ファンタジスタは現代サッカーに存在しない、カルチョの国イタリアからはもはや美しいフットボーラーは輩出されない、そんなことを聞いたことがないだろうか。
もうイタリアやアッズーリは華麗なファンタジスタを生み出すサッカー大国ではないのではないか、そんな懐古的な人々をかつて美しいフットボールを目撃した日々に招待してくれるのがマルコ・ヴェラッティである。
このイタリアが誇る新世代の至宝はあらゆるセンスを兼ね備えている。
現代サッカーのインテンシティに対応するための技術、そしてその中で決して埋もれないファンタジー性、その二つを高い次元で両立しているのが天才ヴェラッティであり世界がこの青年の次なる去就に注目している。「現代版ファンタンジスタ」とでもいうべきなのだろうか、マルコ・ヴェラッティは現代、過去、いずれにせよその芸術性を承認されるべき存在である。
美しいフットボールを求める人々は彼が次なる「創作の場」としてどのクラブを選ぶかの注目している。
「ヴェラッティよ、君が思う存分そのアーティストとしての才能を発揮できる場所はあのクラブなのではないかい?」
バルセロニスタとして一言彼に語りかけるならば、次はカタルーニャに本拠地を置くあのブラウグラナのチームを推したい。ヴェラッティがバルセロナにやってくるならば、その姿を想像しただけで誰も想像したことがない領域に誘われる思いを抱かずにはいられない。想像するだけで至高なのだから現実にそれが実現したときにもはやこれまでに見たことがないような作品、アートを目撃することになるだろう。
その日がやってくるのは来シーズンなのか、それとも永遠にやってこないのか。今か今かと待ち望んでいるが残念ながらまだその甘美な日々はやって来ない。仮に永遠にその時がやってこないのであればフットボールへの幻想を棄却しなければならないだろう。
フットボールとは美学と夢を伴っていなければならないはずだ。ヴェラッティがバルセロナにやってこない、そんな虚しい日々がこれからも続いてはならない。フットボールが真に夢見るアートであるならばバルセロナとヴェラッティは必ず邂逅する必要がある。
ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、いやそれ以上に華麗な芸術がこのイタリアの至宝によってもたらされるだろう。正直に言ってこの天才マルコはカルチョの国がこれまで輩出してきたあらゆるファンタジスタに勝る能力がある。
ロベルト・バッジョ、アンドレア・ピルロというアーティストがこの長靴の国からは誕生してきた。ゾラはややファンタジスタとは違うが、アリゴ・サッキは革新的なイノベイターであり現在もマンチーニやアンチェロッティ、コンテ、そして我が国を指導してくれたザッケローニのように偉大な戦術家は多い。
そしてその眩いばかりのカルチョの国で「今もっとも私を興奮させる男」がいる。
その男、名をマルコ・ヴェラッティという。
分かり過ぎていたが故にその言葉を使おうと思う事すらなくなっていた「天才」という称号を今このイタリアの青年には躊躇なく呟くことができる。
「なぜ君はバルセロナとサインしないんだい?バルサは君にとって素晴らしいクラブじゃないか」
そう流行語で語りかけるならば、スペインのカタルーニャをホームとするFCバルセロナという世界で最も美しいサッカークラブは君を常に歓迎に満ちた姿勢で待ちうけている。自分を始め世界中のバルセロニスタがマルコ・ヴェラッティがあの場所にやってくる日を待ちきれない。
マルコよ、いち早く君はバルセロナへの旅支度を整えるべきだろう。
長靴の国イタリアの歴史においてミケランジェロに勝る可能性さえ兼ね備えているこの「天才」が次にその筆、いやその足とボールを駆使する場所はバルセロナだろう。
誰もが創造性と技術を兼ね備えたアーティストには最大限の環境を望んでいる。
ヴェラッティにとって最高のアトリエが存在するならばそれはカタルーニャにあるだろう。その創造性が最大限に発露する場所はバルセロナ、そう断言できる。偉大な新世代のアーティストはその次なるアトリエをカンプ・ノウに選ぶだろう。
いまもっとも私を興奮させる男の名前である。