elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

授業のサッカーで「下手な奴を介護する」という風潮が必要

授業のサッカーでサッカー嫌いになった、という人は多いと思う。

ネット上でもサッカーが叩かれる要因のほとんどがこれ。「授業のサッカーはトラウマ」という人は多い。ただそういう人を馬鹿にしてしまうとサッカーのイメージは非常に悪くなってしまう。そういった下手な人に対する配慮もサッカーの普及、そしてその先にある日本のワールドカップ優勝という目的のためには必要になってくる。

サッカーファンは紳士でなければならないし、初心者に対して優しくなければならない。

ネットのサッカーファンの意見には初心者や未経験者を馬鹿にする意見が目立ち、サッカーが苦手な人や運動が苦手な人を侮辱する風潮がある。これではサッカーは人気になるどころか嫌われてしまう。サッカーが本当に好きならば、サッカーが苦手な人にも理解を示す必要があるしそれは授業のサッカーなどでも同じだ。

理解しようとせず批判するだけでは何も始まらない。

 

確かに上手い人からすればそういった運動が苦手な人邪魔かもしれない。

それで下手な人や運動音痴な人、そして体育が苦手な人は邪魔しないように気を使ったり、文句を言われないようにするために自然のボールから遠ざかる動きをするようになってしまう。

 

ただこれってもったいないなぁと思う。

サッカーが好きな人からすればサッカーをしたくて仕方がないわけで、その時間の使い方は非常にもったいないと考える。しかしそれはサッカーが好きな人や経験者の意見であり、相手の立場に立って考えるという視点が欠けている。

 

そのためには上手い奴は下手な奴のためにプレーすることが大事という認識が必要になる。自己中心的なサッカー好きはそれ以外の人から見ると嫌なもので、サッカーが嫌いになるきっかけにさえなってしまっている。

「サッカーが好きだから一生懸命やる」というのは素晴らしい。

しかしそれでサッカーが嫌いになる人も出てきてしまうのが現状だ。

世界王者ドイツの育成メソッドに学ぶ サッカー年代別トレーニングの教科書

そもそも上手い奴が自分の楽しみや活躍の為だけにサッカーしようとしてチームがうまく行かないという光景はプロでも多い。よく言われるオナドリプレーヤーや、ボールをこねるドリブラーなどがその典型だ。

中途半端に上手いからチームメイトも文句も言えず、外すことができない。

例えばACミラン時代のジェレミー・メネズはそういったプレーの典型で、サッカーを個人競技のようにやっていた。「ソリスト(独奏者)」とイタリアメディアから批判されることもあった。日本でもコネることとメネズを掛け合わせてコネズと批判されていた。

サッカーの授業にメネズがいてはいけない。しかしサッカー経験者やサッカー部はそういった独善的なプレーに走り、下手な人や運動が苦手な人を自分が活躍するための踏み台にしか考えていないようなことがある。

 

ただサッカー部や経験者も体育はやっぱり楽しみたい。

かといって自分が楽しむことだけに特化すれば楽しめない人も出てきて、その人たちが回りまわってサッカーアンチになって日本のサッカー文化の発展にとって抵抗勢力になってしまう。

そのためにはむしろ上手い奴ほど下手な奴にゴール取らせることをモチベーションにしたらいい。

下手な奴の分まで走り回って守備をし、ボール奪取を行い下手な奴をゴール前に張らせて、的確にアシストする

そうすれば、経験者としてもサッカーは上手くなる。

授業で無双してもあまり上手くならないが、汚れ役に徹して下手な奴を活躍させるぐらいの難しいプレーをすれば更に上手くなる。

このスポーツは難易度の高いプレーや苦しいプレーをやればうまくなるもので「自分が活躍してゴールを決める」という簡単なことより「ド下手な奴にゴールを取らせる」というミッションをやったほうが上手くなる。

本当に上手い選手はアシストや周りを活躍させるプレーがとにかく上手い。

メッシも抜群にアシスト上手いし、ネイマールスアレスがあれだけ活躍で来てるのもメッシのおかげ。それどころかネイマールスアレスもメッシのためにプレーしてお互いがお互いのためにプレーしている。

 

自分が活躍することよりも下手な奴を活躍させるために頑張ったほうが上手くなるし自分のためになる、そしてみんなも喜びいいムードになる。

更に言えばあまり積極的でなかった人がそれでサッカーを好きになるかもしれない。

「サッカーって意外と楽しいな」というきっかけになる。

下手な人が邪魔扱いされずむしろ暖かく迎え入れられる、そうすればサッカーはもっと人気になる。逆に運動音痴やサッカー音痴を馬鹿にして「陰キャ」などという言葉を使えばサッカーを嫌いになる人が続出するだろう。

同じサッカーファンとしてそういうことは言ってほしくないし、サッカー人気の為にもそういう言葉はよくないしなるべく使わないようにしていかないといけない。

出来ない人に対する配慮も必要だし、むしろできない人が楽しみに目覚めるきっかけを作っていくことの方が大事。本当にこのスポーツが好きならばできない人や苦手な人を馬鹿にするのではなく暖かく歓迎する必要がある。

初心者や未経験者、下手な人に厳しいコンテンツは必ず衰退する。そうなればワールドカップ優勝という夢も得なってしまう。

 

とにかく仲間を助けるというのがサッカーでは何よりも大事であり本質である。

バルセロナのMSNトリオが爆発的活躍をした要員はそのムードのよさやお互い助け合うメンタリティにありこれがサッカーにおける答え。

授業でも皆がMSNトリオになる必要がある。

全員がスポーツが好きではないという環境ではとにかくムードよくスポーツをすることが大事だ。皆が楽しめるようにすることがサッカー普及の第一歩ではないだろうか。

MSNトリオ

そもそも介護プレーは日本代表レベルでもあるわけで恥じゃない。味方のアシストがなければ活躍できない選手は日本代表にもいる。

上手い奴も味方の介護をして彼らのまで補うという犠牲的精神を身に着ける練習だと思えばいい。「カンテやマケレレになるための練習をしているんだな」というぐらいの認識で徹底的に下働きや労働を覚えるのもサッカー人生においては大事。縁の下の力持ちに徹して少しでもみんなにサッカーを楽しんでもらう、味方が上手くプレーできるようにハードワークしようという自己犠牲精神は必ず実際のサッカーでも役に立つ。

評価されない下働きを経験することも必ず役に立つ。

 

なかなかゴールを決めてくれないけど諦めずに懸命にパスを繰り返ことで忍耐力もつく。中田英寿がフランスワールドカップ予選で岡野雅行を最後まで信じてパスを送り続けたようにひたすら味方にパスを供給する。

そして決めてくれた時はうれしい。サッカーとは自己犠牲精神を学ぶための物でもある

「これでサッカー好きになってくれたらいいな」という優しさが大事。

 

下手な奴は邪魔な存在ではない、むしろ暖かく向か入れて彼らのために頑張れば自分も上手くなるし成長できると思えばいい。この授業で華々しく活躍するより自己犠牲に特化した方が上手くなれるという発想が必要。

サッカーなんてうまく行かないことや味方が期待通りに動いてくれないことが多いけど、それでもめげずにやるっていう忍耐力を授業で身につければ絶対いい選手になれる。

いいプレーをして活躍すればサッカーが上手くなるのかといえばそうじゃない。

上手くいかないときにめげずにやり続けることもサッカーを上達する上で大事なこと。 

本人も上手くなる、サッカーが好きな人がさらに増える、もしくは嫌いになる人を減らせる。

こういう草の根的な風潮作りや基礎の普及からやり直していけば日本がワールドカップ優勝というのも夢ではなくなるのかなと思う。

現状今の日本サッカーにはそういう優しさや寛容さが足りないのかもしれない。

ここを直していけばもっとサッカーに対する印象もよくなるしこのスポーツが好きな人も増える。

スペイン流サッカーライセンス講座―「育成大国」の指導者が明かす考えるトレーニング理論

 

真の強豪国は国民にサッカーが根付いてる国だ。

ゲームでもよくあるけど下手な奴と組むのが嫌という風潮、こういう初心者や新規参入者に排他的なジャンルは必ず衰退する

サッカーがそうならないように、むしろ発展していくようにするには温かさや犠牲的精神が間違いなく必要。

子供とサッカーするときに子供を活躍させようと頑張る暖かさがある。

その温かさを下手な人、初心者、新規参入者にも持てるようになったとき、日本サッカーは次の段階に進むことができるはずだ。