今シーズンのマンチェスター・シティはあまりにも凄すぎる。
「バルセロナ流のスタイルはイングランドでも通用すると証明できた」と語る指揮官グアルディオラはマンチェスター・シティをプレミアリーグを制覇可能なチームにまで育て上げることに成功した。
マンチェスター・ダービーに敗戦したジョゼ・モウリーニョは「優勝争いは多分終わった」と意気消沈し、不満の捌け口を審判の判定や不運にぶつける事しかできない。
もはや今シーズンを最後にグアルディオラの指揮能力に疑問符をつける人々は消え去るだろう。今まではバルセロナやバイエルン・ミュンヘンのような優勝が確約されているとも言えるチームでしか能力を証明できないと揶揄されてきたがこれでその疑問は過去のものになる。
モウリーニョ「ぐぬぬ、こうなったら頭髪批判で対抗するしかない」
グアルディオラ「俺はそのことを自虐ネタにしてるからノーダーメージ」
もはや彼のグアルディオラへの対抗手段はサッカー面以外にしか残されておらず、今回のマンチェスター・ダービーの後はシティの選手がいるロッカールームに乗り込み抗議をするという何とも後味の悪い往生際の悪さを晒している。
勝手も負けても後味が悪い指揮官だと言わざるを得ない。
モウリーニョと言えばたびたびこのような騒動を起こすことで知られている。
これまでも審判が帰路に着く時を狙って抗議しにいったり相手のコーチに目つぶし攻撃をしに行ったりと、プロレス的エンターテイメントとしては面白いことをしているが肝心のサッカーでは全く面白いところが無い。
もはやフットボールマネージャーとしては完全に時代遅れで攻撃のアイデアが皆無に近い。
とは言え個人的にはこのキャラクターも好きだったりする。
実際今季は2位だとしてもあのマンチェスター・ユナイテッドを2位に押し上げることができたという意味では評価できるところがある。それほどにここ最近のマンチェスター・ユナイテッドは低迷していたのでユナイテッドを立て直したという点だけを見れば今シーズンは必ずしも失敗とは言えない。
ただそれ以上に今季のグアルディオラがはまりすぎている。
実際昨シーズンも序盤はマンチェスター・シティは快進撃を続けておりペップ本人も語るように昨季からこのシーズンに花が咲くという兆候はあった。
バルセロナと違いカンテラ出身選手が少なくサッカーのスタイルを基本から浸透させる必要があるイングランドのクラブで時間がかかることは当然と言えば当然だった。
その上手く行っていないように見える時期にグアルディオラの指揮能力が疑問視されることは仕方がない事でもある。
実際はバルセロナでも選手の質だけで勝利を重ねたわけではなく、今でこそ世界最高のアンカーだと言われているセルヒオ・ブスケツなどもまだカンテラの選手でしかなかった。
「凄いチームを率いるだけ」というイメージで語られがちだが実は数々のアイデアの考案や大胆な決断が可能な指揮官であることは多くの有名選手からの賛辞にも表れている。
それにしても「グアルディオラVSモウリーニョ」という構図はバルセロナとレアル・マドリード時代の再現でもあり個人的に一番好きな監督のライバル構図だ。
某ベンゲルさん「モウリーニョのライバルはこの私だけだ」
遂にあの監督版クラシコがプレミアリーグを舞台にもう一度戻ってきた、そしてグアルディオラが勝つまでが再現されている。
バルサは首位、マンチェスター・シティも首位、セリエAではナポリが優勝争いという今シーズンは「攻撃的サッカー復権の季節」だと言えるかもしれない。
グアルディオラやバルサ流のスタイル、攻撃サッカーが再評価されるトレンドに今は来ているのではないだろうか。
一時「ポゼッションは終わった」というような風潮がありポゼッション信奉者としては寂しい思いをしていた時に、今シーズンはまた良いトレンドが生み出されていることにサッカーはまだ終わっていなかったという思いがある。
正直自分としてももうこの流れは来ないのではないかと諦めかけていただけにバルサが復活し、プレミアリーグではジョゼップ・グアルディオラ率いるチームが圧倒している現状に満足している。
カウンター正義、フィジカル正義ではサッカーに夢が見れなくなる。
シャビ先生がここで言いそうなこと
「フットボールは美しい競技であるべきなんだ、それを忘れてはいけないよ。ペップはそれをイングランドでも上手く証明しているね」
こういうとき饒舌になるシャビさんのインタビュー聞きたい、一時はカタールで「バルサ以外に何も面白くない」と言っていたシャビ・エルナンデスはプレミアリーグの舞台で快進撃を続けるかつての恩師に感銘を受けているはずだ。
もちろん現段階ではまだ優勝が決まっているわけではない。
しかし群雄割拠のプレミアリーグで優勝を実現した場合、更にチャンピオンズリーグをもう一度獲得した場合サッカーの歴史上最高の監督として語られる日が来るのではないか。
リヌス・ミケルスやヨハン・クライフも間違いなく名将ではあるが、21世紀に入ってからもうあまり改良の余地が無いと思われていたサッカーにここまで大きな革新をもたらしたという意味ではグアルディオラの功績は大きい。
サッカーというスポーツに完成形は無くまだ改革や発明の余地がある、そのことを21世紀に入ってから証明したジョゼップ・グアルディオラという指揮官はおそらく100年後のサッカー界で今以上に賛辞を受けているはずだ。
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