elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

ジャニーズから一番離れるの高校時代説を提唱したい

ジャニーズファン、俗にジャニオタと言われる人々の傾向として全体的に通じているのが「出戻り組」の多さだ。

というのも自分自身この出戻り組で、一瞬ジャニーズ離れをしていた時期があり、それがまさに高校時代なのである。

 

「再燃」というパターンは結構多くて、自分も場合KAT-TUNの時に厨二病的にハマり、その後離れる時期があったもののSexy Zoneでジャニーズファミリーに帰ってきたというのがざっくりとした要約経歴になる。

 

なんというか「やっぱジャニーズ面白いなぁ」と思って出戻ってくる感覚というか、このわけのわからないトンチキ感が恋しく懐かしくもなって、結局戻ってきてしまう。

高校時代といえば一番自分が青春を味わいたいと思いイキろうとしている時期であり、ダサい物から離れようとしてしまう時がある。

これは昔好きだったものから卒業して、イケてる物を推す感覚だ。

しかし自分の経験上言えるのだが、イケてない人がイケてる物を推したところでイケてないし、イケてる人がイケてない物を推したら途端にそれがイケてる物のように思えてくるという法則がある。

好きな物はどのみち人に寄る、これが全てにおいて当てはまる。

流行が人柄を左右する時代はもうなんとなく過去のものになろうとしている。

 

こうしていろいろ考えて総合すると、結局のところジャニーズから一番離れるのはセンシティブというか周りを最も意識する高校の時なんじゃないかという自分なりの結論がある。

実際自分の高校時代もクラスでこれぞジャニオタという感じで熱狂していた人はいなかったし、中学時代にちょっといたぐらいで、その事情は今とそれほど変わっていないと思う。

元々「ジャニオタ」はヤバイ奴らというニュアンスが近く、今ほど自分から名乗るような言葉ではなかった。それこそ「腐女子」という言葉が昔はもっとマイナスイメージだった感覚だ。

ジャニオタという言葉も一昔前に比べれば、まだマイルドに使われるようになったぐらいで昔からメジャーな物ではなくアングラな物だった。

 

こうして隠れているからこそ面白いというか、同志意識が芽生えるのもジャニーズ文化の面白さで、今では声優やアニメ、K-POP、ユーチューバー、俳優のような対抗的な文化があるからこそなお精鋭意識も高まる。昔は洋楽やバンドだったところに、今は様々な新しい文化が変わろうとしているのを見れば、実はジャニーズは何かと戦っていた歴史がある。

 

しかしどれだけいろいろな刺激があろうとも、結局ジャニーズに戻ってきたのであればそれは生粋のジャニオタだ。

なんだろう、このなぜだかしらないけど戻ってきてしまう感覚、実家の安心感とか故郷とかそういう言葉で説明出来はしないくらいに慣れ親しんだ環境の居心地の良さ、終わらないこの世界に懐かしみすら感じてしまう。

 

一時ジャニーズ離れする奴がいてもどうせそいつは戻ってくるだろう、最先端のイケてる奴を求めたところで追い求めていた理想は何もないことに気付いて、あの頃の思い出としてジャニーズにまた戻ってくる。

この現象を自分は「高校の時だけなぜかジャニーズから離れる説」と提唱したいのだが、高校生の時は何か新しい感性で刺激に満ちたものを求めるのに結局そんなものがないことに気付いてしまう。

現実に気付いたとき、ジャニーズにふともどってくると去ってしまったはずの地が、今でも夢に似た何かを演じていることに気付く。

それは決して夢ではない、ジャニーズは現実ばかりで決して約束の地ではないのだが、夢をやろうとしている姿勢だけはある。

そしてある程度現実を知った年頃の人間にとって、それはちょうど居心地がよく、懐かしい場所のように思える。

 

久々にジャニーズを見ると「なにをやっているんだこれは・・・」と謎の感覚や恥ずかしさを覚えるが、いずれそれがトンチキなこの事務所なりの独自の文化に思えてくる。

決してそれは最先端のスタイリッシュでイケている文化ではないのだが、この不可思議で濃密な文化にしか自分の居場所が無いと知る。

あぁここは今でも意味不明なことをやっていて、未だに意味不明な人々が集っているんだなと感じ、そして自分もその意味不明な一員だと帰って来た時に感傷として知ることになる。