCゲームやテレビゲームをしたことがある人は実はそれほど多くない。

そういう人がソシャゲをやっても別段劣ったゲームだとは思わないのが真実なのかもしれない。我々コンシューマー派が「このゲームはこんなにも素晴らしいんだ」といったところで知らない人からすれば、今のゲームでも十分面白い。わざわざ環境をグレードアップさせて凄いゲームをやることは、カジュアル性を求める今の現代時にとって面倒な事であるしする必要性もない事なのだ。

5:誰かがやっているという事が大事

上記のようにコンシューマーゲームをじっくりやれる人が限られてくるとそもそもゲーム人口が少なくなり周りはソシャゲ派であふれかえることになる。

人間の心理として「周りがやっている物をやりたい」とうのがある。コンシューマー派だってオンライン人口の多さや、売れてるゲームなどをやるように決して例外ではない。

しかしそもそも大多数の人にとっては「皆がやっているゲーム」というのがそもそもソシャゲなのだ。結局誰かがやっているということ以上のメリットはなくて、周りがやってるからその一員になれるのが楽しいし、誰かとやるからそのゲームが面白い。周りがやっているということはゲームにおける最大の魅力なのだ。

実際自分たちが子供の頃に熱心にはまったゲームもその学校コミュニティの中で流行っていたからやったというのがきっかけであることが多い。まわりがやってるからやるというのはゲーマーの普遍的な習慣だ。

そしてそれが今はソシャゲになっただけ。基本はもしかしたら変わっていないのかもしれない。

周りがやっている、一緒にやる人がいるという事が最大のコンテンツ。一人でどれだけ素晴らしいゲームをやっても大部分のユーザーにとっては面白くない。自分の場合まわりにやってる人がいないゲームも一人で楽しめるタイプだが、そういった性格の人は実は世間では多くない。根っからのゲーマー気質で周り関係なく自分が好きなゲームをやるという人はそれほど多くないのだろう。しかもそういう人でもネットで人気ということを重視していたりする。リアルコミュニティでの流行は興味がないがネットの流行には一体感を感じているケースが多い。

ゲームにおいて流行っていることや誰かがやっているという事は最大のコンテンツや利点なのである。

 

総評

これまでいくつかの要素を考察してきたが日本人のカジュアル傾向がやはりすべての理由に共通しているように思う。日本人の根底にはカジュアル信仰がある。日本人は何かをコンパクト化させる技術が非常に高い。それも「小さくしたら使いやすい」という発想から出てきている。

小さくして使いやすくして、更に一般に普及させる。

わざわざ本格的にやるよりもカジュアルに済ませたい。何かをしっかり構えてやるよりも手軽にやりたい。そういうカジュアル性重視の国民性がここまでソシャゲを流行らせた理由であるかのように思う。欧米ではまだテレビゲームが普及しているが、日本では欧米に比べるとソシャゲがかなり強い。

そういうことを考えるとやはり日本人は普段持っているスマホで簡単に済ませられるカジュアルなゲームとしてソシャゲを愛用していることがわかる。これからもこの利点に基本的な変化はないであろう。コンシューマー側が逆転するならばそのカジュアル性で対抗するか、カジュアル性すらも凌駕する優れた魅力が必要になってくるだろう。