elken’s blog

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現実に振り切れない"天才"宇佐美貴史の脆さ

宇佐美貴史の話題になると今も多くの待望論が聞こえてくる、それほど彼が見せた希望や才能は鮮烈だった。この選手は日本サッカー界に新しい歴史をもたらすだろう、世界で活躍する選手になるだろうと多くの人が信じていた。

 

しかし現実に宇佐美貴史は既に20代の半ばに入りドイツ・ブンデスリーガの2部デュッセルドルフで葛藤している。

「バロンドールを獲得する」と言っていた選手が2部リーグでもがいている現状は歯がゆく映る、そして本人すらその夢はもう過去の事なの現実を徐々に受け入れ始めなければならなくなっている。

 

「そういえばそんな夢抱いていたな」「こんなはずではなかった」という未練がましい思いと「今ここでできることをやろう」という二律背半するジレンマを抱えながら今日も宇佐美貴史はブンデスリーガ2部の舞台から夢を追い続けている。

 

宇佐美貴史のキャリアについては誰もが「もし」を語りたくなるほどに惜しい部分が多い。2014年ブラジルワールドカップ直前で怪我をし全盛期時代にチャンスを逃し、今現在ほとんど日本代表の選考から見切られた状態になっており2018年ロシアワールドカップへの出場は絶望的な状況に近い。

仮にワールドカップが再来年であれば絶妙なタイミングだったはずだがどうしても現実的には時間が足りない。

 

アウクスブルクで行く前と行った後で監督が代わり、大幅にチーム戦術が変わったことも再起へのスタートダッシュをくじかれる要因になった。

そのクラブでほとんど出場できなかったり守備に奔走されたりする不遇期間が続いたことを考えればば今現在ブンデスリーガ2部で出場機会を確保できている現状はポジティブだと言える。

実際にゴールを挙げており本来の才能は以前より発揮しやすい状況にある。

 

その一方でチーム自体は好調なため途中出場も多く監督の信頼を掴み切れていない。

以前に比べればよほど恵まれた状況にあり覚醒の兆しも見え始めているが、鬱憤を晴らすかのような大きなブレイクは訪れていないというのが現状だ。

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そんな宇佐美貴史のインタビューを読むと人には理解されにくい葛藤が存在することが伝わってくる。

よく宇佐美貴史に関して常套句として使われるのが「まるで成長していない」という言葉であり、本人なりには努力しているが人にはそれが努力だと認められないという複雑な状況に陥っている。

 

「やりたいプレー」や「理想」「原点」に対する未練が随所に現れており、まだ現状を受け入れきれず葛藤している様がうかがえる。

「プロとして理想を捨ててはいけない」という言葉が時としてまだ自分のプレースタイルに固執し続けていると誤解されてしまうことが宇佐美貴史の悩みなのではないか。

 

自分の中だけで理解している感覚がどうにも人には伝わらない、しかし自分はそれが正しいと信じているときに認識ギャップが発生する。こういうタイプの人間としてこういった状況に陥っているとき「何もしていない」「成長していない」と思われることほどつらいものはない。

本人の中では成長や努力の結果と言える物も第三者の目線で見ると変化が無いように思えてしまう。

こういった理解の無さが宇佐美貴史を苦しめているのではないか、そこに葛藤がある。

 

その一方で宇佐美に対する批判にも一理ある。

口では「今の状況に集中する、目の前のできることを地道にやっていく」と言いながらも依然として理想への未練がある。宇佐美貴史のような天才にしか見えない光景を思い描きつつも、それは現実として形にしなければ第三者に伝わらない。

その自分にしか理解できない光景への未練のようなものが、現実に振り切ることを妨げてしまう。そして自分の幻想に「理想」という言葉を使い閉じこもれば閉じこもるほど、他者から理解されなくなり見放されていく。

 

正直に言えば自分は根の部分では日本人サッカー選手の中で一番宇佐美貴史と性格が近いため、この問題は他人事とは思えない程に理解できる。個人的に一番話が合いそうな宇佐美貴史だというぐらいに、その発言が自分の言葉のように理解できる。

仮に宇佐美貴史、島崎遥香、そして自分で座談会を行ったならば「やる気ないスリートップ」として大いに盛り上がるだろうとさえ親近感がある。

 

人生において"理想"を捨てて割り切って現実に振り切ることは簡単なようで簡単ではない。

どうしても信じていた未来や自分ならまだできるという葛藤があり、目の前の愚直な努力に振り切ることができない。本当の自分はこんなことをしているはずではない、もっと華やかな舞台で評価されるべき存在だ、少なくともあの頃はそう思い描いていた・・・という幻想が迫りくる。

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例えばこのインタビューではベンチ外にされたときに「昔なら納得していなかったけど今は次切り替えようと思えるようになった」という事を言いながらも、「これは良い成長なのかな、トガっていたころの自分ならこんなことは思わなかった」という過去への未練もある。

一見すると大人になったかのように見えてまだ未練が残っているという精神的なジレンマが決定的にスイッチを入れることを妨げているという現象に共感を抱かずにはいられない。

 

いつまでも理想、理想と言い続けるのであればいっそのこと自分の理解者が多いガンバ大阪でキャリアを貫いたほうが良い選手になれる可能性はあるだろう。その理想は決して否定するべきものではなく、それを目指せる環境を選べばまだ開花する可能性はある。

海外だけが成長の選択肢ではなく、Jリーグのあらゆる記録を塗り替えるほどの活躍を目指すことも今からだって遅くはない。

実際に同じガンバ大阪の遠藤保仁は国内でも成長できることを示した。

一流の進学校に通っていてもその高校が合わなければ良い大学に進学はできない。自分が楽しい学校の方が勉強が進むというタイプも当然存在する。

 

人間誰しも合う合わないがある、例えば都会で才能を発揮できなくても地元で暖かい理解者に囲まれることで伸び伸びと成長していくことは良くある事だ。

 

しかしそこにも宇佐美貴史なりの複雑な心理があるのではないか。

「都会で成功したい」という思いと同じように「海外で成功したい」というコンプレックスにも似た思いがあり、地に足をつかせて描いていた夢とは違う現実的な環境で地道な努力をやり直すことが難しいという心理も理解はできる。

 

海外のビッグクラブで活躍すると心の底から信じていた人間がJリーグでキャリアを全うする覚悟を決めるにはまだ時間を要するだろう。

もう戻ることは無いと思っていた場所から本腰を入れて新たなキャリアや第二の夢を目指すためにやり直すことはそう簡単なことではない。

 

例えばイタリアのインモービレはドイツのドルトムントとスペインのセビージャで挫折したものの、現在セリエAのラツィオで再びその才能を発揮している。

インモービレが「ドイツ人はパーティに誘ってくれなくて冷たい」という発言をしたことは有名だ。慣れたスペインを離れることをためらい長年移籍に踏み切れなかったヘスス・ナバスや監督からの理解を得られず才能を腐らせていたマリオ・ゲッツェを見れば、世界でもこういうことは有り触れていることがわかる。

 

ペップはなぜ、ゲッツェを冷遇しているのか?【バイエルン番記者】 | サッカーダイジェストWeb

マリオ・ゲッツェの例は宇佐美貴史にそっくりだと言わざるを得ない。

こういった天才タイプは才能を発揮する場所や条件を必要とする場合がある。それがどんなに天才的であってもタフさに欠ける繊細な才能を持つ選手は多い。

 

宇佐美貴史を苦しめている"幻影"はプロデビュー以前のユース年代における活躍とその頃に描いていた壮大な未来、そして長谷川健太という最大の理解者に理解されて才能を思う存分に発揮させてもらっていたJリーグ復帰時代の甘美な思い出だ。

 

「本当の自分はこんなはずじゃない」「なぜこんなことをしなければならないのか」という未練がインタビューの随所から透けて見える、なぜならば自分も似た様な性格をしているためそれが理解できるからだ。

 

現実に振り切っているようで振り切れない。

頑張っているのにそれがまるで何もやってないどころか退化しているかのように扱われる。そして過去に信じていた壮大な未来が日に日に遠ざかっていき現実が今の自分に残酷に突き刺さる、そういった諸々の葛藤が自分を苦しめる。

 

自分の才能への幻想や過去に思い描いていた夢への幻想を捨てようと思っても捨てきれず、現実に振り切ることができないところに宇佐美貴史の脆さがある。

あるいは振り切っているつもりでも無自覚の内に未練が出てしまい実際には振り切っていない。

決定的なスイッチを入れることが今の自分にとってどれほど大事かわかっていてもその切り替えができない、あるいはそのタイミングをなかなか掴めない。

現実の自分や現状を受け入れて心のを完全に入れ替えて歩み始める事は非常に難しい。未練や過去の幻想の引きずられてしまう心理がそこには存在する。

 

それが第三者から見れば「変わったようで変わっていない」と判断され、本人なりに頑張ったことがいまいち評価されない。本人なりに難しい葛藤の中で戦っているのにそれが伝わらない。過去の夢や将来、自分の信じていた才能への思いが大きかった時ほどその難易度は高くなる。

宇佐美貴史はこの問題に苛まれているのではないだろうか。

こういうタイプの選手がただ淘汰されていくことがサッカーの未来や育成にとって本当に正しい事なのかという疑問はある。

 

しかし現実的に現代サッカー界はタフな選手を求めている。

ワールドカップも繊細なテクニシャンや天才タイプよりも、現実的な厳しい状況でのファイトができる選手を求めている。

どんな状況でも腐らず戦い切れる、どんなに無意味な負け試合でも結果がわかっていても全力を出せるかどうかが問われる。

 

例えば岡崎慎司はどんなにボールがラインを割ることがわかっている状況でもそれを獲りに行く、子供のころからその習慣は続いている。

しかし宇佐美貴史は「やっても意味がないプレー」を文字通りやらない。

こういう厳しさを幼少期に教わらなかった場合大人になってから実践することは難しい、どうしても「やってもなんやねん」という邪念が湧いてくる。愚直に素直にできない苦しみ、これもまた他者からは理解されづらくただの甘えや言い訳だと判断される場合がある。

そしてそれは確かに的を射ている批判でもある。

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サッカーだけでなく人生においてはやっても意味がない事や見返りが無い事をしなければならない時がある。

誰も見ていないし評価してくれない事、意味や見返りがない事、報われない無駄な事、それをやることに実は見えにくい隠れた成長がある。そう頭や言葉では理解していながらも実践することは難しい。

 

そう言う意味で無駄に思えることを一切ためらわずに行える岡崎慎司のような能力を真の意味での才能と呼ぶのかもしれない。

良く宇佐美貴史評で言われることがサッカーに取り組む意識や姿勢がプロに向いていないということであり、「フットボーラー」として欧州で適応していく素質はその類稀なる才能と比較すれば不十分だと言える。

 

仮に宇佐美貴史に本田圭佑のメンタルがあれば「まさか自分のキャリアで2部でプレーするとは思っていなかった。2部なんて誰も見てないんでゴールで示すしかない」と"意識改革"と肉体改造に真剣に取り組んで現実的なストライカーに生まれ変わることができるかもしれない。

デュッセルドルフのチームメイトに「宇佐美レッスン」をブロークンイングリッシュで行い、ゴールハンターとして覚醒すれば代表復帰への道も見えてくる。

本当に海外でサッカーをするために必要なのはそういったメンタルの部分も問われる。

 

宇佐美貴史がここから大きなブレイクを果たすには今からでも遅くはないと本当に現実に振り切るか、完全に理想的な環境で理想を極めるかがメジャーな手段になる。

イブラヒモビッチもオランダ時代のプレースタイルから、カペッロの指導を受けセリエAの現実的なサッカーに適応し世界的な名選手へと成長した。

それかやはりガンバ大阪やJリーグにもう一度戻り信じていた理想を追うのか。

 

そして第三の道として、これはインタビューを見る限り本人がまだ追及していることだろう。

つまり本人が掲げる理想の実現するために今から本当にネイマールやメッシのように規格外の選手へと成長し、「誰もがバイエルンやバルサのようなトップのチームで理想のプレーをしたいと思う」という夢を実現するのか。

 

中途半端なジレンマを抱え続ければ夢見ていていた理想には届かない、そんなことは言われなくても本人が一番よくわかっている。

それなのに・・・というところに本人にしかわからないもどかしい葛藤がある。

「答えを見つける」「原点を忘れず理想を捨てない」と言えば何を悠長なことを言っているんだと思われるかもしれないが、こういう時間もまだ宇佐美貴史には必要なのではないだろうか。