elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

FIFAの極意はやはりパスにある

自分が唯一プレーしているゲームの話なのだが、FIFAで学ぶことは多い。

毎日のように発見することがある。それはゲームに限らず人生論のような場合もある。

 

さきほどそのFIFAをしていて改めて思ったのが「っぱパスだな」と。

自分の失点の統計を分析してみると、その7割近くがもったいないゴミのようなパスミスからのロストで発生している。いや、統計というのは完全に嘘で「それなんかデータあるんすか」と言われれば無い。ただプレーしていて体感としてわかるのは、大体チープな安いパスミスからの失点ということだ。またこれか、と我ながら呆れる。

 

基本サッカーやサッカーゲームの失点は、キックオフ直後にそのまま決められるというレアパターンを除いて全てボールロストから始まる。

ドリブルやボールキープからのロストもあるがとりわけパスミスからが多い。ドリブルやキープでのロストも元を正せばそもそも失いやすい状況でパスしたというのが原因であることが多い。

 

酷いものだとディフェンスラインでのパス回しでミスって掻っ攫われたり、相手FWのプレスを気づいていなかったりということが稀によくある。

いわゆるポカだ。自分のポカや安いミスには本当に腹が立つ。どうしようもない仕方ないミスもあるのだが、その精神的なダメージを引きずって軽いポカをしてしまうと更に悪循環だ。

人間は萎縮したり落胆したりするとこういう「ミス脳」に陥りやすい。精神が乱れると悪い流れの後に、更に悪い流れを引き寄せて追加点を決められて終了となる。

本田圭佑が、ミスや失敗を叱りすぎるなと言うのはその為だ。

 

ただそもそも言えるのは自分が下手すぎるということで、やはりサッカーの攻撃で最も多いパスを改めて見直すべきなのだ。FIFAの仕様上、絶対これおかしいだろという理不尽な失点があるのだがよくよく考えれば、それはこちら軽率なミスさえなければ発生していないという謙虚さも必要だ。そしてこういう考えは人生そのものにも応用可能だ。

 

サッカーにおける攻撃は基本シュート、ドリブル、キープ、パスで構成されているがパスが最も比重を占める。このパスを本当に疎かにしてはいけない。

また、パスは全てに影響を与える。

例えば、失点に繋がりかねない悪いロストというのは大抵パスミスが原因だ。

パスミスが少なくなればそもそも守備で無駄に走る必要がなくなる。精神の浪費をしなくて住むのだ。

 

サッカーはゲームにおいても全てが相関的であり、失点の原因は守備そのものだけでなくロストの仕方が悪いということまで含まれる。悪いロストの仕方をしないということまで含めて守備だ。逆も言える、良い守備をしていれば攻撃のチャンスが増える。全盛期のバルサはまさしくそうだった。

 

そして、パスが良ければドリブルやシュートのチャンスも増え、得意な形で勝負ができる。

サッカーの基本といえば基本でしかない。

 

ただ昨今の「ポゼッションオワコン論」の風潮により、自分自身パスを軽視している部分があった。ペップバルサの時代が終わり、MSNトリオのようば個人技の時代、クロップリバプールのような早い守備とショートカウンターがもてはやされている。

強度の高いプレーで、相手を圧倒するということに自分自身美学を感じてもいた。守備にも目覚めた。FIFAのミニゲームの守備モードで世界ランクに入ったこともあった。全盛期セリエAのディフェンダー選手を見たり、守備について語る那須さんのセンターバック解説動画を見たりもした。

 

ただやはり、美しいパスで崩すという原点の理想を軽視してはいけないと気づいた。別に古いポゼッションに回帰するというわけではないのだが、パスが基礎を成すという事実から逃げてはいけない。確かにポゼッションはオワコンだが、パスというスキル自体は進化をし続けている。

ドリブルとパスは両輪であり対立軸では無いという境地には辿り着いていたが、情けないパスミスからの失点を繰り返したことで改めて自分はパスの重要性に気づけた。

「悪い奪い方をされない事まで含めて守備」というサッカー哲学、そしてそれは決して安全なパスだけしていればいいということではない。

技術を上げろという一言に尽きる。いくら理不尽な失点をしようが、元を辿ればくだらないパスミスをしている。

 

こういう話、中村憲剛や遠藤保仁みたいな日本の名パサーに話を聞いてみたくもあり、どういう心理でパスと向き合っているのか尋ねてみたい。

FIFAの場合、ゲームでは簡単なのにリアルでは難しいというプレーも多々あるのだが、逆に「リアルでは簡単なのにゲームでは難しい」というプレーも存在する。

特に極短距離のショートパスは難しい。更に自分の場合、マニュアル操作モードでやっているので、角度調整と力加減が非常に繊細さを求められている。明らかにメンタルが出るところも含めて面白い。

 

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ここからはFIFAプレー日記

一時、久保建英のアーセナル移籍報道が出たことで、FIFAで早速タケ・クボを加入させてプレミアリーグを戦っている。ちなみにマジョルカでは既にワンシーズン消化している。

難易度は最高のレジェンドにした上に、それでは温くなってぃたのでCPUの調整をして相手のスピードを上げたら一気に勝てなくなった笑

今までサクサク抜けていたところが急に引っかかるようになるので、ワンテンポの速さを意識しなければならなくなった。久保選手は日々そういう成長を求められているのだなと思いながら、難易度を高めるプレーをするのは面白い。

このシーズンももう終わりかけているので、今度はこの一年の成長を反映して能力を上げた上で、レアル・ソシエダに所属させてまた戦うつもりだ。

 

自分の場合スイッチのFIFA20で無線Wi-Fiというのもあってこうしてオフラインで楽しんでいるのだが、サッカーの本質自体は似ていると思っている。延々と試合だけをして技術を高めるスタイルだ。サッカーという競技自体100年以上前の時点から結局、スピード判断の早さ、裏をつくアイデアの重要さ、技術の正確さ、そしてメンタル、やってることはそれをただ高めているだけだ。

 

もちろん、自分は現実のサッカーからフィジカルや体力、身体能力の要らないゲームに逃げてきた立場だと自覚している。だからこそ、現実でこのサッカーをしているプロの選手は凄いしどうなっているんだと尊敬する。当然ゲームと同一視しているわけではない。それゆえに、eスポーツで現実のスポーツに対抗した気になっているイキリゲームオタクを見ていると同族嫌悪に陥る笑

現実で軽んじられてきた反動でネットで強気になりだすというのは今になって恥ずかしい行為だと思うが、避けられない黒歴史なのかもしれない。誰しもそういう時期がある。

 

FIFAはサッカーの疑似体験というか、こんな断片的なゲームですら本当のプロ選手ってガチですごいんだなと学ぶためにあると自分は思っている。プロ選手はとっくに知っているような発見でさえ、いざ自分で疑似体験して見るだけでその凄さが少し分かるし現実はその何十倍も凄いんだなと感じられる。

FIFAはいいぞおじさん「FIFAはいいぞ」