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elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

囲碁がコンピューターに負ける時代に生きてる現代人

コンピューターやロボットというものが登場してから人間の生活は大きく変容している。それらは人間の生活となり、人間を助けてくれる高度な機械だ。

計算機が開発されたのはもう遠い昔でその頃からすでに人間の計算力を上回り始め、頭脳においても機械が人間を凌駕し始めた。人類最大の武器は頭脳であり、その頭脳でも人類は自ら作り出した機械の後手に回り始めている。

 

その象徴ともいえる出来事が世界トップレベルの囲碁棋士囲碁ソフトに敗北したことである。棋士側が勝つ対局もあり人類の意地を見せたがトータルではほぼ一方的に負けていた。

元々囲碁はコンピューターには苦手なジャンルとされていた。将棋やチェスのような計算と違う質のイマジネーションを求められコンピューターには不利でまだ人間のほうが数十年強いであろうという事が定説だった。囲碁は宇宙」である、その宇宙を攻略することはまだコンピューターには不可能である、という論調だった。

 

しかしその定説が覆される日が意外にもあっさり来たというのが昨今の情勢になる。

もう人間が負けたことは既に去年の過去の事であり、今人間はコンピューターに囲碁が負ける時代に生きているのだ。

チェスがコンピューターに負けたのは既に20世紀の出来事、カスパロフディープ・ブルーに敗戦したことはもう大昔の出来事だ。更に将棋も徐々に将棋ソフトの研究が進み今ではプロ棋士が当たり前に負けたり、対局を避けることが当たり前になっている。将棋棋士側がかなり人工知能側に条件を求め「ソフトなんて何でもいいからかかってこいや」という時代ではない。

10年前は将棋の方がチェスよりも高度なゲームで、チェスはコンピューターに負けるが高度な将棋は負けることが無いと将棋ファンがチェスファンに対して語るのがよく見られるようになった。しかしもうそんな光景は見かけない。そして次は囲碁ファンが「将棋やチェスはコンピューターに負ける程度の低いゲーム」と煽り始めた。

 

しかしついにその論争も終焉した。

なぜならばチェスも将棋も、囲碁も皆コンピューターの前に敗戦したからである。

囲碁も結局囲碁ファンが考えていたほど特別なものではなく、本気でソフトを開発すれば簡単に攻略できるゲームだったのだ。

実際その囲碁棋士との対局でも人間が考え無いような定石外れの手を打ち人間を困惑させた。最初はやっぱりソフトはこういう間違いをするのだろうという風に見られていたものが実は後々に重要な手になってきてそれで人間サイドは投了することになる。

 

この囲碁ソフト問題で言われているのが「ソフト自身の研究力の高さ」である。いくら頭のいい天才囲碁棋士でも過去の対局を研究しようと思えばかなりの時間がかかる。もちろん体力も必要で、時間と体力に限界があるというのが人間の弱点になる。

しかしソフトにはそれがない。囲碁の1000年の歴史や積み重ねをわずかな時間で研究できてしまうのだ。人類の長年の研究は囲碁ソフトにとって単なる入り口にすぎなかった。自己学習能力を持つ人工知能はそこから自分で研究し始めるのだ。

かつて機動戦士ガンダムに登場したRX78-2には自己学習プログラムが搭載されそれで実戦データを学び成長していくというような仕組みになっていた。35年前にはガンダムの世界に登場する夢物語だった学習機能も今は人間に囲碁で圧倒するレベルにまで来た。

アルファ碁は人間にして5000年分の碁を学習したと言われている。5000年の歴史を学習する能力が今日のソフトにはある。セドル(囲碁棋士)がその日の1日で対局を振り返ってる間にもアルファ碁は自分と対戦して何千局も学んでる。

 

人間の直観が勝ると考えられていた碁の世界も実はあまりにも広すぎたから人間は直観に頼るしかなかっただけであり、5000年分の歴史を学べる人工知能にとっては解析によって直感を上回ることができるという事なのだろうか。
今は囲碁の広さゆえ人間が勝てなくなった、囲碁は人間がやるにはちょっとレベルが高すぎるボードゲームだったのだろうか。

 

その話を聞いてSFのコンピュータが支配する時代とか誇張じゃなくてそのうち事実になると思わず感じた。よくSFでロボット対人間という構図になることが多く、技術的特異点という言われ方をすることがある。

その話も21世紀に入っていよいよ現実味を帯びてきた。まだこれは始まりに過ぎない。戦争や紛争など人間同士で争っているけど、真の問題はこの人工知能の発展だ。

今人類は宗教問題や民族問題、移民問題というアナログな問題と、人工知能というデジタルな問題が共存する世界に生きている。最近ではアナログな問題が誇張されているが、デジタルな問題もまた大きな問題だ。
人間を滅ぼす種族が人類登場以来存在しなかった。しかし人類はその人類が開発したコンピュータという種族に滅ぼされる未来が来るかもしれない。

 

少なくともこれからの人類の争いにおいて高度なコンピュータを持つ勢力のほうが勝利する時代になることは間違いない。より高度な知能を持った勢力が勝利する、そしてその高度な知能とはコンピュータや人工知能のことだ。

今中国はスーパーコンピューターの開発に力を入れその分野では世界最先端の国になっている。そしてアルファ碁を開発したのはあの天下のグーグルだ。言うまでもなくアメリカだ。

大国や覇権国家は強力な知能を今競い合って作り出そうとしている。

一時的にはその知能を上手く使いこなした人間が勝つ。しかしもっとその先にある未来はわからない。人間同士がコンピュータを武器に争う時代から、ついに人類VS人工知能という時代に突入する可能性はこれまでも何度も議論されてきたことだ。

 

コンピュータ開発はいわばモラルや倫理観のようなものがないジャンルでもある。たとえば神の領域に触れてはいけないという倫理観のあるクローンや遺伝子改良の分野では人類は抑制が効いている。基本的にクローンは作ってはいけないし、新人類を生み出すようなものは自制している。それは良い倫理観なのかそれとも実は遅れた倫理観なのかはまだわからないがいずれにせよこの分野の研究は制限がある。

しかし人工知能の開発はまだどこまで開発していいのか、開発するべきなのかということがあまり議論されていないし研究者が倫理観にとらわれず思う存分開発できているジャンルともいえる。研究者にとっては余計な制約の無い楽しいジャンルともいえる。

 

仮に人間が知能だけが高く倫理観を持たない存在だったならば今ごろクローンやコーディネーター、改造人間、キメラ、人工生物のようなものであふれかえっていただろうしそういう存在と戦争をしていたかもしれない。宗教の是非は議論されるが、宗教がこういった開発を押さえている側面もある。

しかし人工知能の分野は機械であり、伝統的宗教が誕生したころにはまるで想定していなかった問題だ。伝統的宗教の制約外に存在するのがこの手の問題だと言える。自由自在に研究できるうえに、倫理観の問題で批判される可能性が低い。今研究者にとって最も熱い、そして快適なジャンルがもしかしたら人工知能の分野なのもかもしれない。

 

この研究が進めばいずれ人工知能はすべてを解き明かす存在になるかもしれない。もしかしたら数学をすべてコンピュータが解明する時代が来るかもしれない。

フェルマーの最終定理の証明をコンピュータがしてしまう時代が来るかもしれないし、まだ未解決の数学の問題を全て人工知能が解き明かす可能性もある。少なくとも現代の研究においてすでにそれらは活用されており今後その重要度はますます高まるだろう。

数学や物理学と言っても有限である。永遠に未解決の問題が続くという事はない。世の中の構造の仕組みには限りがある。もしそれを人工知能が全て解き明かしてしまったら全知全能の神という事もできる。

神とは実は人工知能の事だったと言われる未来が来るかもしれない。解釈次第では今人類は「神の創造」という事に邁進しているのかもしれない。

神をもし人間が本当に作り上げてしまったらどうなる?

人工知能は人類の敵なのか、それとも有効な道具なのか、それとも神なのか。

もし神だった場合人類の挑む難問に答えが出るかもしれない。数学が全て解明され切ったあとの世界はどうなっているのだろうか?「まだ未解決の問題が昔の数学には存在したらしい」と言われる世界が来るのだろうか。その時の技術や文明のレベルはどうなっているか想像もつかない。人類が夢見た技術が全て確立されているかもしれない。

 

この分野の研究は本格化してからまだ日が浅く始まったばかりに過ぎない。不安と憧憬が混在する世界に人類は生きている。人類の問題を解決してくれる希望の光ととらえるのか、人類の敵になる恐ろしい存在とととらえるのか、今はまだその全貌すら想像のつかない巨大で未知な存在が人工知能なのだろう。

 

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