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ユベントス戦は孤軍奮闘か?活躍もするがゲームを変えられないネイマール

今回カンプ・ノウで行われたバルセロナユベントスの一戦はサッカーの変わり目を象徴した一戦ともいえる。本格的にサッカーが守備有利の時代になってきたともいえるしバルセロナの攻撃サッカーが勢いを無くし衰えてきたともいえる。

MSNの3人はゲームを決める重要な得点を決められず結局のところセリエAの強豪ユベントス相手に2戦連続無得点で大会を去ることになった。

スアレスの得点力は鳴りを潜め、メッシとネイマールユベントスに阻まれる。2ndlegの一戦はホームにもかかわらず枠内シュート1本で終わっているあたりバルセロナの攻撃力は衰えたと言っても差し支えないだろう。

全盛期のバルセロナは引いた相手すらも攻略できた。

どれだけ相手が理論上完璧であり鉄壁の守備を築いていてもその守備を突き崩す創造性や破壊力が存在した。

 

今のバルセロナにかつての姿はない。堅守で守られれば順当に敗退する、守備が固いなら守られて終わり。どれだけ理論やハードワークで固めきった守備もバルセロナなら破壊してしまうというような異次元の攻撃力は完全に失われてしまった。

バルセロナのサッカーが華麗だと賞賛された理由は「どんなに守っても止めることが不可能」という圧倒的な攻撃力にあった。南米トリデンテが全てを突き崩してしまい結局はどんな守備も意味をなさない。守っても守っても最後はバルセロナに破られてしまうという怖さがあった。

しかし今バルセロナは敵に籠城作戦を決め込まれればそれで終わってしまう。

守備を崩すことができず無念に去ってしまうのだ。アトレティコ・マドリードユベントスUEFAチャンピオンズリーグで敗退させられたことは国際舞台でそのトレンドが終わりかけていることを示している。

ネイマール

しかし今回全員が物足りないパフォーマンスを披露したわけではない。MSNの一角ネイマールユベントスの圧倒的堅守にもかかわらず個人の力で突破しそのポテンシャルの高さを示した。まちがいなくこのセレソンの10番は今世界でトップ3に入る選手の一人だ。

彼は守備の達人相手にそのドリブルで翻弄し、あと一歩のところまで迫った。その一方で最後のわずかな部分で突破することを阻まれる。ドリブラーの宿命はどれだけ突破しようとも最後の1人や最後のワンテンポを失敗してしまえばそれが無に終わってしまう事である。

サッカーとはどれだけドリブルで突破したかという採点競技ではない。活躍をしても最後の部分で突破できず試合を決めきれなければ何もかもがなかったことになって住まう。涙を流していたネイマールの姿はその無念さの表れだったのだろう。

 

この試合とにかくネイマールは本気だった。PSG戦で奇跡の大逆転を達成したときもとにかく本気であり歴史を変えるつもりで高いモチベーションで挑んでいた。ここまでバルセロナの勝利のために、そして次世代エースになるためにに熱い思いを背負っているのかというような迫力があった。

PSG戦の奇跡はネイマールなくしてはなしとげられなかったし、今ネイマールはかつてのブラジル代表のレジェンドと確実に肩を並べつつある。最近のバルサに欠けているギラギラした野心があり、ネイマールがいれば次の世代もバルセロナはトップレベルを維持できるのではないかとさえ感じさせられる。

 

その一方でやはりまだ物足りない部分がある。

間違いなくネイマールは素晴らしい、今の若手世代の選手では間違いなくトップクラスの選手であることに疑いはない。

しかし「かつてのメッシ」ならばこのユベントス戦の2試合の内1ゴールは決めていたはずだ、いやこの試合を勝利に導いていたはずだ。

素晴らしい選手であることは間違いないが「世界最高峰」というハードルの高さを求められたとき、ネイマールはチームを救えないという弱さがある。逆に言えばネイマールが真の実力をメッシに遠慮して発揮できないというのもバルセロナの問題かもしれない。

次世代を担うスーパーエースネイマールに主役の座を譲ることをメッシが了承したときその世代交代は完遂しバルサは新時代へと移行する。メッシが主役からアシスト役や中盤の選手に特化しネイマールを次期エースとして了承すれば新時代はやってくる。

しかしこのバルセロナというチームにそれはできないだろう。今メッシは一人の選手からクラブ内に絶大な影響力を持つ選手以上の存在になりつつある。メッシが他選手を叱咤したりフロントに新選手獲得の要求をしているという報道は既に伝えられている。確実に一人の選手以上の言動を行っているのが今のリオネル・メッシだ。

 

こういった状況下でネイマールバルセロナを去りエースとして扱われるクラブへと移籍するのではないか」という推測も存在する。メッシとサッカーをしたいと願いバルセロナへサントスからやってきた選手が次はメッシから解放されるために他のクラブに移籍するのではないか、そんなことは無いとは願いたいが今の自分にその可能性を完全に否定しきることはできない。

実際にモウリーニョマンチェスター・ユナイテッドに移籍を志願するように何度も熱心に語りかけており世界中からFCバルセロナ以上の高待遇で迎えるオファーがあることは事実だ。

「メッシとプレーする」ことより「メッシを超える」ことを優先したときネイマールは別の選択肢を取る可能性もあるだろう。バルセロナがそのチーム力を維持するにはネイマールを次世代エースとして確保できるかにかかっている。

 

しかし当のレオ・メッシも決して衰えているわけではない。そのプレーを見ている者ならばメッシが劣化しているとは口にできないだろう。メッシが衰えているという意見は試合を見ていない者の意見に過ぎず彼らはセンセーショナルな話題を作り出したいだけに過ぎない。相変わらずそのプレーの質は高くメッシは健在している。

その一方で「かつてほどのメッシではない」という事も事実だ。依然として世界No1を争う選手であることには変わりないが奇跡を起こす神ではなくなってきている。一人の選手を不用意の神と崇める事の脆さは承知しているつもりである。しかしその一方でかつてのレオには見る者に神だと感じさせる姿があった。

 

神など現実の姿として存在しないと思っている者にさえ神の存在を感じさせる能力があった。今まで世界中のバルセロニスタが目撃してきたのはそういった選手でありそれゆえに人々はメッシに心酔してきた。

全盛期はまさに現人神そのものであり、奇跡を何度も起こしてきた。「メッシがいるならばフットボール以上の事が起こるだろう」 とさえ感じさせ実際にそれを証明してきた。

厨二病のような表現になってしまうがサッカーをしていた神が人間界では一番うまい選手になった印象に落ち着いたのが昨今のレオ・メッシのプレーだ。

 

そして「その全盛期は紛れもなく神だった選手」と比較されてしまうのがネイマールだ。ネイマールの年齢だったころのメッシは何度も奇跡をおこしバロンドールを獲得し世界を席巻していた。その一方でネイマールはまだ一度もバロンドールを獲得できていない。間違いなくすぐれた選手ではあるがサッカー上手いブラジル人の1人に過ぎないというのが現状のネイマールの評価だろう。

少なくともセレソンの歴史でナンバー1の選手というわけではない。メッシがマラドーナを超えたという評価は聞くがネイマールがペレを超えたという評価は聞かない。

バルセロニスタは少しの間あまりに夢を見過ぎていたのだろうか。現実以外の世界を見過ぎており、今その幻影にも似た過去から徐々に醒めつつある。ネイマールが再び夢を見させてくれるのか、それとも彼は去ってしまうのか。再び「あの日々」が訪れることの希望をネイマールに託しても良いのだろうか。今世界中のバルセロニスタは現実と理想の狭間で何を思うのだろうか。 

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