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elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

清武弘嗣がセビージャで戦力外になったのは必然だった

清武弘嗣がセビージャからセレッソ大阪に復帰することが決まった。清武弘嗣のスペインでの挑戦を応援していた立場としては非常に残念ではある。自分自身当初は清武ならセビージャで活躍できると思っていたが現実は甘くなかった。

もうちょっと頑張ればどうにかなったのではないかという思いもあるし、デポルティーボの噂も出ていたのでまだスペインで挑戦する姿を見たかった。

スペインはまだ日本人選手にとって大きな足跡を残せていない場所なので少しでも多くの挑戦者がいることは今後の日本サッカー界のためにもなったではないか。

サッカー界にイフは禁物だが契約が4年あるのだからあと1年頑張れば言葉も覚えてスペイン文化に適応できたかもしれないし、主力が移籍する可能性は十分にあったのではないかと思わずにはいられない。

 

しかし清武弘嗣はその意見を承知でJリーグに戻ったはずだ。

海外移籍した選手が日本に戻ってくるときはほとんどの場合既に衰えていて「本当に海外組だったの?」と思ってしまうようなことが多い。そのためそれほど圧倒的な活躍をしないことがある。

今回のように全盛期の内に戻ってくるケースはなかなかないのでJリーグにおける元海外組の活躍という意味では期待できるかもしれないし元々清武が好きだったサポーターは何より間近で本人のプレーを目にできる機会を喜んでいるに違いない。そのようにプラスの側面も勿論ある復帰ではある。

清武弘嗣

ではなぜ清武弘嗣Jリーグに戻ってくることになったのか、セビージャで通用しなかったのか。諸説あるがライバルとのポジション争いが厳しすぎた、サミル・ナスリが来た、バスケスが凄かったという事は言われている。

しかし仮にナスリが来なくてもバスケスがいなくても清武弘嗣はレギュラーの定位置を獲得することができなかった可能性は高い。

真の問題はポジション争いをする選手のレベルの高さではない。

一番の問題は言葉だ。

実は清武弘嗣のセビージャ挑戦失敗の最大の理由は言葉にある。

セビージャ監督のサンパオリは非常に緻密な戦術を作り上げその戦術に選手を当てはめるタイプの監督だ。高度な連動や数多く存在する約束事や決まり事を求め、選手に要求することが非常に多いタイプだ。

サンパオリはまさにチェスの戦術を作り上げるようにサッカーの戦術を作り上げる理論家、戦術マニアタイプの監督として有名。マルセロ・ビエルサを信奉し彼の記者会見でのインタビューを録音して聞き続けるほどのマニアだ。

そんな彼の理想とする戦術は非常に詳細かつ緻密、このため言葉が通じず詳細な部分を要求できない選手はそれだけで彼の理想にそぐわない。理想とする戦術の完成度にいわば美学のようなものを持っているサンパオリにとって言葉が理解できない選手は理想の完成度を下げる不必要な存在。どれだけ上手くてもその理想を変えてしまうようなタイプの選手は異分子なのだ。

 

そしてその戦術は今季のリーガ・エスパニョーラで革命を起こしつつある。

その戦術の正しさが証明されスペインサッカー界に革新を起こしつつある。

一時はプリメーラ2位につけ、そしてその1位に君臨するレアル・マドリードの無敗記録を止めて実質1位のチームを上回ったのだ。つまり世界ランキング1位のリーグで1位に匹敵する実力のチームにまでたった1シーズンで育て上げたのだ。更に言えばチリ代表はコパアメリカでアルゼンチンを粉砕し優勝した。この男の戦術は間違いなく結果を出している、理論的に間違っていないのだ。

 

彼のチームの映像を見ていると連動も高度にできて個の力、個人技も発揮できるというのはこのレベルでは当たり前だということを感じさせられる。

もしかしたらサンパオリの理想とするプレースピードについていける選手は日本人選手にはいないかもしれない。連動もハードワークも個人技も守備も全て出来て当たり前、これがサンパオリの求める基準だ。つまりチリ代表ビダルやサンチェスのような基準を要求してくるのだ。

酷な話だが清武はチリ代表のトップレベルの選手と比較されてしまったのだ。ブンデスリーガでそこそこ活躍して、乾がすでにスペインでスタメンで出られている、それならスペインのセビージャぐらいならもしかしたら通用するかと思ったらまさかチリ代表のレベルと比べられるという状況になった。日本代表がチリ代表やフランス代表の基準と比べられてしまったらどうしようもない。

それでも単に技術の面だけならばもしかしたらどうにかなっていたかもしれないし圧倒的にに劣っていたわけではない。

しかしやはり言葉であり戦術理解度であり、チームの完成度なのだ。

技術はあってもその技術の使い方がチームのやり方通りでなければ戦力として必要されなくなる。特にスペインサッカーは連携を非常に重視し速いスピードの中でその計算や工夫が求められる。スペインでは日本人が思っている以上に戦術を重視するのだ。

例えば育成年代において日本とスペインでは考え方が大きく異なる。

日本の育成段階では子供のころは自由にやらせる、大人になって戦術を教えるという考え方が主流だ。子供のころから戦術の枠にはめ込んでは自由な発想が育たないという考え方だ。

しかしスペインでは子供のころからしっかり戦術を教える。子供のころから戦術を上手く活用することをすでに教えていくような育成をしているのだ。一見すると創造性や自由な発想を育むことを阻害しているようにも見えるが実際のところスペインのトップレベルの選手はイニエスタ、セスク、ダビド・シルバ、イスコなど創造性に富んだ選手が非常に多い。戦術の中で生きる創造性を彼らは備えているのだ。戦術創造性は対極にある物ではない、むしろそれらは共存できるという発想だ。戦術が創造性をより強化し、創造性が戦術に進歩をもたらす、その2つは相反する関係ではないというのがスペイン流の考え方になる。上手いだけではだめで頭がよくなければならない、そして当然ながらハードワークや激しさが求められる。

つまり技巧派としての清武は、スペイン的なテクニシャン、あるいはサンパオリ的選手になることはできなかった。

仮に清武がスペイン語に堪能で外交的な性格だったら事情は異なっていたかもしれない。清武自身は頭が良い選手であり戦術に順応する高い能力がある選手だ。清武自身は紛れもなく素晴らしい選手であり才能にあふれたトップレベルの選手だ。ブンデスリーガや日本代表での実績がそれを証明している。もし言葉があればこのプレースピードやチーム戦術に徐々に適応できた可能性は十分にある。

しかし言葉なのだ。言葉、そして言葉。

サッカーというのは個人競技ではない、コミュニケーションが何よりも必要。ボールがあれば言葉はいらないという常套句はことスペインでは通じない。

上手さそのものは通用するかもしれないが、そのプレースピードに合わせて緻密な戦術を実行するとなると言葉が障壁。

スペインサッカーは上手い事やテクニックが重要視されるように見えて実はそれ以上に言葉やコミニケーションと戦術が理解されるということを広く日本に伝えたことは清武弘嗣の挑戦がもたらした大きな功績だったように思う。

日本人選手が今まで通用しなかった理由は「スペイン人選手や南米人選手はもっと上手い」の一言で片づけられまるで問題がテクニックだけであるかのように言われてきた。上手くなればスペインで通用するかのように、そして問題をそこだけに集約するかのような論法だった。言葉があくまで付属的なもので問題の一番の本質は技術であるかのように言われてきた。

しかし清武弘嗣のスペイン挑戦で明らかになった。

真の問題は言葉であり戦術理解度なのだと。

「日本人は戦術理解度が高い」という事はよく言われるがその日本人の頭の良さも言葉が通じなければそのアドバンテージはなくなってしまう。言葉が理解できなければその理解度の高さを発揮することができない。

 

更にスペインサッカーでは言葉が理解できないことに対する理解がない。

南米人選手などスペイン語圏から来る選手が多いため言葉が理解できない選手に慣れていないしスペイン語ぐらい当たり前にできるようになってきているだろうという考えなのだ。

「外国人が日本語をしゃべれるわけがない」という日本人の発想とは真逆。日本人からすると外国人が日本語をしゃべれることが不思議で日本語は日本人しかしゃべれないぐらいの認識であることが多い。日本語が喋れる外国人にも英語で話すのが日本人だ。

これと真逆なのがスペイン人。スペイン語というのは世界に広く普及している事実があるのでスペインに来る人は喋れるだろうという発想に近い。言葉ができない選手に向こうも慣れていない、そういう選手を受け入れるノウハウが乏しいのだ。

そうなるならばもはやこれから日本人でスペインに挑戦するならばその風習に従うしかない。「自分たちのやり方を受け入れろ」と外国に対して求めるのは間違っている。スペインがそうならばスペインのやり方に従うしかない。そういう体制を日本人側で整えてからこれからは挑戦する必要があるのかもしれない

サンパオリ

しかし清武弘嗣にも少し不運はあったのも事実だ。

いくらスペインサッカーが戦術を重要視する世界だとは言え、その中でもサンパオリが異常に戦術の完成度の拘るタイプの監督だった。

一部ではアルゼンチン人のホルヘ・サンパオリがアジア人に対して理解がない、アジア人に対して差別的であるという勝手な憶測が出ている。まるでサンパオリがアジア人に差別的なアルゼンチン人監督だから清武が外された、というような憶測だ。

しかしサンパオリはペルー二部リーグで指導していた時代に元柏レイソル澤昌克を起用している。その経歴を見る限り日本人だから外したというわけではないことがわかる。

一番の理由はやはりサンパオリが自分が思い描いた通りのチームの完成度を求めるタイプの監督であったこと、そしてそのスタイルに清武弘嗣がはまりきらなかったことになる。現代サッカーは個人のうまさに任せる時代ではない。それゆえにコミュニケーション能力や適応力は必須となる。

そしてサンパオリはそのことを他の監督より更に求めるタイプの監督だった。

もう少し規律や戦術に緩やかな監督で、なおかつもう少しポジション争いの落ち着いたクラブであれば清武は活躍できたかもしれない。

しかしその想定はJリーグに復帰した今ではもはや意味の無い過去のものだ。

これからセレッソ大阪にその経験を還元していくことになる。今は批判覚悟で戻ってきたその勇気を認め、清武弘嗣Jリーグでの華やかな活躍を期待し応援することが我々サッカーファンにできる事なのではないだろうか。

そして次の日本人選手のスペイン挑戦にこの経験をどれだけ活用できるか、そのことが今求められる。