ブロクを続けるには「持論」が必要だという持論
よくブログを続けるにはどうすればいいのかという人がいる。
ブログを何とか続けていきたいとか、続くにはどうすればいいかとか、何を書けばいいかとか。
ブログを続ける方法は何かみたいに調べる人もいるかもしれない。
その問いに答えるというよりも自分なりにブログを続けるにはどうすればいいかということを考察して語っていきたい。
1:そもそも自分はブログを続けようと思ったことがない
もうこのブログも結構な年数になると思う。記事も結構多めだと思う。200とか300書けば結構頑張ったみたいに言われる中で2000ぐらいあったような気がする。ここ最近削除したものも含めればかなりの数になると思う。
そして大半の記事はなるべく長文で書くことに気を付けている。そうやって文章コンテンツを増やすことが検索では上位表示されやすいからだという側面もあるが基本自分が長々と長文を書くことが好き。
とにかく自分が語る場所としてこのブログを維持してきている。なかなかリアルじゃマニアックでコアな内容を話せる相手がいなかったり、やっぱり1人だけじゃなくていろんな意見を人に広めたい、聞いてもらいたいというのもある。ブログが向いてる人というのは自分の考え方を広めたい人でもあるのではないだろうか。
だから黙ってると落ち着かないので何かアウトプットする場所として自分自身がブログを必要としているし、それが続く要因じゃないかと思う。
2:自分は文章を書くことが好き
自分は文章を書くことがそもそも好き。長文を書きたがるので結構ヒカれることもある。昔友達に長文メッセージを送ったり、ネットでも長文を書くと「なんやこいつ」みたいに思われる。文章を書きたいのに少しでも文章を書くとひかれてしまう。今の時代ちょっとでも長文を書くとネットでは叩かれる風潮があるし世の中長文というだけでアレルギーを起こす人もいる。
だけどブログという世界では長文を書ける奴が正義なんだよね。
いくらでも語っていい。普段は短所と呼ばれるものがブログ執筆に置いては特技とか利点に変貌する。
でもかといってめちゃくちゃ高度なことを書いているわけじゃない。自分は文章とか文学で人生を志そうとも思ったけどもそんな才能は一切ない。高度なことを書けるわけじゃないしセンスのある美しい文章を書ける教養もない。
そんな自分が行き着いたのはダラダラと語る長話スタイル。
自然体な感じで語るとか、目の前の一人を誰か想定して語るとかね。
だからこのブログを呼んでいる人というのはある意味自分の話を延々と聞かされるかわいそうな人かもしれない笑
でもそんな感じでダラダラ自分の文章を読んでくれる人がいたらうれしいなとは思う。そうやって持論を語るとか、人の持論を読み漁ることが好きな人もいるはず。ブログってそういうコンテンツとしても有能だと思うんだよね。
何もきれいに整理されて難しい学術的なことを語っている高度な文章がいい文章じゃない。読まれる文章がいい文章。誰も読まなければどれだけ何回でも意味がないんじゃないかとも思う。そうやって読まれるにはどうすればいいかとか何を書けばいいかみたいな工夫もブログでは面白い事の1つ。
3:持論を持つことが必要だという持論
そうやってどういうブログを書けばいいかと考えていると普段からいろんなことを考えるようになる。自分は元々考えるタイプの人間だったけども、それをアウトプットする場所がなかった。考えに考えても誰もその話をしらない。
でもブログという存在ができたことにより自分の考えを発信できるようになった。そうなると今まで「どうせ誰も見ないだろ」と思っていたこともしっかり考えるようになったし、より深く考えるようになった。考えれば考えるほどそのコンテンツは記事として良いものになるのだから。突き詰めて自問自答して思想をこね回すことが役に立つし、それがいいブログ記事の為にもなるというのが素直にうれしい事。
そうやっているうちに、じゃあこんなこと考えたらまた新しいブログ記事が書けそうだなとなってくる。そうやって持論をいっぱい持っている人間になればトーク力や話の内容にも多様性のある面白い人間になれるんじゃないかともう。
文章で真面目に自分でオリジナリティのあることを書こうと思えばいろいろ工夫するようになる。
それは凄く良い事なんじゃないかと思うしそうやって深くマニアックに語る個人ブログがもっと増えてほしいなとも思う。そうやって哲学や思想とか、持論を持つことって日本の教育では置き去りにされていることだとも思うので、ブログを書くことがその機会やきっかけになればいいんじゃないかなと。
実際日本代表の本田圭佑とか見てて持論語るから面白いでしょ。本田が本田なりにいろいろ考えてるんだなというのがあるから本田のインタビューは面白い。
持論がある人間って面白いんすよ。
そうやっていろんなとこで考える機会を作っていけば、何かブログ記事を書いたときに過去に考えていた持論を持ってこれる、そうやってつぎはぎすれば記事のボリュームも上がるしそこから新しい話の展開も生まれる。
そうやって次々と書いて行けるのがブログの良さだと思う。
4:文章には無限の可能性がある
文章は本当にさまざまな可能性がある。やり方次第ではいくらでも自由にできる。
その時のテンションとか、自分の考えてることやその時自分の中で流行っていることによってがらりと変わる。自分だけの文章スタイルを突き詰めることも可能だし、自分特有の言い回しみたいなのを見つけることも面白い。
もちろん有名人の言い回しやしゃべり方っぽくやってみたりとかね。
本をよく読む人ならば好きな作家風の言い回しをしたり。言葉って同じ言語のはずなのにそれぞれ特色が違う。今の文章とかこの文章と未来の文章でも自分の中ですら違う。
何で文章ってこんな面白いコンテンツなんだろうね。
とくにこのはてなブログは長文で語る人が多い傾向にあるので、こういう個人ブログ文化みたいなものはもっと盛り上げていってほしいなぁとも思う。
ちなみに自分は文章だけでなくイラストも描いている。このブログでは文章を書きまくりピクシブではイラストを描くという使い分け。
文章にもイラストにも多様な表現の可能性があり、何かを表現したい、見せたいという人はやはり文章や創作活動、執筆活動に向いているように思う。
こういう名もなき個人が作り上げる文章文化、創作文化、みたいなものはネットでもっともっと発展していく可能性があるし文化の面においてもとても大事な事だと思う。
5:小説を一冊書き上げるのは労力がいる
ブログって最高にいいところが一記事単位でかけるという事。好きなジャンルを好きな部分だけ書くこともできるし、1つの大きなものとして終わらせる必要がない。1つの記事で完結するので一冊をかき上げる必要がない。
ある意味最高に意識低いのがブログ。それ故に自分は続いているんだと思う。
文章は書きたいけど小説を書くほどの労力もないし短編小説ですら疲れる。そういう人にとってブログはまさにいいとこどりを出来る。それに小説をズブの素人が書いてもそれを全部読んでくれる人ってなかなかいないのよ。
だけど一記事で済むようなブログはよんでる人も「この記事だけでも読み切るか」と思ってくれることが多い。読む方も書く方もゴールが見えてるからすぐに終わることができる。たった1記事なら誰かが読むものを個人でも書ける、そこにブログの可能性があると自分は思う。
何の脈絡もない話だけどもこんな感じでも全然いいと思った人がブログを描く参考にしてくれればいいと思うし、ブログを書くにはどうすればいいのかという問いそのものがすでに記事になる。
どんな話題でも料理してコンテンツにしてやろうとうのはトーク力とか頭の回転とかにいも役に立ってくるんじゃないかなとも思う。ブログを長々と書き続ければ1年後にはかなり深みのある人間になってるんじゃないだろうか。