elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

朗報:本田圭佑とムンタリの友情、まだ健在だった

本田圭佑がウガンダに行ったときムンタリが登場してサッカーファンの間で話題になったけども、実は本田圭佑から誘っていたらしい。

ムンタリスタ歓喜!とちょっとしたサプライズとして湧きあがり、個人的にもこの2人の組み合わせは好きなので嬉しかった。

1人のムンタリスタとして、そして本田ファンとしてこの友情が続いていたことに感動せずにはいられない。

やらかし癖のあるガーナ人サッカー選手を思い浮かべてください。

ケヴィン・プリンス・ボアテングではなく、ムンタリですね?

これがムンタリズムです。

 

本田圭佑「サリー、ウガンダの子供たちに会いに行こうや」

ムンタリ「ケイスケ、オレ、ガーナ人ダケド、行クヨ」

 

最近本田圭佑が「飢餓に苦しむ人たちに共感するためにラマダンを体験した」というツイートをしてた時どこに行っているのかと思っていたら、それは人道支援活動で訪れていたウガンダでの出来事だったようだ。

イスラム教と言えば湾岸諸国のイメージがあるけど実はアフリカもかなりイスラム圏が多い。

そんなウガンダは世界一難民を受け入れており、欧州全体が受け入れる数よりも多いらしく本田圭佑は「ウガンダはもっと評価されるべき!」とツイートしている。

twitter.com

 

今回本田が会ったムンタリと言えば現在ペスカーラに所属しており、つい最近人種差別的な野次に抗議し自ら退場するということが話題になった。本田圭佑が「尊敬できる人格者」と認めるムンタリは今回本田の活動に共感して駆けつけてくれたのだろう。

セリエAという人種差別が未だに根深いリーグでは有色人種の選手はこの問題と闘い続けなければならない。

熱い男ムンタリはそのことが許せなかったのだろう、時として声を上げなければならない時がある。あの退場には良い"ムンタリズム"であり、世界中のムンタリスタがその勇気ある行動に感動した。

本田圭佑も同じセリエAで、そして同じクラブでプレーした選手として胸を打たれたのかもしれない。

「サリー、ウガンダに行こうや」

そうして2人はウガンダを訪れたのである。

 

こうやっていろんな国に訪れて夢を追いかける事すらできない開発途上国の子供たちを見て支援してるのが本田圭佑でもある。

レッスン料の安いサッカースクールをほとんど利益が出ないのに運営してる。

「CMにばかり出てる本業はビジネスマン」と心無い人々が彼のことを揶揄するが、その利益を子供たちのために積極的に投資しているのが本田圭佑であり、その姿はもっと評価されるべきだと思う。

 

「影響力のある現役選手のうちにやることが大事」という哲学に沿って本田圭佑はこういった活動をしているが、悪いときや間違った時だけ反応して、良いことをしてる時はスルーする、そんな人が大勢いる。

 

匿名の場で本田圭佑に酷いことを書いたり、SNSで本田のツイートに反論して、自分では直接反論せず支持者に攻撃させに行く陰湿な卑怯者もいたりするけど、こういう本田の良いところは注目されるべきだと思う。今回本田がウガンダのことを紹介したように、ポジティブな使い方をすれば本当にいいツールになるしSNSやネットというのは使い人によって左右される部分がある。

 

本田圭佑が次にツイートしそうなこと

「どうしてもこの社会の風潮として人の間違いを批判したり指摘することに時間を使う傾向があるけど、誰かのやっている良い事を応援することに時間を使ったほうがいいんじゃないかなと、僕は思うんですよ。そのほうが世界も平和になる気がするんですよね。」

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それにしても今回ムンタリと再会したことで、ACミラン時代が懐かしくなった。

ムンタリがいたり、バロテッリがいたり、カカがいたり、いろいろ濃いキャラが揃っていた。決して良い事ばかりではなかったけど、凄く面白い時期だったし今となっては後悔よりも懐かしさが勝る。

 

「本田圭佑はACミラン以外のクラブに行っていればよかったのに」とは思わない。CSKAモスクワもACミランもきつい時期があったけども、それも含めて懐かしさに変わる。自分は本田圭佑本人ではないからその苦労を経験したわけではないけど、ファンとしても耐える時期は凄く多かった。

それでも、その苦難の時期すら懐かしい。嫌だとか大変だとか思ってた時期すら懐かしく感じる、そんな経験が誰にでもあるのではないだろうか。

 

サッカーの試合のムンタリがゴールを決めたとき「サリー・アリ・ムンタリ」と語感よく実況が叫んでいたあの日々も既に遠い昔である。

それでもムンタリズムはまだ健在だった。

いい意味で変わってない、そんな熱い男ムンタリが本田圭佑と共に共闘していたことはファンにとっても大切な思い出であり、そして今回再びタッグを組むことになった。

日本でここまで愛されてるアフリカ人サッカー選手は他にいないだろう。

サリー・ムンタリ、いつまでもムンタリズムを失わないでくれ。

 

モイモイことモイーズ、モウモウことモウリーニョを筆頭に、メクセス、マリオ・バロテッリ、そしてムンたんことムンタリ、マ行で始まるサッカー関係者面白い説、あると思います。

槙野智章「俺は?」

ムサ「俺も!」

メネズ&モントリーヴォ「またどこかで会おう」

マルコ・パソット「ワシもいれてくれ」

なぜか本田の周りにはマ行で面白いサッカー関係者が集まる。

www.youtube.com

こうして振り返ってみるとACミランにはなんだかんだで面白い選手がい数多くいた。

マ行以外の選手にもアバーテ、エル・シャラウィ、カカー、ターラブト、ラミ、いろんな選手がいた日々が懐かしい。

いつかACミラン退団メンバーで「ミラン卒業式」みたいなものをやってほしい。

1年の時の担任がセードルフで2年の時の担任がインザーギで、3年の時の担任がミハイロヴィッチ、そして校長はガッリアーニにしよう。

BGMは川嶋あいの「旅立ちの日に・・・」が似合うかもしれない。

星稜高校の学ラン着た本田、カカ、メネズ、ムンタリ、エル・シャラウィ、ディエゴ・ロペスが参加して、アバーテとモントリーヴォは在校生として見送る。

バロテッリは退学生だけど参加して、すぐ転校していったフェルナンド・トーレスもこの日は駆けつけて、そしてなぜかじゅんいちダビッドソンもさりげなく参加

 

「ACミラン旅立ちの日に」

 

ガリのいる記者会見室でリトルホンダを語らせながら

出会った永遠のチームメイト達 あどけない握手をしたね

あの日駆け回ったサン・シーロ 辛辣な評価をするガゼッタ

時に素直になるの嫌ってフリーキックの奪い合いもしたね

練習後いった常連の店 いつものエスプレッソ忘れてないよ

長友としたミラノダービーの約束 みんなきらめく陽だまりの粒

 

いつのまにか時は流れもう今日は退団の日

選手はいつか旅立つ者だけど

いつの日にかまたどこかで会える気がするからね

ミラノの日々を忘れないで

 

もう音程滅茶苦茶だけど雰囲気で歌い切る替え歌、2番まで考えると長くなりすぎるけど「時にバルバラと夢中な恋もしたね」という歌詞も入れたかった。

バルバラも懐かしいなぁ、ピアノの伴奏で登場してもらおう。

そして「いつの日にかまたどこかで会える気がするからね」という歌詞の通り、今回ムンタリと再会することができた。今後もしかしたらまたACミランの選手とどこかで再開する時がやってくるかもしれない。

 

ボバンやコスタクルタが評価ですぐ手のひらを返したり、ガットゥーゾはわりと評価してくれてたり、クラブやサポーターを本田圭佑が批判したり、本当にいろいろなことがあった。

 

本田圭佑のACミランでの挑戦を総括するならば「ウィングの選手としてはセリエAで最も通用した日本人選手」という評価をすることができるだろう。

日本人サッカー選手がそもそもセリエAのクラブにそれほど移籍したことがないため、限られた挑戦の中では暫定的に本田圭佑がもっともウィングとして通用した選手だということができる。

多くの選手はセリエAに移籍することができないし、他リーグで活躍している選手も守備戦術が高度なイタリアで通用するかどうかはわからない。

少なくともインザーギ時代の前半や、ミハイロヴィッチ時代の後半は十分サイドの攻撃的な選手としてやれてたのは事実で本当にすべてが通用しなかったわけではない。

 

日本人選手の中でも決してスピードやアジリティに恵まれた選手出ないにもかかわらず、セリエAでウィングとして一番通用したというのが本田圭佑という事実は興味深い。

「スピードが無い選手のサイドでの役割」という意味では可能性を示したともいえるし、今後の日本サッカー界にとって重要な参考データになるかもしれない。

その国のサッカーというのは様々なトライアンドエラーの繰り返しで進歩していく部分がある。本田圭佑のこの3年間のセリエAでの戦いというのは大きな意義がある、そこを過小評価するべきではないとも思う。

本田圭佑が「また別の形で会えれば」と語っているように、なんだかんだで面白く、そして濃い3年間だった。

ムンタリと今度は観光でミラノに行って、アバーテに案内してもらっても面白いかもしれない。