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elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

五飛教えてくれ、俺は後何体オリジナルガンダムを描けばいい?

オリジナルガンダムというものを描いてからもう何年たっただろう。これまで何十機ものオリジナルモビルスーツを描いてきた。ガンダムや量産機、そしてそれらが装備する武装など様々に描いてきた。

この道はまだまだ見えず失敗から何一つ学べず、とラップで歌っていた人がいたがまさしく自分は何一つ過去から学べていない。ただひたすら駄作を描き続けて積み重ねる。まるで自分の作品に納得せず紙をぐしゃぐしゃにするような画家や詩人のように自分は自信の創作に満足もせず自分の積み重ねた有象無象のオリジナルガンダムやオリジナルロボットを時々振り返る。

 

教えてくれ五飛、俺は後何体オリガンを描けばいい。あと何回絵を描けば自分に満足が行く。いや一体どれだけ過ちを繰り返せば自分のメカデザイナーとしての才能の無さに気づき、諦めがつく・・・

あの日から俺はずっと人生に迷い過ちを繰り返し続けてきた。無為にその日を凄し、根拠のない明日を信じただひたすらに何かから逃げてきたのかもしれない。もう二度と戻れない日々を懐かしみ、そして現在に絶望する。

戦略機動伝ガンダムKindというオリジナルガンダムを公表してからそれなりに時が過ぎた。何か世界が変えられるだろうと信じたあの日の自分はもういない。

オリジナルガンダムというジャンルで何か自分の創作を世界に広められるのではないかと思い描いたあの日の夢は遠くに消え失せたのか。星を眺めるときあの日々の夢を想起する。

オリジナルガンダム

一体なんだったのか、一体自分は何を追い求めていたのか・・・と。

厨二病だったんだろうなと今では思う。

分けもわからずひたすら創作に夢を見ていた。何かを変えられるのではないかという青い思いを描いていたのか。

ガンダムではないガンダムを目指して、一人のガンダムファンとして自分にとって理想のガンダムを描こうとした。

 

今になって自分でも過去の投稿が恥ずかしく思えるときがある。一体なぜ自分はこんなことをしていたのかと。しかしその恥ずかしさを乗り越えなければいけない。昔の行いが恥ずかしいと感じられるようになったとき人は成長したと言える。その時は未熟だったから恥を感じなかった。

今自分はこれまで描いてきた絵や投稿してきたイラストの9割以上が恥ずかしく見える。今にも削除したい思いに駆られるし、なぜこんなものを描いていたのかと思う。しかしそれらがなければ今恥ずかしいと思う心はなかった。

今全ての絵を恥ずかしいからと削除したり修正したところで、数年後にはその修正した絵すら恥ずかしくなり結局全てに満足が行くまでにきりがない。

その上実際のところ案外自分が恥ずかしいと思っているほど、誰も昔の絵を見ていないのだ。それほど興味がないし、恥ずかしい絵だからと言って書いた本人程恥ずかしくはならない。一番恥ずかしいのは書いた本人だが、見ている人間はそこまで気にしていない。

それに自分だって「今頃この人は自分の絵が恥ずかしいと思っているだろうな」という黒歴史厨二病イラストの方が好きだ。誰かがいつか恥ずかしいと思うであろう絵は、人から見れば青春の一コマなのかもしれない。

 

今まで何度も昔の自分の絵が恥ずかしいと思ってきた。

絵を描く人間ならばこの感情から逃れることはできない。結局トップレベルの人間にならない限り自分では昔の絵が恥ずかしく見えてしまうのだ。2,3年前の絵ですら恥ずかしくてたまらない。だがそんなことをいったらさらにもっと前の絵はどれほど恥ずかしいだろうか?

その時はそれが最高だと思って描いたのである。それをむしろ大切にするのがせめて過去への礼儀だろう。

昔の未熟だった時の絵は今見れば恥ずかしいと同時に懐かしい。その懐かしさをむしろ大事にしなければならない。

 

もしかつてのガンダムKindという創作を再開できる日が来るとすれば自分はどのような作品に仕上げるだろうか。リアルタイムでこのオリジナルガンダムを創作していた時はもはや2年前になるだろうか。それほど時が過ぎたことに時間の流れの速さを感じずにはいられない。

しかしガンダムKindや創作へかける思いは今も胸にある。むしろあの時より人間的に成長して更なる別の物語を描けるようになった。

今期間創作行為自体はほとんどしていなかったが人生哲学や人生観の面では多くの経験がありむしろ小説や作品内部への作りこみという面ではより深みのあるものを書けるのではないかと自分でも思う。決して創作から離れていたこの時間は無駄ではない。怪我をして実戦から離れていてでも成長できるアスリートは存在する。

www.pixiv.net

そもそもガンダムKindの主人公城ヶ崎建嶺が、作中では長らく実戦から遠ざかっていたところから始まる。

人は行き詰まり、何かから逃避し自分の殻に閉じこもることがある。

自分自身がまさにそのような状況にあり意味も分からず現実から逃避していた。まだ人生の先行きは見えない。そんな状況に苦しみ、自分は創作から遠ざかっていた。結局のところ創作に集中できる幸せな時間はほんの一時だったのだ。

だけどそうやって無駄な時間を過ごすことは決して無駄じゃない。無駄は無駄じゃない。無駄にも意味がある。

無駄な日々の間にもさまざまに考える事や悩むことがあった。そのことは必ず創作に反映される。人生に打ちひしがれ悩んだ人間ほど深みのある創作を描ける、そう信じなければやっていけないだろう。どうにか自分の人生を再開して創作資金を集めもう一度創作を再開したい。必ずガンダムKindは最後まで作り上げる。自分には最終回の明確な構想がある。

 

その再会を待ち望んでいる人などこの世界にはいないかもしれない。

だけど自分が決めたこととして、完成させたいしこの描写や設定を未だ描けていないというビジョンがある。そしてKindの世界に加えたい構想はこの期間にむしろさまざまに増えた。いつかそのすべてを出し切った完全なるオリジナルガンダムを完成させたい。

そのためにはなんとか資金をためて安定して創作に集中できる環境を整えなければならない。その準備段階のために今のこのブログ運営がある。なんとかこのブログで広告収益を確保することが今現実的にクリアしなければならない問題だ。

たとえばこういう下部の広告を買ってもらうだけでも資金的に大きな助けになる。クリック経由で買ってもらえれば創作資金の大きな支援になる。今自分は情けないことにこういった乞食のような行為しかできない。何とも恥ずかしく哀れで惨めだろう。

しかし地道にこういったところから始めなければならない。そしていつか必ず自分が夢に思い描いていた、いやそれ以上のオリジナルガンダム、そしてさまざまな個人創作を完成させたい。そうやっていつか必ず創作の世界にカムバックを果たしたい。