現代日本で最も活躍している10代といえば自分は久保建英を上げる。
そして将棋好きの友人は自分の久保君愛と同じくらい、藤井聡太推しなのである。
つい先日そのトッモから、「藤井聡太が渡辺明にタイトル戦で勝ったんだよ」とウッキウキでメッセージが送られてきて、ちょうどその時自分は久保建英のバルサ戦を控えていたのだ。
自分が久保君の活躍を楽しみにするように、あいつは藤井君を楽しみにしているんだなと共感したのだが、そこで自分が返しに送ったメッセージがちょっと最近流行りのアンジャッシュみたいになって面白かった。
この文章「よく人生さえないオッサンが年下の活躍見て虚しくならんのかって言う人いるけど、全然そんなこと思わねぇよなー、むしろその心が狭いと思うわw」という一文である。
ただ、面白いことに日本語の曖昧さで自分と友人の解釈がズレてしまったのである。
皆さんは、どう解釈しただろうか。
テロップ
「よく人生さえないオッサン(=俺ら)が年下の活躍見て虚しくならんのか」って言う人いるけど、全然そんなこと思わねぇよなー、むしろその心が狭いと思うわw、と自分は思っている
よく人生さえないオッサン(=ネットのおじさん達)が「年下の活躍見て虚しくならんのか」って言う人いるけど、全然そんなこと思わねぇよなー、むしろその心が狭いと思うわw、とトッモは思っている
カギカッコをつける場所でこうも主語が違って意味も別物になってくるんだなという、日本語の曖昧さを感じたしだからこそアンジャッシュネタが成り立つのだとも思った(アンジャッシュのネタは中国の番組が盗用するレベルなので、特に日本語限定というわけではないが)
自分が言いたかったのは、例えば「他人に人生重ねるな」みたいにスポーツを批判する上西議員みたいな人の主張がわからないということである。
別に久保建英に自分が成し遂げられなかった夢を託しているわけじゃないし、かと言って自分が人生冴えないオッサンだからといって嫉妬するわけでもない。
人生冴えないオッサンが赤の他人の若者に期待して虚しくないんか?という心がまず狭いのだ。
むしろそんなことすら素直に楽しめない人生の方が嫌だ。まあ多少は過去に羽生結弦に嫉妬していた時期もあったりと自分なりの黒歴史はあるけど、年下の活躍を見ると自分が惨めに感じるという心理がもったいないと思うようになった。
つまり自分は「おまえらみたいな底辺の負け組が若者に期待して何が楽しいんだ、惨めだな」みたいな上西議員タイプとして解釈して、友人は「俺らみたいな未来ないオッサンが他人の若者に期待しても無駄だよなぁ」と言っているおじさんがいると解釈していたのである。
このややこしすぎる違いはむしろその友人に説明しても理解してもらえなかったのでここに改めて書きたい笑
そんなことはともかく、自分は久保君を、トッモは藤井君を応援していてゆとりおじさん達がワクワク楽しんでいるというだけの話である。
そんな久保君というか久保選手だが、いくつかの報道でバルセロナ所属のフレンキーデヨング選手とユニフォーム交換を行ったことが話題になっている。
それだけでも凄いのだがなんとその後インスタグラムの本人アカウントにタケ・クボとのマッチアップシーンを投稿していたのだ。
ちなみにさりげなくあのシャビ先生がいいねを押している笑
バルサの裏切り者である久保とのユニ交換はバルセロニスタから批判されてもおかしくはないリスキーな行為だがそれでも、デヨングにとって彼のプレーは光るものがあったようだ。
ちなみにラリーガ公式アカウントではまるで久保が、次世代のメッシであるかのような構図も投稿されていた。
左利きのプレースタイルで、わかりやすいスプリンターというわけではないがサッカー的な早さは共通点が多い。わりとスペイン人は欧州の中でも日本に対する古典的なミステリアスなイメージを持っていて、異国的な雰囲気が物珍しく映っているように思う。
もちろんマイナスな目線がないことは無いのだが、他の欧州に比べるといい意味で純粋だ。だから自分はスペインが嫌いにはなれないし好きだ。
タケに対する期待も昔ながらの東洋に対する幻想があるのだろう。それほど日本とスペインの距離が近くなかったからこそお互い古風なイメージを持てている。
イニエスタが日本を満喫しているのもそういう異国体験の密度や新鮮度の高さが関係していそうだ。
ちなみにその伝説であるレオ・メッシさんの試合直前のシーン
このオーラの無さよ笑
こんな冴えないやつに天下取られるサッカーっていう競技があるらしい。ほんとリュック背負ってマスクしてればeスポーツ選手と間違えてもおかしくはない。
メイウェザーも小さくて最強だけど、格闘技の場合階級が別れている。メッシやモドリッチはロナウドやイブラとバチバチやり合って頂点に立っているのだから凄い。
日本人好みではある。普通の身長でアジリティやテクニックでカバーして頂点を極めるという姿はフィジカル至上主義になりつつあるアスリート界にとって貴重だ。
久保建英もまさにそういう存在だし、藤井聡太だって大人に頭脳で無双するというなろうラノベの体現だ。
そしてそういうフィクションに興味がなくなるというのは、多分現実の実写のほうがよほど面白いからなのだろう。
現実が創作より面白い時代になってきている。