elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

池江璃花子ってアニメキャラだったら絶対叩かれてないよな

池江璃花子ってアニメキャラだったら絶対叩かれてないよな

「努力は必ず報われる発言」で一部の層から顰蹙を買っている池江璃花子だが、ある事に気づいてしまった。

 

この子、アニメキャラだったら絶対叩かれてねぇよな、と。

池江璃花子は本当は発言内容が悪いわけじゃない。同じことを滅茶苦茶強いヒールの格闘家が言ってたら、やっぱ天才すげぇかっけぇわと絶賛されていただろう。

 

まぁ自分もわかるのよ、可愛くて性格も良くて才能もある若い女の子に底辺のおっさんや、何の特技もない陰キャ、夢破れた大人が劣等感を感じるのって。だって勝ち目ないし、縁もなければ話が合わなそうだもん。

所詮才能を持つ成功者の戯言よ、と大人が言いたくなるのも頷ける。自分も感情としてはそういう意見に親近感がある。

 

ただ考えても見てほしい、そういう5ちゃんのおっさんやツイッター陰キャが好きな萌キャラってそんなんばっかだろと笑

むしろキモオタアニメやゲームってそういうキャラばっかじゃん。なぜかというとフィクションの世界って自分もイケメンで才能あるやつになれるので、そういうキャラと「釣り合う」わけだ。これは女性も同じで乙女ゲームって大体美女がヒロインだ。

結局自分と釣り合って劣等感感じなければ許せるのだ。あるいは二次元だと許せることも三次元ではムカつくと言うこともできるが。

 

まずガンダムアムロはうじうじしているが意思が強く最高のニュータイプで全歴代ガンダムで最強キャラだと暗黙の了解がある。キラ・ヤマトもスーパーコーディネーターで「やめてよね本気で喧嘩したら君が僕に叶うはずないだろ」と友人の彼女を寝取った上で言う畜生である。

その上「シードを持つ者」というバリバリの才能要素がある。ナルトも出身の村では疎んじられていたが結局最強の忍者になる話だ。先祖が火影という血筋だ。

 

ソードアート・オンラインもなろうラノベブームの走りで陰キャに人気だが、こいつもゲームうまくてイケメンじゃなければあんなモテてない。

女主人公も同様だ。自分はなぜこの説を考えたかというと、自分が好きなストライクウィッチーズ宮藤芳佳ってバリバリの天才だったなと。宮藤芳佳は突然軍人の坂本美緒に見出されて、いきなり初戦で活躍して原作者に作中最強の魔法力と明言されているキャラだ。sakiの宮永咲も同じく最強キャラで天才だ。

けいおん平沢唯も高校からギター始めてずっと音楽やってた秋山澪と同じレベルになるという。ついでに作詞も。コードギアスルルーシュは作品内で天才と言われているし、デスノの月もそうだろう(まぁこの二人はガチでポンコツ要素あるが)

 

そう考えるとオタクアニメって「天才だけどどこか抜けてるところがかっこいいorかわいい」というキャラばかりだ。

ガチで才能ない普通のやつが主人公のアニメってなくね?カイジも普段はクズだが追い詰められたときのギャンブルの才能だけはエゲツない。ローゼンメイデンのジュンも冴えない引きこもりだが裁縫の腕前だけマエストロ級である。

 

もし萌え豚のための水泳アニメがあって池江璃花子というヒロインが同じ設定でいたら、宮藤芳佳宮永咲のような扱いだったのではないか。スピリチュアルにハマる天然要素と病弱要素という萌え要素の欲張りセットだ。

成績が化け物だと言うことは知っていたが、種目は知らなかったので調べてみたがなんと4種目全て制覇していた笑

てっきり平泳ぎだけの選手だと思っていたが全部で病明けで優勝しているとは。。。

そりゃドン引きする成績過ぎて、天才が凡才を叩き潰しただけと言われますわ

藤井聡太と同じく現実が漫画超えしてるパターンだ。

 

というか藤井聡太もそうだが、男子スポーツだと才能厨が天下とっても文句言われないけど女子スポーツだと言われると言うのは、フェミニストが好きな「ガラスの天井」なのだろうか。女子水泳なんてマイナー競技だからそんなこと言える、みたいな意見まである。前述のように多少劣等感はあるがそこまで癪に障るのはわからない。

 

それと純粋な記録競技というのも、このこの言葉を残酷にしているんだろうなと。水泳や陸上って2位以下にガチで救いのない競技だからなぁ。

 

「2位以下の選手は努力が足りなかったんですか。報われてないからその言葉間違ってますよね、はい論破」みたいに言う人ってひろゆき好きそう。

ひろゆきの論破法ってこの場合「必ずというデータあるんですか。じゃあ努力すればメジャーでホームラン打てるようになりますよね」と突きまくるだけの口喧嘩スタイルだからね。

 

おそらく団体競技の選手が同じこと言ってたら多分こんな挙げ足取りはいなかったように思う。もしサッカー界最高の才能厨(元々は何事も才能だと考える人を指す言葉だったがこの場合才能そのものであるメッシに対して使う)のメッシが同じこと言ってても、世界の100位にも入らない本田圭佑の努力が報われなかったとは誰も言わない。それぞれの範囲内ややり方で十分報われている。メッシより才能ない選手でも例えばチリのビダルバルセロナを追われたサンチェスはメッシを倒してコパ・アメリカ優勝してるし、お世辞にも華麗なうまさがあるわけではないクローゼやミュラーもワールドカップ決勝で勝っている。そもそも日本代表もアルゼンチン代表に勝っている。

 

順位だけが物を言う個人競技かつ記録競技で圧倒的才能によって他者を蹴散らした小娘が言うから、ちょっとキツイ言い方に聞こえるんだろうね。

まぁでも池江璃花子より才能ある水泳やってない選手も世の中にはいるわけで、続けたとか、それだけ水泳を愛しているという努力もあるだろう。女子で水泳する環境や動機がない人も多くいるわけで。思春期で水泳やめたとか、そもそも水泳嫌いという女子も無数にいただろう。

 

つまり才能だけで勝ったわけではないし、マイナー競技の恩恵を受けているというのも、どっちも言える。女子水泳がガチで男子サッカーやアメフト、バスケ、ボクシング並みに儲かって、ジャニーズだろうがKPOPアイドルだろうがイケメン俳優だろうが選びまくれるぐらい花形競技だったら池江璃花子も最下位だったかもしれない。

女子選手の場合実力が収入やモテと直結しないからなぁ

elken.hatenablog.com

それと前にも書いたが「同じ一年でも努力の量や質は違う」ということ。1年少ないのにすぐ追いついた、やっぱり才能だという人がいるが1.5倍の量の努力と1.5倍良いの質の努力をすれば余裕で2倍の努力になる。

1年を2年分の努力にするための2倍の努力量とか2倍の質の努力は難しくても、それぞれ1.5倍ぐらいだとまぁ不可能ではない。だから池江璃花子選手がライバルを超える努力をしたというのも間違いではないと思っている。

 

こういう人たちは努力さえも要領よくて上手い、というか努力の上手さが才能でもあるのでそもそも厳格な区別は難しい。そして量や時間が正義ではなく休むことも大事だ。オーバートレーニングについて調べると休む努力や練習を我慢する努力も難しいとわかる。実際自分はゲームで、調子悪いときに無理やり続けてしまって成績を落とすことがある。この話はオタクはわかってくれるだろう笑

 

池江璃花子と2位以下の選手と完全に同じ内容と量の努力をしていたのであれば安易な才能論で片付けてもよいが、実際に2位以下の選手が質が良くて量の多い練習をしていたとは証明できない。

特にスポーツはある程度基礎が完成していると直前の1年が大事なので「他選手は1年多いのに」というのも違う。そもそも全員が同じ年齢でもない。受験のように1年多ければ物理的に覚える量や習うことも多い、というわけでもない。

 

算数の計算式で言えばまずマイナスXがありました、でもそこから人の1.3倍の努力と1.3倍の質の努力と1.3倍の才能がありました、さて池江璃花子選手は追いつくでしょうか、みたいな問題だ。

この式は才能の質が1.5倍で努力の質が2倍とかであれば努力の量が病上がりで0.7倍とかでもいいし、マイナスが実はそこまで大きくなかったというパターンもあり得る。真相は本人にしかわからないが努力は必ず報われるというからには努力が量と質ともに3倍だった可能性もある。それであれば才能は1.05倍ぐらいでも勝てる。3倍の努力で1年のブランクを取り戻したのであれば十分「努力は必ず報われる」という資格はあるので、何もそこまで目くじら立てることでもない。

 

ただ、4冠しているということは中にはクロールだけ特化の選手もいるわけで、勉強で言えば得意の一教科で五教科全て優等生のやつに負けるようなものだろうか。とはいえ実質自由形(ほとんどクロール)とバタフライだけなので難しくはない。まぁ背泳ぎやバタフライもガチれば余裕そうだが。

f:id:elken:20210507021130j:plain

 

ここからは才能論についての酒飲み雑談

今日は季節物のホタルイカだ。水泳の話だけに魚介類。人間はいくら泳いでもイカより才能ないからそもそも、という笑

 

まず水泳の話で言えばメダルを独占した男子の選手が腕が長くてなおかつ指の間が水かきのように普通の人より広いというまさに魚人レベルだったという話を聞いたことがある。そして珍しく黄色人種が有利な競技でもある。

自分は「才能」という言葉より「適正」という言葉が好きだ。だって水泳の才能なんて現代社会で別にいらないって。欲しいともお思わない。水泳苦手じゃなかったけど得意だったとしてもやりたいと思わない。

 

デュランダル議長「だから遺伝子で適正を判断して適切な役職に全人類をつかせるのだよ。それが恒久平和への道なのだよ」

デスティニープランきたー

 

前述の通り個人の記録競技って本当シビアだなと思う。芸術やエンタメ系って才能なくても需要や時代の流れ次第では受けるわけでお金も場合によっては稼げる。売れていた時代に稼いだビッグマネーで生きている芸人とか多いわけで。作詞作曲や漫画も俗に言う一発屋で生きていける。印税入ってくる職はその点恵まれているし、芸人は今は少ないが営業仕事もある。地方のイベントや講演、ローカル番組は一般人のバイトどころか正社員よりギャラがいい。

 

個人競技で許されるのってテニスやボクシングのようにそもそもメジャースポーツか、敗者の美学を感じさせる印象的な2位以下のキャラクターに限られる。

サッカーなんて日本で言えば300位、世界で言えば1万位ぐらいの無名でも一応どこかしらプロやセミプロとして食っていけるわけだ。

将来的に金を稼げる見込みのある人気競技であれば、コーチ業でも食べていける。まぁ水泳は子供の身体能力発達のための習い事として常に人気1位なので決してマイナーというわけではないが。

スポーツは習い事としてスクールやるのが夢破れた大人にとっての食い扶持で、実際自分もインスタでサッカーゲーム動画上げてると謎のドリブル塾とかサッカースクールからいいねが来るよ笑

 

そういった引退後のキャリアはともかくとして、個人競技かつプレースタイルがわかりにくい記録競技と言うのはどうしても地味だ。

上手く行ってるのはゴルフとか将棋だろう。個人のキャラクター性やスタイルがどれだけ伝わるか、といえば水泳や陸上は厳しい。

将棋やチェスは指し方の棋風があるが、水泳や陸上は速くなること以外の目的がなく、それ以外だと選手のルックスや言動だけだ。だからエンタメにはなれない。

 

逆に格闘技や相撲のようにエンタメになれる要素があるにも関わらず業界が伝統に保守的で上手く行ってないのが武道全般だ。eスポーツに軽く負けようとしている時点で所詮伝統とは脆いもの。そもそも今は伝統である歌舞伎は能や狂言より新興コンテンツだし今若者要素取り入れて漫画をアレンジしているし、ロックミュージックも当初はチャラいだけのものだった。

 

純粋な趣味人として道の世界を追求することも重要で奥深いことではある。金儲けだけが競技の全てではないし自分も純粋にゲーム上手くなりたいと思っているので、それはわかる。

その競技生活で努力が報われずともそこで学んだことも他のことに生きてくることだってある。

 

結局人間は人間に惹かれるので、記録や強さだけになるとAIに代替されて将来性がない。

将棋はソフトの危機を察知して早めにキャラゲーにしたから藤井聡太登場まで時間稼ぎができた。

 

そう、全て「キャラゲー」なの。キャラゲー要素のないスポーツはつまらない。陸上や水泳は選手のルックス以外に語りようがない。ライバル関係のドラマで言えば他競技はもっとある。そういう意味で女子水泳がこれだけ語られたという意味では池江璃花子の存在は大きい。正直、露出度高いはずなのに陸上やバレーよりもそういう需要は無い笑

だって水着だったら海水浴場やプールのインタビューで映ってる素人女子の方が抜けるという完全上位互換があるんだもん。自分、競泳水着フェチ一切ないのよ。陸上は大好きだけど、水泳は興味ない。陸で陸上くらいの露出度は無いけど、水泳だとスク水、海水浴や市営プール、ナイトプール、グラビア、イメージビデオともっとムホホエッチだねぇwなものがありますからねぇ。あとどうしても髪型やメイクが不利だ。

あと競技中に姿がわからないのも欠点中の欠点だ。そして肩幅広くなるので女性にとってはマイナス。男だと逆三角形で超理想的な体型だけど、女子は日焼けしないぐらいのメリットぐらいだ。実際池江選手ちょっとゴツいと感じるので、顔はきれいな造りだとは思うけどときめかない。

 

自分の女子3強は運動部だとサッカー、テニス、陸上だ。文化部は言うほど茶道部とか美術部、吹奏楽部は好きじゃないのでいっそのこと元でも現役でも同じ帰宅部が良いね笑

アイドルのダンスを注目するようになってからはダンス部も好きだ。ダンスうまい子は本当に可愛いというかもはや尊敬の領域だ。

でも結局帰宅部に一番愛着があるというオチね(隙あらば帰宅部トーク

 

才能論であればそもそも男子だと子供の頃から足早かったり女子だとルックスが良かったりで自己肯定感や成功体験があるとか、実家が東京とか私立中学受験させてくれるとかも才能だし、努力できることも究極のところ才能だ。「池江選手みたいな人はそもそも努力がうまい」と上記した。上達の仕方を若い内にわかっている、と言えるだろうか。年取ってわかってからじゃ遅いのもポイント

 

まぁ結局の所なんでも才能でむしろ才能や運じゃないものの方がレアだ。努力が大事という幻想が日本社会は強すぎるんだよな。

それで傷ついてしまう。最初から世の中は才能3割、運(環境や時代)3割、努力3割、あとの1割はプラスαという事をはっきり教えておくべきなんだよ。

 

例えば自分はこの文章をお酒飲みながら書いているが、この冗長な文章と分析と、時にはユーモアを交えて(?)みたいなことは誰でもできるわけじゃない。みんなそんな暇じゃないし、こんなくだらない考察を長々と続けないからね。

酒だって絶対的に遺伝子の問題で努力ではどうにもならない。下戸や飲めても限りなく弱い人が1億払っても無理な才能で整形すら不可能だ、来世で飲んでくださいとしか言いようがない。でも自分だって来世でしなければならないことは多いし、そういう理不尽は誰しもある。酒を飲めても太りやすいから少なくしなければならないのであれば才能はない。まぁ自分の場合もっと二日酔いが楽だったのであれば完璧な天才だったが、そこまではない。最近吐いてないだけマシだが。酒癖がちょっと悪いまではいいが、悪すぎるのも才能がない。

 

人はやりたいことの才能がないときが一番辛いが、才能があるジャンルで上手くいくこともあれば幸福ではある。

 

「努力は所詮3割、されど3割」

これが自分の名言というか人生訓だ。この3割をどう考えるかだ。

これは「努力すれば3割もある」とも言えるし「努力しなければ3割失う」とも言える。人間なんて結局その時やれるだけの努力以外やることないからね。

 

努力だけで人生を左右するほどの割合はないが、ちょっとは影響がある。その影響は普通の人間にとって大きい。例えば大学のランクを1,2ランク上げることは、それ以上では才能が大事だが、努力で可能だ。そもそも大学に行けない環境でも通信や夜間は可能だ。

楽しんで大学行ける環境じゃなきゃ嫌だ、と言っても今度はルックスやコミュ力といった実家の財力以外の問題もある。大学行かずとも就職先やバイト先が面白ければ、大学ごときより余程価値があるしいい人生を送れる。そのように才能というのも複数の要素や組み合わせがあるので単純には言えない。

都会育ちで大学出させてもらっているけど男子校でずっとボッチです、とかより田舎の高卒で青春めっちゃ充実してて、田舎の理不尽耐えられるのでコミュ力でバリバリ出世してます、みたいな方がちょっと頭小賢しいより余程いいよねと思うよ。ネットって前者が多いから、それこそ5ちゃんの底辺のおっさんかツイッター陰キャみたいになるのよ。

 

自分はアイドルやサッカーを長年と言うほどではないが見てきた。

正直駄目になる天才の方が努力が報われなかった奴より多かった。努力報われてないやつはそもそも日の目に立っていないだけでもっといるのだろうが、それでも池江選手に負けた選手たちが全員最高の努力をしたとは思えない。全てを捧げる努力って相当難しいよ。

アイドルやサッカー選手はまだお金を稼げるが、水泳選手なんてまず努力が難しい環境だ。環境を揃える努力も努力と言われればそれまでだが。揃ってても先行きのない水泳で大人になっても努力は難しい。本当に水泳だけの人間にはなれない。

売れているアイドルやサッカーぐらい恵まれていても努力しない人はしない。

 

だから池江選手に負けた選手が全員万全の最大限の努力をしていたという前提が間違いだ。池江は来ないだろうから手抜きでもいいなという選手もいたかもしれないので、勝手に2位以下の選手に同情してはいけない。正直他の選手たちがそこまで水泳をガチでやっているとは思えないし才能云々より負けるべくして負けただけかもしれない。

2位以下の選手が本気で努力して負けたのであれば可哀想で才能の前に理不尽だが、池江選手の努力がもっと理不尽だったと考える方がどちらの選手に対してもリスペクトがある。同じ一年でも質と量が1.5倍ずつだとブランクを取り戻すための2年以上の努力になると書いたように才能だけが化け物だったわけではない。才能が1.2倍ぐらいあれば量と質それぞれの1.3倍でもギリ超えられる。「努力」という言葉だけが曖昧に語られるからこういった両極端の議論になる。

よって、池江璃花子の事例だけで努力と才能の優劣を断定することは人生論として単純すぎるというかナンセンスだと考えるわけだ。