elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

世間がなぜゆたぼんを叩くかわからない

不登校ユーチューバーとして活動する少年革命家ゆたぼんだが、最近有名人がいろいろ苦言を呈している。

そもそもゆたぼんは父親の操り人形っぽいところが批判されている要因ではあるし、自分も全面的に擁護したいわけではない。

ただ社会に一石を投じるというか、そろそろ義務教育以外での教育も議論される時期に来ているという意味では意義がある。

 

義務教育反対派は自分の知っている限りだと本田圭佑、落合陽一だ。本田は「嫌だったら学校行かなくても宿題しなくてもいい」と言っており、ツイッター慶應卒の武藤嘉紀に論破されて熱くなっていたのが数年前

 

逆にひろゆきやシバターは学校行け派で、ひろゆきはやたらこの話題に執着している。ちなみに喧嘩別れしたホリエモンも義務教育反対派で、メンタリストダイゴや中田敦彦あたりも反対寄りではあるように思う。

 

ただネット世論は概ね義務教育擁護派で、ゆたぼん批判派が多い印象を受ける。ネット世論も今やリアルの延長なので割と常識的な意見が大半になりやすい時代だ。

父親に操られてるゆたぼんが可愛そうという善意から、いつの間にか常識外れな行動に対する嫌悪感になっているよなぁと思えなくもない。

新しい教育システムという発展的な議論なされずに「どうせまともな大人にならない」みたいな批判が多い。タトゥーや生活保護夫婦別姓叩きに似たものを感じるというか。大麻解禁論とかもだけど、いきなり日本が薬物大国になっていて治安が悪化する、迷惑で面倒なことが増える!みたいなアレルギー反応が起こるわけだ。

ゆたぼんに影響されてろくでもない大人になる子が増える!という拒否反応だ。

学校行きたくない=甘え、馴染めない可愛そうな奴というわかりやすい構図である。

 

もちろん自分もゆたぼん家庭のやり方が正しいとは言えないし、ひろゆきも「アメリカのホームスクールのやり方はしっかりと制度が定められている」と指摘している。

そもそも自分はゆたぼんの動画見ていないのでわからないのだが、多様な教育は必要だと考える。

日本の義務教育に問題がないといえばそうではないだろう。義務教育推進論者も、今の学校教育が完全に正しいとまでは考えてないはずだ。

 

「友達を作って同年代の人と集団生活をする社会性を磨く」みたいな反論が一番多いけど、学校行かない選択肢に社会がもっと寛容だったらこういういじめはなかったのかなという事も多い。それにむしろ社会では違う年代の人と接することのほうが圧倒的に多いので、ほとんど飛び級が存在せず同じ年代の人と固定化された学校生活を送るというのは実は異質だ。

 

自分の今も続いている友人はなんだかんだ義務教育時代だし、田舎すぎてクラス替えがなかった小学校時代の級友は絆という程ではないが連帯意識があって懐かしい。

ただそういうのをもってして「そういう体験がないと駄目だぞ」みたいに大人たちがうるさくいうのも違うよなぁと。

ゆたぼんが今はネットがあると主張していたが、実際自分も小中時代ポケモンチャットやミリタリーサイトにいた同年代の常連仲間は同じくらい懐かしく感じるわけで。

 

正直、学校行かない選択肢やホームスクーリングの手段がもっと充実してたら自分は学校いってなかったと思う。現実問題、田舎の両親共働きで、共に低学歴だった親から教育を受けられないから学校行っていただけだ。あと田舎なので地域の噂になるし、特に父親が昭和の考え方だったのでそういう選択肢はPCとネット環境があったとはいえ現実的ではなかった。まぁ自分もネットサーフィンやゲームばかりしていただろう。

 

日本の家庭事情ではホームスクーリングが難しいというだけで、これからどう制度を整えていくかという議論が必要だ。「まともな大人にならないぞ」「普通の学校生活がなくて可愛そう」みたいな意見って見飽きたというのが正直な感想だ。もうそういうのいいから、という。

 

学校に懐かしさがないといえば嘘になるが、自分の適性上まともなホームスクーリングの環境があったらなぁという思いはある。

別に自分も学生時代の思い出を否定しているわけではないし、その普通の懐かしさこそかけがえの無いものだという主張もわかる。

でも、皆何にもなれないつまらない大人になったから昔を美化しがちなのよこういうのって。学校合わないやつに美学を押し付けるべきじゃない、それはありがた迷惑だ。

 

部活動も問題だ。

日本人の考え方「学校や部活で厳しい上下関係や理不尽になれないと社会ではやっていけない」

わりと日本人ってこういう考え方しがちだが、「そういう理不尽がない社会にしていくべきでは」という発想は欠けている。

もっと不登校帰宅部、休職、ブランク期間等に寛容になった方がこの生きづらさは解消されるのになぁと思って見ている。

近代化や高度経済成長で均質な労働力が必要だった時代の発想が未だに日本社会の根幹をなしている。まぁだからといって北欧のやり方が凄いとか言いたいわけではなく、もっと日本流を考えていくべきだと思っている。

 

教育は多様になるべきと言っても現実問題日本人が結局根っからの横並び好き民族なので、どうしようもないといえばどうしようもない。苦労をなくして幸福になろうという議論が苦手なのだ。それよりも「自分も苦労しているのだから、してきたのだからあなたもしなさい。それはいいものだから」という話の方が圧倒的に得意なのである。

 

というかひろゆきって「レアケースの成功例」をやたら敵視してるけど、イノベーションやブレイクスルーのためにはそういう人材こそ必要だとは考えていないのだろうか。

言うほど義務教育が優れた人材を作り出しているかといえばそうでもないから日本は停滞しているわけで。時として少数の天才が社会を前に進めることもあるし、明治維新は私塾から始まっている。

全国で同じ教育しかしていない状態というのも危険な状態で、それは国民意識というものを形成する必要があった近代化時代の発想だ。

 

もっと独自の教育があってもいいよなぁ、とは思うわけだ。ゆたぼんがろくな大人にならなかったとして、義務教育でろくな大人になってない奴も大勢いるわけで前者だけ異様に責立てる社会も不健全だ。いや、あんたらもろくな大人じゃねぇだろと笑

義務教育に失敗作がいて、ホームスクーリングにも失敗作がいるだけのこと。ゆたぼんを真似てろくでもない大人が増えるというのもそれこそヒステリーだ。

わりとこういう潜在的なヒステリー感情が日本の古い制度を改革する邪魔になっているよなぁと。

 

義務教育を受けさせない→ろくな大人にならない、子供の思い出や青春はどうする、友達できないよ、と直結して考えて、結局今の教育制度は続いていく。ただでさえ少子化時代なので、もうクラスに40人も集めて毎日同じ教育をする時代でもない。

 

妥協案としては義務教育内にもっと充実した選択肢やコースを作る、週5日登校で夕方まで帰らせず、部活も事実上強制みたいなことを辞めさせる。

それすらも難しいだろう。

どうしても集団行動が苦手な人はいるので、やたら張り切った体育祭や式典の練習を学校の見栄で強制するのとかああいう伝統は確実に日本の生産性下げている前時代的文化だ。

そういうのが社会で無駄な朝礼だの定時で自分だけ帰れないみたいなことにもなっていく。学校教育が培う社会に必要なことなんてむしろなくなったほうがよほど良いことも多い。それで、それが日本だから嫌なら出ていけという思考停止が続く。

 

ただ、本田圭佑みたいなバリバリの体育会系が義務教育や宿題に疑問呈しているというのはいい傾向だ。本田は高卒だが、教育論に熱心だし大人になってからの学び直しを自分で実践している。

 

日本の大人が大人になってから全然勉強しないのって、結局義務教育がつまらなくて学習にいいイメージを持てないからでもあるのではないか。当の義務教育推進派が学校の勉強は嫌だったと証明して曖昧な根性論で擁護しているから、日本の大人は先進国で最低クラスの勉強時間なわけで。

日本の教育は学びの楽しさを教えるというより、やはり均質な社会の構成員を作ることが目的だ。

林修もそのことに関しては苦言を呈していた。体育のときの陣形は軍隊の訓練と同じ、というように。

 

自分の高校時代は酷かった。男子だけめちゃくちゃキツイ組体操でやたら練習量が長時間で、夏休みも強制参加の補修、そして式典の練習にやたら本気。

そういうところで無駄な時間を削っているから、夏休みや冬休みを削って受験の実績を上げようとする。それも形式上受けているようなものだ。

これは義務教育ではない私立だが、もう日本の教育現場全体の風土だ。おまけに最近では不祥事や隠蔽が多すぎる。可視化されたとも言えるが。

 

多分この問題はそんな大事にならずどの家庭も普通に義務教育受けさせるだけで終わるだろう。

結局ホームスクーリングの難易度が高すぎて既存の教育インフラに頼らざるを得ない。

もし自分が現代中高生だったらオリラジ中田のユーチューバー大学見て勉強した気になっていただけだろう笑

 

日本も貧しく今は共働きがデフォなので管理のしようがない。課題をやってたとか親がチェックするとしてもそれは抑圧するだけだと今度は虐待になってしまう。通信アプリで時間ごとに報告するという工夫も毎日となると負担だ。

 

学校ってある意味家庭から自由になる時間でもあるので、学校ばかりと同様に家庭ばかりという環境も問題がある。

今はリモート授業があるとしても、地域での差はある。田舎は徒歩圏内に塾すらなく、親が送迎可能でなければ義務教育以外の選択肢がないというところが珍しくはない。

 

義務教育の内容やカリキュラムを追加しようとしても人材や教室の確保が難しいので結局田舎では特に進まないだろう。

そういう意味でゆたぼんの家庭のような新しいパターンが試行錯誤されるといういうのは重要ではある。ただ、どちらかというと不登校で自力でいい大学行ったとかそういう成功体験のほうがもっと知られるべきではあるし、中学卒業と同時に働き出したとか、高校中退でバイトして本当に社会で必要なスキル学んだとかの方がリアリティはある。

 

実際今でも中学卒業と同時に、都会を出て漁師になってそこらの大卒よりバリバリの稼いでいる10代とかいるので高学歴ニートにするよりは若いうちにバイトの給料で働く喜びを知るとかの方が実は大事だったりする。

特殊な例ではあるが芸能人は中卒や高校中退が多い。

ひろゆきは「普通の生活では素因数分解を学ばない」みたいなことを言っていたが、そもそも義務教育や普通科行ってもそんなものを実質学んでいないような人は多い。

 

頭が柔軟なうちにやれといっても、嫌いになれば一生やらない。

ひろゆきは「満遍なくいろんなことに触れることが大事」というのが主な主張だが、学校教育の内容も割と偏っていて満遍でもない。

本田圭佑は「経済やお金について教えるべき」と言っており、義務教育も大事なことは教えてくれないのが問題だ。

好奇心の多い子であれば自分で学ぶ方が良いとは思う。学校自体が嫌いで、本人が楽しいと感じられないカリキュラムやイベント、部活をさせられて、更に成長期に長時間通学して寝不足で頭脳を鈍らせるぐらいであれば、家で勉強をしたほうがいいかもしれない。

学校が嫌いで勉強の嫌いになるというパターンがどれほど多いことか。自宅であれば宇宙工学や、第二外国語、プログラミングなど義務教育で学ばないことの可能だ。今では海外の大学の授業が動画で簡単に見られる時代だ。

 

苦手な教科の時に得意なこと学べば専門家クラスの知識がつくこともあるので、それをしない日本ではそういう飛び抜けた天才は生まれにくい。

頭が柔軟なうちに一部の教科だけは上の内容というのが難しく、こういうのは難関校の私立限定だ。例えば語学得意な場合、古文漢文の時寝ているぐらいであれば大学レベルの英語をやるとかスペイン語を始めてみるみたいな柔軟性がない。それもこれも結局は公務員試験や共通の大学試験で必要になるからだ。

 

多様なことを学ぶという意味ではバイト禁止の高校も問題だ。高校生といえば月5000円のお小遣いですら結構貰ってるなと感じるくらいなので、時給800円で放課後2時間レベルでも3日やればその額を稼げるため大人とは喜びが違う。

金にならないキツイ部活動より時給が発生すると思えばよほどいいし、今は部活よりホワイトな所が多い。

生活費がただであるため一人暮らしのフリーターが時給2000円稼ぐような感覚だ、だから高校生は大人よりやる気がある。

そうやって稼いだお金で色んなものを買うのも人生経験で仕事に生きてくる。

推薦に役立つほどの部活出なければ薄給でも働く喜びを知っていた方がいいし、もうこんなバイトしたくないから勉強もっとしようとも思えるわけだ。高校生バイトがよく集まる場所であれば部活以上の青春だろう。給料でシフトが空いてる日に遊びにも行ける。

 

自分は高校の頃バイト可能で選択肢も多かったらもっと働く喜びを知って、エアガンやプラモもっと買って、そういうメーカーや店に入ってたかもなぁとは思う。

自転車やバイクのパーツとか高いけど、高校生がバイトで一生懸命ためて卒業後は自転車屋で働くとか立派だ。

 

「普通の学校生活で得る人間関係や青春が大事」といっても、学校が嫌という段階で、もうそこでは得られる見込みがないと本人は思っているのだから、他にやりたいことがある状態かもしれない。

むしろ学校に拘束されている方が社会に触れる時間もない。

 

高校受験でも大学受験でもとにかく今は受験に集中して次の環境に行きたいと言うのであれば、スマホがある時代、教育水準が低い学校よりはよほどマシだ。強制的に一定のリズムで過ごさせられるので習慣は身につくが、自分にあってない場合もある。ただ大学受験はともかく、高校受験は内申点もあるので不登校で自宅学習して難関高校に受かるというのが可能かはわからない。

 

普通の学校生活を大人はやたら強調するけど、正直そんなものより、やりたくもない無駄な学校のイベントから開放されて勉強や本当に好きな趣味、バイトに使ってる方がいい青春だという子もいるわけだ。ブラック校則のせいで青春を楽しめないこともあり、これは教育水準が低いところほど厳しい。

 

高校はまだしも中学はよほど教育熱心で裕福で都会の家庭でもなければ教育水準を選べない。

大学受験を決める高校の質は中学時代が決めるわけで、ここが義務教育になっているというのは色々と問題がある。公立中学という日本の闇はもっと議論されるべきだろう。自分のところはまだ特段おかしな学校というわけではなかったが、ニュースなど見ていると特に田舎は闇深い中学校多いんだなと感じる。

中学受験のための塾代を見たことがあるが、よほど両親が教育に理解あって裕福でなければ出せない額だったのでこういうところで社会階層は決まっていくのだと感じた。

 

子供は生まれた環境を選べない以上、せめて自分で工夫する自由は確保されていなければならない。それを大人が、ろくな大人にならないと決めつけるのもどうか。そりゃ確かに義務教育で様々な知識や社会の縮図に触れることがいい事もあるが、それで駄目になる子もいる。まだそれ以外の代替手段が整備されていない日本では尚早かもしれないがいずれ必要な議論だ。

 

ただ、とにかく義務教育を受けさせないということに対するこれだけ強い日本社会のアレルギー反応を見ると相当厳しい道のりだろうなぁとは思う。それが日本だから仕方がないと言っても子供は選べないので、大人と違い嫌だから出ていくわけには行かない。

 

こうして日本の教育が生み出すブラック人材は再生産されていくんだろうなぁと。以前はこういうのはお偉いさんが悪いと思っていたが結局国民自体がそういう体質で、実際先の大戦だって熱狂的に支持したのは国民だし心の底ではブラックを望んでる、だからこういったアレルギー反応や停滞は続くだろうなぁと。