猛威を振るうコロナウイルスによって世界中、日本中の産業が大打撃を受けているが、まだこれは序章に過ぎないだろう。
厨ニ的な悪役キャラクターがいれば「ショータイムはまだまだこれからだ」と不気味な笑みを浮かべる段階に過ぎない。
そう、日本にはまだ東京五輪が残っている。
数々のイベントが延期になる状況を受けて、ここ最近オリンピックもやめるべきじゃないかという意見が多く見られるようになってきている。
確実に以前とは風潮が異なっている。
高度経済成長期の輝きを取り戻そうとか、震災で落ち込んでいる日本にもう一度元気を!みたいな標語の下、推進されてきた2020だったがまさかこんなことになるとは誰が予想しただろうか。
滝川クリステルの「おもてなし♪」で決まった五輪だが、外国人の本音はおもてなしどころかコロナが怖くて行く気になれないになってしまった。
当のクリステルは上級国民の政治家と結婚して優雅に産休に入り、苦労しているのはこの状況下で対応に従事させられる庶民である。
やっと震災が落ち着いて、これから新しい日本が始まると期待していたらコロナの登場なのだから悲壮感が凄い。
あの時、日本中が開催決定に喜び新しい時代を予感していた。
流石にその頃には震災から復興し、旧時代の遺物も一層され新時代が訪れるだろうと。
しかし現実は違っていた。
あのフィーバー以降の数年で目にしたのは新しい日本だったのだろうか。
悪い意味での新しさや、海外では当たり前のことがやっと日本でも導入されるとか、されたとしても上手く行ってない、もしくは未だにされていないみたいな光景ばかりだった。
令和が始まる直前、落合陽一が執筆したコラムに「2020年にはあら方の問題が解決しているだろうと思っていたが実際にはようやく問題の洗い出しが終わっただけで、2025年の万博からようやく新しい時代が始まるのではないか」という趣旨の内容があった。
まさにそうなるどころか、いやむしろ事態はより一層酷くなっている。
正直、自分は今回の東京五輪が戦艦大和のように思えてならない。
作ったときは国家の威信をかけた世界最新鋭であり最大の軍艦だったが、実戦で使われる時には何もかもが時代遅れになっていた。
しかし作ったからには使わなければならないと、悲劇的な航海に出て沈められた。
アメリカ海軍の新型戦闘機ヘルキャットによって蜂の巣にされ、七面鳥狩りと称されたように、このまま「出撃」させれば東京五輪は新型コロナの集中砲火を食らい派手に散るだろう。
しかしこれまで費やしたリソースを考えるとそんな決断はできない。
太平洋戦争を始めてしまった最大の要因も「これまで費やしたものがある」「もしかしたらうまく行くかもしれない」という心理であり、結局食い止めることができなかった。
失った労力はもう戻らないというサンクコストの概念が乏しいのだ。
こぼれたミルクを嘆いても仕方がないし、損切りは早い方がいいが、おそらく「夏頃にはどうにかなっているだろう」という楽観論が支配しているのだろう。
もちろん悲観論者もいて、太平洋戦争でも開戦反対派は多くいた。
山本五十六はその一人だったが、結局日本型組織は牟田口廉也の様に強硬派の意見が通りやすい。
敗色が濃厚になった旧日本軍はやけっぱちのようなギャンブル的作戦ばかりするようになったが、その状況と同じく震災後の日本はオリンピックやインバウンドに賭けていた。
いつまで震災のお涙頂戴を引きずるのか、もう東北の現地の人ですら嫌がってるじゃないかと思っていたが、何かと震災と絡める気満々でここまでやってきたらこの有様だ。
いだてんを放送したり、福島から震災のがれきで作ったトーチを持って走るとか、そういう感動演出いらないんだよなぁと思っていた自分はひねくれ者なのだろうか。
そもそも1964年当時でも庶民は困窮しており、開催前はそんなことより生活を大事にしてくれという意見が多かった。
夢に溢れた時代というよりも、当時の東京の生活水準はまさに途上国そのものだったし、地方は当然東京だけでやるお祭りに冷めていた。何よりテレビが普及していなかったのでオリンピックがどういうものか映像では知らなかった時代だ。
開催してみれば盛り上がったが、果たして今回の東京五輪は外国人選手が来てくれるだろうか。
例えば夏季五輪で最も動員数を誇るサッカーだが、元々五輪の地位は高くない。つまり有名選手からするとよほどのモチベーションが無ければ参加する意味がない。
正直、自分は今回のオーバーエイジ枠で大物選手の参加を期待していたがもう諦めている。
ただでさえ栄誉もなく怪我のリスクがある割に合わない大会に、コロナのリスクまで加わったら誰が参加するというのか。
既に日本代表は南アフリカとの親善試合を断られているわけで、良い大義名分が登場したというわけだ。
ネイマールがリオ五輪に出場できたのは、時刻開催ということもあり契約に明記していたからであり、それだけ参加が難しいのが五輪だ。
これはサッカーの話なので他のスポーツではどうなるかわからないが、大量の辞退者が出てもおかしくはない状況であることは間違いない。
五輪が終わった後の不況は以前から危惧されていたが、もしかするとそれは想像以上かもしれない。
前借りの需要だけに目がくらみ、目を背け続けてきた「祭りの後」の世界がやってくる。
その祭すら今回のコロナによって水を差されたのだから冗談じゃない。
ちなみに戦艦大和の進水は1940年であり、中止になった戦前の東京五輪も開催予定も1940年である。