池江璃花子の「努力は必ず報われる」発言が議論を呼んでいる。
ただ元からよくある言葉な上に、10年前も高橋みなみが総選挙のときに言って賛否両論だった。自分としてはたかみなのイメージだ。
なんだろうなぁこの言葉に反発する人って、「報われる」とか「結果」の基準が高すぎるのではないだろうか。
自分は努力は必ず報われるという言葉に賛成だ。
ただし、それは才能やポテンシャルの範囲内という限定で。
意識低い自分は、一般人や凡人は身の丈にあった結果で喜んでいれば十分であると考える。自分は最近努力が報われたよ、サッカーゲームで全然ゴールが入らなくても数時間粘ったらちゃんと決まったし、最初は全然なつかなかった飼い猫も諦めずにいたら懐いてくれた。そんなんでいいじゃないか人生。
高校受験でも大学受験でも失敗したのは確かに努力が足りなかったからだし仕方がないと思ってる。
大体「努力なんて必ずしも報われない、無責任なことを言うな、俺はこんな可愛そうな挫折をしたんだ」と言うやつに限って自分がすごく努力したと思っていても後から見ると全然足りてないし、本当に努力する奴は信じられないくらい努力する。積んでるエンジンが違うのだ。稼働時間が短い自分は努力では人に敵わないのも分かっている。
努力にすごい自信あってエネルギッシュで活動量の多い根性あって元気な人とは違うと思っているわけだ。昔は意識高い系自己啓発本とか読んだりドラゴン桜みたいな勉強のやる気出るドラマとかも見ていた。今だとキンコン西野のどっかの大学での講演動画と見るのが好きなタイプの人はそういう情熱がありそうだ。
ただ、例えば人間は自分の力だけでは鳥みたいに飛べないわけで、鳥が飛べるのは雛のときに飛ぶ練習するからからでもあるけど、それは鳥に才能があるからだ。才能がないのは悪いことではなく、仕方がないことで、人間だって他の工夫で飛行機作って飛べるようになったわけだ。
まぁ池江璃花子当人が1年ブランクがあったにも関わらず優勝したので結局才能に見えるのかもしれないが、その1年でブランクを取り返すほどの努力をしていたのかもしれない。努力=量や時間でもないし、同じ時間でも効率よく密度や負荷の高い努力をするのが池江選手のような人種だ。
それに2位以下の人達も努力と才能の組み合わせで幼少期からライバル達を蹴落としてきたので、別に可愛そうだとも思わないし否定されてるとも思わない。一般人がそういったエリートに同情する必要はないだろう。逆に失礼だ。
意識低い自分は「努力するのも才能」という言葉が大好きだ。世の中には努力が好きな人もいるので、先延ばし癖がある自分はそういう人たちを見てすごいなぁと思うわけです。
本気で努力したことないんだよなぁ自分。やろうとは思うけどどうしても無理なのだ。本当に努力の才能がない。
所詮甘ったれた帰宅部だし、かといって本気で勉強できなかったから受験にも落ちたわけで。そして今更学歴コンプ発動するわけでもないので勉強し直して大学に行こうとも思わない。
安酒を飲めたら自分は幸福ですよっと。逆に努力してもお酒を飲めない人がいるし、お酒を飲んでも太る人がいるので、太らずお酒飲める自分は才能あっていいなぁなんて思ってるわけだ。ちなみにお酒で失うものも多いので羨む必要はないですよ。
だから人間身の丈にあった範囲内で努力すべきという話なのだ。飛べないんだから飛ぼうと思ってもしゃあないでしょ。
得意なことと不得意なことがあって、得意なことがあるだけでも儲けもの。
大体、言うほど平泳ぎで1位になりたいと思うか?水泳なんてしたくもないしよく努力できるなぁと思うし情熱凄いと思う。努力もキツイだろうし、白血病乗り越えたのも凄い。
別に水泳の才能欲しくないし、来世は女子水泳選手になりたいとも思わない。
どちらかというと今一番欲しいのはサッカーゲームの才能。FIFAもっとうまくなりてぇなぁと思ってこれだけは努力してる。
そもそも本当に報われない努力ってあるのだろうか。ゲームでも数時間、数日やったらやる前の自分よりは上手くなっている。
まぁ語学とか才能の前に虚しくなることはあるけど、自分はそこらの人よりは才能あるし、外国語も勉強する前よりはわかるようになったからそれでいい。逆に人より才能ないことも多く、長距離走やハンドボール投げは女子より記録が悪い笑
あくまで英語の成績が良いので普通よりはちょっといいという程度の次元の話であって、逆に自分が才能なくて悔しい思いもあった。高校時代は現代文力入れて勉強しても、全然勉強してないし他教科ダメダメの女子が現代文だけ異様に得意で才能ってあるんだなと感じた。ちなみにその子は英語苦手だけど長距離走得意だったのでまさに自分の逆。自称天然女子と違ってガチで天然キャラ。心底妬ましかったね、しかも顔や性格可愛いし当時の陰キャ自分にも優しかった。そんな心優しい子をおかずに抜いていた最低な畜生がいるらしい、誰ですかねぇ。
現代文は才能の領域が大きいというのは多くの予備校教師も認めていてだからこそ古文漢文のような「努力枠」が必要なわけです。
まぁ現代文やハンドボール投げ、長距離走の才能なくてもちょっとだけ外国語の才能はあるので、それでお酒飲みながら意識低く海外の掲示板読んで笑ってるときが楽しい。
人より劣ってる部分もあれば人より多少は才能がある部分もある。ただ英語得意な人の中では下層であるように、才能があるやつの中に入ると才能はないだけで。一般人なんて大抵そうじゃないの。才能、努力、環境(運)、人生生きてりゃそういう無情に気づくものだ。
それと才能がなくても好きなことやってりゃ人生は楽しい。
自分は努力してもろくにリフティングできなかったけど別にサッカーは好きだし、帰宅部でちゃんとした経験はないけど、だからこそプロになれなかった悔しさとか嫉妬みたいなものは初めから無いからなぁ。
メッシとかフリーキックの練習ほとんどしなくてもあんな入るんだすげぇとしか思わない。
あと自分は合わない努力はしない主義なので、サッカーゲームでも無駄な足技とかは一切練習しない。緩急駆使したシンプルな操作だけ突き詰めたプレー極めたいと思ってるので、例えばめちゃくちゃ派手なテクニックのあるネイマールよりロッベンみたいなワンパターンのドリブル極めたいと最初から興味がないわけだ。自分はいろんなコマンドを覚える才能ないというか覚えが悪いけど、緩急の感覚が細かいところまでなんとなくわかる才能はある。
そうやって自分にあってるものを見つけて、合ってないものは削ぎ落としてきっぱり諦めて得意なことで勝負してる選手が生き残ってるみたいなのは好きだ。
ちなみに自分が好きな努力論はダルビッシュ有、本田圭佑、羽生善治だ。
ダルビッシュ有「努力は報われるけど、頭使ってない間違った努力は普通に裏切るよ」
本田圭佑「努力は報われないことのほうが多い。でもやれば成長する。成功ではなく成長にとらわれろ」
羽生善治「努力が必ず報われるなら誰もが挑戦する。うまく行かなそうなとき、報われなさそうなときにも同じ情熱を維持するかが分かれ目」
あと詳細は覚えてないけど雀士の名言で「流れが沈んでるときにどう対処するかが重要」みたいなのはゲームでも参考にしてる。
うまくいってて楽しいときにいいプレーをするのは当り前、ただ流れが悪いときに上手く乗り越えて更に悪い方向に流されず、そこから取り戻して最後は勝つというのがいわゆる勝者のメンタリティがある一流選手だ。そこはまだまだ自分にとって課題だ。一つのミスで一気に流れが悪くなってパニックになり瓦解するというのはよくあることだが、一流はそこで動じない。
特にサッカーやテニスのような一点やワンプレーが重いスポーツはもろにメンタルが出る。
サッカーの話で言えば本田圭佑は「日本人は才能がないんだから海外の選手の倍は努力しないといけない」と一見根性論に見えることも言っていた。ただこれってある程度事実で、結局近現代の日本人って外国人よりもっと働くみたいなことで成り上がった民族ではある。最近のブラック嫌いも、日本人にはもしかしたら合ってないのかもしれない。まぁそうやって根性に頼るから合理性を見いだせないのでもあるが。
大人がこんなに勉強しない先進国も珍しくて、日本人って自分たちは努力家だと思ってる怠け者なんだよなぁ。女性も他の先進国の女性と違って本音はキャリアとかより専業主婦志望で楽したい、自分の積み重ねではなく夫や彼氏、パパの格でマウント取りたいという人が多いし、男は勉強せずフリだけするから意識高い系なんてのが大量発生する笑
無趣味で哲学もない。
ってか怠け者が多くなきゃこんなにも努力という言葉にアレルギー起こさないでしょ。
そもそも江戸時代は今より短い労働時間でゆったり暮らしてたし、男は次男以下は結婚なんて最初から不可能でそれなりに楽しく暮らしていたわけだ。
開国に反対したのも別に日本だけで生活は成り立っていたからだ。地域によっては当然過酷なところもあったけど。
だいたい人間なんて、ちょっとの努力で報われるやつもいればもっと努力も必要なやつもいて不平等で不条理なものじゃん。それはもう仕方ないよ。そして自分にない才能ばかり不満に感じて自分にある才能のありがたみは感じないわけだ。時代によって役に立たない才能に無駄にパラメータが振られるとかもある。
明日から毎日ランニングしてください、絶対持久力上がってタイムは伸びます。既に走ってる人はもっと専門的なトレーニング受けたら伸びるだろう。それ以上にトップクラスでやってる陸上部の人とかは、じゃあ明日からなんかのゲーム始めてみたらどうだろう。収集系であれば時間さえ使えば才能なくても必ず結果は出る。そういうのも努力と言うだろう。
まぁそもそも自分は陸上とか水泳みたいにコンマ数秒を競う競技が好きじゃない。すぐ終わるし、そんなものいくら鍛えてもその日の偶然のコンディションで微妙にズレる。球技みたいに数十分の試合の中で運や流れが作用したり、自分の根性を発揮してやり直したりみたいなことが効かない。ある意味かなり理不尽で、よくそこに情熱傾けられるなぁとは思う。
それこそ1位にしか価値がないスポーツだよなぁと。そりゃそこで1位になった池江選手は全能感あるだろう。
球技とかは必ずしもトップ選手ではなく地味なポジションの選手とかでも好みが分かれるけど、競争系競技って2位以下は本当にどうでもいいっちゃどうでもいいし、実際注目されない残酷さはある。
球技はいろんな能力の複合だし、身体能力衰えても経験でカバーとかはある。陸上って加齢で身体能力落としたら、もうどうしようもない。もちろんフォームの改善とかはあるだろうけど限度がある。
サッカーってワールドカップで無名選手がゴール決めて名選手がノーゴールで大会を去るみたいなサプライズも多いけど、水泳や陸上は紛れもなく個人の能力が勝つ。
多分競技者もそれはわかりきってると思うのよ。池江選手に負けた2以下の選手も、そうやって理不尽で勝ってきたわけだし逆に理不尽で負けることもあるだろう。低い次元にいる一般人がわざわざ同情する必要はないだろう。彼らは十分成功者であり勝者なわけで、一般人が同情しても滑稽なだけだ。そういうのは選手の家族だけがしてればいい笑
そういう残酷な才能ゲーを選んだのも選手たち本人だからだ。言われなくてもわかってるはずだ。逆にお前たちに何がわかると思われてもおかしくはない。
例えばサッカーとかはフィジカルが弱い、スピードがない、技術が低いとかコンプある選手が他の手段で生き残ってて共感するところもある。もちろん普通の人よりは圧倒的に運動神経がいい人も多いが、メッシとかそこらの兄ちゃんに喧嘩で負けそうだ。
逆に陸上や水泳はどのカテゴリーでも常に1位だったような選手しかいないので、多少真の天才に負けて一般人の心境を理解するぐらいはいいんじゃないですかねぇと思うのは自分が帰宅部のひねくれ者だからだろうか笑
これだから根性なしの帰宅部はー
まぁ球技もエリートや天才揃いなのだが、純粋な身体能力の極限を問うスポーツは真のフィジカルエリートしか残ってないのでなんかそこで2位以下の選手を心配するのもどうかなぁと思うわけだ。数年前話題だった選手が怪我で今は見る影もないとか引退してるとかはちょっと可愛そうだとは思うけど。でもそういう身体能力全振りみたいな競技を選んだのも自分だ。
いやらしいユニフォームの競技を選んだのも自分たちであって〜(なんか話がおかしくなっていく)
まとめると「常識外れの結果さえ求めなければ努力は報われる」というのが真相だ。
ひろゆきみたいに「じゃあ努力すればメジャーリーグでホームラン打てるようになるんですか」みたいなのは反論のための反論であって、口喧嘩用の小学生レベルの極論だ。
なんだろうなぁ小学校のクラスの喧嘩で勝ってるような雰囲気のこと言ってれば勝ってるようになるみたいなのをいいアラフィフの大人がネットでやっちゃってる感じがひろゆき君なのよ。同調してるのも小学校のクラスのキッズ達というかね。ひろゆきは容量と頭いいから、そうすればある程度騙されて空気に乗るやつはいるってのをわかってるのよね。
それこそ人間は努力したって生身では飛べないみたいな話であって、同じ人間でも違う生き物ぐらいフィジカルエリートと一般人は違う。
人間は鳥という別種族のように飛べないし、ブスと美人も、ブサメンとイケメンも別種族で、一般人とフィジカルエリートも違う。
アインシュタイン稲田がジャニーズになれないのは、そりゃ人間が飛べないくらい当たり前のことでこれは努力とは別次元の話。人間は生身では鳥のように飛べないのは当たり前なのに、「努力すれば飛べるようにならないので努力には意味がない」みたいに言って楽したい層に著書売りつけたいだけでしょあいつ笑
でもアインシュタイン稲田だって芸人になれば人気者になれるし彼女も作れるしお金も稼げる。こういうのを努力は報われるというのであって、それに相方の雰囲気イケメンというかフツメンより芸人としてはよほど知名度も人気もある。
自分が二日酔いから復帰して今お酒を飲んでることだって、苦しさに耐えるという「努力」のおかげ。日常で報われる努力って小さなこと含めればめちゃくちゃ多い。今日掃除した私偉い、みたいなのも努力
1日1ターン制で生きてる人間からすると、こういう日常の努力が凄い。こっちは赤ちゃんだから(二日酔いになっている赤ちゃんとはいったい)
去年最大の努力は猫になつかれたということ。簡単に書くけどめちゃくちゃ苦労したよ。英検は落ちたねぇ笑
受けただけでも努力。ただ前日緊張を和らげるために酒飲んだのは努力不足
まぁでも思うよ、人間はそうすぐに結果は出ない。それは一部の天才だけで、その天才もそれこそ池江璃花子に負ける2位以下の選手みたいになるから。
ゲームってどうしたら上手くなるんだろう、とか考える。サッカー上手くなりたいとかも明確な答えは無いわけで、あったらみんなその方法使ってる。
時には休むことも大事でオーバートレーニングも良くない。
自分は元帰宅部なりにゲームでサッカーを追求しようとしてるし、もっといいゴール決めて再生数10でも増やしたいなぁと努力している。これも努力。ちょっとでもうまくなったらそれは報われたということ。ワールドカップ優勝を目指しているわけではない。
ここにワンテンポ早くパス出せてたら決まってた、みたいなシーンもあるので動体視力や間接視野を鍛えたりもする。まぁ内容が良ければ再生数上がるものではないけど、自分のプレーの質を上げたいというのは動画関係なしに追求したいことではある。
池江璃花子も高橋みなみもは努力は必ず報われると言ったが、報われるの程度は指定してないからね笑(カイジの利根川理論)
池江璃花子「私は努力して白血病にも打ち勝って、一年ブランクあった水泳で優勝しました。本当に努力しました。」
これが主人公補正って奴よ。
しかも美人なので、多分ブスだったら大して注目されてないだろう。
本田圭佑「半月板損傷したあとACミランに行って、ワールドカップ2大会連続ゴールとアシストしました」
これも相当だよなぁ。ケイスケホンダはガチモンの努力厨で意識高い系ではなくガチで意識高いから笑
別にこういう人たちのことを「成功者の戯言」という気はない。
二人とも逆境乗り越えて凄すぎる。むしろ根性という才能に注目するべき。池江選手の身体能力やフィジカルあっても普通のメンタルだと折れてる。
一年のブランクあっさり取り返したかのように感じる人が勝手に結局は才能と言ってるだけで、壮絶な努力だったと思うよ。既にめちゃくちゃ努力してるエリートの倍努力したから取り返せただけだ。
まぁそういう「努力する天才」を見て悩む必要はない。彼らはワシとかチーターとかシャチのような存在なので、俺空飛べねぇわぁ100kmで走れねぇわ、高速で泳げねぇわとか思う必要はない。プラモ作るのとエアソフトガンでの狙撃は自分の方が上手いと思うし、カラオケだったら湘南乃風たいしてうまくなかったケイスケホンダより上手い人多いでしょ笑
そのケイスケホンダもかつてはホングリッシュと言われた英語を今毎日矯正している最中で努力してる。それでもただ海外で生まれ育っただけの帰国子女に一生勝てないとしてもさ。
利根川みなみ「努力は必ず報われると言った、ただいつ、どの程度まで報われるかまでは指定していないッ、つまりその気になれば報われるというのは10年20年先でも可能ということ」
とある国営放送局の逆転人生という番組でも、長い沼があって数十年後その時の経験が生きたみたいなパターンは多い笑
だから普通の人間というのは、いや天才も結局はどうなるかわからない人生の中で、可能な限りの努力をするしかないということよ。それに尽きるぜマジで。それこそ羽生さんの「努力が必ず報われるのであれば誰もが挑戦する」みたいな話で先のことは誰にもわからない。
それに必ず報われる努力ってそれこそ時間や金かけて収集するゲームみたいなものであんま面白くないんだよな。女を金で買うようなものでそりゃそうでしょ、としか言いようがない。
わからないから、確実性がないから面白いのよ。
ポケモンAGのOPアドバンス・アドベンチャーでも「ぜんぶうまくなんていかない 簡単すぎたつまらないから」と歌ってる(ちなみにカラオケでアドバンス・アドベンチャーを歌うのは男性65%で20代が80%という驚異のゆとりおじ率)
だからこそ努力をし続けるために「必ず報われる」と信じる人もいるし、報われたら成功体験として今度も努力するためにやっぱり努力は報われるんだという意味で言う。「才能があるから結果が出て楽しくて努力する気になれるだけ」という意見もあるし、自分もそう思うことはある。でもやるしかないよ。
本当は一般人のための「才能ないやつのための意識低い努力論」みたいなものがもっと必要なんだろうね。自分はそのことを長々とこうして語っているし、日々そう思うわけだ。
ダルビッシュの「頭悪い努力は裏切る」は頭悪い人や要領悪い人、あるいはこだわりの強い人にとっては残酷であると同時に「もっと要領良く工夫しろ」という叱咤激励でもある。
そう考えるとケイスケ・ホンダのの「努力は失敗することが多いが成長はしている。成功にとらわれるな」は、凡人に寄り添ってくれるいい考え方だなと思う。どっちも好きな考え方。
これからはダル、本田、羽生さんは自分にとっての努力論の「三神」だ。
サッカーゲームとかでも運良くごっつぁんゴール入ったけどスタッツはボロボロみたいな試合より、ゴールは入ってないけど内容は良かったみたいなのの方が次には繋がる。
まぁ前者のほうが嬉しくてモチベも上がって、後者だと「ここまでやったのに何でだよ、何で報われないんだ」と考えることもそりゃある。
でもそういうときこそ成長という収穫はあったとポジティブに捉えるべきだ。簡単に勝てるキャラ使って勝っても成長はないけど勝つ喜びでやる気は上がるし、難しいキャラで工夫すると勝てないけど上手くはなる。そもそもサッカーはゲームとはいえレベルを上げていくとそう簡単に点が入るものでもない。
そう楽に結果はついてこないという意味でやはりサッカーと人生は似ている。人生の理不尽さに対する忍耐力も時として必要だ。それこそ流れが悪い時をどう乗り切るかみたいな雀士の名言だ、一流はそこがうまい。
本田が「俺ならやれる、と呪文のように言ってましたね」みたいにチェスカモスクワ時代に言ってたけど、確かに自分もFIFAでシュート全然入らないときほど「いつか必ず入るときが来るから」と言い聞かせる。そしてその通りいつかはいるのよ、自分のこれまでの経験を信じて入るまで諦めなければ。
「このキーパーおかしいだろ!笑」「俺はイップスになったんだろうか」って時はそりゃあるというかしょっちゅうだ。まぁそもそも現実のストライカーもそんな決定力は高くない。
「信じることは希望そのもの」もホンダの名言だ。本当にうまく行かないときは頭がおかしくなりそうになる。そういうときに「やってることは間違ってない、ちゃんとスタッツや数値にも現れてる、ただ運のかみ合わせで今は入らないだけ」そう考える。それこそケチャップは詰まって出ないこともあるというファンニステルローイの名言とも共通する。結果というものはそういう気まぐれなもの。その時は駄目でも後からこちらを見てくれることもある、猫のようなもの。
ゴールは懐かない日もある。
釣りとかも極めてる人はこの心境にたどり着くだろう。
よく「自然相手のことですから」とかいうじゃない。何事も自分という人間一人がどうこうできるものでもないし思い通りにはならない。所詮小さな個人だ。だから、大きなうねりの狭間でやれる限りの努力をするしかないわけである。