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elken’s blog

ジャニーズ、サッカー、軍事、創作などあらゆることを評論するブログ

富野由悠季の言うように『君の名は。』は数年後誰も見てないのか

考察 アニメ 芸能

君の名は。の勢いすごいね、千と千尋を抜いて1位になる可能性も見えてきたらしい。

近年まれに見る社会現象といってもいいんじゃないだろうか。ネットが普及して時代が変化した現代に1つの物がこれだけ流行るというのは珍しい。

まだ日本というのはそうやって大きなブームが起きるんだなと感じさせられた。

「最近の世の中は文化が細分化してコンテンツごとにファンが分散しているので大きなブームが起きない」

自分は何度かそういったことを書いて来たけども君の名は。はその現象に反する貴重なブームだと言える。そういう意味で考えると世の中が一つの事で盛り上がる久しぶりの光景なので良いことだと思う。こういう流行を見ようと思ってもなかなか見ることはできない。

 

しかし自分は君の名は。を見てないし見る気もない。

甘ちゃんも半沢もどっちも見てなかったしアナ雪も見なかった俺が、君の名は。シン・ゴジラも見るわけねぇだろ笑

典型的な何かが流行ると必ず現れる見てないアピールする人が俺ね。でもそのくせ意外とメジャーなものが好きっていうダブスタ。嵐っていうメジャー文化の中のメジャーなグループが好きって言う超メジャーな人。スポーツもサッカーが好きで更にバルセロナっていうメジャー中のメジャーな好み。

だけどかといって安易に流行に乗らないというか乗る気もないのが自分、そして「見てないアピール」をするっていう人。「ワールドカップ見てないわ~」って言う人を叩くけど、自分は「君の名は。シン・ゴジラも見てないわ~」ってアピールする潔いほどのダブスタダブスタ発言は俺の基本。ぶっちゃけちゃけぶー俺ワンチャン、ダブスタ系男子的なとこあっからね(謎のチャラ男キャラ)

 

正直RADWIMPSのゼンゼンゼンも好きじゃなかった、どこでも流れてるから聞き飽きた感がある。音楽が好きじゃないからなお見る気がしない。

あとRAD聞いてる人の「音楽分かってますけど感」がどうも好きになれない。RAD好きな人絶対アイドル音楽叩いてそう。嵐とか「邦楽の腐敗」みたいに言ってめっちゃ叩いてそうだよね笑

 

そしてこの映画、映像作品関係者からボロボロに叩かれてるよね。明らかに嫉妬な部分もあるけど実際ちゃんと見ようと思えばやっぱりそこまで内容がないのは事実なんじゃないだろうか。これだけ声をそろえてそういう知識人や批評家が批判してるというのは珍しい。まぁこういう評論家みたいな人たちって何かを叩きたがる人が多いし、そのほうが目立てるというのもあるのかもしれない。

ガンダム監督の富野由悠季も「数年後は誰も見てない」と雑誌のインタビューで語っていた。そしてこれ、俺が思ってることとまるっきり同じだったんだよね。

「確かにもののけ姫を超えた、しかし5年後も語られるのはもののけ姫君の名は。は3年後ですらすでにダサくなってる」「君の名は。は瞬間最大風速だけの一発屋。記録だけの価値しかない」そう自分は友人との会話で語った。(しかも見てすらいない)

はっきり言って完全にアナ雪コースになると思うよ。今アナ雪とかレリゴーとか言ってる人いたら「まだ見てるの?」って感じでしょ。

それと一緒

最近のブームって結局長続きせず賞味期限切れるの早いんだよね。だからあまり見ても意味がない感がある。ポケモンGOとかも秒速で廃れたでしょ。今の時代、流行についていく必要性をあまり感じなくなったよね。

 

ただ思うのが逆に今の時代流行の批判がしやすくなりすぎたことで逆につまらくなったんじゃないかという説。

昔に流行批判してた人→ガチで大勢力に挑んでいたトガった少数派

今の時代に流行批判してる人→流行批判が簡単になった時代に流行批判してるにわか

昔に比べて流行に乗らない人たちが集まりやすくなったし仲間を見つけやすくなったし、「流行批判」という行為ですぐに一体感を感じられる時代になった。

昔の時代はガチで1つの盛り上がりが強烈だったのでその時代に流行に乗らないことは勇気がいる事だったけど、今の時代むしろ流行に乗ってる人の方が少数派であることすらある。流行批判というのが見慣れた光景になりすぎて逆にちゃんとしたブームが希少になり過ぎた。

今の時代って流行についていかない人の居場所が普通にどこにでもあるんだよね。紅白見てないわとかオリンピックみてないわとか、ネットみればいくらでも同じように見てない仲間がいる。流行についていかない事の孤独感や疎外感がなくなったというのも流行が少なくなった理由の1つ。流行についていかなくても寂しくなくなったし逆に流行についていかない方が仲間を見つけられる。結局自分の好きなものだけを追いかけて世間の流行に疎くてもよくなったのが現代。そういう意味じゃオタクっぽい人が増えたし、オタクスタイルというのがむしろ現代日本人の平均的ライフスタイルになりつつある。

 

オードリー若林がこんな感じのことを言っていた。

「評論家みたいな人たちがポケモンGOとか叩いてるけど、今逆にそうやって批評することの方がダサいよなぁ」

これそうなんだよね、昔のガチで流行が偉かった時代に流行批判してたらトガってるヤバイ奴感あるけど、今の時代もう何か逆に流行に噛みついてることが寒い感あるよね。

ちょっと前だったら流行批判に自分も熱心だったけど、なんか今の時代わざわざ自分が流行を批判しなくても他に批判してる奴が無数にいるんだよね。そういうの見ると必死に流行批判してるのがなんかダサい感はある。

逆に君の名は。を擁護してる人の方が少数派感あるよね。「売上」という武器以外に語る部分がないからほぼ一方的に叩かれてて逆に可愛そうになってきた。

 

何というんだろう、今の時代にちゃんとした中身って必要なのかな。

中身がない事や軽い事、カジュアルな事が叩かれるけど、ちゃんとした中身のある物が偉いのかなって言う疑問もある。もうそういう優れた物をちゃんと評価しようってのが今日日意識高い行為だと思うんだよね。意識低く中身しょぼいものを見るというのが現代のスタイルになりつつある。

ユーチューバーが流行るのもそういう背景がある。

youtubeみれば海外の凄いアーティストの映像とか、スポーツの最高峰の試合の過去映像だっていくらでも見れる。でもそんなものより親近感を感じられるユーチューバーのしょぼい動画の方が皆見たいんだよ。UEFAチャンピオンズリーグの試合やエミネムレディ・ガガのコンサートの動画よりも、ヒカキンが包丁でアイスぶった切ってる動画の方が日本の子供たちの間では需要あるんだよね。

意識低くダラダラ見れる物の方が結局気楽。ちゃんとしたものをしっかり評価しよう!そっちが評価されるべきっていうのがすでに意識高い行為。

これとはちょっと違うかもしれないけど正月にやってた嵐の番組で、凄いスポーツ選手呼んだり派手に演出した番組があったんだけど、それ見るのすぐ飽きて逆にもう1つあった嵐メンバーがくだらないランキング発表してダラダラトークする番組は滅茶苦茶面白かった。

ガチですごい映像見るよりしょぼい映像みるほうが気楽なんだよね。中身のクオリティとかどうでもいいのよ、とりあえず頭空っぽで楽しく見れれば。

君の名は。」が流行った背景というのも、そういう時代の文脈があるからだと思う。西野カナとかも本当はガチの歌を歌いたいんだろうけど「ねぇダーリン」とかそんな感じの曲歌ったほうが売れるし、そっちの方がみんな聞きたいんだよね。マジに歌ったら売れないし見向きもされないのよ。そういう意味でねぇダーリンとか、そんな感じの意識低いソングばかり歌うわけだよ。そして自分もガチなアーティストとか全然聞かず結局嵐聞くしね。

そしてそれを邦楽のレベルが下がったとか良い物が評価されなくなった、頭空っぽの人が増えたと批評することがすでに意識高いし、今日日お寒いのよ。

 

結局その富野由悠季だってガンダムの最新作任されて「Gのレコンギスタは子供たちに見てほしい、未来の種をまく、この作品は世界を変える」みたいなことを放送前は言ってたけど結局Gレコなんて誰も見てないわけじゃない。あれ子供絶対見てないでしょ。

実際自分も爺さんのGレコみるの途中でやめたしね笑

そしてそんな子供たちが喜んでみるのはヒカキンが過去の自分とジャンケンしてる動画なんだよね

富野が本気で描いたGレコなんて小難しいどうでもいいもので、皆ヒカキンのほうが見たい。そういう意識低い時代の本質を見極めることができなかった時点で富野はもう衰えたんだなと感じたし、君の名は。を超える映画を作るのは不可能だと思う。

結局世の中も意識低くなってるし自分も意識低くなってる。

多分昔の自分だったら君の名は。をガチで批判してたんだろうけど、今そこまでやろうとも思わないもんね。

誰でも彼でも流行批判できる時代になったら、逆に批判する気がなくなるっていう複雑な心理。

ハロウィンとかも叩いてる人いたけど今時流行とか芸能人とか叩くの逆に寒いよね。もっとトガってた人たちが流行批判してる時はかっこよかったけど、昔だったら流行に乗ってただろう人たちが逆に今流行を叩く側になってる。流行批判のカジュアル化、大衆化が進んだ。

何かそういうの見ると俺とか若林みたいな真のひねくれ者は逆に「流行叩くの逆にダサくね?」みたいに逆張りしだす。

そういう意味で自分は君の名は。の内容がない事をそこまで叩こうとも思わないし、せいぜい見てないアピールするぐらいで穏便に済ますのである。

とにかく流行に乗ろうとは思わず批判的は批判的であるけど、昔ほど熱心に叩こうとは思わなくなったってのが最近の自分なのかもしれない