日本サッカー界特有の用語ともなっている「ボランチ」というポジション名、もしくは役割については様々な議論がある。
この言葉に関しては「定義はできるけど定義してもあまり意味がない」と表現したほうが的確だろうか、あまり言葉の用法に関して厳格に定めるといろいろと不具合が生じるのでナンセンスだ。
個人のサッカー観でイメージも異なり、人によってはボランチと呼ばれる選手も別の考え方ではその選手はボランチではないという行き違いが発生する。
大体のイメージとしては「ヤット的な、実(げ)にヤット的な」、そんな印象をこの言葉に対して日本のサッカーファンは抱く。
そんな「ボランチ論」について非常に面白く読み応えのある記事を見つけた。
改めてサッカーというのはいろいろな語り草で語ることができるジャンルであり、ボランチという言葉一つでここまで考察して盛り上がれることに奥深さを感じた。
・現代サッカーはカンテとバカヨコのコンビが最適解になりつつありアスリート化の傾向がある。
・ピルロに代表される芸術貴族的レジスタはいよいよ居場所を失いつつある、もしくは労働力を同時に求められる。
・ゲームメイクは一人の選手に依存する時代ではなくなっている。
・ボランチの数はワントップのクオリティに依存する。
・現代サッカーは選手が即興で創造するというよりも監督がプログラミングする時代になっている。
・育成や時代の風潮が偶然となりコンバートによって有力な選手が誕生する。
などなど、非常にロジカルな談義となっており読みごたえがある。
こういう話をじっくり読んで思索するのもまた一つのサッカーの楽しみ方でもある。
サッカーという競技は将棋や囲碁、チェスのような論理的な話が好きな人にとっては抜群に面白いという意外な魅力もある。
考察や議論好きの人にとってはこれほど面白いコンテンツも無い、それほどにサッカーは世界中で語られている上に日本人のサッカーファンもマニアックな人が多い。
実際グアルディオラ、マルセロ・ビエルサ、ズネデク・ゼーマン、サン・パオリを見てもちょっとマニア的な変人ほど面白いサッカーを作り上げる監督になっている。こういう話が好きな人がもっとサッカーファンになってくれれば日本のサッカーもレベルが高まっていくのではないかとも思う。
ボランチ論だけでここまで語る人がいるサッカー文化は中々面白い、役割の変遷、歴史、未来像など議論は多岐にわたる。
今日日ここまでコアでマニアックな人がいるコンテンツというのはなかなか存在しない。こういったサッカー談義が日本中のいろんな場所で議論されるようになったとき、それはサッカーが根付いたと言えるのかもしれない。
実際既にサッカー界はかなりマニアックに議論する人が多い。
軍事オタクや数学オタク並に語る人がいるジャンルが実はサッカーという世界だ。
例えば軍事の世界では「戦車不要論」「戦艦不要論」などが議論される。戦車においても駆逐戦車や重戦車というカテゴリーは消え去り、海戦においては花形の戦艦が消え去った。
これはいわゆる10番のファンタジスタが減少したり、典型的なストライカーが絶滅危惧種になりつつあるという議論に重なる。昨今の選手のユーティリティ化に関しても、戦車や戦闘機のマルチロール化の部分と共通している。
常日頃進歩し続けるジャンル、そして世界に追い付こうとしているジャンルであるがゆえに真剣に議論する人も多いのがサッカーだ。
その中でもボランチやピボーテ、レジスタ、守備的中盤、セントラルというポジションは最もサッカー観が現れる分野ではないだろうか。
実は自分もそんな"ボランチ"についてややうるさいタイプなのである。そもそもまず個人的には「ピボーテ」という言葉が好きなところから始めずにはいられない程こだわりがあるがここは広義の意味で通じやすいボランチで統一したい。
その個人のサッカー観が最も現れやすい話としてダブルボランチ、ドブレピボーテを組むならどの選手を選ぶかという問いがある。
自分は結構エレガンスとか優雅さ、美しさを求めてしまうタイプで、贅沢な話バルセロナからセルヒオ・ブスケツ、レアル・マドリードからルカ・モドリッチを選出してみたい。
ベタもベタだけどこの2人組んだらかなりヤバイでしょ、見てていて絶対面白いと想像するだけで楽しい。
そりゃ世界最高峰の選手だから当然ではあるけども、この組み合わせは見てみたい。
フィジカル的なタフさやハードワークよりも、守備的な選手にまでドリブルや足技のような魅せる要素を要求してしまう浪漫や嗜好が自分にはある。
また完全に自分の美学や趣味重視で行くならばマルコ・ヴェラッティとルカ・モドリッチのタッグが自分の好みに最も合う。両選手とも身長は高くない物のボランチは高さだけが全てではなく、共にハードワークをいとわない選手として最高の中盤を作り上げる姿を想像せずにはいられない。
基本的にボランチの選手はタッチ数が多くなる傾向にあるのでそこで魅せることは90分間見ていて飽きない重要な要素になる。
ただアンカーを置くタイプのスリーセンターだと素直にセルヒオ・ブスケツを置きたくない自分もいる。それをやったらただのバルサの真似でしかないので、この場合はカンテを置いてその代りインサイドハーフにかなり攻撃的な選手を起用してみたい。
例えばイスコのインサイドハーフ起用はかなり面白いのでチアゴ・アルカンタラと組み合わせても面白そうだ。
というのも2013年にU21-EUROがあってその時インサイドハーフ(インテリオール)でイスコとチアゴ・アルカンタラが組んでいたチームがものすごく面白かった思い出がある。
全部やってくれる選手を1人アンカーにおいて「インサイドハーフの2人好きにアイデアで気ままにやって」というサッカーも面白さ重視ならありだろう。
2人の守備的中盤という話ならば狡猾なカセミロとタフなラジャ・ナインゴラン、もしくはアルトゥロ・ビダルの組み合わせも中盤を制圧しそうで面白い。
イングランドファンならば全盛期のランパードとジェラードの組み合わせにもロマンを感じるだろう。セリエAやイタリア代表ファンにとってはこの記事でも触れられていたピルロとガットゥーゾの組み合わせに憧憬を抱くはずだ。
またレアル・マドリードサポーターに話を聞くと今もレドンドの支持率は高く、アーセナルサポーターならばヴィエラを懐かしく思うのではないだろうか。
労働者やアスリート系だけの組み合わせ、この記事の表現を使用するならばピルロやシャビのような「貴族系」、もしくは芸術系だけの組み合わせ、その複合型、そして万能型同士の組み合わせなど様々にバリエーションは存在する。
個人的には全盛期のシャビ・エルナンデスとアンドレア・ピルロだけで中盤の底を支えたら現代サッカーの速さや強度に負けてしまうのか、技術や知性で制圧するのかという光景も想像してみたくなる。
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そして日本サッカーにおけるボランチの現状に話を移してみたい。
正直に言えば日本のボランチ育成は「ガラパゴス化」している印象を受ける。
前述の記事でも触れられている通り日本のボランチで海外において通用した選手は少ない。
遠藤保仁、中村憲剛は極めて日本的なボランチ象の典型でありそれを極めた選手でもあり、長年代表やJリーグを支えたレジェンドだ。
中村憲剛が好きな選手がコロンビアの英雄バルデラマだと語っていたことを聞いたことがある、すべてのプレーをセンターサークル付近でほとんどインサイドキックだけで操ったファンタジスタとして現代でも世界中にファンが多い。
走行距離が1試合8kmだったとも聞く、現代ではメッシですらなかなか許されない運動量だ。そんなバルデラマ率いるコロンビア代表はアルゼンチン代表を5-0の大差で破ったことがあり未だに語り継がれている。
日本人の理想のボランチ象は実はピルロではなくバルデラマの時代に遡るのではないだろうか。もしくはジョゼップ・グアルディオラ、つまり技術と頭脳、駆け引きやポジショニングでゲームをコントロールするという理想像がある。
育成ではいわゆるトップ下として育てられた選手がボランチにコンバートされるケースが多かったこともあり、このような選手が長らく日本サッカーにおけるボランチの頂点、理想像、典型例とされてきた。
一方で"さわやか893"と言われることもある福西崇史は現代サッカーの基準を先取っている選手かもしれない。
戸田和幸、稲本潤一、中田英寿(ジーコ時代)、長谷部誠などもその典型例とはやや違う選手だ。
前方の選手から後方の選手へのコンバートで大成功した例で言えばまさに長谷部誠でありドリブラーからシャビ・アロンソを理想と掲げるボランチへと生まれ変わった。それどころかセンターバックさえこなすほどインテリジェンスに溢れた選手だ。
一方で柴崎岳についてはどうだろうか。
柴崎はスペインにおいてトップ下やインサイドハーフ的な前目のポジションで起用されることが多く、日本では守備的ミッドフィルダーとして通用した選手がより前目のポジションで使われるというケースだと言える。
逆に小林祐希はトップ下志望であるがオランダではボランチで起用されることが多い。柴崎岳と小林祐希は本人の適正と志望が欧州基準では全く逆になっている。
日本基準の物が世界基準には当てはまらないというケースは非常に多い。
フォワードの柳沢敦がセリエAではサイド起用されたり、本当はトップ下が適正だと言われたり最近では岡崎慎司がなぜかインサイドハーフで起用されたりしている。
人材が足りない事や、それで日本サッカーにおいては通用することやベストであること、更に育成段階における考え方の違い、そしてサッカーを見るサポーターやファンの価値観、それらが総合して「ガラパゴス的サッカー観」のようなものを形成しているのではないか。
世界基準とのズレやギャップはどの国にも存在する上に、それが良い特徴となっている場合も当然存在する。
それは今は世界から遅れているとされている日本サッカーの価値観も改良次第では新しい選手を生み出す可能性があるということを意味する。必ずしも日本的なボランチ像を否定するべきではないだろう。
アンドレア・ピルロもシャビ・エルナンデスもイングランドやドイツ、ブラジルで育っていたら大成していなかったかもしれない。
そういった日本的な価値観はもちろん持ち続け育て上げる必要があるということは大前提として、やはり間違っている部分も修正していく必要があるはずだ。
現在まで世界基準のボランチが登場していない日本サッカーにおいて「もしも」があるとするならばどのような選手を見てみたいだろうか。
自分の意見としては2つのパターンを見てみたい。
1:ボランチとして高度な育成を受けた本田圭佑
2:テクニックとインテリジェンスを兼ね備えた長友佑都
今でもザッケローニ時代のトップ下とボランチの中間のいわば2.5列目に近い位置だった本田圭佑の役割は突出していたと思っている。フィジカル的にタフでキープ力がある本田圭佑はポール・ポグバを彷彿とさせる。
本田の理想形はポグバとハメス・ロドリゲスかメスト・エジルをミックスさせたような選手だったのではないか、それが実現できていれば彼の目指す世界一のサッカー選手やレアル・マドリード入団も実現していたかもしれない。
少なくともフィジカルに関しては確実に全盛期の本田は世界基準にあった。
しかし本人の「俺がメッシやロナウドを目指してもええやん、だってボランチやりたくなんですから」という志望と、ロシアリーグ時代の怪我などの問題もありこのイフは実現することが無かった。
また長友佑都に関して自分は日本人的なフィジカルの最高峰だと考えていてそこに世界基準のサッカーに通用する可能性を見出している。
今のエンゴロ・カンテを見ていると新しいボランチ像や日本人の可能性も芽生えてくる。長友佑都のポジショニングとアイデアが的確で技術があればボランチに限らずどのポジションでも活躍できるのではないか。
アルゼンチン人やチリ人は決して世界的に様々なスポーツを席巻しているわけではない、しかしサッカー的なフィジカルに関して言えば彼らは抜群に優れている。長友もそういったフィジカル的素質があったためインテルで最古参の選手として活躍し続けているのではないか。
長友本人のベストポジションは間違いなくサイドバックだという事に疑念の余地はない。その一方で今の日本のどこかに存在する長友佑都のようなフィジカルの持ち主に別の育成を加えてみればまた違う選手になるのではないかという思いもある。
完全に都合のよい妄想でしかないのは承知の上でポグバのようになっていた本田圭佑とカンテのようになっていた長友佑都がいたら日本代表はこのダブルボランチで世界を席巻していたのではないか。
そしてこの2人の中盤に支えられれば全盛期香川真司のトップ下としてのワールドクラスな才能も完全に発揮できていたのではないか。
様々な哲学や育成論、理想像の違いがこの分野において飛び交う。
今世界ではこのポジションのトレンドが大きく変化しつつある。
バカヨコとカンテのアスリート型が台頭することはこの領域における新たな未来像なのか、それともまた新たなトレンドが生まれるのか。
「ボランチ」について改めて考え直すことが今の日本サッカー界に必要とされていることかもしれない。