elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

中島健人の華麗なる生き様 その光と影

中島健人とはSexy Zoneに所属する、日本の学年制度で言えば93-94学年生まれのがっつりゆとり世代のジャニーズである。

元々、同じジャニーズであるHey! Say! JUMPの山田涼介に「なぜ同じ世代の人がこれだけキラキラしているのだろう」と憧れて事務所に入った経歴があり、それまでは遊戯王のブルーアイズホワイトドラゴンと海馬瀬人が好きな普通の少年だった。

 

また青春アミーゴや『野ブタ。をプロデュース』がリアルタイムで放映されていた時に、クラスメイトに山下智久演じる彰の「コンコン」という仕草を物真似されてジャニーズに興味を持っていったというのが彼の現在を作り上げるきっかけだ。

 

そんな中島健人は誕生日で言えば3月13日で、元々ジャニーズファンにはメンバーの誕生日を祝う文化があるがこれを「セクシー節」として今後盛り上げていけば中々楽しそうではあると考えると同時に、日本の文化で言えば「早生まれ」ということになる。

 

実は中島健人さんはゆとり世代の星であると同時に、早生まれという逆境にも立ち向かっていった過去を持っている。早生まれは年を取るのがちょっとだけ遅いメリット以外にはこれといった利点が無く、基本的に日本社会の中では不利になることが多い。

またクラスメイトと上手くいかなかった時期も中学時代には存在していたり、グループ自体がメンバーの分裂に合い相方の菊池風磨と対立したりと不遇な時代も経験している。

 

一見華麗に見えるセクシー王子の人生にも上手くいかない時期はあり、雑誌に思わず「いつまでもラブホリ王子を続けていい物だろうか」と心境を吐露していた時代さえある。

 

しかしそこで彼はめげずに自分のキャラクターと哲学を貫いた。

これは『林先生が驚く初耳学』という実質的にケンティー師匠がレギュラー出演者になっている番組でも林修が解説していたように、「同じことを続ければ道は開ける」という実例であり代名詞であるセクシーをやり続けた。

 

常識的に考えてジャニー社長の突拍子もないひらめきで作られたセクシーゾーンというグループ、普通ならどう考えても恥ずかしい!

散々ネタにされ時としてファンからも「グループ名が足を引っ張っているのではないか」と言われていた時期さえあった。

しかし中島健人師匠の発想は違う、「なぜ笑うんだい?セクシーという言葉はカッコイイじゃないか!」と自分のキャラに生かす。

決して自分のいる環境という物をマイナスに考えず、その利点を最大限に活用する、これこそ中島師匠の教えである。

 

当時の本人の本心はどうだったかはわからないが、もう決まったことなのでどうしようもないならば思う存分その境遇をポジティブにとらえる、これが中島健人という男の生き様だ。

 

中島健人の「影」という意味では、彼は今でも学校の音楽祭でピアノの演奏ができなかったことを後悔している。

家庭の教えでピアノを習っていた中島健人は一度はピアノを合唱で披露しようと思い立ったが、結局勇気が出ず自分を出せなかったという過去がある。

 

しかしそれを反骨心に彼はジャニーズでデビューしてから、自分のキャラはピアノだと考えより一層練習に打ち込むようになった。

同じジャニーズJr.のあまりの技能レベルの高さに圧倒され「ジャニーズ界No1のピアニストになりたい」と奮起し、そして花言葉やスペイン語といった自分のキャラクターを作り上げる事にも努力するようになっていく。

 

その意味で中島健人は自分というキャラクターを客観的に見ているところがあり、これは現代を生きる我々にも役立つ発想なのではないか。

元々日本人がキャラクターが好きだということに加え、現代は日本人総クリエイター時代になろうとしている。人工知能が将来普及していく時代に、いかに自分というキャラクターを育てるか、つまり漫画やドラマの登場人物として自分を見た時どれだけ面白いか。

 

『大河ドラマ中島健人』という作品があった時、間違いなく面白いだろう。

むしろそれは現在進行形であり、我々は大河ドラマ中島健人を現在進行形でリアルタイムに見ている。むしろまだその物語は始まったばかりであり、当然これからの壮大な計画も考えているだろう。

 

本人は元々典型的なゆとり世代だったが、ジャニーズ事務所に入って予想以上の練習の厳しさに直面しそれまでの自分が成長したとも語っている。

これもまた彼の人生における逆境であり、今ではそのコーチにとても感謝しているようだ。

中島健人が舞台で披露するあのキレキレな動きも、そうして厳しい練習によって作り上げられているのだ。

それにしてもKing&Queen&Jorker、俗にKQJの時の中島健人の動きは本当にキレがありかっこいい笑

 

なぜ中島健人がこれだけ個性が面白いのかと言えば、それはブレずに自分を続けて自分の世界観を確立しているからという一点に尽きる。

自分独自の世界観でありセンスありをしっかり持っていて、マニュアル通りに教えられるだけではなく自分を出すことができる。

簡単に「自分を出す」といっても「出す自分」が無ければ、自分を出すことはできない。

中島健人師匠が好きな画家はスペインのサルバドール・ダリでありピアノで得意とする楽曲は『美しく青きドナウ』、こういったところで自分のセンスを吸収している。また母親のレデューファーストを大切にする教えも現在の彼を作り上げている。

 

芸術や教養に普段から趣味として触れており、薔薇を代表に美しい花々を愛する。

もはややりすぎなぐらいナルシストなのだが、これも「面白ナルシスト」の領域に達すれば嫌味が無い。

本気でウザがられない範囲内で程よくウザいのが面白いキャラクターの特徴であり、例えば歌舞伎町ホストのローランドなども似たようなキャラだ。

突き抜ければキャラは面白い、そのキャラクターをどう磨いていくか、これが彼の教えてくれる人生訓なのかもしれない。

自分が登場する漫画やアニメを客観的に見たときに面白いか、そう考える視点というのは今後大事になって来るのではないか。

 

続けることに挫折するという経験は誰にでもある。

中々クリアできないゲームを投げ出すことだってそうだし、伸び悩みに直面することもある。

「本当は伸びて成長しているけど、その実感が無い」というのは何事にも共通している。しかし鳥の羽が大きくなって飛べるようになるには時間がかかるし、木の年輪だって1年でようやく数ミリ積み重なるだけでしかない。しかしすぐに伸びる木の方がもろく、薄く重なる年輪ほど丈夫なように、地味な成長の方が人生には役立つときがある。

 

中島健人はその地味な成長を決して軽視することが無かった。

本田圭佑が「成功に囚われるな、成長に囚われろ」と語ったようにやる意味が無いような事でも自分を成長させていることがある。

人生やるしかない、そのことをケンティーはどれだけ考えただろうか。

華やかに見えるセクシー王子の人生にも挫折は無数にあった、そしてこれからもあるだろう。

 

そんな中島健人、個人的には「ゆとり男子三傑」の一人として推している。

フィギュアスケートの羽生結弦、ボクシングの井上尚弥と並んでジャニーズの中島健人はゆとり世代の傑作の一人だ。

ちなみに「ゆとり女子三人衆」は自分としては指原莉乃、きゃりーぱみゅぱみゅ、藤田ニコルを推したい。ミサモ三連星に関しては海外組の別枠としてカウントしたいが、とにかくゆとり女子のポテンシャルは凄まじい物がある。

 

今の時代ゆとり男子が参考にするべきは中島健人の生き様であり、それは別にイケメンであるかどうかに限らない。最近では「男子がなりたいと思う顔ランキング」にも徐々にランクインするようになってきていて、かつて亀梨和也や山下智久が同性の憧れだった時代に似てきている。

山田涼介と中島健人は男子がなりたい顔という意味では、ジャニーズの代表格だ。

ただ顔に限らず、自分をブレずに続けるという意味では現代の若い世代にとっても参考になるのではないか。

 

自分をブレずに続けるという意味では、最近そのゆとり女子三人衆の藤田ニコルが「自分に飽きちゃだめだよと尊敬する先輩に言われた」と語っていたのを見たことがある。

原宿系のカリスマとされる藤田ニコルも思いつめる時があるようで、そんなときに「自分に飽きちゃいけない」という言葉を振り返るようだ。

 

これは中島健人にも言えることで、彼はまさに続けたことの代名詞だと言える。

皆自分のキャラに飽きる時はあるし自分もいつまで厨二病だとか言っていられないなと思う時もある。

ただそれは誰の人生にも共通していることで、自分に飽きてはいけない。

アニメで途中でキャラクターがブレたら面白くないでしょと笑

登場人物が途中で普通のキャラになったら面白くないんですよ、それと一緒でキャラはやり通さないといけない。

 

教育評論家の尾木ママが「ゆとり教育世代は自分の得意なことを本当に伸ばしている人が多い」と分析していたように、得意なことを伸ばせる人というのは現代型の新しい人材になり得る。

指原や藤田ニコルにしろきゃりーぱみゅぱみゅにしろ、そして中島健人にしろ自分のセンスや世界観をしっかりと持っている。

スポーツでいえば羽生結弦や井上尚弥が自分のストロングポイントを磨き上げ世界で活躍している。

そして華麗なる中島健人の生き様は数多くの光の栄光と影の挫折に満ちている。

自分のやり方を持つ、それがこれからの激動を生きる時代の哲学なのかもしれない。