メッシファンとロナウドファン、根本的マインドの違い
・メッシファンの特徴
純粋にサッカーの実力から好きになり、いつの間にか数多くのサッカー関係者や同僚からも愛される人柄を見ているうちに人間性も好きになる。
自分の人生がうまく行っていようが、そうでなかろうが関係なくメッシが活躍して何かを成し遂げればそれで嬉しい。
どんな結果であれプレーの質を鑑賞することで感動や感嘆は得られるので、ヒットしなくても内容がいい映画のように満足する。メッシの容姿がルーニーやイニエスタのように今より不細工であれズラタンやトーレスのように強面や美男子であれ応援する。
数々のデータやスタッツなど客観的な数値を重視
ペレとマラドーナの話をすることはあってもわざわざ主人公だのロナウドを越えただの言わない。
ただメッシを愛する小さな名もなき個人であることを好む。
・ロナウドファンの特徴
ただロナウドに自己投影しているだけの病身でありそれ以上でもそれ以下でもない。
精神勝利が日常であり、自己のコンプレックスをロナウドで満たしている(高身長、イケメン、マッチョ、インスタに挙げられる優雅な私生活などを自分にないものを見て自分が成し遂げたかのように自慰。本当に当てはまっているのは孤高ということだけ)
プレーの内容よりもただ活躍にだけ焦点を当てているので(プレースタイル上それしか見どころがない)、不発に終われば癇癪をおこし八つ当たり。映画で言えば興行成績が全て。
ロナウドの容姿でなければファンにもなっていないし、まるでCR7本人に憑依したかのように批判されれば嫉妬扱い
現代におけるカルト宗教なので「聖人」「メッシと異なりどこでも活躍できる」「主人公」というような個人崇拝神話を創造し、弱小中堅国としか当たっていないユーロでは決勝数分しか出場しないおかげでポルトガル黄金世代がフランスに勝てたが、この時のチアリーダーごっこを「真の監督だった」とこれまた神話列伝化
これらは共産主義や新興宗教指導者の英雄伝のようにすぐバレるし裏では数多くの反モラル行為が常套
仕方がないので最後は自分はあえて王道ではないライバルを推していると豪語するが、成績が良く調子がいいときは、メッシを超えて歴代最高GOATだというプロパガンダをのたまっていた程誰よりもナンバーワンであることに執着する。
そして「メッシは自身の専用システムが必要(歪なロナウドシステムになるため戦術家ラングニックから追放予定)」「CLの神ロナウドは強者やビッグマッチに強い(VAR導入以降は強豪どころか中堅アヤックス、リヨン、ポルトに敗退)」「サッカーは結局ゴールが全て(ゴールもアシストも少ないモドリッチがバロンドール受賞)」など言っていることが全て逆になる。
彼らが崇めているのは神ではない、"逆神"であり、まさに「ロウム真理教」そのものである。