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elken’s blog

ジャニーズ、サッカー、軍事、創作などあらゆることを評論するブログ

貧困はひねくれ者を育てる、貧乏育ちにろくな奴はいない

人生と日常 主張や雑談 ゲーム 考察

結局人生は運ゲーとよくいわれているが、それに関しては事実だ。貧困層に生まれれば人生なんてそんなもんよ。どの家庭に生まれるかも才能、結局人生は才能。いい家庭に生まれることも才能。

いい家庭に生まれることに失敗すればひたすら貧乏が憎くなる、ひたすら家族を憎んで感謝する心を失う。社会もいろんなものが気に食わなく見えてしまう。

 

貧困はひねくれ者を育てる。

稀代のひねくれ者である自分はまさに貧困と共に育った。

子供のころから金が金が金がと言われて育てばそうなる。子供が金を気にしなければならない家庭環境程嫌ななものはない。まさに自分が育ったのはそういう家庭だ。

 

その結果自分はひねくれ者に育った。そして貧困に生まれたならばその子供がまた貧困層になる確率は非常に高い。一部の貧困からの成り上がり事例だけをとって「貧困から成り上がるのが本物だ」「昔は皆貧乏から成り上がった」という意見もあるがそれは一部であったり極端な事例に過ぎない。

皆が貧困な時は自分が貧困だという意識も低いし、そういう者なんだなと思える。しかし今の時代において自分だけ貧乏、自分は貧乏家庭のほうに属するという意識は子供にとってトラウマになる。

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その結果とにかく物事を斜に構えて見る奴が育つ、そうまさに自分のように。

やはり両親に素直に感謝できないという事は人格に与える影響として大きい。本来感謝するべき存在に感謝できない。また社会に対しても素直な目で見れない。とにかく自分より恵まれている奴が憎くて仕方がない。そういう憎悪と共に育つ、そんな奴がまともになれるだろうか?

人の幸せを素直に賞賛できないし、人の失敗がうれしい。

頑張れば報われるという環境ではないために、成功するより人が自分たちの側に落ちてくることがうれしい。

皆綺麗事を言うけど実際こういう人は多い。

嫌われるから言わないだけで皆そういう嫉妬に染まっている。仮にそういう性格が悪い物だとしても、そう育ったのは自分のせいじゃない。

それにそういう奴ほど大金が手に入ればその日から善人になる。仮に今の自分に1000万、いや100万でも入ればにこやかに善人になるだろう。このブログの広告商品がバンバン売れ始めれば素晴らしい善人になり世の中に貢献しようという人になるだろう。自分が幸せならボランティアでもする余裕がある。

しかし貧困に苛まれて明日がどうなるかもわからず、将来が不透明な時に人の幸せなど喜べないし、慈善活動などできたものではない。

幸せは分け与えるものだ。

しかし分け与えるほどの幸せもないとき、分け与えることなどできない。結局幸せをふりまける奴はそれだけ恵まれてるというだけだ。

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金がないから捻くれるし、かといって皆生粋のひねくれ者ではない。金があって精神的に余裕が持てればその日から善人になるし、人のために活動しようと思える人になるかもしれない。

結局金金金。

子供のころから貧乏家庭育ちだととにかく金を意識して育たないといけない。子供心に金の話は嫌だ。そんな貧乏性に育ってしまう。そして捻くれて社会を恨む。

でも悪いのは自分じゃない。

そう開き直ってやらなきゃやってられない。

それを開き直りだとか努力不足だと批判できる奴は結局恵まれた環境に育ってる。あるいは環境自体は恵まれてなくても才能はあったような人間だ。

自分のようなひねくれ者は家庭環境も円満ではなくケチな貧乏家庭、そしてろくな才能も引き継げない。

敗者の遺伝子、敗者のメンタリティを引き継ぐ。

そんな奴がこの現代でどう育てばいい?

評価されない奴や認められない奴の遺伝子が自分にはある。努力して報われることを学べない、成功体験を得られない。まともな家庭環境じゃない。自分はなるべくしてこうなった。

 

貧困はひねくれ者を作る。

家庭の貧困は子供にトラウマを与える。

そして貧困は引き継がれる。

東大の合格者のデータをみても結局上級国民の割合が多い。

この世の中は上級国民に生まれるかという事を競うゲームだ。

低級国民、底辺に生まれれば基本的に底辺という階級社会。

一度レールから外れれば終わり、貧困のスパイラルに飲み込まれればもう抜け出せない。

そしてそこを何とか抜け出そうと懸命に努力してもそこで失敗すれば、もう二度と可能性は巡ってこない。一度失敗すれば人生は無理ゲー。はいはい終わり終わり。