elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

オタク「一般人がさぁ、共感性羞恥心がさぁ(ニチャァ)」

オタクが使いがちな共感性羞恥と一般人という用語のキモさは異常

 

そしてそのキモさもある意味共感性羞恥なのよね。

自分とか鬼滅の話で何度冨岡義勇に共感性羞恥を感じると書いたことか笑

 

例えば音楽番組で萌え系声優が出てきたとき「恥ずかしい」とオタクが言うけど、たいてい「普通の人間はそこまで意識してない」「オタク特有の自意識過剰さ」と叩かれる。

 

まさに、そうなんだよね、オタクだけが勝手に恥ずかしがったり共感性羞恥抱いてる。それはオタクしか感じないし、オタクだから感じるのである。

一人の世界で勝手に妄想が進行してうわああああとなる、不利な性格しているのが陰キャなんですよほんと。

なぜかというと普通の陽キャはそういう経験が無いから、ある種のトラウマスイッチみたいなのが入らなくて当然っちゃ当然なのよね。

 

逆にオタク人種や陰キャは昔からずっと自分の話した会話の内容を後から悩んだり、過去の恥ずかしい黒歴史言動で足をバタバタするわけ。自意識の調整がぶっ壊れてるので、結局いわゆるコミュ障とかになりやすいのよね。

その結果、普通の人たちと違うことに幼少期から悩んで「一般人」という言葉を気持ち悪く使ったり、やたら共感性羞恥とかいうキモオタが出来上がるのよなぁ笑

わかるわかる。

そして人付き合いも同じタイプとしかできないので溶け込める場所が少ないと。それこそ冨岡化するわけよ笑

 

もうそれが共感性羞恥だわ、と。共感性羞恥という言葉を使ってるやつに共感性羞恥抱くという無限連鎖や同族嫌悪こそオタクあるある。

共感性羞恥無限連鎖編にならないやつはファッション陰キャ確定笑(そしてこういう排他性こそコミュ障拗らせる要因)

 

オタクがつかいがちというか、オタクしか抱かないので、そりゃ(現代的な用法で)使ってるのはオタクばかりというのは至極当然なのである。

陽キャはそういうことでいちいち恥ずかしがらないからだ。

 

勝手に自分たちで自意識過剰になって上手くコミュニケーション取れなかったり、陰キャ特有の恥ずかしい経験とか、陽キャはそういう経験がなかったりメンタル強いとか悩まないとかでちゃんとまともに成長していくわけよ。

これが陰陽格差の現実、悲しいなぁ

 

なんだろうなぁ共感性羞恥のスイッチが入りやすいことこそ陰キャやオタクの条件というか、オタクになってしなう素質のようなものかもしれない。

一般人や陽キャはそんなことで悩まなくてすむし、そういう育ち方をしてないから感じなくて当然なのよね。

これはオタクだけが持つ先天性の不治の病みたいなものでござるな。