サッカーとチェスはもしかしたら似ているかもしれない、前者が芝の上で行われるチェスならば後者は盤上で行われるサッカーだろう。
常に状況が移ろい変化し、先を読んで行動しなければならない。あらゆる駆け引きが相乗的に行われそして最後はゴールを決めるかキングをチェックメイトにかけるかだ。
ルークが縦に突破しクロスを上げるサイドバックの選手ならば、ビショップはカットインを行い相手陣内に切り込むウィンガーであり、ナイトは変則的に動くトップ下の選手かもしれない。そしてクイーンはあらゆるプレーを行うことができる10番のエースであり、キングはゴールキーパーだ。
プレイヤーはもしかしたら監督かもしれない。
ピッチを俯瞰して見た場合、サッカーとチェスはそっくりだ。
本当に高度なチーム同士の試合ともなれば様々な戦術が激突し、常に状況が変遷していく。一人の選手がお互いに影響を与え合い、様々な相乗効果が発生する。どの選手がどの場所にいて、どのような動きをするか、それはまるでチェスのピースがそれぞれどの場所に存在しどう動くかに意味があることと似ている。
ピッチ上の選手全員のポジショニングに何らかの意味があるように、チェスもまたどの駒も大きな意味合いを持つ。どのタイミングでどの場所に存在するかで持てる能力が発揮できるかどうかが異なる。
そして監督はどういった配置や布陣がベストなのかを考えながら指揮する。
またサッカーとチェス共に引き分けが多いことも相関しているだろう。元々は戦いをモチーフとし西欧文明の中で洗練され近代的な発展を遂げてきた伝統がある。
この二つに違う事があるならばサッカーは肉体スポーツでありそれぞれが意志を持ち、その行動すべてを制御することはできない。一方チェスは頭脳スポーツであり自分の駒は全て思い通りに動かせる。
よくサッカーの監督が自分の思い通りに全員の選手を動かすことができれば理想と語り、高度なチームは監督が指示してきた動き通りにまるでチームが一つの生命体のように次々と連動する。
グアルディオラ時代のバルセロナはまさにその領域に合っただろう。チームの選手全員に無駄がなくお互い常に先のことを考え連動していた。
そのシナジー効果はもはや美の領域に達しており、今も「ペップバルサ」として語り継がれる伝説のチームとなっている。
サッカー界の監督で言うならばグアルディオラ、サンパオリ、ビエルサ、ゼーマン、オシムなどはこのチェス的な考え方を持っている指揮官だろう。
独自のサッカー哲学があり自分のスタイルをチームに落とし込もうとする。
また選手ではシャビ・エルナンデス、トニ・クロース、遠藤保仁などがこういった考え方をしている選手に近い。
「ボールは丸い」と言われるが実は最も規則的に動くのが球体であり、数学者が円周率を求めるように球体というのは究極の形でもある。そしてその球体であるボールを足で扱うという面白い発想をするのがサッカーでもあり、そこに多くのファンタジーが生まれる。規則と不規則の絶妙な均衡の中に存在するのがこのスポーツであり、その理知の深淵を追求することは多くの人々を惹きつけてやまない。
サッカーファンにも様々なタイプが存在し、渋谷のスクランブル交差点やゴール裏で盛り上がる人もサッカーファンならば、選手のゴシップネタを追いかける人もまた同様にサッカー界の住人だろう。そして何度も録画映像を分析し綿密に試合を観戦するマニア気質な人もまたこの世界の一員だ。
おそらくそういった戦術マニアタイプの人は非常にチェスと相性が良いかもしれない。物事を深く考えて追及していきたい人にとってサッカーもチェスも似ている部分があり、マニアックな詳細な部分を見つける事を楽しむことができる。
「どうこの局面を攻略するのか」という駆け引きやアイデアを見ることが楽しい。
またチェス界にもサッカーファンは存在する。
レアル・マドリードのセルヒオ・ラモスと握手するこの青年が誰だかわかるだろうか。
ノルウェー出身の世界チェスチャンピオンのマグヌス・カールセンだ。日本では将棋の羽生善治や藤井聡太が今話題になっているが世界ではこのカールセンが非常に知名度が高く、チェスの長い歴史において非常に若い年齢でトップを維持し続けている。
現代のチェスはもはやアスリート化してきており、サッカーと同様に体力のある20代がピークになってきている。サッカーと同様にチェスもまたワールドワイドなスポーツでありその頂点に立つことは世界のスターであることを意味する。
いわばチェス界のメッシがこのカールセンかもしれない。
そんなマグヌス・カールセンが自分の練習に取り入れているのが実はサッカーなのである。スポーツをすることで刺激をもらいリフレッシュしているというようなことがこの記事には書かれている。
以前からカールセンはサッカーが好きだと伝えられており、もしかしたら彼の中で共通した楽しみを見出しているのかもしれない。サッカーを見ることがチェスを指すことのヒントにもなり、チェスをすることがサッカーをより深く理解するヒントになるのではないだろうか。
前述のように共通する部分は非常に多く、チェスや将棋のようなチャトランガ系のゲームが好きな人はサッカーを見ても楽しめるだろうし、普段サッカーを戦術的に観戦している人はそういった頭脳系ボードゲームを楽しむことができるだろう。
ところでこうやってチェスやサッカーについて語ると、非常に難解で取っ付きにくいゲームのように聞こえてこないだろうか。
正直に言えばチェスはそれほど難しくない。
サッカーとチェス、最後の共通点は実は非常に簡単だと言うところにある。
自分はチェスの経験者ではあるが決してレベルは高くなく末端のプレイヤーに過ぎない。またサッカーも同様にそれほど上手くはない。
しかしどちらも非常に競技人口が多く、世界中で行われており上から下まで多種多様な人々がいる。こういった裾野の広さがサッカーとチェスの魅力でもあり、どんなプレイヤーにも居場所がある。
入口は広く、そして入りやすいが極めようと思えばその世界は物凄く深いのが両者の特徴だ。初心者にも優しく、上級者が追求し続けても飽きない。
実際に初心者が始める時のプレー難度でいえばチェスよりもよほど将棋の方が難しいという印象を感じる。駒の覚え方はシンプルであり将棋が覚えられる人ならば誰もがチェスをすることができる。それどころかむしろ将棋の方が難しく、始めること自体はそれほど難しくはない。
サッカーがボールがあればすぐにできるように、チェスも実はそれほど覚えることは多くない。サッカーがオフサイドのルールを理解することが唯一難点であるのと同じで、チェスはアンパッサンとキャスリングはやや難しいルールだがそれ以外は基本的に簡単なものが多い。
ただ唯一チェスの問題点があるとするならば日本での競技人口は少なく環境はそれほど整っていない。有名私立高校にチェス部があるというぐらいしか話は聞いたことがなく、実際に日本チェスをしようと思えば海外サイトでのオンライン対戦が主流になるだろう。
一昔前は日本でもまだチェスの対戦ができるサイトがあったのだが、既にその当時から人口が少なく今では対戦環境自体が消滅している。
ただ例えばChess.comのような海外サイトに行けばいくらでも対戦環境があり、競技人口も非常に多い。日本で唯一チェスを出来る環境があるとするならばそう言った海外サイト頼みになるだろう。現実的には日本でチェスをする環境というのはやはりインターネットしかなく、日常で誰かとプレーする機会はあまり存在しないだろう。
しかし、そもそも日本におけるチェスの正しい使い方というのは映画やドラマ、アニメでの小道具でありかっこつけるためのツールなのである。
日本でダーツをしている人がみんな真剣にやっているわけではないのと一緒で、チェスも正直なところ「頭いいアピール」するための道具のような側面がある。
「ダーツやってます」と言えばかっこよく見えるのと同じで「チェスやってます」というだけでなんとなく頭良さそうに見えるというような話に近い。
チェスというのは頭いいアピールにはもってこいであり、将棋よりスタイリッシュに頭良さそうに見てもらえる可能性がある。
だが実際は将棋より簡単で、将棋を極めている人の方がよほど頭が良いだろう。そして実際にチェスをやっている自分自身がそこまで頭が良くない。
日本における正しいチェスの使い方
1:インテリア
2:頭良いアピール
3:映画やアニメの小道具
オフサイドを覚えて何人か有名選手を知っていたらその日からサッカーファン、基本的な駒の動きを覚えて歴史上の有名プレイヤーを知っていたらその日からチェスファン、そういった末端のファンが世界中に無数にいるという意味でもサッカーとチェスは似ているように見える。
結局のところクオリティはそれほど重要ではなく、自分なりのスタイルで自分のペースで楽しむということが一番大切な事なのかもしれない。