正直に言ってこの世でサッカーで美しいプレーを見たりしたとき以上のアートはない。
それを見たとき、自分も再現しようと思うこともあればそれ以上や、そこからインスピレーションを得た新しいプレーを創造しようということもある。サッカーとは二度と同じことが起こらないからだ。
黒い白鳥はいないと永久に証明できないという哲学上の難題のように、決してないとは言わないが、それでも確信がある。
美しいフットボール以上に感動するものはないと。
かつて日本代表の監督を努めたイビチャ・オシムはこういった趣旨のことを言っていた。
「サッカーで人生を無駄にしてしまった」
正確な内容は覚えていないが、数学者として大いなる未来もあったオシムが人生を浪費してしまった沼こそサッカーである。
サッカーで素晴らしいプレーを見たとき、どんな負の感情も吹き飛ぶ。そこに人類の原始的かつ現代的な発露を感じ、どんな人間もたった単純な競技で判断されるという公平さがあるからである。
感情が落ち込んでいるとき、そういったプレーを見て一気に感情が揺れ動いた。何も迷うな、自分が目指しているのはここだ、と。
人は大人になると「先生」と仰ぐ師にはそう簡単には出会えない。剣道や弓道を極めれば生涯かけて追求できるかもしれない。
学生時代、形式的にそう呼ばなければならなかった場合もあるし、普通大人になって今でも先生だと考える「恩師」などそうは出会えない。ごくせんのヤンクミのような卒業後も尊敬できる教師などそうはいない。
そんな自分が唯一「先生」だと心から言える師がいる。決してこれまでの人生で悪い教師にしか合っていないわけではなく、今でも素晴らしいと思う教師はいる。
ただ、本当に先生だと言える存在はただの一人
シャビ・エルナンデス
彼ただ一人だ。
はっきり言ってシャビ(チャビ)は過小評価だ。現役時代の実績はジダンに勝るとも劣らない。
国際タイトルとは長年無縁だったスペインを主要大会3連覇に導いた原動力は紛れもなくシャビであり、スペイン史上最高の選手だと言っても過言ではない。
結局バルセロナがチャンピオンズリーグのタイトルを最後に獲ったのもシャビが所属していたときで、メッシがいようともそのタイトルには届かない。
アンチフットボールはよくありませんよね、シャビ先生
移ろいゆく現代サッカーにおいてフィロソフィーを持った人間というものは少なくなりゆくももなのだろう。
でも、そんなとき心躍る美しいプレーをもう一度見ると感動が蘇る。何もそれは太古の昔に遡らなくてもいい。現代サッカーにも十分な感動がある。そういうものは長い説明もいらないし、たったワンプレーでいい。
サッカーにおける本当に心に響くワンプレーというものは、映画のシーンのようなものとなる。