elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

急速に世間の好感度を狙いつつある嵐

近頃の嵐を見ていると、だんだんと一般向けというか世間化、世俗化に近づきつつあるように見える。

今時分の中で話題といえば櫻井翔と同じ年のミス慶應の復縁報道で、ベトナムやハワイに行ったと報道されているのだが、休止前の緊張どころか非常にリラックスしたような印象さえ受ける。

急速に世間に寄せてきているというか本来の年不相応感を出し始めているというか。

 

二宮和也の結婚もそうだけれど、松潤がそこらのおじさんと変わらないようなワンシーンを上げているし徐々に嵐も自分たちはおじさんなんだよと現実を世間に伝えつつあるように思える。

 

まず自分の立場としてこういうスタンスに反対ではない。

以前から自分は「焼酎飲んでおじさんトークしてると時の櫻井が一番面白いんだよなぁ」とネットだけではなくリアルでも話していた。トガッていた頃の櫻井、シュッとした頃のガチイケメン時代の櫻井、そんな時代を知っている人からするとおじさんアピールしないで欲しいとなるかもしれない。

 

でも、もう彼はアラフォーおじさんですから。

ということは我々ファン側も年齢を重ねているわけで、むしろ自分はしっかり櫻井兄貴が年齢を受け入れていることに好感度を覚えるわけですよ。

 

まあそれは自分が異性としての憧れとは違い同性として見ているからという最大の違いがあるからかもしれない。ここ最近に来て、嵐は従来のファンを切り捨てるというか現実をわかってもらおうとしていると言われる。時に、切り離す、オタ切りという表現も使われる。世間の大衆に受け入れられたSMAPのようなタレントになろうとしているというか、そこもコンプではあったと思う。

 

それは当然、嵐の本人達も理解しているわけで、いつまでも大学生のサークルの雰囲気だと思われたくないというか、もう全員アラフォーだぜと。

端的に言えばいつまでもファンが囲いすぎた身内コミュニティだった。女信者しか囲っていないコミュニティというのは男性から忌み嫌われる。

 

世の中テレビの視聴者は女性が多くて、購買意欲や行動力は高く、流行は何でも女性がヒロインだと持てはやしてもらえるが、これが最大の罠で、世の男性の意見というのはやはり軽視してはいけない。女性ファンは自分達が世の流行の中心だと錯覚しているが、実際はそうでもないということがよくある。

実は嵐もこの例に当てはまるというか、嵐自体全員男性なので結局はそうなりたい。

男はいつでも女にモテたがっていると思われがちだが、やはり同じ男に評価されたいという思いは本当に強い。

これは女性ファンが同性ファンをありがたがる心理と同じだと思う。

 

どうしても嵐はこの要素が今まで欠けていた。

いや、嵐の男性ファンなどいくらでもいる。自分もこれまでの長らく嵐ファンであったし、今でも熱く語れる。

ただ今はもう厳しくならなければならない時期に来ているのだろう。

 

男性の中で男性アイドルに興味を持つ人というのは珍しい。

これは女性が女性アイドルを好きになる割合よりもっと低い。

女子は女キャラの絵を描くことは多いけど、男はあまり男キャラの絵を描かない。

男からして同性に対する憧れがないとは言わないし、むしろ根底の部分で強い。

女性は男性受けばかり意識しているわけではない、と言われるがその逆もある。

東京ガールズコレクションを見に行ったり同世代の同性アイドルやモデルをそこまで応援したりしないというだけであって、男から男に対する憧れというのは華やかというよりも、例えば戦国武将や世界大戦の司令官、ちょっと前の俳優や渋いアーティストだ。

 

自分のように男性アイドルが好きで、イケメンキャラクターを描くのも好きで、なおかつ男特有の憧れみたいなものを兼ね備えている人は珍しいと思う。

要するに大部分の男性は嵐を未だにそこらの兄ちゃんだとしか思ってないわけで、前述のように女性支持だけでは成り立たない。そんな世の中において、新しい嵐像を作り出そうとしているということになる。

 

嵐のメンバーから若く見られたいという思いは一切伝わってこない。

逆におっさんとして見てもらいたい思いはめちゃくちゃ伝わってくる。おそらく嵐をおっさんだと思いたくない人は、自分がおばさんだと思いたくないという裏返しだろう。逆に男性で嵐の急速なおっさん化に反対する人は限りなく無に等しい。

その心理は嵐自身が男だからわかっているだろう。

確かに昔のキラッキラした嵐の全盛期を見てカッコいいなとは思う。自分も本当にハピネスやピカンチダブルが大好きだけども、今の嵐は急速に男好み化しているしこれからソロタレントになり、年齢には逆らえない彼らからするとやらないといけないことでもある。

これも男の事情として察してくれよ、ということかもしれない。