elken’s blog

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今のACミランの場末感はイタリア経済の象徴か?

ACミラン、そのチームはかつて火星のチームよりも強いと語られた伝説的な名門である。欧州における実績や「名門としての格」ならばレアル・マドリードと双璧をなすクラブだと主張する者もいる。イタリアといえばACミラン、そうベルルスコーニは語った。

 

その一方でここ数年のACミランは確実に停滞しており場末感漂うクラブとなっている。もはやまともなサポーターからは見放されウルトラスという過激な集団しかスタジアムに駆けつけず粗暴なサポーターがホームでさえもブーイングを浴びせる。

先日もサイドバックを務めるデ・シリオが家族と車で移動しているところをサポーターから襲撃されたと報道されており、ここ最近ACミランに蔓延する殺伐とした雰囲気の象徴ともいえる出来事だ。

 

またこのクラブは日本人としても他人事ではなく本田圭佑が在籍しているクラブでもある。そのためミラノ方面の情報は日本にも伝わってきやすく、本田の話を聞く限り良くも悪くも現在のイタリアを反映しているようである。組織自体が旧体質でありサポーターが文句を言うだけで支えようとしないクラブの現状は、外見は先進国だが実質は経済停滞に見舞われているイタリアのリアルを反映している。

段階的に改革していくことができず、即効性ばかり求め結局結果につながらないシーズンが続いておりこの数シーズンで変わった監督の数は数えることに気が遠くなるほどだ。本田圭佑もまさかスクデットはおろか、チャンピオンズリーグ圏内も一度も入ることができずそれどころかヨーロッパリーグにすらいけずに退団するとは思ってもみなかっただろう。

 

しかし自分はそんな今のACミランが決して嫌いではない。むしろこの場末感こそACミランの魅力ではないだろうか。暗黒期特有の場末感、殺伐とした雰囲気、みすぼらしいスタジアムの寂れた雰囲気、サッカーでしか憂さを晴らすことのできない過激なサポーターだけが居座っている状況、全盛期を懐古するしか楽しみがないこの末期感がたまらなく魅力的である。

本来サッカーとはそういう粗暴さや貧困と結びついたスポーツでもある。華やかなだけがサッカーではなくそういう現実もまたこのスポーツの一面だ。なかなか改革が進まない停滞感と「また今シーズンも駄目か」という諦めにも似た感情、そして自主的な改革により成功しているユベントスASローマを見つめる羨望のまなざしに魅力を感じずにはいられない。そういう現地サポーターの話を聞くのが面白かったり、クラブへの文句を語る殺伐とした雰囲気にリアルなサッカーの一面を感じる。

こういった「衰退」諸行無常の魅力は何もサッカーに限ったことではない。全盛期を過ぎ人気に陰りが見えるコンテンツに残ったファンがネットの掲示板などで現状を嘆きつつも衰退を受け入れる話をしている雰囲気は魅力がある。衰退期特有のもの寂しげな雰囲気にどこか落ち着きを覚える。たとえばソーシャルゲームやオンラインゲームの一生というもので、人気に陰りが見え露骨にユーザーが減少してきたとき非現実的にポジティブになりだす現実逃避的な意見もこういう時期に散見される。

 

例えば今のACミランで言えば中国資本に買収されたことでACミランがこれから大型補強を進めパリ・サンジェルマンマンチェスター・シティのようにリーグを席巻し欧州の舞台に華やかに参戦することを想像するものもいる。まさに今の自分がそうであり、やはりミラノ勢が頑張らなければセリエAは盛り上がらないとも考えている。

しかし現実的に言えばユベントスのように自前でスタジアムを建設し地に足の着いたサッカービジネスをやっていかなければならず、うわべだけの資金でACミランが右肩上がりに復活していくことは希望的観測に過ぎない。実際には10年単位の長期的な改革に取り掛からなければならない。本田圭佑ミラニスタには忍耐が必要と語った。欧州での地位と栄光の復権のためにミラニスタACミランが10年後のために種をまき育てる作業を我慢強く行えるかに「名門復活」はかかっているだろう。

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