elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

渡辺麻友ってマジでAKB48卒業しちゃったんだな・・・

AKB48を卒業した渡辺麻友の初の公の大舞台は、大阪府の阪急うめだに開店したジョルジオ・アルマーニのオープニングセレモニーとなった。

本人いわく卒業後1か月も表舞台に出ていなく緊張したということらしいが、むしろ渡辺の場合、思う存分に引きこもり生活を満喫できたので久しぶりに我に返ったという感覚なのではないだろうか。

 

それにしてもインタビューを聞いていると渡辺麻友の喋り方は相変わらず面白い。

オタクが頑張って話してる感があって好感が持てるというか、あれだけ芸能生活をしておきながら未だに人前で話すときにぎこちない感じはあんま変わってないなと安心する。

AKB48というグループでスポットライトを浴びていたはずなのに、今ではすっかり場末の地下アイドルのようなオーラになっていて、むしろこれが渡辺麻友の本当の姿だったのかなとも感じる。

彼女の本質は埼玉出身の冴えないオタクであり、AKB48という華やかな舞台でそれこそまさに「アイドル」という偶像を担ってきた存在だ。

よくここまで上り詰めてきたと思うのと同時に、卒業後のマイペースな活動で今までのアイドルというベールに包まれていた時には出せなかった素の魅力にも期待したいとも思う。

 

渡辺麻友

こうやって卒業後の渡辺麻友を見た時、あれほど輝いていた「まゆゆ」はなんだったのかと思う事が無いわけではない。卒業してみれば案外普通の埼玉女子であって、冷静に見てみればかつて幻想を抱いていたほどのアイドルではないことにも気づく。

全盛期のAKB48補正があったからこそ、渡辺麻友はそれこそCGのように見えていた。今でも「シンクロときめき」や、「軟体恋愛クラゲっ娘」、「夕日のいじわる」のような名曲は懐かしく、そしてまるで架空の幻想の日々のように感じる。

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本当に渡辺麻友というアイドルがこのように存在していた期間があったのかと今になっては思う程、それは遠い過去の出来事のようであり、今と昔では全てが違う。

一体あの日々は本当に実在したのだろうかと詩的な言葉が湧きあがってくる。

だからこそあの日々、つまり渡辺麻友がアイドルであった日々はある意味で美化され、今もなお輝かしい幻想的な期間のように感じるのかもしれない。

こうしてAKB48卒業後に、1人の渡辺麻友としての活動をしている姿を見ると卒業したという現実の実感が今更ながら押し寄せてくる。

終わった時代これから始まる時代があるならば、どうしても人は過去に幻想を抱きがちだが、新しい未来への希望を失うってはいけない。

 

そんな渡辺麻友は彼女が常日頃から憧れだったミュージカル舞台に挑戦するらしく、「アメリ」という劇の主役を担当するようだ。

アイドル出身者というのは実は、一般的なドラマの女優よりも、こういった舞台や劇場型の演技の方が得意な可能性はある。自然な演技が求められるドラマよりも、舞台向けの演技のほうがアイドル出身者には適正があるのかもしれない。

これまで自分は渡辺麻友の女優志望は本人の希望に反して、適正はないと主張してきたが、舞台という彼女の美学に一致する場所があるのであればその未来について明るい兆しを見出すことは容易だ。

渡辺麻友本人自体がある時から熱烈な宝塚歌劇団のファンになったこともあり、いっそのことこういった本人が美学を追求できる世界に邁進していくことの方が理想的な未来が待っているのではないか。

 

今回のジョルジオアルマーニのセレモニーで着用したピンクの衣装は宝塚の花組カラーを意識しているらしく、渡辺の宝塚愛は本物だ。

渡辺麻友が宝塚の「箱押し」になったというのは自分がジャニーズの事務所担になった経緯と似てるかもしれない。自分と同性ゆえにその追求する美学の世界観がわかることも時として存在する、だからこそ夢に思い描く「きらびやかな世界」への憧憬は今もなお持ち続けているはずだ。

美意識や美学への独自のこだわりが強い渡辺麻友ならば、むしろ本人の感性に従うままに、自由に新しい世界観を創造しはじめるのは卒業後のこれからの時代でありであり日々なのかもしれない。