elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

所ジョージとかいう男が理想とする「趣味人」のおっさんw

趣味ほど人間性やその人のこれまでの人生が現れるものも無い。

海外では「いい大人は趣味や哲学、宗教観はしっかり持っておかないと一人前ではない」という考えが根強いと聞いたことがある。昔の日本人は働き詰めで、最近の日本人は陰キャ化して幼稚化しているため、そういう粋や趣のある趣味人の大人というのは少ないのが現状だ。

 

自分はそんな素敵な趣味人の大人として、理想は所ジョージであるように思う。

男ってのは所ジョージみたいなおっさんになれたらいい人生じゃないの。動画も純粋に趣味でやってる感あるし、情熱大陸で見たときはなんといい人生だろうと思った。

現代日本人男性が参考にすべきはまさにああいう大人だよなぁ、と。遊びの天才というか童心を失わないというか。そして自分を持っている。

 

さんまが小学校の頃クラスにいた中心的人気者なら、所ジョージはとにかくいろんな面白い遊びを知ってる奴がそのままおっさんになった感じだ。しかも絶対いいやつ笑

 

女性にとっての理想は誰だろうなぁ、女じゃないからわからないけど天海祐希とかは自立した女性の究極形だしキャリアも築いている。ただそれはかっこいい大人の女性であって普通の女性が目指せるものではない。

女性の場合、杉本彩とかもだが動物愛護のように本当に素晴らしい活動をしているとか立派なかっこよさを評価される。最近だとハーフタレントにありがちだが、海外の意識高い系を拗らせる人は2,30代女性タレントに多い。

 

そう考えると何かと戦うというより純粋な趣味人のおっさんが憧れというのは男の人生の面白さであり、それゆえに趣味が浅い大人は面白くない。

 

まとめで恐縮だがこの27歳男性がソシャゲ、なろう小説、漫画のような大人っぽくない趣味しかないというスレは面白かった。

ここまでコテコテの現代的な無趣味の大人がいるのだと、ほとんど同い年として思った。

多分こういう人が多いから、皆所ジョージみたいな趣味人のおっさんに憧れるんだろうなと。ゆとり世代あるあるだよなぁ、なんか自分たちの世代しょぼいなぁと思うのって。

oryouri.2chblog.jp

自分に中身や積み重ねがなくても金出せばSNSでイキれて承認欲求やマウント欲満たされて馴れ合えて、萌キャラでブヒれるソシャゲって何にもなれない普通の人間にとっては確かにインスタント的な自己実現である。

小説を読むのもいいのではないかという提案に対して、なろうや漫画ぐらいしか読めないというのもまさにコテコテだ。正直、ゆとりというよりもう一つ上の世代がこういうスタイルだと思っていたが結構20代にもいるのだろう。

 

女性がガラスの天井と戦ってるときに男というのはなんと気楽なことだろう笑

まぁ今の時代男がまともに考えても仕方ないというか、即時的にゆるーく過ごすのもいいことだよなぁ、というか派手なものはそう簡単には手に入らない時代だ。

 

昔のいい大人はもっと高いものを買ってマウントとってたけど、普通やそれ以下の男はソシャゲでイキるぐらいしかやることがなくなったのも衰退現代日本の実情というかさ。

そしてその同僚がやっている大人っぽい趣味がペン字というのも言うほど大人かとは思う。まぁ釣りスレかもしれないけど。

 

ただ実際日本のコンテンツって女向けか子供向けがほとんどで、男はただ働くことが求められる社会でもある。

そもそも成人男性が「素敵な趣味人の大人」になるための環境や文化があまり揃っておらず、結局ソシャゲのような底の浅い趣味が蔓延するようになったとも言える。所ジョージって東京都内に家庭菜園付きの家を建てられるぐらい勝ち組なので、現実問題なろうと思ってもなれない。

あと有給消化や育休の利用、バカンスの確保みたいなのは日本では難しい。

 

自分が週休3日制の普及を強く求めるのは、もっと大人がゆったり自分の好きなことを追求できる社会が来てほしいと思うからだ。親父が素敵な大人じゃなければ嫁も楽しくないし、子供も上手く人格形成がされない。

長らく日本って厳粛な親父が大黒柱として家族とは一定の距離を置くというのがある種の典型例だった。

 

日本で少子高齢化が進むのって「親父」になるのが楽しくなさそうとか、ハードル高いし、大人になる教育をそもそも(自分も含めて)多くの日本人男性が受けていないからであるようにも思う。

 

所ジョージみたいに趣味も面白くて社会的地位や財力もあって家族から愛されてる素敵なパパって、そりゃムズいよ笑

自分は家族作りたいとは思わないけど、「いい家族、社会的地位、いい趣味」の男の三要素のうち1つのいい趣味ぐらいは近づきたいとは思っている。

 

確かに日本は「オタク文化」の発祥地ではあるがそれは亜流というか社会の異端児や不適合者によるある種のカウンターカルチャーだ。

普通の大人の男性が大人になっても趣味を追求する土壌というのはなかった。

それこそ「飲む打つ買う」というまぁ何というか低俗なことが大人の男の美学とされてきた。

あるいはとにかく男のアイデンティティは仕事で、プライベートのどんな場所でも普通に仕事の話から入るくらい仕事しかない。

男だったら仕事一生懸命やって、その発散でどれだけ低俗なことやるかと言うのが昭和の美学だった。そういう大人、誰しも心当たりがあるだろう。

 

とにかく仕事して、それ以外のときはタバコ吸って酒飲んで、そんな席でもまた仕事の話して、ちゃんとゆっくり内省する時間が無いのだ。だからこそその反動で歪なオタク文化が生まれたことは幸か不幸か笑

どの社会にも不適合者がいるが欧米だとそれがヒッピー文化で、日本や東アジアだとそれがオタク文化になった。

 

成人日本人男性の趣味が未熟なのってそういう教育を受けてないとか、時間や環境がない、そして今は金が無いということに行き着く。

ソシャゲの何が哀しいかというと、数年前のことは誰も語っていないため奥深い考察は見当たらないし、今語ったとしても数年後は誰も語っていないことだ。

俗に言う「サ終(サービス終了)」になってしまうと本当に何も残らない儚さがある。レトロゲーのように後からでもプレー可能なわけではないし、元々浅い人しかやっていないので古き良きオタクのように熱く語り継ぐ人もいない。そこが虚しい。

まぁそういう人種は、サービスや流行が終わってもまた新しく始まったものをその時楽しむだけで済むのだが、いずれそれが楽しめなくなるときが来たときが怖い。

いつまでも萌キャラや声優でブヒるのも限度があるし、同じような仲間も普通の大人になっていく。そういうゲームやってるときだけの表面上の仲間なんて浅いものよ。

そしておっさんになったとき何の積み重ねもないことに気づく。

今の日本ってこういう即時的な趣味が多すぎて、所ジョージみたいな粋のある趣味人のおっさんになりにくい時代なのだろう。

 

このスレ主は「普通の趣味には終わりがなく上には上がいる、そういうのが無理」とも書いている。

わかる、めちゃくちゃわかる。そしてこういう考え方の人間が多いんだろうなと。

ただちょっと金払って人より上に立って誰かと仲良くなった気になれるコンテンツって総じて浅いんだよな。しかもそれは誰でも労働して他に使うものがなければ簡単に払える金額だ。社会的には薄給でも、他のものに興味がなくソシャゲだけに使っていれば狭い一部のネットでは誰かより上に立てる。

 

コメ欄にあった「プライドだけは一流だがマウント取るスペックは無いポンコツはキツい」はまさにその通り。これは割とみんなそうだろう。

現代の日本のコンテンツって「総合的に低スペックな人の居場所」と化していて、もはやかつてのオタクのように社会では不適合者だが好きなことに関しては気持ち悪いほど超一流という要素すら失っている。

「今のオタクは何も特技がない」と言われるようにただその時の流行を消費して即時的に生きているだけになっている。

 

趣味というのは終わりや答えがないから奥深い。例えば自分がサッカー好きなのは終わりがなく直ぐに戦術やトレンドが新しくなって、未来でも続いているであろうからだ。そういう「サッカー哲学」のようなものを自分なりに追求していくから楽しい。

終わりがすぐあって楽しめるというのは底が浅いということでもある。

 

まぁ確かにどの趣味にも既存層や上級者がいて、今さら自分が始めても追いつけない虚しさはある。

格ゲーやTCGなどはまさにそうで、結局既存層には追いつけないし既存層も初心者狩りをするわけだ。

実際自分もそれでチェスに限界感じて辞めている。

スレ内で「囲碁は大人から始めても強くなれる」とあるけど、結局勝負事って才能で決まるのも事実。この数年で始めた子供に直ぐ負ける可能性もある。

 

それを言ってしまえばスポーツなんてほとんどそうだし、肉体的に若くないので大体は負けて追いつけない。自分もそうではあるが、このスレ主は特にそういう考えが強いように思う。

「今更始めてもなぁ感」は確かにあるのよ。それもまた浅はかな考えなのだが。

例えば市民ランナーのおじさんおばさんとかは、オリンピック出場や若者に勝つとか考えてなく昨日の自分より早くなったとか同世代よりはしっかり運動してるとかに価値を感じるわけだ。

趣味とは本来そういうもので誰かと競うものではない、所ジョージはそう言うだろう。

そりゃ評価はされたいけど究極は自己満、自己探求の世界。生前評価されなかった画家も多いわけだ。

 

まぁ難しいのよ「いい大人の趣味」なんてものは。

だいたい金がかかるし、金かからないと大人の優位性は出せない。

肉体的に衰えていく大人の若者に対する抵抗手段こそ、大昔からの大人の趣味というものだ。ある意味で若者がそう簡単に入ってこれない大人たちの憩いの場だ。

それこそ個性のない27歳がちょっと金払えばSNSでイキれるソシャゲと、財力だけでなく見識も問われる趣味とは違う。

 

今どきオタク趣味でもいいものをコレクションするには目利きや知識が必要だ。ソシャゲは所詮ここ数年でリリースされたキャラクターで、運営がレア度を決めているので考える必要がない。決められたレア度に従っていればいい。

そういったセンスのようなものが問われず、コレクションとしては安い額を払っていればいい、ただ後に何も残らない。それをどう考えるかだ。

 

ソシャゲの何が駄目かというといわゆる「勝つために金を払う(pay to win)」でこの考え方は海外ではかなり嫌われている。

pay to winは物凄く叩かれるが、日本人は金払いがいい。ただ、社会人が普通に稼げる額で得られるものというのは、まぁ誰でも持ってるといえば持ってる。それこそ給与としては普通でも、私生活では何もなくてソシャゲにだけ異様に課金するみたいなタイプもいる。そういうタイプは自販機は物凄くコスパ悪いと感じて絶対に使わないがガチャは引きまくる。

 

自分はただガチャで手に入った運がいいだけか資金力のあるものより、自分のオリジナリティや技術、愛着、こだわりがあるプレーを見てもらいたいと思うタイプなのでその心理がわからない。レアアイテム自体は絶対他の誰かも持っている。

 

まぁ金銭感覚はそれぞれで、ちょっと我慢すれば数年使えるものを買えるのに直ぐに酒に使う自分が人のことを悪くは言えないのだが笑

まぁでもこういやってお酒飲みながら文章には残しているし、数年後自分で読んでそういえばこういうことこのとき書いてたなってのは楽しいものだ。

 

男が誰しもなるおっさんというのは社会から疎まれやすいわけよ。それがおっさんの悲哀。まぁ女も女で価値が目減りしていく悲しさはあるだろう。

そういうおっさんにとって何かしら自分が本当に好きでずっと積み重ねているものというのは、社会的地位とは違う愛着がある。

例えば上皇陛下は、今も魚の研究をされているわけだ。日本最高峰の地位の天皇でありながら、趣味は魚の研究。上皇陛下のことをこんな簡単に言っていいのかわからないが、純粋に大人として優雅だと思う。

おじいちゃんになって楽しんで追求する趣味がやはり自分は男として大事だと思うわけだ。

 

例えば肉体的に衰えると言っても、弓道や剣道の昇段はむしろジジィにならないと不可能なまである。そういう単純に衰えるだけではなく年齢ゆえの積み重ねがある趣味は人生100年時代に持っておきたいものだ。年を取れば若者から話を聞いてもらえなくなるが、物好きな若者には聞いてもらえる年寄でありたいじゃない。

そしてくだらない自己満の創作だって昔子供の頃自分が夏休みの工作で作ったものを懐かしむような感覚であれば十分に思い出になる。

 

なんの趣味もないおっさんはどれだけ地位があっても魅力はない。生き物で言えば自分はいつか昆虫や奇蟲趣味をしたいと思う。

もういないけど祖父がそういういろんな多趣味のおじさんで、それこそ所ジョージのようだった。だから爺ちゃんすげぇなと子供心に純粋に思って憧れていた。親父も親父で、小鳥飼育という趣味は持っていた。友人の父親はラジオいじりが趣味だと聞いている。

 

そういうおっさんの趣味ってそれだけでちょっとワクワクするのが男子の心理だ。

そして日本の女の幸せは母と娘でジャニーズ応援することや笑

 

究極のところ、社会や世の中のこと何もわかってない男児がこの爺さんすげぇ、面白いなって思うのがいい男の生き様だ。自分もガキの頃そういうジジィ好きだったじゃない。

今の自分はオタク論者的なおっさんとか好きだし、千鳥大悟のような酒好きのおっさんも好きだ。男は絶対おっさんになる以上、いいおっさんにならんとねと思うわけだ。

 

そのコメ欄にあったけど「人の趣味を笑うという趣味が一番良くない」というのが最も素晴らしい意見だ。人の目線気にせず追求してるから面白い。

萌え系ソシャゲでもテコ朴の作者(白正男)のようにシャニマスやって、Vtuber見てウマ娘にもあっさり手を出してはまってエンジョイしてるのは楽しそうだ。ソシャゲでもその領域にまで行ければいいし、そもそもテコ朴作者は政治的なタブーを風刺してるにも関わらず私生活ではただの萌えソシャゲおじさんというところに面白みがある。

おそらく義士はいつまでもあのスタイルで時々この時代のこと知ってるとかどれだけおっさんなんだよというキャラであり続けるだろう。ネットの長老や生き証人、語り継ぐ人が求められている。

エンジョイしてる感のあるおっさんはいつの時代も輝いて見えるとまでは言わないが面白く見える。素敵な趣味人の大人は難しいかもしれないがエンジョイしてるおっさんにはなれる。楽しんでなく人生つまらなそうなおっさんが一番悲壮感あるのでせめて楽しむことだけはしていたい。それが今の現実的な生き方ではないだろうか。そんなちょっとだけ面白さのあるおじさんでありたいものだ。

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