ある種の土壇場での「生命力」のようなものを見せつけられた時、逆に尊敬せずにはいられない自分がいる。
どんなにかっこ悪くても力強く生き抜く往生際の悪さや諦めの悪さ、もっと言えばしぶとさのようなものを今回のサッカー韓国代表からは感じ取った。韓国代表はワールドカップ出場が危ぶまれ予選敗退が囁かれていたにもかかわらず結局は出場権を手にした。
逆にウズベキスタン代表になかったものはそういった勝負所での強さや、恥をかいてでもを勝ちたいという貪欲さの欠如だった。
9月に行われたアジア最終予選の「デスマッチ」においてラストの試合でもある韓国代表VSウズベキスタン代表だった。これまで何度も指摘されていたよう「勝負弱さ」をシルクロードの国は披露してしまった。
その結果プレーオフにも進出できずオーストラリア代表とシリア代表が出場権をかけて争うことになる。
韓国代表サポーターからすれば「最低限の結果」でしかなく、現状の韓国代表には期待できていないはずだが、むしろこういったチームほど本戦では結果を出す可能性がある。
かつてイビチャ・オシムは韓国代表に対して「彼らは砂を噛むような努力をすることが出来る」と語ったが、今回の予選はどれだけ泥臭く惨めでも最終的にロシアへの切符を獲得した。
その一方でウズベキスタン代表やタイ代表というのは"小奇麗な"サッカーをしておきながらいざという時に弱い。まるでかつての日本代表のように先進の強豪国に認められるためだけのサッカーで敗北した。
サッカーという競技は芸術点を競う競技ではなく、時として「戦争すれすれ」のような戦い方をしなければ勝つことができない。
アジアで最もワールドカップを熟知している韓国は今回この戦いの土壇場で生き残ることに成功した。
サッカーにおいて伝統国や経験がある国というのは過程がどれだけ冴えなくても、最後は勝ちきる強さがありそれは経験に一朝一夕の歴史によって形成される物ではないのだ。
そして彼らが本戦で躍進すればもはやどれだけ予選で叩かれていても正義となる。
何が起こるかわからないサッカーの世界で韓国代表が予選でこれだけ苦戦していたにもかかわらず不可思議にも勝ち上がる事態は否定できない。
もしその時日本代表がグループリーグで敗戦すれば「自分たちの方が早く出場を決定していた」という事の価値は全て消滅する。
ワールドカップ出場権を獲得したということに安堵せず、すでに「もし本戦で韓国代表が活躍し日本代表が敗戦すれば暴動を起こす」というぐらいの覚悟を日本サッカー界は抱いていても良いのではないか。
本来は日韓の直接対決で過酷なプレーオフ突き落としたかったが、そのような機会も実現しなかったことは少し残念だ。しかし韓国代表サポーターは我々以上に日本代表に憎悪の感情を抱いている、それぐらいの感覚がサッカーには必要だ。
サッカー強豪国のサポーターはそういったモチベーションでやっており、「スポーツの大会」という甘いモチベーションで参加しているわけではない。
これからFIFAロシアワールドカップの本戦は間違いなく内戦や紛争を経験した国との対戦を控えているわけであり、そういった"楽勝ムード"やなんとなくスポーツイベントに参加するという雰囲気では修羅の戦いに勝っていくことはできない。
ゲームで言えば序盤の野生モンスターを倒して満足していればジムリーダーや四天王、そしてチャンピオンに勝てない。
「サッカーは戦争だ」と言えばユーゴスラビア内戦を経験したズボバニール・ボバンに否定されてしまうかもしれないが軽々しく、そしてなんとなくワールドカップ出場が決まったという動機では日本代表は未来永劫グループリーグベスト16への壁を越えられないだろう。
対露宣戦を決定した1904年の日露戦争前夜、そして1941年に真珠湾を攻撃し米英と開戦したときの覚悟のようなものを持たず、何となくお祭り覚悟で考えているような人があまりにも多すぎる。
「たかがスポーツイベントで大げさではないか、戦争に例えるべきではない」という綺麗事やヒューマニズムを愛する人々が圧倒的に多数派ではあるが、世界の強豪国では戦争以上のモチベーションで構えているサポーターすら存在する。
サッカーでは気が変わるというのが世界の強豪国だ。
ブラジル人は「さっさと敗戦しろ、これで本戦アルゼンチン代表に結果で上回れたら大恥」と思っており、チリ人はそのブラジルへの復讐を果たそうと思っている。
ただ単なる甘いポーツイベントだと考えている国が敗退することは今回ウズベキスタン代表が示した。国家初の出場をかけたホームの一戦で韓国代表を粉砕できなかったことに彼らの限界を感じる。
別に自分は良いと思う、「サッカーなんてワールドカップで4年間に1度盛り上がって何となく騒いでいればいい」と思いながら今後何十年間も優勝には縁遠い国でいても。
そして甲子園やオリンピックに騒げれば、W杯における悔しさなどどうでもよくなる。
それは優しく美しい平和主義国家としては理想的な姿だ。
確かにサッカーは戦争ではない、しかしそれぐらい強い衝動を発露する機会があっても良いのでは無いか。
本田圭佑はかつて「強豪全部喰います」と語った。
その発言にノリきれなかった「なんとなくワールドカップ始まる精神」が自分は敗因の一員であるように思う。
サッカーが平和を美化し何となくお祭り精神で楽しむスポーツであるのならば、まぁそれはそれで幸せだろう。
しかし今回の南米予選や欧州予選を見ても本当に命がけでやっているような試合が多く、その迫力や情熱に圧倒された。これだからサッカーは面白いと感じるシーンが多かった。
本当に日韓の直接対決でワールドカップ行きの切符を決め合うような見ているだけ緊張が走るような試合が随所で繰り広げられていた。日本もアジア枠が少なかったころはそんな試合を経験し、まさに韓国代表に道を閉ざされてきた歴史がある。
遠い欧州や南米における強豪国や常連国の苦戦ではなく、韓国代表の苦戦も含めて今回ワールドカップ予選は本来の厳しさとは何かという事を見つめ直す良い機会だと強く感じた。
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