elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

創作は無駄な行為か?ネットで創作を公開する時ぶつかる壁

ネットの登場によって多くの人が自分の創作作品を世に送り出すことができるようになった。今まで出版社に送ってその競争を勝ち抜いてやっと人目に触れることや、リアルに人脈を作ってやっと公開ということが大半だった世の中にその過程を省略していきなり人目に触れる機会を与えてくれたのがインターネットだ。

 

しかしそんなネット上の創作、全てがバラ色というわけではなく現実は厳しい。

ネットの創作は無駄だという意見もあるし、多くの人が現実の壁に直面し挫折して消えていく。

創作活動は趣味としては非常に効率が悪く、非常に時間がかかり犠牲にするものが多いという意見は多く、そういった創作の大変さを語る人は数多く存在する。

それらの意見を大体まとめると以下のようになる。

 

1:スタートラインに立つことが大変

ネットの参加者というのは爆発的に増え創作においても供給が多くなって競争が厳しくなっている。その供給する人のレベルも年々高まりガチ化してきている。

小中学生でも上手い人は本当に上手く、高校生ならばプロレベルのものを描いてる人も普通に存在する。ネットはまさに全国レベルであり全国大会の場がまさにネットである。地方の部活でやっているようなレベルの人が全国大会強豪校のレベルの人と戦わなければならない。

プロやプロ予備軍、かなり若いころからやっている経験者、専門学校生などが多く、それらですらない無名の素人も抜群に上手い。

技術水準が非常に高くなってきており、同レベルの技術をそろえるだけでも後発の参加者には厳しい。自分自身創作を投稿しているがそれでも初期の初期に比べればまだマシになったし、本当に普段絵を描かない人からすると自分のレベルに到達することですら時間がかかる。ただそんなリアルではまぁ上手い方、絵を描かない人に比べれば上手いレベルの人もネットではスタートラインに立つことすらできないのだ。現実に自分は創作活動にほぼ失敗している。

 

これは部活動経験者がそのスポーツでは未経験者より圧倒的に上手いが、その部活内ではベンチにもはいれずスタンドで観戦していてその部活すら全国大会には縁がない。そしてその県の強豪校ですら一回戦で負けたりする。そんな競争の厳しさがある。

リフティング1000回できる人も、普通の人からすればとんでもなく上手いがそんな奴がその部活内ですら雑魚だったりする。

でもそのリフティング1000回も素人がやろうとするものすごく時間がかかるし、若いころからやってないと厳しかったりする。それなのにその1000回できるが雑魚でしかない。

イラストも同じ。ペンタブでデジタル絵を描いて投稿してる人も全く絵を描いてこなかった人がいきなりやろうとするとかなり時間がかかるが、そんなものは平均的な水準というより最低の水準でしかなく、クラス内では絵がうまかった部類に入る人もガチのイラスト投稿サイトに行けば雑魚でしかない。正直に言って自分は雑魚。スタートラインにすら立てていないのが現実。それなりに絵を描いてきたつもりだし上手くなったつもりだったがネットに出ればスタートラインにも立ててない。 

 

2:スタートラインに立ってからも大変

更にそこから苦労してスタートラインに立って同レベルの技術を身につけてもそんなものは平均でしかない。ワールドカップベスト16の決勝トーナメントに入ってもそこからが本番でそこからがもっとも大変。苦労してほとんどの国が予選で散って、参加国の半分にが更に散ってベスト16に絞られて、そこからが本番。この時点ですでに多くの国が散っている。イラストや創作で言えば多くの投稿者が散っている。しかしようやくそこからが本番。

自分の場合はもはや予選で落ちている。アジア予選で落ちているようなに過ぎない。ようやくワールドカップに出場しても、大半の国がろくに活躍もできずに消えていく。日本代表もブラジルワールドカップでは1勝もできずに消えた。

参加国の水準にあってもそこからみんな消えていく。

ピクシブなどのイラストサイトでもようやく技術が水準に追い付いてもろくに活躍できずに消えていく絵師がほとんど。そしてその平均的水準レベルでさえ一般の世界では非常にハイレベル。

同レベルの人やそれ以上の天才がさらに努力をしているのがこの世界。更にその中で食っていける人や本当の人気を獲得できてる人はほんのわずか。そもそも論で言えばイラストサイト最大手のピクシブyoutubeのような更に大規模なサイトに比べれば小規模でしかない。ピクシブトップクラスの人気を持っていてもユーチューバーには敵わない。ネットの創作活動では上には上がいる。

 

更に技術をつけるだけでなく、その技術で作品を作るのもまた時間がかかる。

多くのユーザーが一瞬見て終わりのイラストも何十時間もかけられて書かれている。凄く下手に見える物もいろんな手間がかかってて作ることは大変。

その手間暇かけた物も一瞬で消費されるし大半は大きく評価されず、その時評価されても数か月後には完全に埋もれて誰も見なくなっている。

 

3:技術の維持も大変

創作というのはしばらくやらなければ完全にすぐに実力が下がってしまう。技術の貯金はそれほど長く持たない。貯金しておけば勝手に残高が減っていくのだ。

音楽でも1日バイオリンを弾かなければ本人はすぐわかるというぐらい音色が変わると言われる。絵も同じで昔書けた絵も今書けと言われたら難しい。最近自分はイラストを描いていないので、絶対劣化している。あの時の絵は絶対今書けないというものが多く、その時の絵ですら前述のように世間ではレベルが低く見向きもされない。

 

プロのスポーツ選手と同じくらいストイックに過ごして日々実力の向上にいそしまなければこの世界では生きていけない。高いレベルについて行こうと思ったらプロのようなストイックさが求められる。体力維持のためにスポーツをしている人が毎日走りこむのと同じように毎日絵を描かなければならない。

そう考えるとスポーツと同じで見てる方が楽だし見えない努力が無数に必要。

誰も作ったことが無い者を作る喜びは大きいけどいばらの道だ。

 

ただやはり自分がやることの楽しさは何にも代えがたい物がある。スポーツもわざわざ苦労してやっているけどその変わり喜びがある。自分がやるのは見るよりも楽しい。人気の物を見るよりも人気なくても自分でやったほうが楽しい。

誰も見てないストリートの試合でも、自分が参加者だったらプロの試合を見るときよりもエキサイトすることがある。絵や創作も同じで自分でやることに価値がある。人気やレベルだけが全てではない。スポーツでも下手でもプロでもなくてもやってる人は多い。効率だけで考えてしまえば創作は確かに効率の悪い趣味だし無駄な趣味ともいえる。

しかしそれでも夢を求めることはあってもいいと思うし夢破れても自分がやってるという事に意味がある。自分自身ネットの個人創作がもっと流行ってほしいと思ってる立場なので創作を否定するだけじゃつまらないと思ってるし、スポーツも無数の無名のアマチュアがいるから凄い選手が出てくる。

創作が無名のアマチュアたちに親しまれてる現代のネット創作文化は必ずしも悪い事とは言えない。

 

4:需要がないことをやっても意味がない

しかしまた創作が綺麗な夢だけでないことは事実だ。

結局この世界は需要に左右される。いくら頑張っても求めてる人がいなければどうしようもないのだ。自分のやりたいことが需要の無い事だったら限界は知れている。見てる人や求めてる人の数が上限でありその先に行くことは基本的にできない。

いくら田舎でお店を開いてもお客さん自体が少ない場所では利益は限られている。やはり人通りの多い場所に店を開くことが大事になってくる。

好きなことができるというわけじゃない。好きな事は需要がない、その時にどうするかという工夫や葛藤もこの世界では求められる。

 

5:消費する方が楽

創作におけるもっとも有効な楽しみ方はやはり受け手に回ることである。ユーチューバーになりたいと小学生が願ったところでほとんどがユーチューバーになれない。

大抵しょぼい再生数で終わるのがオチだ。

スポーツも結局ほとんどがプロになれないし、プロの試合を見てることのほうが結局楽だし楽しかったりする。

 

それに見てる人はそこまで真剣に見てない。書いてる本人は本気だけど見てる人は大半がそこまで真剣に見てないというのが現実だ。スポーツの試合も観客や視聴者の全員が熱心に見てるわけじゃないし思い入れの無い人は見てもいない。

結局熱心に支援してくれる人はほとんどおらず自分は本気だけど世の中のほとんどの人がタダで適当に見れる物程度にしか思ってないというギャップがある。本人は人生をかけて本気だけど見てる人は皆適当に見てる。

見てるだけの人からすると、ピクシブの絵をそこまで本気で書いてたの?ってなるし、自分もイラスト以外のジャンルの創作を見てそこまで本気なの?って驚くこともある。自分がイラストをやってるから同じイラスト書きに共感するけど他のジャンルの創作を見たときにあまり熱心に見たり評価しようとしたりしないのも現実だ。正直な話なろう小説とかあんな熱心に書くものなのかって思うけど、書いてる人たちは本当に文章で食って行こうと本気で頑張ってる。

逆になろう小説投稿者からするとピクシブとかただのイラストぐらいにしか思ってないかもしれない。

特にイラストの場合一生懸命書いた絵も見てる人のほとんどはサムネで済ますか、見たとしても10秒も見ずに終わる。一瞬で消費するし、よっぽどのことが無い限り他の作品になかなか興味を持ってくれることはない。

 

更にそこからコメントや金銭的な支援という事にうつってもらうハードルは非常に高い。大半のユーザーが反応も支援もなく見ているだけであり、投稿してる人からすると見てくれてることはありがたいけどそのことで何か具体的に助かるかと言ったらそうでもない。

あらゆるジャンルの投稿者の本音だけど結局見てるだけのことに「実感」はない。ありがたいと同時に結局実感がないという現実はある。

見てるだけの人が本当は一番メインの層だし、コメントくれる人も必ずしも好意的で応援してくれるようなコメントばかりとは限らない。世の中にはくだらない指摘や粗探しをしようとする人もいる。それゆえに見てるだけの人を軽視してはいけないけど、どうしても反応と支援をくれる人が一番投稿者にとってはありがたいしそのためにやっていると言っても過言ではない。自己満足だったらネットに投稿しないで自分だけ見て身内に回しておけばいいけど、投稿するという事は夢を求めているからでもある。

反応や応援があるとうれしいし、それは無形の報酬でありその喜びは何にも代えがたい。

更に他のユーザーとコラボをしたりするとなおの事楽しかったりする。

 

もっと言えばやっぱり生活をするのにも生活費がかかるわけで、その為には私生活の時間を犠牲にしなければならない。理想は創作活動だけで生活していくこと。創作だけで生活できれば時間も増えて提供できるものも増えて、投稿者も見ている人も両方得な関係ともいえる。やはりどうしてもそういう現実的な支援というのが必要だし、その夢を求めるから頑張ろうとも思える。

プロのスポーツ選手も報酬があるからあれだけのプレーを出来るわけで無収入だったらプレーのクオリティは間違いなく下がるしそもそも協議をしないかもしれない。プロのスポーツのレベルが高くて面白いのもファンが観戦にお金を使っているから成り立っているともいえる。シビアな現実だけどやはりその支援が欲しいというのが創作をしている人の本音でもある。

elken.hatenablog.com

そしてここまで様々な創作についての考察をしてきたが、じゃあ自分が一人の創作投稿者として何ができるか、これからどうやっていくべきなのかという事も考えていきたいし、同じような立場の創作者やこれから同じようなことを考えている新規参入者のヒントになるようなことも考えていきたい。

「我々弱小投稿者がこれからどうして生き残っていけばよいか」というのがテーマだ。

創作

まず自分の立場としては「戦略機動伝ガンダムKind」というオリジナルガンダムや、オリジナル武器シリーズなどを書いたり、このブログでいろんなことを考察しているエルケンという者になる。名前としてはヒカキンをイメージしたような簡単な名前である。

そしてオリジナルガンダム系やオリジナルポケモン系のイラストを描いたり、オリジナル武器や厨二病武器を書いて厨二病感を重視した作風という自己紹介になる。

そんな中で自分が常日頃考えている方法をいくつか書いていきたいし、もしかしたら同じく弱小の投稿者の人にとって参考になるかもしれない。

大前提として我々は弱者であり、天才ではなく凡人に過ぎない。才能がない無名の素人でありイロモノのような生き方を模索して上級者やプロレベルの人との差を考えていかなければならない。

アイドルでも顔の良くないメンバーが、なんとか生き残っていく策を見つけて顔の良いメンバーより人気になることがある。我々弱者が模索していくのはそういった独自の個性や自分にしかできないことで他との差別化を図ることである。

 

1:あまり人がやってない創作をする

差別化の一番の方法は提供するものを変えることである。人気ジャンルかマイナージャンルかということの議論は盛んに行われるがマイナージャンルにもメリットはある。それはやはり供給が少ないという事だ。

メジャージャンルは人目に付きやすいと同時に非常に競争が厳しい

「上手い人」がメジャージャンルに行けばその世界では勝てる可能性がある。ただし下手な人がいくら人気ジャンルに行っても見てもらえるは見てもらえるけど結局ライバルが凄すぎて結局ファンはつかないという事になってしまう。

 

かといってジレンマなのがマイナージャンルだとそもそも見てもらえない。

下手な人にとっては基本的にネットの創作というのはいばらの道である。

人気ジャンルに行けば見てもらえるけどライバルが凄すぎて淘汰される、でもマイナージャンルに行ったら行ったで誰も見てない。

シビアな現実だけど基本的に居場所はない。そしてその存在していい場所を何とか探そうとするのがこの議題である。

需要はあるけど競争は少ないジャンルというのを上手く見つける。ただその需要もニッチなので大きく伸びることはない。数というよりもその世界での重要度や濃さを極めて質を高める方法が大事になる。爆発的で大規模な人気というよりも、アングラでカルトな人気を得ることを目指す必要がある。地下創作のようなイメージに近いかもしれない。現状自分はそれで上手く行っているわけではないが、10人中9人興味なくても1人が熱狂的に指示をしてくれるという事の方が長期的には長生きできるのではないだろうか。結局薄い人気を得たところでそのファンはすぐに移り変わってしまう。

それよりはがっちりとした固定客についてもらう事の方が良いし、毎日寂れた喫茶店に来てくれるようなファンのような人が大事なのかもしれない。

 

2:素人っぽさをむしろ武器にする

これだけ商用レベルの物が増えてきた中でそこに真っ向から対抗しても勝算はない。そして今更そのプロレベルの技術を身に着けようとしても絶対に身につかないし、身につけてもライバルが多すぎて必ず勝てるわけではない。

 

更に素人っぽい画風にも魅力や需要はある。

プロの漫画家やイラストレーターでもオリジナル画風でちょっと素人っぽかったころの方が魅力という人は多い。自分で独自に極めたようなその人にしか書けない画風は魅力的だし、版権絵にあるようなどこかでみたようなイラストをわざわざネットでみても面白くない。最近ピクシブは「公式の補完」という側面が重要視され個人創作の需要は落ち込んできているが、ピクシブ以外にも視野を広げればまだ需要はあるだろう。それでもファンの目も肥えてきておりなかなか評価されにくい時代にはなってきている現実はある。

しかしそんな時代だから逆に素人っぽい画風や作風も求められている。たとえばユーチューバーの魅力はその親近感にある。世の中クオリティの高い物だけでなくくだらないものやしょぼいものにも魅力や需要がある。

イラストや個人創作の分野でそういった需要を作り出すことができれば勝機は見えてくる。

 

そもそも上手くなることがはたして良い事なのかと言ったら疑問はある。

上手くなってどこかで見かける画風と変わらなくなったというイラストレーターや漫画家は多い。サモンナイトのイラストを描いてた人や、ボーボボの作家は特にそれを感じる。ボーボボはどこか上手くなったけど、癖はなくなってしまった。

それでもしかしたら仕事は増えたかもしれないけど、同時に熱狂的ファンもなくしてしまったりその上手くなる時間でもっと別の魅力を鍛えることもできた可能性はある。

普通に実力を上げてもやっとスタートラインにたつだけに過ぎない。その膨大な時間で他のアプローチをした方が良い。ネットは知名度が大事だから知名度を上げることも勿論大事になってくる。絵が上手くなっただけでファンになる人は少ないけど、それ以外の魅力でファンになってくれる人はいる。上手さで勝負できて上手さでファンになってくれる人を増やすことができるならばそもそも最初から弱者の立場にはなっていない。

それができないから別の道を探してる。才能がないから別の道を探してる。

スポーツの世界でもその小学校の頃はテクニシャンで天才少年だった人もプロになるころにはむしろ下手な部類で、味方のために労を惜しまず走ることや自己犠牲的なプレーを武器にしている選手が多い。

正統派で勝負できないからプレースタイルを変更しようというのが我々弱者の立場である。スポーツでもみんながみんな上手い選手やスター選手ばかり応援するわけではなく、地味なポジションの潰れ役的な選手にもファンはる。アイドルでも皆が顔の良いメンバーを応援するわけではなく、顔の良くないメンバーにもファンはいる。

 

それになんでもガチ化すしぎてプロレベルが当たり前になるとネットもつまらなくなる。程よい素人っぽさが昔のネットの魅力だったし、最近は何でもガチ化しすぎている。そこでもう一度素人っぽい個人創作があってもいいのではないだろうか。

アイドルグループも皆が顔の良いメンバーだと飽きるし顔の良くないメンバーがいるから多様性があって面白い。

自分のような絵が下手な人間はまさに顔がよくないアイドルと同じでありそのポジションで全力を尽くさないといけない。

 

かといってただ素人っぽくて下手なのが評価されるというわけではない。基本的には皆目が肥えていて高いレベルを求めるファンがほとんどだということだ。アイドルでもやはり顔の良いメンバーが人気になりやすい。

今の時代創作では簡単なことでは評価されない。

普段から海外のトップリーグの試合を見てる人にとって国内の試合がレベル低く見えてしまうしさらに学生スポーツはもっとレベルが低く見えてしまう。

本人たちは頑張っていても見てる人は高いレベルの基準に慣れているので「なんだこいつ下手で見る価値がないな」となってしまう。

それゆえに下手な人は「自分は正統派ではなくマニア向けの需要」ということを認識する必要がある。アイドルやスポーツ選手になんでこんな人にファンがいるんだというような外部から理解されにくい人気を獲得することが大事でありそこに特化するのが一つの手段だ。

 

プロやプロ予備軍、専門学校生、教育を受けた人、そういう人たちと戦っていかないといけない。彼らにはは絶対にうまさでは勝てない。イロモノ枠、マニア枠、努力枠、素人枠、そういう独自の魅力を極めていくことが自分のような下手な人間に残された道になる。トップレベルを今更目指しても無理だし正統派で勝つ見込みはない。トップレベルの画風以外で勝つことを考えなければならないし、シンプルに上手くなってもその道を極めてきた人には敵わない。

もちろん完全に上手くなることを放棄するわけじゃないしできることを増やしていかなければならないだろう。上手くなること自体は放棄してはいけないしこれからも画力の改善を続けていく必要はある、そしてその改善方法にどう個性をもたらすかが勝負どころになってくるのではないだろうか。

 

3:実力以外の魅力を身につける

世の中には付加価値というものがある。本業以外での価値を付属させることができればその価値は高まる。ネットの個人創作はいわば総合点が大事な世界でもある。ただ画力だけを切り取って判断されるものではない。

いろんな魅力があつまって人気というものが形成される。魅力の総合値で人はその人を支持するかどうかを決める。

 

元々自分はこのブログを創作ブログとして始めた。しかし色んなことを書いているうちにジャンルが広まっていったほとんどの人が現実的には自分の過去の創作に興味を持ってくれているわけではないし、自分も創作の宣伝のために他のジャンルの記事を書いてるわけではなく好きだから書いてはいる。

ただ他の知名度を得れば創作活動に役立つのは事実だ。ネットというのは知名度が物を言う世界であり、内容よりも誰であるかが重要になる。

いくら実力があってもそれを知ってもらう機会がなければ意味がない。

実力のみで競争すればいずれ評価されて有名になる時が来るかと言ったらそうじゃないし言葉悪いかもしれないけどマーケティングや営業も大事になる。

物凄く文章力がある人が書いた小説よりも、恐らくヒカキンが書いた適当な小説の方が売れるしいろんな人に読んでもらえる。「誰が書いたか」「誰が作ったか」という事も重要でありその部分の付加価値を身につけるのも弱者の立場としては大事になる。

本業で勝負できないなら本業以外のおまけをどれだけ身に着けられるか。

 

ピクシブでも結局実力以上にブックマークもらってたり、コメントとか多くされてる人は身内票が多い。ネットもコミュ力の時代。その人に興味があるからその人の作品も評価するという方式が今のネットでは一般的になっている。

ただ実力だけで勝負をしていては埋もれるし付加価値や自分にしかないものを身につけることも大事になる。自分がこうやって創作について語るのもある意味創作論を語ることで自分の人となりのようなものを知ってもらいという事でもある。イラストだけを描いてもその人がどういう人かわからない。結局イラストだけで人気を得るのは難しいしそんな上手かったら苦労してない。

語ることによってその人がどんな人なんだろうという興味を持ってもらえればそれで大成功だし、ブログやツイッターで語るというのは今後重要な方法になってくる。それで創作論を語る人が増えれば創作文化にとってもいいことだし、自分も元々は昔創作ブログのようなものを見ていてそれが面白かったから今になってこうやって創作活動をしている。その個人ブログの人もあまりイラストは上手くなかったけど、自分はその人のイラストが楽しみだった。

 

実際は自分のキャラや人生の背景、特殊性とかでなんとかしようの逃げというか、それが可能だって思うのも幻想なのかもしれない。本当にこれでファンが増えてくれるかと言ったらそういう保証はどこにもない。

結局純粋に実力を鍛えたほうがいいのかもしれないし、そっちのほうが上手く行ってたかもしれない。現状自分は上手く行ってないわけでこのブログは基本的に自分の創作活動の役に立っているとは言い難いし、普通にピクシブに地道に投稿していたほうが正解だったかもしれない。かといって純粋に実力を上げるのも難しいしそれで今の倍上手くなっても単純に多くファンが増えるかと言ったらそうでもない。

ここら辺の問題は難しいし結局結果論になってしまう。その時々で臨機応変に判断する必要があるのかもしれない。

 

4:協力してくれる人を見つける

弱い者は集団で戦わなければならないというのは古代からの兵法の常識である。下手な人間やネットで立場の弱い人間が個人でいくら頑張っても先行きには限界がある。

その時に同じ問題を抱えた人や同じ立場の人、同じ目標を持つ人と協力することも大事になってくる。オリキャラを描いているならばそのオリキャラ同士でコラボしたりオリキャラの描きあいをしたりして、お互いの作品の宣伝をするということも重要である。

スティーブ・ジョブズの名言に「君はいつまで砂糖水を作り続けるのか、私と一緒に世界を変えようじゃないか」というものがある。これで有力な経営者をアップル社に引き入れてアップルは世界的企業へと躍進した。

正直な話ピクシブやネットの投稿者には先行きの見えない個人創作や公式キャラクターを書いてちょっと需要を満たしてるというのを延々と続けているだけの人も多い。もちろん自分もその一人だし、このまま続けていても先はないだろう。

そういう時に限界が見えている者同士やもっと大きな夢を目指すもの同士で組んでコラボして協力し合って活動していくことは有効な手段になる。公式キャラクターをいつまで書いてても何のブレイクもできないという立場の人を誘って「自分とオリキャラで一回勝負して見ないか」ということも夢を目指すうえでは必要なのかもしれない。

 

更に2人だけでなくグループになることもいいはずだ。実際CLAMPは女性のグループであり単体で勝負してるわけではなくいろいろと分業している。

お互いの負担を分担したり、他末刈ったり励ましあったりしてモチベーションを保つこともできる。個人でひたすらいばらの道を歩いても孤独な闘いだけが待っている。そういう時に創作仲間がいると助け合うこともできる。

仲間を作ればお互いの発信力を補完し合うこともできて知名度を高めることもできる。その人切っ掛けでその人の創作仲間も知ったという事は多いし、ユーチューバーなどでも有名人同士でコラボして更に大きくなっていることも多い。味方のことを紹介すると同時に、味方に自分も紹介してもらう。そういうことで激戦の時代を乗り切っていくことも大事だ。小さな人間が一人で戦い続けても先行きは見えてこない。弱者が単体で戦っても勝てるわけがない、でも3人集まれば何かの力になるかもしれないし創作モチベーション自体が高まって自然と実力が上がっていくこともある。

そういったコミュニティの形成は非常に有効な事だし元々ピクシブも絵師同士の交流という側面がある。ピクシブだけでなく創作ブログ同士で交流することもありかもしれない。毛利家の3本の矢の話のように一人一人の力は小さくても大きなことができる。

 

創作戦国時代、まさに我々弱小投稿者は毛利家のように生き残っていかなければならない。そういった弱小チーム、弱小個人の生き残り戦略のようなものが今の時代求められているのかもしれない。

供給過多の戦国時代、それぞれがどのような戦略で生き残るか。

自分も含めて今模索の最中にある。2,3年後には完全に夢を諦めて消えているかもしれないし、花開いている可能性もある。どうなるかはわからないが、一人の創作好きとしてとにかく頑張っていこうと思う。