なぜ日本ではこれほどフィギュアスケートが盛り上がるのだろうか?
特に羽生結弦が現れて以降その人気はとどまることを知らずどこの書店を見ても羽生結弦コーナーが圧倒的人気を誇っている。
また浅田真央のような女性スケーターも国民的人気を誇る。
しかし世界屈指のフィギュアスケート人気を誇る日本のスポーツ事情は世界とは少し異なっている。そのためフィギュアスケートはスポーツではない、採点競技がここまで人気になるのはおかしいという事が言われる。
ではなぜ日本でここまで人気ななのか?日本人はスケートが好きなのかについて考えて見たい。
フィギュアスケートは女性が大半の支持層なので正確にはなぜ日本人女性はフィギュアスケートが好きなのかということを考察していきたい。
まず前提としてそもそも女性ファンがスポーツに興味があるというのが間違い。
女性層は美しいものは綺麗なものが見たいのであってガチ競技感とか競技性、対戦やぶつかり合いというものにはそれほど興味を持っていない。
そのスポーツが作り出す芸能感、エンタメ感、選手に対する対する異性としての目線や同性の女性選手の美しさへの憧憬、その世界が作り出す華やかな美しい雰囲気などが興味の対象であって、スポーツのガチ競技みたいなことに興味を持っているのはそれこそサッカーオタの小柳ルミ子みたいなコアなファンになってくる。小柳ルミ子も実際はメッシ個人ファン的なところがあり分析はしているがその競技そのものの面白さが一番の理由というわけではない。
これらのことを考えるとフィギュアスケートはスポーツとして観戦されているわけではないことがわかる。
「フィギュアがスポーツとして人気なのはなぜ?」と思うから男はフィギュアの人気を不思議に思ってしまう。
もっと別のコンテンツとして人気なわけであって、女性層はスポーツをそこまで求めてないし、フィギュアスケートについてもスポーツとして好きになっているわけではない。
美的コンテンツや芸能コンテンツのカテゴリーに入る存在であってスポーツを目的として見ているわけではない。
「スポーツ風味の芸能コンテンツ」「スポーツ風芸術」これがフィギュアスケートの位置に近い
これは男女のスポーツに対する考え方や前提の違いがあり通常のスポーツファンの感覚で考えるからいけない。男は激しいぶつかり合いを求めるが女性は美しく優雅なものを見たい、それゆえにフィギュアスケートがこれだけ人気を集める。
異性としての理想や、同性としての憧憬を女性ファンはフィギュアスケートに求めている。
要は芸能の一種なのであって、スポーツを求めてみているわけではない。
美しいものを見たいわけであってスポーツが見たいとは思って見ているわけではないのだ。求めている物が違う為、そこに男性の感覚で疑問視して「スポーツじゃない」といったところで、女性ファンは別にスポーツが見たいから見ているわけではないと反論するだろう。
男が好きな他スポーツにはまるで興味を示さないけどフィギュアだけ見るという女性層が多いことはその証左である。
楽しいと思う物、求めるものがなに何か、その違いを理解しないといけない。
男の感覚で「スポーツはこういうものだ、スポーツはこうだから面白い」と決めつけてかかると女性層がなぜフィギュアスケートを求めるのか理解はできないだろう。
男はこうだとか女はこうだとかいうのは好きではないけど基本的に女性は男性ほどスポーツが好きなわけではないし、好きになるということへの感性が違うというのはやはりあると思う。簡単に言えば強い者や激しい物が見たい男と、美しい物や優雅なものが見たい女の違いであろう
そもそもそれ以前に日本人自体がスポーツを何か芸能の一種のように見ているわけであって海外のスポーツへの感覚とは少し違う。
例えば南米ではサッカーは宗教であり生活の一部でもある。日本はどちらかというとカジュアルなエンタメとしてスポーツを見ている。
更に日本の女性層となればその感覚(スポーツ=芸能という感覚)はさらに強まる。
美しいものを鑑賞する芸能として見ているわけであり、誰が強いかを決める王座決定戦を見たい男とは目的が違う。
よって「採点競技のフィギュアはスポーツじゃない」という理論は女性からすれば至極どうでもいい物なのだ。そもそもガチスポーツを見たいと思ってもないし興味があるわけでもない。
女性のフィギュアスケートファンはおそらくパリコレやミスユニバースのように誰が綺麗かというのを求めてみている。
それにプラスして多少のスポーツ感を求めているが、そこまでガチなスポーツ感までは求めていないというのが女性ファンの心理だろう。ガチで強くなるとどうしても女性から見た目が離れてしまい男男してしまう。それよりは女性的なもののほうが女性の感性に合う。
具体的なプレーどうのこうのよりも、その世界が作り出す雰囲気や美しさという感性による基準に重きを置いて観戦している。
ただ自分自身勝てばいいとか強ければいいという勝利至上主義の考え方は嫌いでサッカーにおいて基本はヨハン・クライフの求める「美しいサッカー」の信奉者である。
サッカーは採点競技じゃない、勝てばいい、ゴールすりゃどうでもいいそういう考えは好きではない。
だからこそペップバルサやかつてのスペイン代表を未だに神格化しているし、サッカーは美しくあるべきだと思っている。
芸術性も大事だという考えには大いに賛同するのでフィギュアスケートが理解できないこともない。
むしろ競技において美しさは大事な価値観だと思っている自分にとってサッカーの世界よりもフィギュアという世界の方が理想なのかもしれない。正直自分が女だったら他のスポーツよりフィギュアスケート見るタイプだろうなとは思う。
そもそも男が動的な対戦や戦闘が好きすぎるのかもしれない。
ずっと対戦最高、戦いたい、勝った物が強い、そういう価値観で男は育ってきている。男が好きな言葉は「強い」である。
男がはまる物もたいていは対戦や戦闘になる。
女自体がそれほど戦いという物に興味がないのであって、だからこそガチスポーツよりもフィギュアスケートがうける。
むしろ逆に女性からすると男のスポーツや対戦好きをどこかで不思議がってるんだろうと思う。男の闘争本能を女性は不思議がるだろう。
しかし自分はその中でも美しさは持っていなければならないという価値観があり必ずしも戦闘至上主義者ではない。
それゆえにフィギュアスケートの美を大事にするという価値観自体には共感する。勝つことだけが正義ではない。
サッカーも美しいプレーをすることがやはり大事なのだ。何もかもガチなぶつかり合いや相手を倒すだけではつまらない。
その中でも女性は特に勝つことや負ける事、相手を倒すことなどより美しいかどうかを大事にする。それゆえにフィギュアスケートのスポーツ性よりも美しさを重視する。
相手の立場になり何を求めているかを考えると、こういった違いに気付くことができる。もしかしたら女性から見て見当違いで的外れかもしれないが自分はそのように解釈している。