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elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

貧困はなぜ心を蝕むのだろうか

クソみたいな人生だと思うよ、そして相変わらず人生が好転しない。

まるで社会に見捨てられた気分だ。この世の中に取り残されているように感じる。自分は必要とされていない、何の価値もない。そういう卑屈な考えが自分を支配していく。

それも全て金がないせいだ。元々貧困家庭に生まれた自分は貧困の遺伝子を受け継ぎ結局金に縁のない人生を過ごしている。

頑張ろうとすることがことごとく失敗し、結局自分はそういう人生しかないのだろうなと諦めている。

 

貧困は心をむしばむ。

貧乏になればどんどん考えが卑屈になる。

子供のころから金金金と言われ、子供ながらに金を気にして両親に気を使う生活を送ってきた。その結果自分は大事なところでも金に気を使いそれで大きな失敗をした。人生の選択を誤った。そしてその後も金には失敗し、相変わらずクソみたいな人生を送っている。

人生の失敗を今も親からネチネチ言われる。お前らがそういう風に気を使わせた結果、俺が気を使ったんだろとも思うが結果的にそれがネチネチ批判される要因を作ってしまった。だったら子供に金のことで気を使わせるような家庭にするなよ、とどれほど思ったことだろうか。両親が憎い、貧困が憎い。貧乏家庭に生まれた時点で負け確定。

両親に感謝できないことがどれほど心を駄目にするか。本来ならば感謝する存在に素直に感謝できない、それがどれだけひねくれ者を育てることになるか。

自分はひねくれ者だ、ひねくれていて社会も親も憎んでいる。全てが憎い。いろんなものが気に食わないし斜に構えて物事をみる。

人の幸せも憎い、人の不幸がうれしい。それが俺の醜い根性だ。

そう育てたのも全部貧困が悪い。貧困が憎い。

貧困が今の俺を育てた、そしてそこから抜け出せないことが今の自分を形成している。

金がないとすべてが歪む。

底辺も底辺。地獄も地獄。

貧乏に生まれたのが負け。最初から格差がある。

文句ばかりだと言われるかもしれないが、ろくに成功体験を積めずに生きればもう這い上がることなどできない。

貧乏家庭、夫婦仲も悪い、教育も悪い、そうやって生まれ育ったのがひねくれ者の権化であるような自分。

貧困は人の人格を歪める、まっとうな奴に育てない。自分自身今も貧困で苦しんでいる。結局誰も助けてくれない。現実逃避のために酒におぼれる日々。

一度レールを踏み外せばこの社会は終わり。底辺を這いつくばって生きていくことだけが強いられる。その状況を打開する能力も才能も気力もない。

やる気がない、努力が足りない、根性がない。そういう批判ばかり浴びる。

皆俺を批判しかしない。

これでもがんばってきたつもりだ、だけどその努力が俺に決定的な失敗をもたらした。何とか這い上がろうとしたことで逆に大失敗し更に落ちぶれた。頑張らなければよかったと思う程だ。もう地獄の底も底。最底辺、生きる価値がない。

楽にこの世から消えることができればとどれほど思ったことだろうか、俺なんて価値がない、誰にも必要とされない。そんな卑屈な考えが自分を支配する。

そんな中で唯一心のよりどころにしていた人にも見捨てられた。仲が良いと思っていたが結局その程度でしかなかった。結局俺は見捨てられる。金にも人にも恵まれない。やることなすこと上手く行かない。失敗にだけは愛される。人にも金にも恵まれない。

必要とされていないし、生きている価値もない。

貧困は心を蝕む。

前向きな考えを一切に奪ってしまう。

欲しい物が買えないどころか必要な物すら変えない。そんな状況では誰かを恨むしかない。出自を恨み憎み、過去の失敗を後悔する。そして今の状況や社会を憎む。滅んでほしいとすら願う程だ。俺が幸せになれない世の中なんてクソだろ、そんな自分勝手な考えすら思い浮かぶ。

だけど人の幸せを祈ったり、世の中の平和を願えるというのはそれだけで裕福で恵まれている。余裕のない人間というのは人の幸せなど願えない。少なくとも自分はそこまで人間できていない。自分が不幸な時は人にも不幸になってほしい、最悪な人間だという自覚はあるがそれしか思うことができない。

貧困のどん底に陥れられた自分は最悪な卑屈なひねくれ者になってしまった。上手く行ってる時は誰もが善人になり人の幸福を願える聖人になれる。だけど本当にダメになったときも聖人でいられるかどうか。今聖人でこういった考えをひねくれ者だと思っている人間も自分がいざ最悪の状況に陥ったときに同じように思えるか。

少なくとも自分は自分が不幸で貧困のどん底に落ちぶれたとき優しい人間にはなれなかった。心を貧困という魔物に蝕まれてしまったのだ。貧乏は恐ろしい、人格さえも崩壊させる最悪の魔物だ。