elken’s blog

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昔の極左「スターリンは優しいおじさん」

スターリンといえば歴史に残る極悪非道な独裁者である。

共産圏の独裁者は近代においてもはや桁が違うレベルで犠牲者を出しておりチョビヒゲの伍長が泣いて逃げ出すレベルの極悪っぷりである。

伍長は第二次世界大戦を引き起こしたがスターリンは冷戦を引き起こした。そして冷戦はつい最近まで続いた。

世紀の独裁者バトルの独ソ戦にも勝利をし独裁者としての格の違いを見せたヨシフ・スターリンだが戦後の一部極左勢力の間では「優しいおじさん」と言われていた時期があった。北朝鮮は地上の楽園、スターリンは優しいおじさん、そういう時代が実際にあったのだ。

スターリンが逝去するのは1953年、日本の敗戦から約8年ほどの期間、日本の主権回復から3年ほどの期間、戦後日本はスターリンが仮想敵国の首相として存在した時期を体験している。アメリカやGHQの占領下にありまだ敗戦の荒廃の色合いが残る時代、ソ連という国に幻想を抱く極左勢力も存在した。

ソ連とは労働者に優しい共産主義を実行している最先端の科学的な国家共同体だというイメージが当時のインテリ層にはあったのだ。当時と言えばまだシベリア抑留者がソ連で強制労働をさせられている時代である。

しかしその現実が伝わることはなく素晴らしい楽園が存在しており偉大なる指導者と共に輝かしい国家を建設しているというイメージが本当に存在したのだ。

日本の現実と、幻想のソビエト連邦を比較して社会主義に傾倒しソ連のようになろうと考えた人々も戦後の復興から立ち直れていない時期に存在しても不思議ではない。まだ日本には高度経済成長が訪れる前であり、再びアメリカから軍事力を押し付けられるのではないかという危惧もあった時代。

情報もまともに伝わっていないそういう時代にソビエトは美しく見えた。

そして左派勢力スターリンは優しいおじさんというプロパガンダを信じたのだ。

後に日本の共産主義勢力ソ連の現実に気付きソ連共産党とは袂を分かつことになるが、その時代でもソ連盲従分子やソ連派といった勢力は存在し続けた。

スターリン

そういうガチガチのソ連信者勢力スターリンが逝去した後もスターリンを神格化し続けたり、スターリンの政策を美化し続けたりした。左翼勢力もいろいろと複雑なものでこの構造を勉強し続けているだけで時間が足りなくなるほどであるし、学ぶことが多くその時代の左翼文化や左翼の考え方を知るのは面白い。

自分自身は左翼勢力に共感しているわけではなくむしろ反対する立場ではあるが、どこかその時代のガチ極左に興味を感じる部分もある。今の左翼が稚拙なものになり過ぎた結果、ガチでやっていた頃の本物の左翼がむしろまともに見えてくる。

スターリンが生きていた時代やまだガチガチの冷戦だったころの左翼文化は面白そうだと思わずにはいられないしいつか真剣に研究したいとも思う。そもそもソ連自体を研究したいし、ソ連邦以外の国々でのソビエトに対する見方、その系譜の1つとして日本の左翼運動というのも興味深い。

基本的に日本左翼はその後独自路線を取り、日本に合わせた左翼となっていく。

中国やソ連とは一線を画す別の左翼文化が形成されていく。

なで日本の左翼はソ連から離れて行ったのか。その情報が日本の左派に出回っていく過程、どの時代あたりからソ連とたもとを分かつようになったのか、そのきっかけのようなものを一度真剣に勉強してみたい。スターリンはいつから優しいおじさんになり、いつからやさしくないおじさんになっていったのか。

左翼さえも敵視するスターリン像はいつ形成したのか。そしてそもそもスターリンのそのイメージは本当なのか。

1950年代の人々が抱いたソ連のイメージはどういう物だったのか。

左派にとっては理想の最先端科学国家、右派にとっては攻めてくるかもしれない恐ろしい国。そのときのリアルな認識、そういった物は興味深い。旅情や懐古というわけではないがこの時代のリアルな感覚を体験してみたいという思いはある。

この時の政治活動って今よりも変な言い方ではあるけどワクワクしたのではないかと思うし、自分もこの時代もしかしたら理想を求めこういった革命勢力のようなところに入っていたかもしれない。当時はそうやって政治に熱い時代だったのだ。今では賞賛できないようなこともあるが政治に情熱があった時代は紛れもなく日本に存在した。

その時の空気感や雰囲気を味わってみたい、と個人的には思わずにいられないし当時のそういった政治文化をいつか研究して見たいと考えている。