elken’s blog

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メッシはマラドーナを超えた、しかしそれは専門的な意見に過ぎない

自分は紛れもなくサッカー選手としてリオネル・メッシディエゴ・マラドーナ以上だと確信している。

技術レベル、得点能力、ドリブル打開力、サッカーセンス、全て間違いなく、メッシはマラドーナを凌駕している。またサッカー界の有名なレジェンドたちも、メッシはマラドーナを超えたと主張している。もはやメッシはマラドーナ二世ではなくメッシ一世である。

スペースも時間もない密集地帯であれだけ的確な判断能力や技術を高速で発揮できる、それがメッシの凄さだ。

現代サッカーの洗練され強固になった守備であのプレーは圧巻であり、マラドーナでさえも現代サッカーでは並の選手になってしまうであろう。プレーのレベルに関して言えば比較の使用がないぐらいにメッシは歴史上最高のサッカー選手だといえる。

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しかしそれは専門的な見地に過ぎない。

メッシがマラドーナを超えるのに必要なのは抽象的、感情論的なことなのかもしれない。

サッカー選手としてはメッシが勝っている、しかしもっと抽象的、感情的なことではマラドーナが勝っているのかもしれない。マラドーナがやってのけたことはサッカー選手の範疇を超えている。

たとえば、アルゼンチンの何気ない街中のおばちゃんに「メッシとマラドーナ、どっちが凄いと思いますか」と聞いてみたら「メッシ、あの坊やは確かに凄いけど、凄いだけでしょ。やっぱりマラドーナよ。」という答えが返ってくるかもしれない。彼のは国民的英雄としての支持がある。

 

サッカーを知ってる人から見れば明らかにメッシであることはもはや異論がない。技術レベルに関しては完全に歴史上に比較するべき対象がいない程メッシは図抜けている。

それなのに未だにこの議論が終わらないという事はマラドーナにはそういった感情的、抽象的な領域にまで達する凄さがあるという事だ。

たかが抽象論や感情論と思われるかもしれないけが実はこれが凄い事であり、誰でもできることではない。まさにマラドーナにしかできないことでありメッシにはできない。

 

サッカーを専門的に知らない人にまで評価されるディゴ・マラドーナという存在だ。

破天荒な言動や風貌が今よりメディアが少なく神格化されやすい時代には持てはやされたという要因はあるかもしれないが、それでもマラドーナには未だに神格化される凄さがある。情報が少なかった時代は今以上に神格的なスターが生まれやすかった。

ディエゴは神(アルゼンチンの総意に近い)

レオは神一歩手前(神と断言するアルゼンチン人はマラドーナに比べれば少ないように思える)

 

結局のところ、マラドーナとメッシがアルゼンチン人にくれたもの違いなのだろう。

ディエゴはフォークランド紛争の時にイングランド相手に敗戦の鬱憤を晴らすような5人抜きゴールを決め、そして優勝までチームをほぼ一人の神業で導いた。彼はその1つのプレーでサッカー界における象徴を作り上げた。

ハンドというサッカー界最大の反則さえマラドーナは正当化してしまい、イングランド人を除いてそのゴールは「マラドーナだから」と認める。あのゴールを未だに批判しているのはイングランド人だけであり世界中の人々が「神の手ゴール」として認めている。

そしてアルゼンチンの人々は永遠とその偉業を語り続ける。

国の威信がかかったワールドカップはそれだけ重い。

いくらサッカーファンがチャンピオンズリーグを技術面、レベル面で評価しようともワールドカップという存在の重みには敵わない。 

一方リオネル・メッシは未だにA代表で獲得したタイトルがゼロだ。

彼は毎回その壮大な期待を裏切っている、ワールドカップでもコパアメリカでもA代表としての優勝タイトルはゼロだ。メッシ個人ファンは喜んでいるかもしれないがアルゼンチン人全員が喜ぶ領域には達していない。

 

そして彼の真の強みはやはり最初にスタイルを築き上げたことだろう。

マラドーナはオリジナルであり最初の元祖だ。メッシはマラドーナの再来や後継者からスタートしオリジナルを超えた存在だと言える。

しかしこの場合、どうしてもオリジナルの方が凄いと思われてしまう。

ガンダムでもポケモンでも絶対に1stや赤緑を超える存在が出てこないのと同じ現象であり「初代」というブランドの響きは大きい。歴史を覆すようなよほど凄いものが出てこない限りファンがなかなか認めないだろう

最初にやることの難しさ、だからこそ評価される。

0から1を作り出した人間と1から9をやった人間では前者が真の意味で評価される。

 

ではメッシがこの懐古的な人々まで認めさせるにはどうすればいいか?

ワールドカップという最後の栄冠、それ以外にない。

次のロシアワールドカップが恐らくラストチャンスだろう。

南アフリカの時はまさに世界最高の選手として挑んだ試合だったが期待を裏切った。ブラジルワールドカップの時はドイツ相手に決勝で敗れた。

 

真に伝説的な選手であればあるほど、求められるハードルは高い。

ブラジルW杯のとき最後のドイツ戦で最後FKを蹴る機会があった。

その時に「フリーキック決めないと伝説ではない」、そう思われてしまうメッシの辛さだ。ただその奇跡を期待されるというのはレジェンド選手の証である。メッシならば奇跡を起こすのではないかと人々は期待する。

 

しかしロシアワールドカップではもう若さがなくなっている、コパデルムンド獲得のチャンスには厳しい現実が待っている。

マラドーナならその年齢でも「それでもディエゴなら・・・」と思われた。

一方「もう若くないし代表だと更に厳しいだろうね」とどこかメッシには感じてしまう

この2人の違いはこういうところに現れるのかもしれない。

大のメッシファンとしてぜひこの期待を裏切って欲しい。

ロシアで圧倒的な伝説を目撃したい。メッシにはサッカーの歴史を変える義務や宿命がある。レオならばマラドーナも確実に超えることができるはずだ。