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elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

「本を読めば深い人間になれる」←必ずしもそうとは言えないよな

自分は本を読むことは嫌いではない。元々文学部志望だったということもあるし本をものすごく読んでた時期はある。ラノベとかではなくちゃんと新書や純文学を読んでいた時期もあり、まとまった時間が取れるならばしっかりと本を読みたいとも思っている。

本を読むことの効果は否定しないし、間違いなく文章や本には素晴らしい考えが詰まっている。

 

ただ本を読めば人生が変わるぐらいのノリで本を薦める人には疑念を覚える。

本が素晴らしいことは間違いないが本は決して万能の人生の薬ではない。

本は神格化するものではないし無理して読むものでもない。絶対に読まないといけない物ではないし、本を読めばすぐさま人間として成長して人生の解決策が見つかると言うほど単純なものではない。

 

一昔前の自分は「世の中いい本が溢れすぎていて、人生読み切れない、人生は少なすぎる」ぐらいに思っていたけども、最近はほとんど本を読んでいない。この1年で本を買った記憶がないほどだ。世の中には本があふれており1回の人生では読み切れないのが悲しいと思っていた人間がなぜ急に本を読まなくなったのか。

その一番の理由は「インプット」より「アウトプット」のほうがより自分の実になることに気付いたからだ。

 

世の中速読や熟読、とにかく本を大量に数多くそして深く読むスキルというのは多く普及している。自分もかつてはそのスキルを習得しこの世界の重要な書物を読破したいと考えていた。しかし本当に自分の実になることをしたいと思えばインプットではなくアウトプットの割合を増やした方が良いのではないかという考えに最近はなってきている。

そのアウトプットとはたとえばこのブログのように実際に自分が書くことであったり、小説を投稿したり発売したりという創作の作業でもあったりする。

 

実は本を読むというような受け身のインプット作業というのはそれほど身につかない。

実際本を読んだところでその内容をすべて覚えていないどころかほとんど覚えていない経験が多い。本当に読んでよかったなと思ったり内容をよく覚えている本は数冊に一冊ほどしかない。これは自分が記憶力が悪いからかもしれないけども一冊まるごと読んだところでそれほど定着するものがないし一時的に定着したとしても数か月後にはほとんど覚えていないことが多い。

覚えているのはよほど印象に残った1割ほどであり9割は完全に覚えていない。覚えていたとしても一部のシーンだけであったりする。

特に自分のような記憶力に乏しい人間にとってはこの傾向は顕著であり、インプット作業というのは結局受動的な作業であり言う程覚えていないというのが現実だ。

 

逆に小説を書くにしてもブログを書くにしてもこういったアウトプット作業というのは自分が主体になることが多く、そのために覚えていることが多い。本を読んでも読んでも何も定着しないなと思う人は一度思い切ってアウトプット作業に注力した方が良いかもしれないしインプット作業の割合を減らしてみることも一つの解決策かもしれない。

能動的作業受動的作業ならば人というのは当事者としての能動的作業の方が印象に残るようになっている。

 

特にブログは備忘録としての役目も果たしたり、自分の中で思考をまとめるという役割も果たす。自分が書いた事というのはただ受動的に読むことよりよほど覚えているし、書いている途中に新しい発想が浮かんでくることもある。自分にとっても生産的な行為がブログであり、過去に描いた記事に更に現在の発想をを加えるという事もできるし1年前に書いた記事が無性に懐かしくなったりもする。

 

また自分は今ではあまり書いていないが小説、SSのようなものを書いていた時期があり、そこで書いたシーンが突然懐かしく感じたりすることもある。架空世界であり実際に行ったことがあるわけではないが自分が主体になって書いた創作上の文章というのはただ本を読むよりも後によほど懐古感情を催す。

小説も評論も自分で書いてアウトプットしたほうが残るし、当初は稚拙な物であっても徐々にそれが洗練されていく。実際に自分が主体になって行動するというのは計り知れない効果がある。スポーツの試合を見るだけよりも、実際にプレーすることの方が上達したり学べる経験が多いのと同じで、文章も見るだけよりも書くことのほうが何倍も成長につながる。

 

1000冊本を読んでもそれでいい文章が書けるとは限らないし何か深い考えが身につくとも限らない。読めば読むほど自分のためになり実力が上がっていくという考えはよほど記憶力が良かったり読み方が上手い人に限られる。普通の人はインプット作業よりもアウトプット作業の方が定着しやすく、そこにレベルはそれほど関係ない。

世界トップレベルのスポーツ選手の映像を見るよりも自分でプレーした方が上手くなるのと同じ理屈で、高度な書籍を読むよりも稚拙であっても自分で書く方が定着する。本を読めば読むほど高度な人間になれるというのは幻想に近い物がある。

 

実際芥川賞を受賞したピース又吉も「自分はこれだけ本を読んできたから本を書くことは簡単にできると思っていたら全然違って最初の1行すらかけなかった」と言っており、読むことと書くことは別物だと語っている。

その考えに自分はまさしく賛成であり、文学の道を志すならなおさら読むことよりも書くことを大事にした方が良いように思う、

とにかく実践の機会が大事でありまるで本を読んでいなくても、とにかく書いていれば考え方は深みを増していく。

たとえばテレビやインターネットの何気ない話題から広げて自分の考えをふかして記事にするという作業はもしかしたら本を読むことよりも思考という意味では幅広い物が必要になるしこれまで自分が考えてきたことや人生経験などを掘り起こすことが必要になってくる。

 

本を読むことを否定するわけでもないし、ピース又吉も読書家である。しかしアウトプットの機会がなければいくらインプットをしてもそれほど身につかないし、インプットだけでは結局定着しないというのが多くの人に共通することでもある。世界最高の文豪や哲学者の良質な文章よりも、駄文であっても自分で書くことの方が実はしっかり定着したり成長に繋がったり、懐かしい思い出になったりもする。

ノーベル文学賞を受賞した作品やベストセラーになった小説よりも自分の妄想で好きに書いた小説の方が愛着があるし、大学受験に引用される評論よりも自分の考えをまとめたブログ記事の方が後にしっかり覚えていたりもする。

本を読むことは間違いなく素晴らしい事だが同じくらい自分で書くことも素晴らしい。本を一冊読み切るよりも、自分で一冊書ききることやブログ記事を100記事更新することのほうが実は多くのエネルギーを使い、自分の成長にもなるし、読んだことよりも書いたことの方がしっかりと覚えている。

 

そのアウトプットの面白さに気づいてから自分はあまり本を読まなくなった。一昔前の自分があれほど本を読まないと駄目だと考えていたのに、今の自分は読まない事をそれほどマイナスには考えていない。「この世の中には読んでない本がいっぱいある、早く読まないといけない」というような考え方もなくなった。むしろ最近ではアウトプットに集中しており「書きたいと思ってるのにかけていないことの方が多い」という考えになってきている。もはや読んでない本があることはどうでもいいが、逆に書いていない内容のことがあることは大問題という考えになってきている。

スポーツ選手でも実際にそのスポーツの試合見ていない選手というのは多い。ファンのほうが現役選手よりよほどその世界を知っていたり試合をチェックしている人が多い。それと同じように自分が書いているならばあまり読まなくてもいいのではないかと最近考えており自分はそれほど本を読んでいない。それゆえに最近あまり本を読んでいない事が自分の中では物足りない物ではなくなってきている。

 

ただこのようなケースは極端な例であり、ほどよくアウトプットとインプットを組み合わせることが理想であるように思う。どちらかに偏っていても結局は身につかない。アウトプットとインプットは連関したものであり、双方が刺激し合って更なる新しい考え方を見つけるヒントにしていくもなのではないだろうか。

 

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