なんだかんだでもう今年終わるね。
まずこのブログ見てくれた人ありがとうということ。ブログなかったら楽しくなかったなって思う。ブログにいろいろ書くことができて、それを見てくれる人が少しでもいてくれたから楽しかった。
ブログを書くことの面白さに気付いた年だったかもしれない。
いつもの感じでだらだらと今年の感想みたいなものを適当に書いていくから結構長くなるはず。でも意識高い文章じゃないからなんか意識低く空き時間にダラダラ読んでくれたらうれしいかな。ガキつかの笑ってはいけない24時の長いCMの時とか、紅白の興味ない歌手の時とかそういう空き時間に読む暇つぶしみたいなノリ
ふざけて書いてるから真面目に読む文章でもないし、自分もそこまでちゃんと書いてるわけじゃないしね笑
前置きはともかく自分の1年を一言でいえば長かった。
ただただ長かった。こんな長い1年あったのかというぐらい。1年前、半年前のことがものすごく昔に感じる。振り返ってみれば長い。でも1日1日は短く過ぎていった。全体で見れば長いけど1日は早い。
この1年いろんなことを先延ばしにしつつ生きてきたからそう感じるんだと思う。
問題を先延ばしにしたり逃げてばっかりだったから、追いかけられる夢というのはすごく多かった。夢の中じゃ何度死にかけてんだろうね笑
ドイツ軍兵士に撃たれかけたり、謎のモンスターに追われたり、スアレスに噛みつかれそうになったりとかそういう怖い夢が結構多かった。
逆に楽しいこともあった。厳しい中でも楽しいことはあるんだなっていうのも感じた年だった。いい夢だったらジャニーズ関連の夢が多かったかな。自分がメンバーだったりとか、逆に普通の人間関係にジャニーズがいたりとか。たとえば草サッカーを好きなメンバーと一緒にやってるとか、小学生時代のゲームしてる時の友人がなぜかジャニーズだったりとか。そういう芸能人が友達みたいな感じで出てくる夢は結構見た。ささやかだけどそういうのが楽しかった。
そんな2016年という年をそれぞれのジャンルごとに分けて語っていきたいと思う。
◆友人について
まず今年の自分の1年を象徴する言葉が「意識低い」
あらゆることが意識低くなった。意識高い系から意識低い系スタイルに目覚めるようになった。その言葉ができたのも友人とダラダラそういう話ばかりしてきたから。
その友達はプレ4のBF1とか買ってるけどたまにやる程度で結局惰性でガンオンばかりやってる。
なんか「BF1買ったけどアンロックがないからモチベなくなって惰性で結局ガンオンやる」みたいなことを言ってる人。そいつどうでもいいコンテンツ論みたいなのを語り合ったりするのが楽しい。「最近のコンテンツは~」「衰退が~」「大正義感が~」
あとは俺ら大好きのとある大学の極左教授しょうもない身内ネタを話したりとかね笑
自分はその人の講義を受けたわけじゃないけど、そいつはその教授の講義を受けたことがある。北朝鮮を擁護するトンデモ教授なんだよね。その教授は池上彰のライバルっていう独自のわけわからん設定を作って身内ネタだけで語ってるっていう意味不明な遊び。俺がその教授の一番弟子みたいな設定とかになったりするんだよ。
池上彰=イケアキで、イケアキの弟子にたまに番組を一緒にやる嵐の櫻井翔がいたりライバルキャラにミスチル桜井がいたりとかしてダブル桜井みたいにしたりとか、強キャラとして指原莉乃がいたりとか本田圭佑がいたりとか昔のクラスメイトがネタキャラとして絡んできたりとか。
俺、その友人、例の極左教授の3人を中核にそれぞれ好きな有名人やガチ身内を持ち寄ってそれがいつものメンバーになっちゃってる。
たいていガンオン廃人の友人が極左教授を裏切って戦いが集結して、俺は敗戦側で師匠に恭順して自決して、例の友人は何食わぬ顔で戦後の新政府の重役についていたりっていう俺ら間だけの様式美。そういうくだらない事ばかりやっていた意識低い1年だった。こういうしょうもない身内ネタって馬鹿馬鹿しいけど楽しんだよね笑
小説とかも真面目に書くよりこういう意識低いSSで済ましちゃう時代。でもこれが楽しいっていうね。
そして俺とそいつの中だけの流行語
2014年の流行語:最近情熱がない
2015年の流行語:結局懐古なんだよなぁ
2016年の流行語:意識低いスタイル最高
元々の始まりは2014年
2014「昔ほどゲームやアニメに情熱がない、何かいいゲームはないか」という感じで昔ほど情熱を持てるコンテンツがなくなり一応は何か新しい物を探そうとしていた時代。まだこの頃は上を目指していた時代。
↓
2015:昔はまってたゲームをやろう、あのゲームをやってた頃の環境を懐古
もはや最近のゲームやアニメに期待することをやめ小学校の頃など自分たちが最もはまっていたゲームなどを懐古。「あの頃」をひたすら懐古する日々
例:「ポケモンRSで通信ケーブルが必要だった時代なんだよなぁ、ガンダムSEEDが学校でブームだったころなんだよなぁ。最近のガンダムはこれだから~何が鉄血だ!何がBFTだ!でもBFの頃はよかった。」
もはや数か月前、数日前すら懐古するほどに。
↓
2016:意識低く惰性でゲームをするのが気楽
前年の懐古ブームに加えもはやあらゆるものを惰性でやる時代に。新しいゲームヤアニメを探すのでもなくやり慣れたもの、見慣れたものを惰性でやり続ける時代。
ゲームを高いレベルでやることや最新のコンテンツを追いかけることに興味を無くし、例の友人は様々なゲームを買いあさりながらも結局意識低いガンオンに行き着く。因みにこの人は2,3回ぐらいガンオンをアンインストールしているが結局課金しながらもやり続けている。新しいゲームを買う→結局意識低いガンオン、という様式美
オンライン対戦のガチ攻略情報を追い求めていた彼ですら「もうオフライン対戦でいいんじゃないかな」「マウスFPSなんて先細りの運命しかないからもう雰囲気パッドFPSでいいや」という始末。今年の夏はバイオハザードの意識低いミニゲームを2人でダラダラとやり、たまに戦国無双をやることが常態化していた。
もう自分に至ってはここ最近そもそも個人でゲームすらしてない。ポケモンGOももうやってないし、サンムーンもFIFA17も買ってない。正確には買えていない。最初はポケGOもジムリーダーになると息巻いていたがすぐガチ勢との壁の厚さを悟って「もういいや」と諦める。いつのまにかこの地域では希少なポケスポットを通っても起動することなくスルー。何かこうランク上位とか強さとかそういう物を追い求めることに興味を無くしていった年だった。一生懸命何かをやるよりもコンテンツの衰退を受け入れ惰性でやっていく事に目覚めて行った
◆人生について
ぶっちゃけ順調な1年だったとは言えない。自分の今年1年に点数をつけるならマイナス100点。それぐらいうまくいかなかった。酷い年だったそ順調や成功とは程遠い。まさかこんなことになるとはね・・・って1年。
上手くいかないから長かったのかもしれない。
個人的には悪い意味で激動だったし今年の前半とかが一昨年ぐらいに感じる。
ユーロ2016の頃は人生の底にいた。
私生活の面ではかなり苦しかった。
特にお金のことが酷いもんですよ。ここまで極寒の冬を迎えるとは思わなかった。食べ物とかでもほんといいものを食べた記憶がほとんどないぐらい今年は酷かった。お金がないことの厳しさを痛いほど味わわされた1年になってしまったし、とにかくお金に困りに困った1年だった。先行きはまだ不透明。
バイトも解雇されたしなぁ。そのバイトですら懐かしい。これも懐古。解雇されたことを懐古っていうシャレにもならない酷い事態。嫌なこともあったけど今になって思えば結構懐かしい、でも首になったからもう戻れないあの日々。まぁやめたかったからいんだけどね。その時はやめたいけどやめさせられてみるとそれが懐かしくなってくる。もうどうするんだろうね俺、何も人生が見えてこない。そういう意味じゃマイナス100点で酷い年の瀬。来年の年末は蟹でも食べられるようにしたいなぁ
カニ食べながら明るく祝える年の瀬にするつもりではいたんだけどね。思ってた未来とはだいぶ違うのも現状になってしまった。
ってかカニ食べぇよ・・・来年は蟹を食べられる年末にしたい。自分は蟹が大好きだからいつか蟹を食べて過ごす年末をいつか過ごしたい。
日本文学研究者のドナルド・キーンが太平洋戦争に従事したとき日本軍兵士の亡骸から見つかった手記に「アズキ3粒で仲間とささやかに新年を祝う」みたいな手紙が見つかったらしいけど自分もそんな感じ。蟹なんて夢のまた夢。極寒も極寒。
自分はそんな感じでカニなんてとてもじゃないけど買えないのに人には蟹をお勧めする人。今食べられる人が食べて、いつか自分も食べられるようになればいいんだよ、それで経済が回れば自分にも可能性が出てくる。あの冬はほんと厳しかったなといつか懐かしむときがくる。これも結局懐古なんだよなぁ。
誰も買わないと思うけど一応タラバガニもあるよ・・・
あと懐古で言えば夏とかもうすでに懐かしいね。いろいろ苦労して厳しい夏だったけど、あの猛暑の中で頑張ったことがこの冬の状況では何か懐かしく思えてくる。
にぎやかな夏が終わっていく寂しさみたいなものを感じる。夏~秋はあのスーパーよくいってたなぁ、とか。最近あまり言ってないからそういうのすら懐かしく感じる。数か月前を懐古するのは懐古の達人。太鼓の達人ならぬ懐古の達人
でも来年の夏ごろには逆に今の極寒の冬を懐古するんだろうね笑
出来ればいい意味で懐古したい。
◆創作やイラストについて
今年の前半は結構絵を描いてたなぁ。
自分の中でも新しい技法や表現がみつかって、こうしていけばいいかなって時に起きてほしくないことが起きて結局そのまま再開することもなく新年を迎えることになってしまった。そういう意味でブログのほうがよく書いてた。
結局ペンタブを起動してイラストを描くって動作として敷居高いんだよね笑
逆にブログは文字うつだけだから始めやすくて、結構長い間かけてるので楽しい。そんなしょぼい文章でも読んでくれる人がいるってのはうれしいよね。
余裕のない状況ではそうしていられないのも現状。もう少し生活が落ち着いて安定したらゆっくりやり直したいかなぁ。
◆サッカーについて
本田圭佑ファンとしてはかなり厳しい年だった。
ACミランで全然出てないし叩かれまくりだし「何をやってるのかな?」という言動や活動も目立った。正直全盛期の輝きはないし、落ち目ではある。
これから凄い未来に向かっていくぞ!という期待感を抱くのは難しい現状。自分が本田ファンなのはそういう新しいことをやろうっていうエネルギーに惹かれていた部分もある。本田もかつての輝きがないし自分も意識低くなったしっていう年。
でもなんだかんだで本田ならやってくれるんじゃないかなって言う期待感もある。自分はハリルジャパン、日本代表を信じてるんでね。
別に今ピークじゃなくてもいい。ザックジャパンとかピークを早く持ってき過ぎて本大会は惨敗してる。ハリルジャパンは現状まだ試行錯誤中で上手く言っているようには見えないけどそのピークが本番やってきて本番でいい結果を出せば歴史を変えられる。
自分はワンチャンそういうところに期待してる。途中がどれだけ楽しくても結果が出せなくて最後駄目ならば楽しかった思い出すら全部どうでもよくなるってのはザックジャパンで痛いほど思い知らされた。ザックジャパン初期の快進撃とか今思えばどうでもいいもんね・・・負ければすべてがガラクタ
逆に途中グダグダで面白くなくても最後勝てば苦しかったことも含めてすべてが楽しかったことになる。勝てばすべてが宝物
そうやってワンチャン狙ったほうが絶対いと思うんだよね。ザックジャパンみたいな末路になるぐらいなら今の厳しさを楽しんだほうがいい。 最後良ければすべてよし
あとクライフの逝去も今年。
美しいサッカーの総本山というか美しいサッカーの神。
クライフがいなくなってもその哲学、そして美しいサッカーは死なないと思ってるんでね。美しいプレースタイルを重視する、そういう美学。
それはサッカーだけじゃなくあらゆる競技やゲームでも重視されるべきだしただ傍若無人に勝つことだけが正義ではない。勝利には哲学が存在しなければならない。時には美しく散ることも正義であるとクライフは教えてくれた。
自分たちのスタイルとかも負ければ意味がないというのは確かにそれはそうだし何事においても結果が伴わなければ見向きもされない現実はある。
でもその価値観一辺倒になってはいけない。美学と結果この2つのバランスがよくなければ意味がない。そういう哲学の大切さを教えてくれたのはクライフだし現役時代は知らないけどもサッカー選手としても素晴らしい遺産を残してくれた選手だった。クライフターンは自分が一番最初に覚えたサッカーの足技。最初見たときは何が起きたのか理解できなかったけど今では自分の技の1つ。
そういう本当に偉大な選手が天国に行ってしまったことは残念だと思う。でもクライフの魂や美学はこれからも語られ生き続ける。サッカーはそうやって語る人がいるならば決して死にはしないのだから。
あとサッカーでいえばシャペコエンセの墜落事故には胸が痛む。サッカーファンにとっては悲しいニュースだった。今年は嫌なニュースも多かった。それとFIFAシリーズ買えてないってのも個人的に悲しいこと。
FIFAはFIFA12から買い続けてきた記録が途絶える。ついにFIFAの新作をやれないとしが来てしまった。前述のように生活の厳しさがあって購入の余裕がないこともだし。そもそも頑張ってFIFA17を買ったところでグラフィックボードの調子が悪いのでパソコンではできない。
PS4を買うお金はもちろんないし、それ以前に個人のみで使用できるテレビもない。仕方ないから虚しく一人でノートパソコンに入った3作前のFIFA14をしてる。そのノートパソコンは5,6年前のものだからカクカクするときもある。いい環境でFIFAの最新作をするって結構敷居高いんだねって思った。そりゃもうみんなスマホでできるソシャゲに行くよね・・・。
今年のACミランのユニフォームかっこよかったからそれを使いたかったなぁ。モンテッラ政権下では出場できてないけどFIFA17では本田をエースにしてすごいメンバーも勝手に移籍させてACミランを改革して脳内チャンピオンズリーグでレアル・マドリードと決勝とかやりたかったのに。実際の本田が活躍してないからせめてゲームで再現したかったし、ゲームでも本田がゴールするとうれしい。それすらできないからFIFA14という過去作でむなしくやってる。
ちなみにFIFA17のパッケージ投票ではアザールでござーるに入れたけどマルコ・ロイスに決まったよね。今思えばロイスパッケージかなりかっこいいなぁ。
とりあえずFIFAシリーズ毎年やってただけに今年はFIFAがない。それはともかくこのゲームはガチでオススメというか、数年間毎年買い続けてるし今の時代のこれだけ作りこまれてプレー人口も多いスポーツゲームってFIFAぐらいしかないんじゃない?プレーできる環境がある人は絶対やったほうがいいしうらやましい!最新作じゃJリーグ使えるようになったし鹿島アントラーズVSレアル・マドリードの再戦もできなくはない笑
でも自分が最先端の環境でFIFAをやれるようになるのはだいぶ先だろうなぁ。
◆ジャニーズ以外の芸能について
ジャニーズについてはこの後の記事でまた詳しく書くとして、芸能もその時代を彩るものだと思うで適当な感想。
指原莉乃の総選挙連覇は面白かった!もはや指原に支配されたAKB系列。もはやだれも指原を止められない。AKBで今面白いのが唯一指原だなんじゃないかな、トーク力と話題になる度は高かった。
あとなんちゃら坂の新しいのもでてきたね。コンビニで時間つぶさないといけないときいつもこの人たちの面白くないラジオが流れてたけど、もはやそれすら懐かしい。キスマイ時代に戻してくれ~って思いながら聞いてた。やっぱりこういう素人のノリみたいなの聞くと指原のトーク力の偉大さが再確認できる。あとやっぱジャニーズはトーク力高くてなんだかんだ皆芸能人としての能力が高いってのも思ったなぁ(最近女性アイドルに対して厳しくなってきてる人)
この前行ったらやっと気志團に変わってたよ。気志團も昔衣装で問題になってたような気がするから、ドイツからドイツへと継承された!?
でもとにかくなんちゃら坂のラジオを何度も聞かないといけないぐらいにコンビニにはいく機会が多かったのも懐古
あとりゅうちぇるとぺことかいう奴らもだいぶ出てきたね。りゅうちぇる結構好きなんだよね、こういうビジネスとして変なキャラに徹してる人は高評価しがちな自分。
ぺこと藤田ニコルときゃりーぱみゅぱみゅの違い
きゃりぱ→アーティスト気取りのアイドルくずれ
ぺこ→有能比嘉龍二の隣にいるだけの人
ニコル→毒舌だけど意外と性格がいい強欲な壺
当然ながらニコルも自分の中では高評価
ニコル>>>>>きゃりぱ>>>>>>ぺこ(笑)
ドラマは自分から意図してみることはないけどその場にいる状況でドラマやってたら見てた。KSK嫁出演の家売るオンナは結構面白かった。「私に売れない家はない」みたいなのがかっこよかった。あとは我らが伊野尾さんが藤原竜也とやってたドラマも見てた。この時はまだスキャンダルなくて相当勢いがあった。なおその後・・・。AKBもスキャンダルあったあの人がトップとってるから大丈夫。ゲスキャラとして復活するのを勝手に期待してる。(ゲスキャラ大好きな人)
真田丸は結構面白かった。前半全然見てなかったけど後半は見てた。戦国の勉強にもなったし大河ドラマってこういうキャラ物のほうがヒットするんだなと思った。その場でやってたかからなんとなく見てたけどそのうちはまっていったんだよね。又兵衛大好き。
ケンティが出てるガードセンターは実はみてない。
ドラマ見るのそこまで好きじゃないからその時いる場所でやってるのをなんとなく見てるスタイル。自分の意志ではもう見ないしドラマ視聴は録画貯めたりで続かないタイプの人。アニメとかも全然見なくなった。鉄血のオルフェンズやってたらしいけど、見てもない。
そういうのも含めて意識低くなった。2年前ぐらいまではそうのは見てたけど、何話も話を見るのが億劫になってきた感はある。結局好きなところだけ見れるコンテンツっていいよね。だからほぼジャニーズを見てた。例えば櫻井と有吉がやってるTHE夜会も、見逃しても別に問題なんだよね。次週見ればいい。そういう気軽さはあったし、録画をためておいても問題ない。
あとはシン・ゴジラと君の名は。は流行ったけど見てない。よくありがちな誰も興味ない見てないアピール。真田丸も見ないといけない空間じゃなかったら見てなかったと思う。ゼンゼンゼンゼンがどこでも流れてたし紅白にまで出るんでしょ?もういいよ・・・年末までゼンゼンゼン蝉は鳴くの?
そして何よりもとにかくスキャンダルとかが多かったよね。2016年キセキ世代すごすぎでしょ、完全に2014年を上回った。清原もここ最近また蒸し返されてるよね。ゴシップネタじゃほんと飽きない1年だった。最後にノンスタ井上と成宮も来たけど層が厚すぎてスタメン入りできなさそう。あとライブライブのアレも今年。
同じ悪いことでも好感度がもともと低い人がやっても話題にならないのに元々好感度が高い人が悪いことをするとここまで騒がれるのかと思った。ベッキーの年だったってぐらい今年はベッキーばっかりだった。いろんなスキャンダルが置きまくってるのに、全員ベッキーの話題をそらすためにやってるみたいなネタが面白かった。
芸能ではないけどトランプも面白い。
実際の政治以外のネタ要素で話題になりそう。政治と芸能の境界線はあいまい。トランプは政治をエンタメ化しているから勝った。個人的にトランプめちゃくちゃ好きで大統領選開票速報はその友人とみていた。勝った時はマジでうれしかったし歴史的瞬間を見れた。まさか本当に勝つとはね
何で好きかって言ったらやっぱり過激な発言。(やっぱりゲスキャラ好きなだけの人)
パククネとメルケルおばさんもだいぶヤバない!?
逆に小池百合子は有能。この夏の都知事選もエンタメとして結構面白かった。
今のところそんな批判されてないよね、さすが俺のゆりこ!(別に都民じゃないから投票してないけど)。東京五輪は任せても大丈夫って感じがする印象
そうだ、有吉みたいにあだ名をつけよう
パククネ→支持率0%弾劾おばさん
ユリコ→都民ファーストコスプレおばさん
ヒラリー→謎の液体スキャンダルおばさん
トランプ→アメリカ製失言製造機おじさん
メイ→EU離脱おばさん
ドゥルデ→フィリピン製失言製造機おじさん兼絶対麻薬許さないマン
政界いろいろキャラ濃い奴多すぎやろ(結局政治をエンタメで見たいだけの人)
いろいろ世界情勢やばすぎて、ちょっとやべぇよね。よーし、WW3のチーム分けするか!ドイツをひいたほうが負けるぞ!
ネタにしてるけどドイツとか他の欧州諸国は移民や宗教問題のテロがほんとシャレにならなかった。人権先進国みたいに言われてるフランスやオランダですら極右政党が力を伸ばしてきてるからこれからどうなるのかなっていう話。イギリスみたいにEU離脱という大胆なことをやる国も出てきた。テロとか見せられたらそうなるのは仕方ないかもしれない。いい加減こういう物騒な時代は終わってほしいなぁと思う。非常に複雑な問題。
でも多分こうやって俺みたいに政治をネタにして遊んでるふざけた奴の票を獲得できたからEU離脱派もトランプ派も選挙に勝てたんだろうね。これもまぎれもなく民主主義。
結局芸能も政治もおもしろがって見てるだけの人が案外多いってことなんだろうね。みんなそんな真面目に見てない。笑いと怒り、喜び、哀しみ、そういう当たり前の人間の持つ感情が世の中を変えていくのではないだろうか。政治を見ても芸能を見てもそう感じさせられた1年だった。
◆ブログについて
冒頭にも書いたけれどまずこのブログ読んでくれた人にセクシンサンキュー!
セクサンもサクサンですよ。もし毎日の楽しみの1つにこのブログの更新があるっていう人がいるならば本当にありがたい事。
自分も昔誰かの個人ブログを楽しみにしていたことがあった。そのブログは別に凄いブログではなくネットの片隅にあるしょぼいブログだった、でも自分にとってはすごく大事なブログだったんだよね。今はそのブログはなくなってしまったけど自分にとってはすごく大事だった。
そんな感じでもし誰かが楽しみにしていてくれるならそれはありがたい事だし、自分もそういう人がいてくれるならすごくうれしい。
大したことは書けないけどももなんだかんだで些細な楽しみだと思ってくれてる人がいるならば続けていきたいなぁと思う。
とにかくこのブログのスタンスというのはあらゆる「知識を融合して新しい知識を作り出していく」というスタンス
自分は多趣味の人間だからそういうものを総合して語っていきたい。
何か特定のジャンルのためのブログとなってしまうと多分コアになりすぎるんだよね笑
1つにジャンルについて複雑に語りすぎるよりも何か他のジャンルの知識を持ち寄って意識低く語るスタイルが楽しい。やっぱ意識低いスタイル。読む人も意識スタイルでいてくれたらうれしいし。AとジャンルにBのジャンルの知識を持ちこむことによって新しい発見があると思う。
特定の事だけに拘った専門ジャンルをやったほうがいいのかなと思いつつもやっぱりそれだけではまず自分が楽しくない。自分が好きなことをいろいろ語りたい。
複数のブログを運営したり、複数のSNSをやったりとか一時やったことがあるけども結局このブログに行き着くんだよね。多分器用な人はいろんなジャンルを専門的に整備していろんなことをやれる。でも自分は不器用。不器用だからもう1つブログでごちゃまぜでいいかなって。それに今まで興味なかったことに興味を持つきっかけになってくれればいいかなって意味でもいろんなことを記事にしてる。
そういう雑記ブログとしての可能性。
専門的な事ばかり語りすぎてもその世界のコアなものになりすぎる。まったく別の世界の知識を応用することがその世界の新しい知識の発展のヒントになるのではないか。そういう考えが自分にはあるのかもしれない。
料理に例えるならばイタリア料理に和食のエッセンスをいれるというか。AというコンテンツにBというコンテンツのエッセンスを入れる。いわば自分はコンテンツ料理人的な?(大げさな発想)
でもなんかそういう新しいコンテンツの可能性として自分のブログを追求していきたい。自分のブログがきっかけになって他の趣味に目覚めたって人がいるなら最高!ハブ空港じゃないけど誰かの趣味やコンテンツの中継地点的な役割を果たせるブログを目指したいというのはある。現代というのは娯楽やコンテンツがあふれている世の中だからコンテンツ同士のつながりという物が模索されていく時代。
1つ1つの趣味を閉じた世界でやっているだけではその世界に限界が来ると思うし広がってはいかない。異世界、違う業界同士のコラボという事をしていかなければならないのではないか。複数の趣味を持つ時代とか多趣味的人間が生きていく時代。別の趣味や教養に別の趣味や教養のエッセンスを持ち込む。
知×知=新しい知
雑記ブログという物が果たせる役目ってそういうことじゃないかなみたいな大げさなことを考えてたりする。
そんなその時の適当スタイルで来年もブログ書いていきたいなぁとか思う。
とりあえずこの記事を読みながら2016-2017シーズンの年越しを送ってる人がいたら申し訳ない。カップそば麺を食べながらこんなブログで年越ししていいのかよ笑
でもそれくらい意識低い暇つぶしブログになるなるならブログ投稿者としてそれほどうれしいことはないよね。
意識低い暇つぶしになるブログ、というのが自分の理想
そんなブログを目指していきたいかなって言う2016年の年末
無名の個人である自分がダラダラと長々と書いて、どこかの無名の個人がダラダラと長々と読む。それが理想も理想。そんな意識低い関係でいい。
自分は意識低く書くけども読む人も意識低く読む。そんな適当で意識低い関係でいいじゃない。
リアルな個人、リアルな読者、それが意識低いブログ
そんな感じでささやか楽しみにしてくれてる人がいてるならマジでありがたいしセクシーサンキュー
来年もよいお年を!