elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

日本サッカーに真に足りないものは決定力ではなくドリブル

日本のサッカーにおける育成論でよく取りざたされるのが「ドリブラーがなぜ育たないのか」という事だ。

ドリブラー好きとしては日本人サッカー選手で世界でも通用する破格の選手が現れていないことに一抹の寂寥感を覚える。

 

日本人選手で海外で最も通用したと言えるドリブラーは乾貴士だろうか。

現在リーガ・エスパニョーラの舞台でスタメンを確立し強豪チームからも得点するなど活躍をしている。

宇佐美はホッフェンハイム時代にはすごい5人抜きができてたが、それ以降はその特異なプレースタイルゆえに適応できているとは言い難い。原口元気は浦和レッズ時代の切り裂くようなドリブルというよりはハードワーク面で評価されていると言ったほうが適切だろう。

 

前園、本山、斉藤学はJリーグ限定であり参考記録程度と考えたほうがよさそうだ。
長谷部も昔はドリブラーだったが現在はボランチ、そしてセンターバックでも地位を築いている知性派の選手だろう。
長友佑都は技術とエゴがあればリベリーになれた身体能力要素がある。

本職がドリブラーというわけではないが海外でドリブルというスキルが通用したのはキレがあった頃の香川真司、全盛期の中田英寿、怪我前の本田圭佑だろうか。

しかし世界の名だたる選手に比べればまだ物足りないというのが現状だと考えたほうがよさそうだ。

 

やはり日本サッカーの育成から強力なドリブラーが育つ可能性は低いのだろうか、世界を席巻するウィンガーやサイドハーフの選手が現れてほしいが現実問題としてはまだ発展途上にある。

 

バスケの育成年代ではゾーンディフェンスを禁止しており個の力を養おうとしていると聞いたことがあるが何らかの特別なプログラムや工夫が必要なようにも思う。

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個の力の代表例はドリブルであり、サッカーの基礎ともなるためすべてにおいて役立つため軽視してはいけない。
チャンスメイク、シュートに持ち込む動き、組織でも対人でもディフェンスでも重要になってくる。

なぜディフェンスにドリブルが重要かと言えば自分がドリブルの動きを読めるから阻止しやすくなるという意味でもあり、練習相手にドリブラーがいるから鍛えられるという意味でもある。強力な選手と対峙することでディフェンダーは鍛えられていく。


また中盤のキープ力もセンターフォワードのポストプレーもドリブルが上手い人はそのスキルにおいても傑出していることが多くボールタッチの面では基礎の部分で似てる部分がある。

ペナルティエリア内や中盤の密集地帯でボールを無理やり受けて綺麗な体制からスタートではなく理想や予想通りではない変な大勢から強引の持ち込む打開力のようなものもドリブルと密接に関わっている。


セビージャで清武弘嗣はコネて相手ディフェンスはがすことができず苦戦していた。

セビージャのパスサッカーはスペインを席巻しているがそのポゼッションスタイルにもドリブルは必要になってくる。トラップもドリブルが上手い人は上手い、基礎の基礎の部分ではボールタッチがあるからだ。

 

また日本サッカーの問題として「判断力が悪い」「視野が狭い」と嫌われるドリブラーが存在しないとが上げられる。

ある意味でドリブラーは「嫌われてナンボ」な部分があり、いい子では生き残っていくことができない。海外のクラブで日本人選手とチームメイトになった自己中心的な選手が批判されることがあるが、そういうエゴイスティックな選手すらほとんど存在しないのが現状だろう。

その判断力が悪く協調性のないドリブラーが現れることで、その中から傑出したドリブラーが出現するようになる。その前段階で出る杭を打つのではなく、協調性のない選手が現れることも割り切っていく寛容精神が無ければ優れた個の力を持つ選手も現れない。

もちろんチームプレーと組み合わせることは重要だが、ドリブルしかできないような選手を長期的に育てることも重要になってくるのではないか。

「戦術はロナウド」という言葉が存在するが戦術を超越したような選手を日本サッカーファンとして見てみたいと思いはある。サッカーをなぜ見るかと言えば度胆を抜くような規格外の動きをする選手を見たいからでもある。そういう選手が日本から現れる日がやってきてほしいとも思う。

 

今ではパサーやチームプレーヤーとしてドルトムントで地位を築いている香川真司は育成年代でドリブルばかりしていたらしく、セレッソ大阪時代は練習中ゴール前でもパスをせず強引に決めていたと播戸竜二が語っている。

司令塔としてのイメージが強いダビド・シルバも元々はスペインのメッシと言われドリブラーとして台頭してきた。

必ずしもドリブルばかりさせればエゴイスティックな選手に育つかと言えばそうではない。

ドリブルがオプションとしてあることでチームプレイヤーとしての脅威も増す。

ドリブラーはよくドリブルを多用する人という定義で考えるならば、ドリブラーではないけどドリブルが上手い選手も当然存在する。
アンドレス・イニエスタはドリブラーとは言われないけど抜群にドリブルテクニックがある選手だ。

 

特に南米にドリブラーが育つ理由は彼らが幼少期の頃から遊びのサッカーの中で対人戦をやっているからだろう。

日本の子供たちはあまりまた抜きやボールの奪い合いを遊びの中でやらない傾向がある。騙し合いや肉弾戦バトルとして南米人はサッカーを楽しんでいるが、日本の子供たちは公園でのサッカーなどを見ていてもパス練習が多い印象を受ける。

サッカー文化や風土の違いが遠因となっている側面はありそうだ。


ボールを持つ時間を増やすという意味ではやはりフットサルは重要でありブラジルにドリブラーが多い理由でもある。フットサルは現に日本でも普及してきており、原口元気はフットサル出身者だ。冬場や雨天でもできる上にストリートサッカーの文化が無い日本では体育館でもできるフットサルは有用な育成土壌になっていくはずだ。

特に子供の多い都会であればスポーツができるスペース自体が体育館にしかないという事もある。

 

またドリブルに重要な素質として足の速さばかり重視する風潮は良くないだろう。ウィンガーを足の速い選手とだけ定義してしまえば人材の発掘は困難を極めるだろう。

 

足の速さよりも当たりの強さを重視しても良いかもしれない。いわゆる重戦車ドリブルができる選手も必要になってくる。
足は速いが当たられたら潰れる選手と、そこまでスピードはないがとにかくブレなくて足元もうまい選手がいたら後者の方がいい。

足が速い選手じゃないとドリブラーになれない神話は崩していく必要がある。

速さの限界値そのものやタイムの上限を伸ばすよりも現状の自分の最大値を使い切る、つまり自分の最大の速さに近い速度で変わらず精度の高いドリブルをすることの方が単純にスピードを高めるより大事だと自分は考えている。


そのトップスピードの中でアイデアの豊富さや視野を広げることができるか、そしてそれを実際の試合の厳しい局面でも平然と使うことができるか
足を速くすれば良いドリブラーになれるというわけではないし、陸上選手になろうとしてるわけでもない。

サッカー選手としての成長が何かを考えた場合短距離走者ドリブラーは別物だ。
もちろんサッカーはボールを持っていない時間のほうが多いからタイムを伸ばすこと自体は必要。

 

また必ずしもドリブルスキルを向上させることだけが目的ではなく、その鍛えたスキルをどう活用するか、他の能力と組み合わせたり応用するかも重要になる。

ドリブルというベースや前提があってそこからそぎ落として何を加えるかの問題になるが、前提が無ければプレースタイルの幅は限られてくる。

ペナルティエリア内の強引な動きに応用したり、中盤で前を向いて前方にパスをする一連の動きに応用したりもできる。

ルカ・モドリッチは中盤の低めの位置でプレーすることがレアル・マドリードでは多いが絶妙なタイミングで的確にドリブルをすることで非常に効果的な役割を果たしている。

ドリブルはドリブラーにしか必要、ボランチやサイドバックにドリブルはそこまで重要ではないという神話も変えていく必要がありそうだ。

ドリブルは全てのスキルや局面の核になる重要な要素だと言える。

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