先日韓国のEスポーツの大会に関しての記事を読んだ。
ある程度ゲームの話題に詳しいならば韓国でEスポーツが発達していてエンターテイメントとして人気なことは有名でEスポーツ先進国とも言われている。
日本も一部の格闘ゲームではゲーム大会が開催されておりプロもいたりするが、現状日本でゲームはまだ余興の領域を出ておらずアメリカや韓国などに比べるとその産業化やプロ化はまだ立ち遅れている段階だ。
そもそも今日本はソシャゲ全盛期の時代でありコンシューマーゲームはむしろ時代遅れのものになりつつある。
世界的に見ればゲームがプロ化していくことが流れだが、日本では皆スマホゲームをするという独自の流れが形成されている。
そもそもTVゲームやPCゲームをする文化が失われつつある中でゲーム大会の流行となると非常に厳しい現実がある。その上今回自分が流行ってほしいと思っているFIFAの大会となると既存のゲームの中でもマイナーになってくる。
サッカーゲーム自体は日本でもプレー人口が多いが、プレー人口の割に文化や大会が盛り上がっていないのが現実だ。
しかし自分はここに潜在的な可能性も感じている。
まずFIFAの概要だがこのFIFAシリーズはサッカーゲームでありリアルなサッカーの試合を再現しているゲームとして毎年発売されている。最新作はFIFA17、国際サッカー組織のFIFAという名を冠している通りサッカーゲーム最大手のゲームであり、スポーツ題材のゲームとしても最大手と言っても過言ではない。世界中にプレーヤーがおり、プレー人口だけを見ればゲーム界屈指のビッグタイトルである。
世界大会も開催されており優勝者はバロンドール授賞式に招待されたり、有名サッカー選手とプロモーション活動における企画で共演したりすることもある。
ただ日本に限って言えばFIFAプレーヤーはまだまだマイナーだし前述のようにそもそもこのご時世TVやPCでゲームをする人自体が少なくなってきている。忙しい現代日本人にとって、わざわざ家に帰ってゲーム機をつけてそこで対戦するというプロセスはもはや面倒な物でありどこでも手軽にできる簡単なソシャゲの方が人気になってきている。そこにレベルは関係ない。
「みんながやっている」「どこでもできる」「ゲーム機を買わなくてもスマホでできる」この利便性は、ゲームとしてのクオリティより重視されるのが現代の情勢になっており、この傾向は今後も続くものだと思われる。
しかし「ゲームをする」のではなく「ゲームを見る」だと事情は異なってくる。CS機が流行らない時代でもゲームプレー動画を観戦するという文化自体は日本でも存在する。ゲームを見ることの利点はゲーム機を買う手間が必要ないということと、ゲームをしなくてもいいという事にある。更に自分より上手かったりそのプレーヤーのキャラクターといった付加価値の要素も楽しめる。
現代人にとって「わざわざゲーム機を買って、わざわざプレーする」ということは徐々に大変で重いものになってきている。その中でただ見ているだけでいいというプレー動画の観戦は立派なコンテンツやエンターテイメントだ。
更にその先を言っているのがプロ化である。
北米や韓国などはこのジャンルが特に進んでいて韓国ゲーム大会では観客の9割が女性という程盛り上がっているらしい。更に大会の盛り上げ方やグッズ、ファンミーティングなどが存在し、とにかく盛り上げる工夫が随所に施されておりこういうところは韓国上手いなと感じさせられる。
つまり実際はゲームの内容よりその付加価値を面白くしているのが韓国式であり、それがエンターテイメントの盛り上げ方の秘訣でもある。
そもそも人間はその内容や本質ばかりを真面目に見ているわけではない。その付加価値の要素を多くのファンは求める。日本のプロ野球でも野球という競技というよりも、そのスポーツに付随して来るエンタメ要素の方が実は受けている要素であり野球ファンの多くはそこまで野球という競技を真面目に見ているわけではない。球場の面白さや選手ネタのニュースなどのエンタメ要素が本当の見どころになっている。
一方サッカーJリーグはどうしてもサッカーを見てもらおう、サッカーのクオリティをどう見せようかという事に注力しすぎていて、プロ野球と比較した場合そういうおまけ要素を盛り上げることができていない。日本サッカーメディア自身もサッカーをちゃんとしたものとして報道しようとしすぎてコアファン専用になりつつある。
また最近では将棋もそういうエンタメ要素を重視してファン層を拡大しており、「高尚な囲碁」という事に拘りエンタメ化できなかった囲碁は支持を失っている。
つまり真に何かの大会を盛り上げようと思ったらこういうお祭り要素、興行要素、ファン文化、ファンコミュニティの形成が最も重要な存在になる。
それが上手くできれば本質は何でも構わない。皆おまけの方を見るし楽しそうな雰囲気を大事にする。物事の本質ばかりを真面目に極めようとしてもそれは見向きもされない。
今後FIFAシリーズを日本で盛りあげと思うならばそういうファン文化、ファンの世界の面白さを大事にしていく必要がある。たとえばこのようにブログで語ることも大事だ。
「FIFAっていうゲーム」があるんだなとそれで知る人も出てくるだろうし「誰かが語ってるゲーム」というのはそれだけで面白そうに思えてくるのが人間の心理だ。
ソシャゲはとくにそこが上手くて内容なんてどうでも良くてとにかくやってる姿が楽しそうというようなCM戦略を取っている。ソシャゲのCMはプレー画面よりもとにかくプレーしてる人の面白さを重視したCMが多い。
ちゃんとゲーム内容を見せればクオリティが低い事や数世代前のゲームであるという事がバレるため、うわべの面白さを盛り上げている。そして日本人のほとんどが実際やってみたときのそのクオリティが数世代前だとか言わずに楽しくやっているのである。
ソシャゲが古いというのはゲーマーの意見であり、大多数の日本人にとってソシャゲで十分なのが現状。
「コンシューマーゲームはこんなにクオリティが高くて面白いんだ、こんなにリアルで凄いんだ!」と真面目に語ってもそれは難しくて敷居の高い物にしか感じないのが今のゲーム文化になってきている。
まずFIFAというゲームを流行らせようと思ったら、そういう「よくわからないけど何か楽しそう感」「ファン文化が盛り上がってそう感」が必要になってくる。
現状FIFAは好きな人だけが細々とやっている感じで、ファン文化の形成という意味では他のゲームに一歩も二歩も、いや数十歩先を行かれている。それゆえに大会もなかなか興味を持ってもらえないしそもそもそんなゲームがあることすら知らないという人も多い。プレー人口は多いがファン文化、ファンコミュニティは盛り上がっていない。
ただ一度はやってしまえばFIFAはそこから一気にゲーム界の主役になる可能性も含んでいるその理由は何よりも観戦のしやすさにある。
FIFA自体のゲームプレー画面の見方はほぼサッカーと変わらない。サッカーを見る感覚でこのゲームを見ても何の問題もなくルールの説明に関しては一切不要。
FPSのような一人称視点にくらべて上から平面で対戦を見られるしスコア制なので映像としては見やすい。
例えばこのEスポーツとして盛り上がっているLoL(League of Legends)も全くの素人にとっては何をやっているか一切わからない。正直自分もわからない。ある程度知ってる人や見慣れた人、経験者しか観戦には向かない。それゆえに熱狂的なファンが集まっているという側面はあるが本当にわからない人にとってはわからないし、ルールを理解しようという気がなければもうそれで視聴者にはならずに終わってしまう。
一方既にほとんどの人が知っているサッカーと同じルールのFIFAシリーズはそういった敷居がない。ルールわからなくても楽しめるのがサッカーでありそれはゲームにおいても変わらない。観戦のしやすさに関しては他のゲームにはない強みかもしれない。
ただサッカーゲームにおいて最も問題なのは「実際の試合と同じならわざわざゲームの試合を見ずに、リアルな試合見た方が良い」という事だ。観戦する立場としてはせっかくサッカーがあるのに、わざわざゲームでしかない物を見るかといったら、普通は本物のサッカーを見たいと思うに違いない。
しかしそれもサッカーが根付いた欧州の話であって、日本は日ごろからサッカーを観戦する文化がない。そもそもサッカーは基本的に週末だけにやっているスポーツであり日本人の中で週末にサッカーを観戦する習慣を持っている人が実際どれだけいるだろうか?
週末=サッカーという文化は日本には根付いていない。
それゆえにゲームのサッカー観戦という文化にも入り込む余地がある。ある意味サッカーは本物を見て週末に見る物という先入観がない日本人には「ゲームでサッカー面白そうだな」「実際のサッカーは見る気ないけどゲームは見てみたい」という人が存在するかもしれない。
先入観がないことはむしろ強みで新しい文化が根付く可能性はある。
それがきっかけで今までサッカーをあまり見たことが無かったけどゲームのサッカーでサッカーの面白さに気付いたという人が増えて、実際のサッカー観戦者も増えるかもしれない。サッカーという文化を何も本物の試合だけで根付かせる必要はなくて、ゲームでもこの競技に興味をもってくれたらサッカー界としてはありがたいし、サッカーを盛り上げるためならゲームでもなんでもやっていきたいとさえ思う。
「サッカーはこういう見方をしないといけない」という敷居の高い作法があってはいけないと思うし、ゲームでもサッカーという競技が好きになるきっかけになればそれは素晴らしいことだと言える。
ゲームのメリットはやはり好きな時間に見れることと、生中継に拘る必要がないという事。そして動画サイトに投稿すれば無料でいつでも見れるという事。更に一試合一試合が短い。実際のサッカーのようにお金を払って、なおかつ90分も見るというのは現代日本人にとってひたすら重い行為であり敷居が高い。
これからはサッカーと言えどもゲームでカジュアルに見る時代が来るかもしれない。
そこで提唱したいのが「Eサッカー選手」という概念。
これからはFIFAのプレーヤーがある意味サッカー選手のような存在になっていくかもしれない。このゲーマーのやるサッカーは面白い、上手い、世界大会がんばってくれというような文化が後に形成される可能性はある。
現状まだFIFAは日本では盛り上がっていないが将来的にこのゲームを盛り上げていけば「サッカー選手は目指せなかったけどそのかわりEサッカー選手を目指す」みたいな考え方も出てくるかもしれない。
FIFAシリーズ最大の利点は数えればきりがないほどにある。
1:一人でできる
2:部屋でできる事
3:怪我のリスクがない事
4:始める年齢や今やっている年齢が実際のサッカーほど重要ではない
5:ゲームさえあればいろんな費用が掛からない
6:プレーする場所や仲間を集めなくてよいので人脈が必要ない
7:チーム状況に左右されず自分のやりたいサッカーができる事
実際にサッカーをしようと思ったら1:プレーする仲間、2:プレーする場所とそこに行く手段や時間、3:体力維持などの必要な日々の食事や負担などが必要になる。しかしこれは社会人や学生にとって結構負担でありサッカーに真剣に打ち込める環境は万人が揃えられるものではない。
しかもそのサッカーをやったところで今更プロになれるわけでもないしアマチュアの大会ぐらいにしか出る場所がない、よほどうまくならない限り誰も見ていないし見せる場所や手段もない。それなのに体力的には大変。身体能力の衰えとも戦わないといけないし、体力維持をしようと思ったら食費もかなりなものになり体調を整え怪我と戦いながらやらないといけない。これははっきり言って誰しもができる事ではないし、その先に待っている物もそれほど見返りのあるものではない。実際にサッカーを出来る環境や状況にある人は恵まれているともいえる。
しかしFIFAではその問題が解決する。実際のサッカーに比べれば環境や状況をゲームでは揃えやすいし、40歳でもクリスティアーノ・ロナウド並のシュートを打てたりベイル並に速く走れたり出来る。しかも人数が揃わなくても11人制のサッカーが1人できるし怪我や披露に左右されず毎日練習できる。
仮にこの10年で普及活動を行い、FIFAの興行化に成功させれば10年後はEサッカー選手という概念が存在するかもしれない。
「プロになれなかったからEサッカー選手になる」という発想も生まれてくるだろうし、Eサッカーリーグみたいなものが視聴される文化が根付いているかもしれない。
更にローカルな非公式の大会も日本全国で開かれればそれは日本で文化としてサッカーが親しまれてるという事にもなる。それもサッカー文化の一つであると思うし、怪我などでプロの夢を断念した人にとってまだサッカーで夢があるという事は救いにもなる。もう一度サッカーで夢を見ることができるし、究極言えば自分も今から「Eサッカー選手目指します」という活動をしたりすることもできる
どんなスポーツも黎明期はろくに収益化ができていなかったしアマチュアから始まっている。日本でもそういう文化を盛り上げていく運動が起きて黎明期の発達を支える人が一定多数出てくればいずれ盛り上がっていく可能性もある。セルジオ越後がかつて日本で草の根のサッカー普及活動をやったように今後はFIFAプレーヤーが同じように草の根運動をしていく時が来たのかもしれない。
そもそも日本の今のゲーム道後投稿文化も昔はほんの一部の盛り上がりだったわけだし、海外のゲームプロ化も始まった当初からいきなり盛り上がっていたわけじゃない。
そして「Eサッカー選手」といえば少し滑稽な響きだと思った人はいないだろうか。
しかしEスポーツの大会の会場を見ればその考えは変わる。想像してみてほしい、この会場でFIFAを行いそれに観客が一喜一憂し歓声を送り、自分のプレーするFIFAの映像がこの巨大なスクリーンに映し出される光景を。
下部リーグでやっているプロやセミプロ試合より盛り上がり的には凄いことになるし、やってる本人や会場の観客にとってはワールドカップと変わらないような緊張感や興奮がある。こういう大きな舞台で熱狂的なファンに応援されて自分のやりたいサッカーを披露で来たらどれほど楽しい事だろうか。
実際のサッカーで夢破れてもこういう華やかなワールドカップのような舞台を目指せるとなったらEサッカーというのは軽視できない存在になるし一大コンテンツになる可能性もある。更に世界大会で優勝すればバロンドールの授賞式にも招待されて有名選手にも会える。サッカーにはまだゲームという夢がある。サッカーの形は様々だ。
FIFAの文化というのはまだ黎明期に過ぎない。
これらの想像は10年先のことになるだろう。
ただ日本サッカーもワールドカップに出場できずJリーグが存在しない時代に夢を見て不遇の時代を支えたファンがいた。日本のFIFA文化というのも今はそういう段階なのかもしれない。むしろ日本で盛り上げた形式がさらにその先の未来では世界に輸出されて世界のスタンダードになる可能性もある。
日本でもようやくJリーグがFIFAシリーズに導入されFIFA派というのも増えてきている。まだ日本におけるFIFAは始まったばかりの黎明期にすぎないが、ここからもしかしたら大きな発展を遂げるかもしれない。そう考えると今日本でFIFAをしているユーザーは日本サッカーで言う釜本邦茂や奥寺康彦のような存在なのではないだろうか。JSL日本サッカーリーグ時代や、それどころか戦前のベルリンの奇跡時代の選手のような役割が今求めらているのかもしれない。